抜剣祭(後編)
乳歯の抜けた俺は、口を抑え、観衆の中にトボトボと戻った。
隣のマーラが心配そうに「大丈夫?」と尋ねてきたので、舌で歯茎を舐めながら「ぁいじょうぶ」と答えた。
その後、何人かが剣を抜こうと試みたが、結局誰も抜けないまま、ただただ不毛な時間だけが過ぎていった。
そんなみんなが飽き始めた頃、スラッシュ村の北側にあるゴリモス山の上空で、数十羽のピエロカラスたちが一斉に騒ぎ出し、入道雲を切り裂くように飛び交った。そして山から一人の老人が降りてきた。
スーじいちゃんだ。
スーじいちゃんとは、一年中ゴリモス山に籠もって鍛練を重ね、唯一抜剣祭の日だけ村にやってくる老人である。
あまりに鍛え上げられたその身体は、異常なほどに筋肉が隆起しており、着ている衣服すら覆い隠すほどであった。
「きゃー、裸よッ」
観衆から悲鳴が上がった。
「いや、あれは裸じゃないさ。そういう人間さ」「そういう人間?」「スーじいさん久し振り~」「よっ、待ってました」「一層パワーアップしたんじゃないか」「服は着てるの?」「着てる着てる。筋肉で見えないだけで着てる」
抜剣祭の経験者と未経験者が、スーじいちゃんに関する知識差を埋めるように、ざわついた。その間にスーじいちゃんは切り株の前に立った。
「さぁー、今年もスーじいさんがやって来てくれましたぁー!」
ゴールド村長はヒゲを逆立て、身体を反り返し叫んだ。それをきっかけに、ゴールド村長と観衆とのコール&レスポンスが始まった。
「スーじいさんッ!」「最高ッ!」
「スーじいさんッ!」「最強ッ!」
「スーじいさんッ!」「筋肉ッ!」
「スーじいさんッ!」「祭りッ!」
そして全員で一斉に、低い声で「ウォォォォォォオオオッ」っと唸り声を上げ、大きな拍手をした。
その間スーじいちゃんは、腕を組み、無表情であった。ただただ胸元まで伸びた長く白いヒゲが、風でなびいていた。
いやぁ~、この祭りで一番好きなのは、この瞬間なんだよな。みんなで『筋肉ッ』とか『祭りッ』って言ってる時が、楽しさのピークかもしんない。まぁこれがピークってもちょっと問題かもしんないけど。
「さぁ、それでは抜いてもらいましょう」
ゴールド村長はスーじいちゃんの背中をポンッと叩いて、その場から少し離れた。
スーじいちゃんは、まるで小鳥を捕まえるかのような優しい手つきで、ライトソードの柄を握り、「怪力形態ッ」と呟いた。
するとスーじいちゃんの筋肉は、さらに激しく隆起した。その隆起により、スーじいちゃんは筋肉の球体となった。顔も腕も脚も覆い隠された、メロンの30倍ほどの大きさの肉塊。そこから手先だけが伸び、剣を握っている。
「きゃー、ジャンボつくねよォォ」
観衆から悲鳴が上がった。
広場は静まり返った。
「フフッ、つくねって・・・・・・」
マーラがクスクスと笑うと、次第に周りの大人も笑い出した。徐々にその笑いは広がっていき、最終的には観衆全員が爆笑しだした。その中には、地面をバシバシ叩きながら笑う者や、腹を抱えて転げ回る者さえもいた。
俺も、頭の中でつくねとスーじいちゃんがオーバーラップしてる映像が思い浮かんで笑っちゃった。涙が出るほど笑っちゃった。
しかし、スーじいちゃんの方をふと見ると、肉塊の隙間から顔を覗かせており、その表情は、怒りに満ち溢れていた。
ヤベッ。怒っちゃってるぞ。みんな笑ってるから気付いてないけど、スーじいちゃん怒っちゃってるぞ。ヤバい。あの温厚なスーじいちゃんのあんな表情は見たことが無い。怖い怖い。
その後スーじいちゃんは筋肉を萎ませ、元の姿に戻り、肩を震わせ、フォスター診療所へと歩いていった。
大丈夫なのか、あんな強そうな人を怒らせちゃって。まぁでも、俺はそんなに笑ってなかったから、俺に矛先が向くことないよな。ちょっとは笑ったけど。
「ねぇねぇケヌトくん見て見て、つくね」
マーラは、ほっぺたを膨らまして顔でつくねを表現した。いや可愛いけど。可愛いけど、スーじいちゃんのあの表情を見た後だと、さすがに笑えないよ。あの怒りの後の、ほっぺたプクーじゃ笑えないよ。
「やっぱり面白くないよね。やっぱり本家のつくねには及ばないよね」
スーじいちゃんのことを本家のつくねって言ってんの? マーラ、それは失礼だよ。可愛いけど。
「いやいや、面白かったよ。もう一回やってみて」
「えーやりたくないよ。どうせケヌトくん笑ってくれないもんッ」
マーラは少し怒ったように、ほっぺたをプクーっと膨らました。いや図らずも、つくねになってるぞ。可愛いなぁ。可愛い可愛い可愛いッ!
