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庭師のルナン


 王女が三度目にジークリフト王子と会った時は、あのブルーナ王妃の葬儀から三年が経っていた。

 好奇心でいっぱいの十歳という年齢は、まだまだ自分のいる世界の事しか考えられない時期だ。


 その年、リングレントの城内に新しい避難所兼貯蔵施設が作られた。

 それは、王女が三歳の時に起こった都の東部分の大火の時に、焼け出された街の住民の大半を城内の施設に保護した事で必要となった避難施設だった。


 王女にはアリシア王妃と震えながら見ていた炎の記憶しかないが、それ以来、ディオニシス王とアルカス王子は災害に備えての避難施設を作ってきた。


 城下の多くの人々が、暫くそこで過ごせるだけの広さの避難施設は、広大な城の敷地内に何が起こってもその中にいる人々を守るようにと、地上部分ではなく冬は暖かく夏は涼しい地下部分に作られた。


 施設の内部は、その地下部分に飲料できる水を引き込んで流れを作り、それはそのまま下流の海に流れ出るようになっていた。同時に下水道を造り、換気と明り取りのための窓を各所に造り、空気の流れを作った後、幾つかの(かまど)が設置される予定だ。先はまだまだではあるが大きな部屋も幾つか作られ施設の中にいる人々が少しでも居心地が良いよう考えられている。


 工事は足掛け七年の歳月をかけ、やっとその避難施設の全貌が見えて来ている程度ではあるが、完成した貯蔵施設には随時食糧の確保をする事になり、いつでも使用可能になる。

 使わないに越した事はないが、リングレントの人々はその完成を楽しみにしていた。それは、ディオニシス王がどれだけ国の人々の事を思っているかの証でもある。

 人々はこの賢王ディオニシス二世に誇りを持っていた。


 この国の象徴である二匹の竜は、石や材木を運ぶのにこの七年間ずっと城と山を行き来していた。王女が物心ついた頃には当たり前の様に竜達が城に居たものだから、大きくなって竜の寝ぐらは山の中の洞窟である事を知った時は不思議な感じがしたものだ。


 そんなある日、朝食を終えた王女が少し散歩をしようと外に通じる通路を歩いていると、アルカス王子が部下に何かを指示している所に遭遇した。部下はアルカス王子の言う事に頷いて、直ぐに出て行く。

 アルカス王子はその姿を見送った後、振り向いて王女に気付き王女の前へやって来た。


「ソル……朝食は終えたのか?」

「はい、アルカス兄様」


 王女と七つ違いの兄であるアルカス王子は、しっかりとした大人としての責任感を持ち始めている。昨年、婚姻相手が決まってからは、なお男としての責任感の様なものが出てきたように思う。王女にとっては大好きな優しい兄だった。


「今、食事の後の散歩をしようと思っていたのです」


 王女が言うと同時に強い風が吹いた。見上げるとソラが飛んでいる。二人を見つけたソラが低空飛行で挨拶をしたようだ。


「ソラ! お仕事頑張ってくださいね!」


 王女はソラに聞こえるように大きな声でそう言うと、大きく手を振った。その様子を見ていたアルカス王子は少し苦笑する。


「今の風でお前の髪がぐちゃぐちゃだ……」


 アルカス王子は笑いながらも、楽しんでいるように王女の頭をさらにクシャクシャと撫でた。


「成長したと思っていたが、まだまだ子供だな」


 王女は自分の髪を直しながら頬を膨らませて怒っている事を示したが、アルカス王子とのこんな時間は嫌いではない。


「散歩に行って参ります!」


 膨れ面のまま王女が言うと、アルカス王子は笑いながら頷いた。


「工事をしている場所には近づくな。ソラが居るだろうが、まだ少し石積みが残っている……」

「はい」


 王女はそのまま行こうとした。その姿にアルカス王子がもう一度声をかけた。


「それから……」


 王女が見上げると、アルカス王子は何かを言いかけ辞めた。


「いや後でいい、気をつけて行くんだぞ」

「はい」


 王女はシリルを伴い、いつもの散歩コースを歩く。

 三年前、ルガリアードでの迷子事件の後、王女には世話係の侍女としてシリルが付けられるようになった。ディオニシス王が王女を甘やかせ過ぎたと反省した所以(ゆえん)である。シリルは大層出来た侍女で、悪戯盛りの王女の手綱を締めるのには随分と役に立った。


 城の裏手に回り込んで、しばらく行くと小さな庭園がある。緑のツゲの生垣を抜けて庭園の中に入って行くと、園路があり、その園路は庭園の中ほどにある東屋の脇を通り、そのまま泉のある花畑まで繋がっていた。

 程良い散歩コースなのと、母のために季節の花を摘むのも楽しみの一つで、王女はこの散歩コースが一番のお気に入りだ。

 時間をかけて歩きながら、ふと空をみると遠くにソラが何かを運んでいる姿が見える。


(今日は何度往復するのかしら……)


