第7話 共闘
「さて、いっちょやりますか。《我、火の精霊の力を宿す者。汝、我にその加護を与え賜え<<<イグニス》」
エッセが魔法を唱えた。
宙に火の玉が出現し、ブルーガーゴイルに向かって飛んでいく。
Bランク冒険者だけあって、詠唱は速く、威力も申し分ない。
ブルーガーゴイルは一切動かなかった。そのためエッセの魔法は見事命中した。
だが、ブルーガーゴイルは微動だにしなかった。
「ちっ、やっぱり効かないか……。グレイブさん、どうする?」
正直、俺は今少し魔力を練っておきたかったんだがな……。
エッセが魔法をぶつけたせいで、ブルーガーゴイルが動き出してしまった。
これはもう、やるしかない。
「……そうだな。エッセは遠距離から魔法で援護してくれるか?」
「何言ってるんだ! 俺は防具をつけてるし、剣だって持ってる。俺が前衛をやるよ」
「……危ないぞ?」
「大丈夫だ、そう簡単にやられたりしない」
自信満々にエッセは言い切った。
ブルーガーゴイルの攻撃は躱せるかもしれないが、エッセがいたら俺が満足な魔法を撃てない。
この魔法はあんまり人に見せたくなかったんだけどな……。
「《我、炎神を従えし者。炎神よ、我にその力を与えよ<<<火剣》」
俺の右手に炎で形成された剣が出現する。
「おいおい嘘だろ!? グレイブさん、あんたいったい、何者なんだ……?」
エッセは驚愕の表情を浮かべていた。
「ただのおっさんだ。それより今は目の前の相手に集中しろ。じゃないとやられるぞ」
「あ、ああ」
エッセは戸惑いつつも、返事をした。
彼が驚くのも無理からぬことだ。
魔法で剣を生成できるのは、剣を生成する魔法を代々使用できる家系に生まれるか、それともよっぽど稀有な魔法の才能があるかのどちらかだ。
もちろん俺は特殊な家柄というわけではないため、魔法の才が秀でているということになる。まあこれは、俺の事情を考慮すれば当然のことなんだけどな。
ブルーガーゴイルは、両腕に魔力を纏わりつかせていた。
「風魔法だな……普通に触れたら切り裂かれるから気をつけてくれ」
「そんな一瞬でわかるのか……あんた相当実力を隠蔽してたな。そりゃ一人でダンジョンに潜っても平気だよな。俺たちは余計なお世話をしちまってたんだな……」
「こんなもんはただの慣れだ。それに、エッセたちが親切心から俺に声をかけてくれたのはわかってる。だから気に病むな」
「グレイブさん……! あんたやっぱり、良い人だな」
直截的に言われると、恥ずかしい。
「そ、そんなことより、ちゃんと魔物に集中してくれよ」
「ああ、わかってる!」
ほんとかよ……。エッセは力強く頷いたが、どことなく心配だ。
あまり無駄な魔力は使いたくないから、エッセには自分の力で身を守ってほしい。いざとなれば支援魔法を使うが、基本的には魔力を温存しておきたい。
突然、ブルーガーゴイルが動いた。
「来るぞッ!」
「おう!」
俺の呼びかけに、威勢の良い応答が返ってくる。
まずは小手調べだ。
「《我、炎神の力を宿す者。汝、我にその力を与え給え<<<フランマ》」
黒狼を一瞬で屠った魔法だ。
ブルーガーゴイルの全身が、炎に包まれる。
「おおっ! やったか……?」
「いや、まだだ。こんな簡単に倒せるなら、S級なんて言われないさ」
炎に包まれながら、ブルーガーゴイルが俺の方に突進してきた。ブルーガーゴイルを覆っていた炎は、すぐに消えてなくなる。
ブルーガーゴイルは腕を上げ、俺に向かって振り下ろしてきた。
「はぁっ!」
闘志を込め、俺は炎剣でブルーガーゴイルの腕を受け止める。
凄まじい衝撃が腕に襲いかかってきた。
重たい一撃は、たったそれだけで腕が痺れてしまいそうだ。
受けるだけで精一杯で、弾き返すことができない。
攻撃を受け流さず正面から受けたのが俺の失敗だ。
ブルーガーゴイルが、反対の腕を振り上げた。
――まずいっ。
「《我、氷神の力を宿す者。汝、我にその力を与え給え<<<エラールセ》」
ブルーガーゴイルが今まさに俺に繰り出そうとしている片腕だけを対象にして、魔法を放った。
突然凍りついた自身の腕に気を取られ、ブルーガーゴイルの反応が一瞬鈍る。
俺はその隙に、一気に後退して距離を取った。
その頃には、俺の氷結魔法はあっさりと破壊されてしまった。
「やはり半端な魔法じゃ効かないか……」
ブルーガーゴイルを一撃で倒すような魔法を使うとなると、詠唱に時間がかかるし、何よりこの辺りの地形まで変えてしまいかねないため、繊細な調整を必要とする。魔法だけで倒すのは若干手間だ。
派手さはないが、魔法で肉体を強化して、ちまちま攻撃するか……?