俺がマーラの顔に見とれていると、「あれは何だッ!?」とゴールド村長が空を見上げて叫んだ。
その声に反応するように、マーラも俺も、未だに笑っていた観衆も一斉に空を見上げた。
すると遠くに小さな物体が見えた。よく目を凝らして見てみると、なんと一人の女性が、まるで鳥の羽のようにゆっくりと舞い落ちてきていた。
風になびく艶やかな長い黒髪。なんとも言えない奇妙な服。目鼻立ちの整った綺麗な顔。
空を仰ぐ観衆の中から、おそらく視力の良い順に、血気盛んな男たちが、女性を受け止めようと落下地点に集まった。
たまたまその中心にいたゴールド村長は、もみくちゃになって人海に溺れた。
まったく大人は下品だぜ。綺麗な人だと分かった途端、やる気になりやがって。あんな大人にはなりたくないな~。まぁ俺にはマーラがいるからな。可愛いマーラが。
「ケヌトくん、何ニヤニヤしてるの? もしかしてケヌトくんも、ああいう女の人が好きなの?」
「えっ、違う違う。全然好きでもなんでもねぇよ」
「ホント~? どうせ私みたいに子供っぽくて、つくねにもなれない女の子より、ああいう大人の女性が好きなんじゃないの?」
つくねにもなれない?
「えー、だから違うって。俺が好きなのは・・・・・・」
「好きなのは?」
ヤベッ、どうしよう。好きなのはマーラだけど。もちろんマーラなんだけど。言えねぇよ。こんな空から人が降ってきてる特殊な状況で、告白なんて出来ねぇよ。
「俺が、俺が好きなのは・・・・・・ゼブラリザードのテールスープかな」
我ながら、“はぁ?”だな。
「私が聞きたいのは、そういうこ」
「誰が受け止めるんだろうな」
「私が聞きたいのは、そ」
「誰が受け止めるんだろうな」
俺はマーラの言葉を遮るように腕を伸ばし、男たちの群れを指差した。
落下してきた女性を受け止めたのは、ガンティムであった。
ガンティムとは、丸々とした巨体と、顔の半分を覆い隠すほどのヒゲが特徴的で、すぐに女性を好きになることでも有名な男性である。
「この女子は、ワギのもんがやでぇ」
ガンティムの一人称はワギである。ワギって何なんだ、といつも思う。まぁいいけど。
「ワギは、この女子と結婚するべやでぇ」
ガンティムはそう叫びつつ、落下してきた女性を右脇に抱えて、左腕をブンブンと振り回し、周囲の男たちを退かせた。そして女性を抱えたまま、猛スピードで広場から走り去った。
ガンティムが走り去った後の広場は、騒然としていた。
「あの降ってきた女は、何者なんだ」「綺麗な人だったなぁ」「でも変な服、着てたよね」「ガンティムに捕まったら終わりだな」「ワギって、な~に?」
「もしかするとあの女性は、古文書に記された勇者ロベルト様の生まれ変わりなのかもしれない」
ゴールド村長は、青いオーラを纏った男に対して言った言葉と同じことを呟いた。
確かに空から降ってきたは不思議なことだけどさぁ、個人的には勇者っぽい雰囲気では無かった気がするけどな。
その後ゴールド村長は、ガンティムを追いかけ走り出した。きっとあの女性が、勇者かどうか確かめるためだろう。
しかしそのせいで祭りを仕切る者がいなくなり、観衆は各々好きな行動をとり始めた。
