約束の剣
ルガリアードからの正式な婚姻の申し込みは、国に戻った後すぐに来た。
アリシア王妃はブルーナ王妃が二人を結びつけたのかも知れない、そう思いこの婚姻を心から嬉しく思っていた。
王女も一年後嫁に行く事を承諾し、その時を心待ちにしつつも、それまでにやるべき事が山のようにあった。必要な家具に加え、嫁ぎ先での花嫁の身支度に必要な物を新たに揃える。それと同時に、王女に付き従う侍女を数人選ぶため色々な条件を揃えなければならなかった。
毎日やらなければ成らぬ事は多く、王女の側にシリルの姿がない事も増えた。
婚姻の承諾をしてから何よりも嬉しかったのが、ジークリフト王子は何かと理由を付け、度度、王女に会いに来た事だった。二人は王宮で会う事もあったが、竜達の傍で会う事が多くなった。
竜は、二人の恋を大らかにとても喜んで受け入れていた。
そんなある日、中庭のベンチで本を読んでいた王女に、ジークリフトから城の外で会えないかという手紙がきた。その手紙はいつものようなちゃんとした書面ではなく、走り書きのメモのような物だった。女性騎士のイリスが侍従から受け取りメモを確かめた後王女に渡すと、手紙を届けた侍従に王女は尋ねた。
「これをあなたに届けたのはどなたなの?」
「それが……ジークリフト王子ご本人なのです」
王女はそのような答えが帰って来るとは思ってもいなかった。エリスロットが眉をひそめる。
「王子本人とは、どういう事か?」
すると侍従は声を落として言った。
「その……とてもラフな格好をされていました。多分、お忍びではないかと……」
「お忍び……」
「鍛冶屋に約束の物を受け取りに来たと……そう言えば王女には何の事か判るだろうと言われました」
それを聞いた途端、王女は本を閉じ立ち上がった。三年前の出来事が思い出される。あの時ジークリフトが断られた剣の創作。ジークリフトはそれを鍛冶屋のアダム・オルティエに造って貰ったと言う事だ。そして、それをジークリフト自身で受け取りに来た。
「約束の物を受け取りに来たと……確かにそう言ったのですね」
「はい」
「そう、判りました……返事を書くので控えていてください」
王女の様子に侍従は慌てた。
「しかし……本人で在るかの確認が取れていません。私もジークリフト王子のお姿は知っておりますが、あのような格好では似た人物の可能性も……」
しかし、王女は笑ってそれを止めた。
「大丈夫です。間違いなく彼ですから」
そして、王女は返事を書くために自室に戻ろうと歩き始めた。その後をエリスロットとイリスが付く。侍従はその三人の後をついて来たが、まだ、半信半疑だった。
「心配しなくても良いのよ。彼が言った事は、私と彼しか知らない事なのです。彼は、間違いなく彼自身である事を私に示しただけですから」
自室に着いた王女は、侍従に外で待つよう伝えエリスロットとイリスを従え中に入った。そして机の上の紙を取り、急いで返事を書き終え引き出しを開けると、そこに置いてあった栞を取り出した。それはあの舞踏会の夜に身につけていた青いリボンを紙に貼り付け、あの時森で摘んだ花を押し花にしたもので、リボンの青が映えるよう周囲に色をつけた別紙で縁取り、美しいコントラストをつけたものだった。王女自身がジークリフトの為に心を込めて作った栞だ。
「僭越ながら……確認して参りましょうか?」
イリスは王女の様子を見ながら王女に言った。だが、王女は笑って受け流した。
「大丈夫よ。確信がありますもの」
いつかジークリフトに渡そうと用意していた栞をそっと抱きしめ、ふと思いつきそこに『永遠の愛と信頼をあなたに……』と書いた。それに口づけし今書いた手紙に挟み込むと封をする。
王女は扉を開け、外に待機していた侍従にその手紙を渡した。
「すぐに行くと伝えて……」
「承知しました」
侍従は足早に去って行く。それを見送ってから、王女は急いで外へ出る準備をし外へ出た。侍女のシリルは王女の婚姻の準備のために、その日も朝から忙しくしていた。婚姻の決まった王女を、侍女達は自由にさせておく事も多くなってはいたが、シリルだけはやはり時間があれば王女に付き、何かと口うるさくしていた。そのシリルが近くにいないことは好都合だった。イリスはシリル程煩くはない。だがエリスロットは……。
「イリス、今回は貴女が私についてください。貴女はジークリフト様と私が逢えたら……少し離れていてくださいね」
「おや……姫、私は付かなくて良いのですか?」
「だって貴方は必ず後でからかうでしょう? 今日は大人しく書庫にでも行っていなさい」
「……なぜ書庫なのです?」