「グレイブさん、大丈夫かッ?」
「ああ、問題ない」
「あの腕の風魔法が厄介だな。触れられただけで大怪我をするとか、厳しすぎる」
「……今は腕にしか魔法を付与していないが、全身に風魔法の鎧を纏うこともできるはずだ」
「おいおい本当かよ……」
エッセの表情に陰りが見えた。
俺も言うべきか迷ったんだけどな。伝えておかないと、不用意に接近してしまうかもしれないから、一応伝えておいた。
「ああ、だから気をつけてくれよ」
「わかった。……それで、どうする?」
「ブルーガーゴイルの防御を突破できるような攻撃をしないといけない。それにはかなりの魔力を込めないダメだ」
「なるほど。だったらグレイブさんは魔力を練るのに集中してくれ。俺がそれまで時間を稼ぐ」
「……大丈夫か?」
俺はひどく心配だった。
ブルーガーゴイルの相手は、そんな簡単にできるものじゃない。
いくらBランク冒険者といえど、S級の魔物と比較すれば、お話にならないくらいの実力差があって当然だ。
「まあやれるだけやってみるさ」
「……わかった。危ないと思ったら、俺の方からフォローするよ」
「そりゃ心強いな。期待してるぜ」
エッセが豪快に笑った。
「《我、氷の精霊の力を宿す者。汝、我にその加護を与え賜え<<<フリエレン》。それじゃあ行ってくるぜ」
エッセの剣が霧のような白っぽい魔力に覆われた。
剣身に触れた敵を凍らせる高度な魔法だ。
けれど、ブルーガーゴイル相手には通用しないだろう。
エッセはブルーガーゴイルに向かって駆け出した。
「はあああああッ!」
エッセが裂帛の気合いを込めて打ち込んだ剣は、しかしあえなくブルーガーゴイルの腕によって防がれる。
「まだまだあああッ!」
振っては剣を上げて振りかぶり、再び打ち付ける。
上から下へ、右に左にと、縦横無尽にエッセは剣を振るう。
しかしブルーガーゴイルはエッセの斬撃などものともせず、硬い肉体はビクともしない。
「うおおおおおおッ!」
さらに気合いを込めて、エッセは剣を振り乱す。
やはりというべきか、低級の魔物であれば触れた瞬間に全身が凍結する死の刃に触れても、ブルーガーゴイルは意にも解さないようだ。
俺はそんなエッセの様子を見ながら、魔力を練り上げていった。
深く、濃く、凝縮して、質を高めていく。
混じり気のない、ただただ純粋な高質量の魔力を生成していく。
集中すると、自意識の中に深く潜っていくような感覚がやってくる。自分の中へ中へと、入り込んでいく。
漠然と秩序なく広がっている魔力をまとめ上げ、一つの塊にしていく。
「……あああああッ!」
現実に意識を向けると、相変わらずエッセがブルーガーゴイルに向かって鋭く斬りかかっていた。
つと、ブルーガーゴイルが腕を振り上げた。
「まずいッ! 逃げろッ!」
俺は慌てて叫んだ。
俺の声に、エッセが反応した。
だが、僅かに遅い。
ブルーガーゴイルがエッセに向かって腕を振り下ろす。
エッセはかろうじてそれを受け止めた。
だが、ブルーガーゴイルは一瞬にして全身を風の鎧で覆い尽くした。
風圧と風の魔力で、エッセの体が切り裂かれる。
赤い飛沫が、宙を舞う。
「エッセッ! 大丈夫かッ!?」
エッセは体勢を崩しながらも、なんとかブルーガーゴイルから距離を取った。
「……ああ、これぐらいなら問題ない」
脂汗を額に浮かべながら、エッセが応答する。
幸いなことに致命傷はなさそうだ。
だが、これ以上エッセだけに魔物の相手をさせるのは酷だろう。
まだ魔力が充分に練りあがったとは言い難いが、致し方ない。
「エッセ、もう大丈夫だ。後は俺に任せてくれ」
「いや、俺はまだまだやれるぞ」
「良いから、ここは退いてくれ」
「だがグレイブさん――」
エッセは途中で言葉を止めた。
いや、驚きのあまり続けられなくなったというのが正しいだろうか。
俺の方を見たエッセは、目を見開いている。
「グレイブさん、あんたいったい、どうなってんだ……?」
エッセが驚くのも、無理はない。
俺の体から魔力が溢れ出ているからだ。こんな光景、滅多に目にすることはないだろう。
「エッセ、後のことは俺に任せて、ここは退いてくれないか……?」
「……ああ、わかったよ。確かにグレイブさんの言うとおり、俺は足手まといになっちまいそうだからな」
「……すまない」
「いや、気にしないでくれ。後は、任せたぞ」
「ああ、何とかしてみよう。だからエッセは逃げてくれ」
エッセは何度か振り返りながらも、ダンジョンを脱出する方へと駆けていった。
その間、ブルーガーゴイルは一歩も動かなかった。矮小な虫けらなど大した存在ではないとでも言うかのように。
「待たせたな」
俺は不敵に語りかけた。もちろん、ブルーガーゴイルは言葉を解するはずがない。
だけれども、なぜかやつが、笑みを浮かべたような気がした。
俺は一度手にしていた魔法剣を消し、再度創り直した。さっきよりも高純度の魔力で生成されているから、そこらの業物よりもよっぽど良い武器となる。
何度も生成できるから、破損しても問題ないのが魔力で創った剣の良いところだ。
「それじゃあ、行くぜッ!」
俺は手に力を込めて駆けだした。