小さな子供たちは、好き勝手にライトソードを抜こうしたり、酔っ払いたちは自由に踊り出したり、ゴールド村長と同様にガンティムを追いかける者もいた。
「これからどうする? パパでも追いかける?」
マーラの問いかけに、俺は悩んだ。
ん~どうしよっかな。確かにあの空から降ってきた女性が、何者なのかってのは気になるんだよなぁ。だからゴールド村長とガンティムを追いかけるってのも面白いかも。
「それともバズラッドくんの様子でも見に行く?」
それは無い。マジで無い。あんなスライム爆裂野郎を見に行く筋合いはマジで無い。それに今アイツが居る診療所には、脱臼したオーラを纏った男も居るし、怒りに満ちたスーじいちゃんも居るし。マジで危険区域だよ。
「面白そうだから、ガンティムを追いかけようぜ」
「やっぱり、あの女の人のことが気になるんだね」
「違う違う、そうじゃ、そうじゃない」
マーラと俺が喋りながら歩いていると、目の前を2メートルを超える長身の男が横切った。
その男はひどく酔った様子で、手にはドラゴンの骨を砕く専用のハンマーを、打撃部分を下にしてブラブラと持っていた。
そしてそのハンマーが、俺の右脚のスネに軽くかすった。
「痛ッ、イッテェェェ」
なんだよマジで。痛いって。スネはやめてよ。人間の弱点だから。痛いって。ちょっとしか触れてないのに。痛いって。俺は右脚を抱えるように、うずくまった。
「大丈夫? ケヌトくん」
「ま、ヴぇ、大丈夫大丈夫、全然余裕ぅぅぅぅうぐ」
「変な声出てるよ。痛いんでしょ」
マーラは俺の右脚を優しくさすってくれた。ありがとうマーラ。嬉しい、嬉しいはずなんだけど、それよりも痛い。痛さが嬉しさを上回ってる。痛い痛い痛い。痛さが伸びてきてる。
マーラと俺が立ち止まってる間に、長身の酔っ払いはライトソードの前まで歩み寄った。
その酔っ払いの臭気と赤々とした顔のせいで、ライトソードを抜こうとしていた子供たちは怖がって逃げ去った。
「こんなもんがぁ、こんなもんがあっからぁ、いけねぇんづぁあ」
酔っ払いはハンマーを周囲の人々に突き付けて喋り続けた。
「おめぇらも本当は、この剣が抜かれるとこをよぉ、見にきたワケじゃねぇぇんだろ? 本当はよぉ、誰にも抜いて欲しくねぇんだろ。抜けない人間を見て、安心してぇぇんだろぉ。自分と同じ普通の人間だってぇ、平凡な人間だってぇ、勇者なんてホントはいないんだってッ、安心したいだけなんだろぉぉぉ」
周囲の人間たちは一様に目を伏せた。しかし俺だけは、酔っ払いを睨み付けた。
謝れよ。ハンマーぶつけたこと謝れよ。なんかグダグダ喋るだけ喋って、謝ってなかったよな。ちゃんと聞いてなかったけど、雰囲気で分かるんだよ。謝れよ。
しかし歯を食いしばる俺の想いは通じることなく、酔っ払いはハンマーを高々と振り上げた。
「誰も勇者様の誕生なんて、望んじゃいねぇぇぇんだよッッ!」
酔っ払いはハンマーで、ライトソードの刀身をぶっ叩いた。するとハンマーの打撃部分が木っ端微塵に粉砕し、その金属片が広場にいた全員の頭部に直撃した。
不運なことに、その中でも格別大きな欠片が、俺のおでこにグリッとめり込んだ。
そして俺は、意識を失った。