「あら、お気に入りの女性が書庫の係だと聞きましたよ。自由時間をあげますから、行ってらっしゃい」
エリスロットはイリスを睨んだ。
「いや、私は何も話していない」
二人の様子を見て王女は笑った。
「私にだって色々な人から情報は入るのですよ」
いつもやられている感があったエリスロットを、今日はのしてやった。王女は喜々として厩舎に向かい、馬を連れ出すと王女は約束の場所へ急いだ。
ジークリフトとの約束の場所は、竜達の住む山へ向かう途中にあった。大きなニレの木が心地いい木陰を作っている。二人は竜達に会いに行く時にはよくそこで休憩をするのだ。王女ははやる気持ちを抑えながらも、つい馬のスピードを上げた。
ニレの木が見えると、王女は馬に話しかけているジークリフトの姿を見つけた。
「ジーク!」
王女の呼びかけに、ジークリフトはこちらを向き手を上げる。近くで馬を止めると、王女は一目散に駆け寄り、ジークリフトの胸に飛び込んだ。
「会いたかった!」
二人は固く抱き合った。ジークリフトは何かと理由を付けて来てくれてはいるものの、手紙のやり取りのように頻繁に逢える訳もなく、前回会いに来てから二ヶ月の時が経っていた。
「顔をよく見せてくれ」
ようやく身体を離しお互いの目を見つめると、ジークリフトは優しく笑った。王女の目元に風で乱れた長い髪の束が落ちている。
「急がせてしまったようだな」
ジークリフトはその髪をそっと耳にかけてやる。
王女は喜びを隠そうともせずに素直に笑った。その言葉にジークリフトも愛し気に微笑む。話したい事は数多くある筈なのに、ジークリフトを目の前にすると何から話せばいいのかわからない。
「……剣、アダムに造っていただけたのですね」
視線を落とした王女の目に、ジークリフトの腰にぶら下がっている真新しい剣が映った。ジークリフトは腰の剣に手をかけ頷くと、剣を腰から外し王女に見せてくれた。
「彼は三年越しの約束を果たしてくれたよ」
それは、あのアダム・オルティエがジークリフトを一人の男として認めてくれたことを意味している。ジークリフトは剣を鞘から抜いた。鍔からグリップにかけて握りやすく滑りを止めるように装飾がなされている。
「さすがだ……やはり、彼が作るものは初めて触れたにも関わらず手の馴染み方が違う」
嬉しそうに言いながら、ジークリフトは柄を何度も握りしめた。アダムの剣は真っ直ぐで剣身にブレがなく、そのエッジ部分は何かでコーティングしているのかと思うほど輝いている。エッジの中ほどから切先にかけては緩い湾曲があり、それが、全体のバランスをより美しくしていた。
「とても美しい剣ですね……」
剣の事をよく知らない王女にも、この剣が美しいという事だけはわかる。
「あぁ……」
ジークリフトは一振りすると音を立てて剣を鞘に収め、それから柄頭の部分を王女に向けた。
「ここを見てくれ」
王女がジークリフトの指差した柄頭部分を覗き込むと、そこに何かが装飾されているのが見えた。
「……これは……」
王女はその装飾が何であるのか認識した時、ジークリフトは苦笑した。
「確実に私たちのことは暴露ていたようだな」
そこには、ルガリアード国の王家であるリナレス家の紋章が刻まれていたのである。二人は顔を見合わせた。
「なぜ暴露たのかしら?……あの時、私のこともわかっていたのかしら?」
「確実に暴露てたよ」
「どうして? あの時私町娘の格好だったのに」
「鞍だよ……あの時の君が修理して欲しいと持っていった鞍、そこにリングラント国の王家の紋章が刻印されていたのを彼は見たんだ」
「あー……」
途端に王女は情けない顔をした。そこまで気を回していなかったのだ。あの時、アダムは王女である事がわかっていて、ジークリフトとの約束を違えないよう証人になれと言ったわけだ。王女は溜息をついた。そんな王女の表情を見て、ジークリフトは声をあげて笑う。
「彼は元気でしたか?」
王女が尋ねると、ジークリフトは頷いた。
「あぁ、三年の間に子供が二人生まれ、彼は三児の父になっていた」
「まぁ……」
「それに……誰にも聞かれぬよう『ご婚約おめでとう』と言われたよ。あの時、すでに彼は私と君がこうなるのではないかと思っていたらしい」
それを聞いて、王女は驚木、ジークリフトはバツが悪そうに笑った。
「あの頃は二人とも子供だったな」
「まったく……暴露ていないと思っていた自分が滑稽です……」
少々落ち込んでいる王女を可笑しそうに見ていたジークリフトは、徐に鞄を開けた。
「そういえば……土産がある」
ジークリフトは、布に包まれた物を取り出し王女に渡した。王女が開けて見ると、それは揚げた肉饅頭だった。