「ソラ! 後で何かおやつを持って行くわね!」


 近づいて来た時、声をかけて手を振ると、ソラは一度旋回し行ってしまった。


「姫様……何度も申し上げてはいますが、淑女が大声を張り上げるというのは宜しくありません」

「だって、小声で言うとソラに聞こえないではありませんか」


 シリルの小言に反論しながら王女は散歩を続けた。東屋を通り、園路通りに泉へ向かう。泉に着く手前から柳の並木があり、程良い木陰を作っている。その柳の下にベンチが置いてあるが、王女はそれを素通りした。ソラに出会ったからには、早目に城に戻りたかった。


 泉は柳の並木を抜けるようにして、突然開けるように出現する。泉と言うより大きな池の風情だが、ちゃんとした湧き水で飲料水としても使用できた。その泉を回り込んだ向こう側に花畑は広がっている。


 その中程に帽子をかぶった人影が見える。王女はそれを確認すると嬉しくなって大声で声をかけた。


「ルナン!! こんにちわ~!!!」


 それは、城の庭師のルナンだった。ルナンは作業を止め、白髪と長い髭をこちらに向ける。


「おぉ! 姫様! お散歩ですかな!」


 ルナンは王女に向かって手を振った。


「ですから姫様、大声は……」

「いいから、早くルナンの所へ行きますよ」


 王女はシリルの助言を無視し駆け足でぐるりと小さな泉を回った。シリルは必死に付いて来る。


「姫様! お待ちください!」

「ほら! シリルも大声になっていますよ!」


 王女は笑いながらルナンの元へ走った。


「久し振りですね! いつ来ても会えないんですもの! 今日は幸運だわ!」


 王女は嬉しそうにルナンを見ると、ルナンも微笑んで王女を見下ろしながら、頷いた。


「姫様、少し見ないうちにまた背が伸びたのではないですか?」


 王女はこのお爺さんの庭師が大好きだった。自然に関する事は、きっと家庭教師の先生よりも知っているだろう。いつも、ゆったりと楽しそうに庭仕事をするルナンは、王女にとって家庭教師以上の尊敬する人物なのだ。


「今日は何をしているのですか?」

「花がら摘みですよ……ほら、咲いている花が終わった後、今の内に取っておくと下にある新しい花芽が咲くのですよ」


 王女はルナンの指差す終わりかけの花を見た。その下を覗いて見ると、確かに新しい芽が膨らんで、咲く準備をしている。ルナンは終わりかけの花を摘み腰の布袋に入れた。


「こうする事で、花はいつも綺麗な状態で、姫様に見てもらえるのです」

「まぁ、日々の努力が必要なのですね……」


 王女は感心して花芽を見ていたが、ふと顔を上げ花畑を見回し、途方もない思いで尋ねた。


「……これを全て一人でするのですか?」


 ルナンは楽しそうに笑った。


「いえいえ、午後からは木の見回りをしている(せがれ)が来ますし、家内も苗床の整理が出来たらこちらに来ますよ」


 王女はホッとした。そして、そうだったと思い出す。ルナンの息子が城の庭師に仲間入りしたのは最近の事だった。

 ルナン夫婦にとって、この事はとても嬉しい出来事だったらしい。(せがれ)と言うルナンの顔は、いつもより嬉しそうだ。


「仕事を共にやる人が居るって素敵ですね」


 王女は素直に笑った。ルナンも大きく頷いた。


「あの子の持つ感覚は、私とまた少し違う」


 そして、顔を上げ花畑を見渡し、微笑んだ。


「きっともっと素晴らしい庭を作り上げるのではないかと、私は楽しみなのですよ」


 そう言いながら、不意にルナンが王女に尋ねた。


「そう言えば、姫様……今日も花を摘んで行かれますかな?」


 王女はルナンを見上げて頷いた。


「えぇ、摘んで行きたいです」

「それならば良い物があります。こちらへどうぞ……」


 ルナンは王女について来るよう言って、先に歩き出した。花畑は奥に行くにつれて少し上りになっている。そこを上がり切った所で、ルナンが立ち止まった。後をついて来ていた王女は、ルナンの後ろからその向こう側を覗き込み顔を輝かせた。


「沢山の花が咲きましたね……何て見事な……」


 眼下には宝石箱をひっくり返した様な、色とりどりの花が咲いていた。よく見るとハーブだけでは無く大小様々な大きさの花がある。ルナンは満足そうに笑って王女の様子を見ていたが、さらに歩き出した。


