第1小節【やっぱやんなきゃいけないことってやりたくないよね】
ジリリリという音がサラウンドスピーカーのごとく響き渡っている。
一週間で本懐を遂げようとするセミたちがあちらこちらでアピールをし始めている今日この頃だ。
季節は夏。
時刻は正午を回り、太陽は頭上にどっしりと居座っている。
風はなく気温は三十度を超える環境のなかで、肌にまとわりつく熱気とジリジリとすべてを焼き尽くさんとする陽射しから逃げる術はそう多くない。
オレはその数少ない選択肢のひとつ、「自宅に引きこもり」を実行中だ。
こんな不快指数の高い日がつづく夏休みである。
なにもわざわざ外に出る必要はないし、そんな用事もない。
むしろ大学受験を目前に控えた高校生の俺がやることといえば、家で勉強なのだろう。
しかしやらなければいけないものほど、やる気の起きないものはない。
それを体現するかのように、今のオレは、寒いくらいにエアコンの効いた自室でキンキンに冷えたアイスを食べながら、ギラギラとした陽射しを窓ガラス越しに浴び、ベッドの上でポカポカ陽気の快適なひなたぼっこを堪能している最中だ。
ガチャ。
唐突に部屋のドアがゆっくりと開く。
「お兄ちゃん~、いきてますか〜」
「せめて “おきてますか” と聞いてくれ、マイシスターよ」
「あら、いきてましたか」
「おう、ご覧のとおりピンピンしてるよ、マイシスターよ」
「その“マイシスター”と言うのやめてください、殴りますよ」
「お兄ちゃんにそんなこと言っちゃいけませんよ!マイシ···っ痛!」
鋭い右ストレートを横になっている俺の腹部に突き立てたのは、2つ年下の妹の愛莉だ。
彼女はオレと似たような性格をしているくせに、ルックスに恵まれ、学校では入学して早々、上級生からも注目の的になっているらしい。
ゆっくりおっとりした口調に、大きいまんまるタレ目、プロポーションだってバッチリで、背は自然と上目遣いになるくらい。まさに“理想の後輩”と言ったところだ。
それでいて頭脳明晰で空気も読めるのだから、男子生徒が骨抜きにされるのも、実の兄ながら頷ける。
基本的には誰に対しても失礼のないように気を使う愛莉だが、オレに対してはラフな様子で接してくれるので、これぞまさに“兄冥利に尽きる”というもの。
「んで、こんな朝早くから何か用か?」
「今の時間が早いなんて、お兄ちゃんはどんだけ時差があるんですか、ギリシャにでもいるんですか殴りますよ」
「朝から愛莉の愛情を味わえてお兄ちゃんは幸・・・ちょっ、やめっやめっ」
まさに“タコ殴り”にされた俺は、食べ終わったアイスの棒を手に、ゆっくりと起き上がる。
「それで、結局どうしたんだ?」
「明日から家族みんなでおじいちゃんの家に遊びに行くそうです」
少しウキウキした愛莉の表情が見てとれる。
「明日?いや明日はオレ用事あるん……」
「まさかお兄ちゃんのくせに用事があるなんて生意気なこと言うつもりですか」
「言うつもりだし、そんなお兄ちゃんの生意気なとこも可愛いだろ?」
オレに向けられた愛莉の蔑むようなジト目が突き刺さっているところではあるが、気にせずに続ける。
「今週は明日だけ予備校入ってるんだよ」
「大丈夫ですよ、お兄ちゃんが丸一日勉強したとしても、サボったとしても大差はありませんよ☆」
「そんなふうにキラっと星を出すんじゃありません!お兄ちゃんトキメいちゃうでしょうが!」
「お兄ちゃん……さすがにそれは気色悪いです」
こんな愛莉のドン引きした顔を見ても可愛いと感じるのは、身贔屓のせいだけではないはずである。
「まあそういうわけだから明日は厳しいかな」
「それがそういうわけにもいかないみたいなんですよね」
妹がすこし難しい顔をする。
妹曰く、祖父の体調があまり芳しくなく、忙しくなる前に会っておきたいと両親は考えているそうだ。
祖父母の家は、我が家から新幹線を経由して約二時間の場所、春多岐市というところにある。
春多岐市は、太平洋に面した温暖な気候が特徴的な都市である。春多岐浜と呼ばれる長いビーチや、駅の周りにはヨーロッパ風の建物が立ち並ぶ大きなアウトレットモールもあり、週末や休日には多くの観光客でごった返している。
「とはいっても明日行かないと課題貰えないんだよな」
「なら、お兄ちゃんだけ、明後日に一人で春多岐に向かえばいいんじゃないですか?」
「んーそうだな、そうするか。母さんに伝えといてもらえる?」
「私は部下じゃありません、そんなことぐらい自分でしてください」
ごもっともなセリフを残し、愛莉は部屋をあとにした。
「そろそろ起きるかなぁ」
大きく伸びをして、やっとこさ日向ぼっこから抜け出す決心をする。
勉強のほかに“旅行の準備”というやらねばならないことが増えてしまったわけで、とりあえずは荷造りを済ませないと明後日に間に合わない、と自分に言い聞かせて荷造りを始めることにした。