「まぁ、肉饅頭!」
「あぁ、冷めても美味いと言われたので、二人で食べようかと思ってな……あの時の店で買い求めた」
王子は自分の分も取り出して見せた。肉饅頭の包みを渡されると、王女はあの時のようにのびのびとした自由な気持ちになった。
二人はニレの木のそばに並んで座ると肉饅頭に口をつける。相変わらずの肉汁たっぷりの味わいにジークリフトは満足そうだ。
「作り立てには敵わんが……それでも美味いな」
それに頷いて答えながら王女は口を開く。
「あの子、ほらお店の店頭にいた元気な男の子……」
王女の言葉にジークリフトはチラリと王女を見て、面白くなさそうに頬杖をついた。
「あぁ……」
「彼は? 元気でしたか?」
「相変わらず口が達者だよ。身長も伸びてしっかりと店番をしていた。私の顔を見て、あの時の彼女は一緒ではないのか? と聞いてきた。一度しか会っていない君を覚えているなんて……余程君の事を気に入っていたんだろう」
「でも、貴方の事も覚えていたのでしょう? 記憶力が良いのね……」
王女は楽しそうに聞いていたが、ジークリフトは面白くなさそうに眉を上げた。
「何も言わずにいたら、振られたのか? と嬉しそうに慰められたよ……」
「あら……」
王女は笑った。
「面白くないので婚約をした事を話すと、彼は七年後の決闘が必要無くなった事にガッカリしていたが、君に持って行けと肉饅頭を包んでくれた」
ジークリフトは王女を見た。
「実は、君の分は私が買ったものではない。彼の奢りだ」
「まぁ、大人気ない」
「子供とは言え、彼も一端の男だ……それに私と決闘をする気満々だったのだぞ。そこは譲る気はない」
ジークリフトの言葉にクスクス笑いながらも王女は嬉しかった。
「私達、思い出を語る同じ経験があるのですね」
その気持ちを隠す事なく素直に表現する王女に、ジークリフトは笑った。
「全く君は……これから幾らでも同じ思い出を共有するんだ。先の方が長いぞ」
「それはそうですけれど……貴方が私の側にいて下さる、それだけでも嬉しいものは嬉しいんですもの」
ジークリフトは思わず王女を引き寄せ抱きしめた。
「困ったな……このまま君を連れて帰りたい……」
王女もジークリフトを強く抱きしめた。
「もう少しです、もう少しで常に貴方の側に居られるのですから」
ジークリフトは体を離し王女に口づけをした。が、離した後少し上を向き唇を引き締める。
「ふむ……少々肉饅頭の味がするな……」
途端に王女はジークリフトの胸を小突いた。
「もう! デリカシーのない事を言わないでくださいませ!」
二人はそれからいろんなことを話し笑いあった。
「さて、暗くなる前に君を城へ送らねばな……」
名残惜しそうに立ち上がったジークリフトは、王女の手を取ると立たせた。
「今日は街の宿場に泊まるが……明日の朝早く国に帰る」
馬の準備をしながら、ジークリフトはそう言って王女を見た。
「そう……次はいつですの?」
王女の瞳に寂しさが滲む。ジークリフトは王女の顎を挙げるとその唇にそっと口付けた。
「出来るだけ早く、会えるようにしよう……」
その言葉は、次にいつ会えるのかまだ分からない事を示唆している。二人はそれぞれ自分の馬に乗り、並んで山を下り始めた。山を降り切ると森の中の林道を通り、畑が広がる平地に出る。それを抜けると家々がポツポツと並び始め、街に入ってゆく。
途中、イリスとリーナスの二人と合流しイリスが王女とジークリフトの前に、リーナスが背後に護衛として付いた。
そして、ようやく一番小さな城門までやって来た。門番は王女の確認をすると、王女が戻って来たことを伝えるために城の中に使いをやった。二人は馬を降り、馬の影に隠れもう一度抱き合った。
「こうしていると離れ難くなる……」
ジークリフトは腕の力を緩めながら小さな声で呟く。王女はもう一度ギュッと抱きしめ離れた。
「栞……ありがとう。君を思いながら大事に使う。私も永遠の愛と信頼を君に誓おう」
そう言ったジークリフトは優しく笑い、王女の手を取りその手に誓いの口づけをした。
夕暮れ間近い空気は、離れ難い恋人達を隠すように徐々に色を落として行く。
「では……また……」
「えぇ……お気を付けて……」
立ち去るジークリフトの後ろ姿を見送り、王女は小さく溜息をついた。婚姻の儀式までもう半年もない。王女がジークリフトの居るルガリアードヘ入城すれば、その後の人生は常にジークリフトの傍に居ることが出来る。
離れていなければならないのは今だけなのだから……そう思いながらも、ジークリフトの後ろ姿が小さくなっていくのを見るのは辛いものがあった。