「珍しい花が咲いたのですよ。こちらです」


 目の前の花だけでも満足なのに、更に何があると言うのか……王女は心が浮き立った。ルナンはまた少し行った所で立ち止まると、愛おしそうに言う。


「これをご覧下さい」


 王女が視線を向けると、そこに咲いていた背の高い大きな花は淡いベージュに近いピンク色に紫に近い青い斑の入った物で、今まで王女は見た事のない上品な色をしていた。


「……これは……美しいですね、何と言う花なのですか?」


 ルナンは嬉しそうに笑った。


立葵(たちあおい)です。数年前から少し品種を変えてみようと掛け合わせをしていたのですが、今回はこの様な見事な花が咲いたのですよ」


 王女は目を輝かせてルナンを見上げ、その手を握った。


「素晴らしいですわ! ルナン! こんな事が出来るなんて、ルナンは天才ではないかしら」

「はっはっは! 天才ではありませんよ。偶然のなせる技ですが、神がご褒美を下さったのかもしれませんね」


 ルナンも嬉しそうに笑っている。その笑顔を見て王女は聞いてみた。


「それで? 今回も蜜蜂にも手伝ってもらったのですか?」


 ルナンはニッコリと笑いながら王女を見降ろした。


「今回は蜜蜂には手伝ってもらいませんでした。姫様の蜜蜂好きは健在ですな」


 その言葉に王女は笑った。


「だって蜜蜂は偉いんですもの」


 そう言いながらも素晴らしい花に心は奪われる。美しい物には神様のご加護があると言う。この花を見ていると本当にそうなのだろうと思わずにはいられない。


「来年も再来年も同じように咲いたら、この花に名前をつけることにしますよ」


 ルナンが言うと、王女は意外そうな顔をした。


「なぜ? 今つけてはならないの?」

「偶然に出来たものですからね……毎年咲かなくては、新しい品種とは言えません」


 王女は少しガッカリしたように美しい花を見た。ルナンはその様子を見ながら、困ったように微笑んだ。


「植物の世界も人と同じです。思うようにはいかないものです。しかし、そうやって待つ時間も楽しいのですよ」


 それから、気を取り直すように王女に声をかけた。


「この新種の花と他の物も合わせて、後で宮殿に届けましょう」


 ルナンはそう言ったが、慌てて王女は首を振った。


「いいえルナン! 自分で持って行きます。わたくしの腕いっぱいに持たせて頂戴!」


 王女は両腕を広げた。それを、ルナンは心配そうに見た。


「しかし……両腕いっぱいは重いですよ」


 そう言いながらシリルを見る。シリルは小さく首を振った。


「大丈夫! わたくしは結構力持ちですよ!」


 王女は笑顔で力こぶを作って見せると、シリルが背後から叱咤する。


「姫様! 淑女はそのような事を致しません!」

「あら……わたくしはまだ淑女ではありませんもの。その途中です。花束を持つくらい良いではありませんか」

「何を仰るのですか? 姫様は立派な淑女です!」

「……ほらまた、シリルの声の方が大きいですよ」


 ルナンは王女とシリルのやり取りを聞いて声を上げて笑った。


「わかりましたよ。では、他の花々と共に王妃様にお持ち下さい……」


 それでもシリルはルナンに目配せをする。


「……ルナン、甘やかさないで下さい」


 シリルが声を掛けるがルナンは首を振った。


「良いでは無いですか。姫様は早く王妃様にお見せしたいのですから」

「そうです。このままお母様に持って行って差し上げるの」


 王女は嬉しそうに頷いた。大きな溜息をつくシリルを尻目に、ルナンは持っていたナイフで数本の新しい花を切り取り、さらにその周りに咲くハーブとピンク色の物や白、淡い紫に黄色といったいろんな色と形の花を王女の腕いっぱいに摘んでくれた。


「ありがとう! ルナン! 今日はお城中にこの花を飾ります!」


 そして、最高の笑顔をルナンに見せる。


「足元に気をつけて、お帰り下さい。後で、もっと届けますから」

「ありがとう! お母様に伝えておきますね」


 王女は嬉しくて駆け出したい衝動に駆られたが、腕の中の大きな花束を傷つけない様に気をつけながら歩いた。


「姫様、私が持ちます」

「あら、駄目よ。わたくしがお母様にお持ちするの」


 シリルが背後からなん度も自分に持たせろと言うが王女はその度に断った。

 遠くから見ると、その姿は花の塊が移動している様に見える。確かに、腕いっぱいの花々は結構な重量だった。でも、嬉しい気持ちはそんな物を感じさせない。


 来た道を戻りながら、母に淡いベージュに近いピンク色に紫に近い青の斑の入った新しい花を早く見せたくて、自然と笑みがこぼれてきた。こんなに綺麗な花を育てるルナンは本当に尊敬する。


 泉をぐるりと回り、柳の下を通り、東屋の脇を通って城へ戻る。その途中、遠くの空にソラの姿が見えた。荷物を運ぶのはソラも一緒なのだ。持っている物が花ならもっと嬉しいだろうに……そう思うと王女は自分の腕の中の植物達を愛おしく抱きしめた。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回は特に風景描写が美しかったよ。 ほっこりできるお話だったよー(*^◯^*) [一言] 読むのは遅いけど、また読みにくるからね
[良い点] あぁ……素敵ねぇ 王女のお散歩素敵だわ(*´艸`*) お花いっぱいで麗しゅうございます
[一言] 立葵って好きだぁーー。 ソラが、お花を移動させるのを想像してほんわかしました。
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