第9話 露店で串焼きを買ってあげたら、二人が喜んでくれた
「とりあえず宿に向かおうと思うんだが、それで良いか? 一度腰を落ち着けたい。話したいこともあるしな」
「はいっ!」
「イヤよ」
俺が問いかけると、一八〇度違う回答が返ってきて、反応に困る。
もちろん肯定したのはアリシアで、否定したのはリゼッタだ。
「……リゼッタはどうして嫌なんだ?」
こうも手早く拒絶されると、心が折れそうになってしまう。
「別に話なら、わざわざ宿に行かなくたって良いでしょ? 宿に連れて行かれたら、何をされるかわかったもんじゃないわ。あんたに迫られたら、私たちじゃ抵抗しても無駄でしょうし」
どうやら俺はまだ少女偏愛の変態だと誤解されているらしい。
「そんなことは決してやらないと誓うぞ」
「口先でなら何とでも言えるわ。ここでほいほい宿までついて行ったとして、あんたに襲われない保証はないわ。私はともかく、アリシアは相当の美少女だし、私たちにとっては危険が大きすぎるわよ」
確かにアリシアもリゼッタも相当の美少女だから、少女嗜好の者でなくとも、変な気を起こしてしまうかもしれない。
この子たちはこれまでにもたくさん辛い目に遭ってきたようだし、現に少女偏愛の貴族に買われて輸送されている最中だったのだ。警戒するのも、無理はないか。
「……どうしても、宿でないとできない話なんだ。俺を信じてくれとは言わない。街までの護衛代だと思って、付き合ってくれないか?」
こういうときは、誠意を込めて頼むしかない。たとえ結果がどうなろうとも、だ。
「リゼッタちゃん、わたしはグレイブさんの話を聞きたいなっ」
「で、でも」
「グレイブさんが助けてくれなかったら、わたしたちは今ごろ、死んじゃってたんだよ? だったら、グレイブさんのお願いくらい、聞いてあげなきゃだめだよ!」
純真なアリシアの思いを聞いて観念したのか、リゼッタが顔を歪めながらも告げてくる。
「仕方ないわね。アリシアが聞きたいって言うなら、私も異論はないわ」
今までのやり取りを見ていて、わかったことがある。
アリシアは自分の直感や感情を頼りに行動しているふしがある。その分、失敗することも多々あるはずだ。
アリシアのそういった欠点を補うかのように、リゼッタは強い警戒心を抱いている。彼女がやたらと周囲に攻撃的なのは、警戒心の発露といえるだろう。無垢なアリシアを守るため、リゼッタはあえて汚れ役を演じているのかもしれない。
そんなリゼッタにとって大切なのはやっぱりアリシアだから、アリシアの意志・意向は尊重する傾向にあるのだろう。
であれば、アリシアを説得しさえすれば、リゼッタも了承せざるを得ないということになる。リゼッタは弁舌が長けているから誤解しそうになるが、この二人のうちで決定権を握っているのは、アリシアだ。
「それじゃあ宿に行こうか。迷子にならないように、ついてきてくれよ」
「わかりました!」
「言われなくても、そんなのわかってるわよ」
テュラーの町は人通りが多く、露店なんかもたくさん出ていて活気がある。
注意していないと、簡単にはぐれてしまうだろう。
と思っていたら、ちょっと歩いただけで、
「ぐ、グレイブさんっ! 待ってください……!」
「ちょっと、待ちなさいよ……!」
後ろを振り向くと、二人が人混みにもみくちゃにされていた。
「悪いわるい」
俺は雑踏から二人を救出する。
「ほんと、なんなのよこの街は。人が多すぎるんじゃないかしら」
うんざりした表情のリゼッタ。
「これじゃあ真っ直ぐ歩けないです……」
アリシアはしょんぼりとしている。
「そうだっ! グレイブさん、わたしたちと手を繋いでくれませんか?」
急に瞳を輝かせたアリシアは、さも名案だとでもいわんばかりの勢いだ。
「俺は別に構わないが……」
ちらっと、リゼッタの方を窺う。
やはりというか、なんというか、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
リゼッタの様子を怖々と観察していると、アリシアが俺の方に飛びつき、両手で俺の右手を握った。
「えへへ、グレイブさんの手、大きくてごつごつしてますっ」
少女の柔らかい手の感触が伝わってくる。
アリシアの手は、俺よりも温かい。子どもは体温が高いって聞いたことがあるけれど、本当だったんだな。
無邪気な笑顔を俺に向けてくるアリシアは、たいそう可愛かった。
可愛いとは言っても、異性に対するものではなくて、子どもに対して抱く特有の感情だ。
もしも俺に娘がいたら、こんな子だったのだろうか。
「デレデレして、気持ち悪いわね……」
リゼッタが蔑んだ視線を向けてくる。
おっさんが出会ったばかりの少女と手を繋いでニコニコしていたら、確かに気色悪い。
俺は表情を引き締めた。
「リゼッタちゃんも、早く手を繋ぎなよ!」
アリシアが催促すると、「でも……」とリゼッタは渋る。
リゼッタが嫌がるのもわかるが、往来でのんびりしていると、他の人に迷惑になっちまうからな。
俺の方から、リゼッタの手を握った。
「きゃっ……」
えらく可愛い悲鳴が上がった。
はっとしてか、空いている方の手で、リゼッタはすぐさま口を覆った。頬が朱に染まっている。
こういうところは子どもらしくて、愛嬌があるんだけどな。
「な、なによ!? いきなり手を繋いできたから、ビックリしただけよ。あんたが悪いんだからね!」
「はいはい」
不機嫌そうな表情をするリゼッタを軽くあしらい、俺は歩を進めた。
アリシアはにこにことして嬉しそうだ。
リゼッタは依然として不機嫌そうだが、握っている手には力を込めてきている。
こうして手を繋いで歩いていると、まるで二人の父親になったかのように錯覚してしまいそうだ。
子どもは好きだし、所帯を持つことに興味がなかったわけじゃないが、色々あって、とうに結婚は諦めている。
「わっ、あれは何ですか! 見たことないです!」
急にアリシアが露店を指差し、はしゃぎたてる。
出店を見てみると、どうやらこの辺りに生息している魔物の肉の串焼きを販売しているらしい。
「ああ、あれは赤豚の肉だな。結構旨いぞ。食べたことないのか?」
「ないです……」
アリシアは涎を垂らしてしまうんじゃないかと心配になるような顔をしている。
「なら、食べてみるか?」
「いいんですかっ!?」
もの凄い食いつきようだ。
「ああ、もちろんだ。リゼッタも食べてみるか?」
「わ、私は別にいいわよ」
とは言うものの、リゼッタも物欲しげに露店の方へちらちらと視線をやっている。
「遠慮しなくてもいいだぞ? せっかくだから、食べてみたらどうだ? どうせアリシアに買うんだし」
「……そ、そうね。じゃあ、いただこうかしら」
恥ずかしそうに、リゼッタは小声で呟いた。
二人を連れて、露店に行った。
「おっちゃん、二本頼めるか?」
「はいよ。ちょうど今焼けたのがあるから、それをやるよ。熱々で旨いぞ」
「ほんとか? そりゃ助かる」
優しい人だな。
「可愛い嬢ちゃんが二人もいるからな、当然だ。一本サービスしてやるから、お前さんも食べとけ。娘だけで食べるなんて、寂しいだろう?」
露店のおっちゃんがにやにやと笑いかけてくる。
「いや、この子たちは別に娘じゃ――」
「おじさん、ありがとうっ!」
俺が否定しようとしたら、それを遮って、アリシアが可憐な笑みを店主に向けていた。
「おお、こりゃ可愛い子だ! 将来はとんでもない美人になるだろうな。先が楽しみだなあ。俺には娘がいないから、あんたが羨ましいぜ」
おっちゃんがしみじみと言う。
「いやだから、俺は父親じゃな――」
「良かったわね、おとーさん。私たちみたいな、可愛い娘に恵まれて」
リゼッタが嗜虐的な笑みを浮かべていた。
こいつ、俺をからかって楽しんでやがるな。
「こりゃ娘に一本取られたな! ほらよ!」
おっちゃんが笑いながら串を突き出してくる。
まず二本受け取り、アリシアとリゼッタに渡してから、代金を支払う。
それからおっちゃんは俺の分を渡してくれた。
「それじゃあ気をつけてな」
「ああ、ありがとう」
「ありがとうございました!」
おっちゃんに見送られ、俺とアリシアが礼を述べた。
ちょっと行儀は悪いが、歩きながら食べることにした。
店の前で食べるとおっちゃんの邪魔になっちまうし、立ち止まって食べたら通行の迷惑だからな。
「それじゃあ食べるか。せっかくの焼きたてだからな、熱々のうちに食べちまおう」
「はーい!」
「そうね」
串に刺さった肉は、てらてらと脂が光っている。白い湯気が出ていて、いかにも旨そうだ。
それぞれが口を開き、串にかぶりつく。
噛みついた瞬間、肉からじゃわっと脂が染み出してきた。
程良い固さの肉は噛みごたえがあって、いかにも肉を食っているという感じがする。
臭みもあまりないから食べやすいし、控え目に言ってもかなり旨い。
「どうだ? 旨いか?」
俺の舌には合っているが、この子たちにはどうかわからないからな。
「すっっっっっごく、美味しいです……っ! なんですかこれ、最高ですっ!」
アリシアはたいそう気に入ったようだ。
「リゼッタはどうだ?」
「……そうね、まあまあかしら」
そう言いながらも、次々と肉に噛みついている。リゼッタも美味しいと感じているようだ。
二人の口にもあったようで、一安心だ。女の子の味覚は、俺にはわからないからな。
そうして俺たちは、串焼きを食べながら宿を目指した。