第5話 おっさん、陰で頑張る
俺たちは一斉に顔を見合わせた。
「今のって……」
「悲鳴、だね……」
カラムスとエーラが不安そうにする。
緊急事態だ。さすがにわがままばかりは言ってられん。事は一刻を争うからな。
「……どうする気だ?」
悲鳴が聞こえた方に向かって駆け出そうとしていた俺に対して、エッセが聞いてきた。
「どうするもこうするもないだろッ! 早く行って、助けてやらねえと!」
「グレイブさん一人でか?」
「たとえ俺一人だとしても、行かないよりはマシだろう!」
すると、急にエッセが不敵に笑った。
「……良いだろう。よしお前ら、俺たちも行くぞ!」
「でも、大丈夫なのかい? あたいは止めといた方が良い気がするけど……」
「バカ野郎、エッセさんが決めたことだ。俺たちは黙ってついて行けばいい!」
騒ぐ周囲には取り合わず、俺はエッセを見据えていた。
「……どうしてだ?」
危険を冒してまで、他の冒険者を助ける義理はないはずだ。
「強いて言えば、あんたが気に入ったからだよ」
「俺が……?」
「そうだ。どことなく捉えどころのない人だと思って警戒していたが、そんなことどうでも良くなったよ。グレイブさんは人のためなら自分がどうなろうともお構いなしに行動できる、いや、行動しちまうタイプの人間だろう? そんな人を、俺が側にいるにもかかわらず、みすみす死なせるわけにはいかねえ」
にかっと歯を見せて、エッセは笑った。
俺はこの人の魅力の一端を知ったような気がした。ヴォートが彼に心酔しているのも、漠然とだが納得できた。
そうか、彼はこんなにも熱い気持ちを裡に秘めていたのか。こういう種類の人間は、止めたって仕方ない。それは俺が一番よくわかっている。同類だからな。
「なら、一緒に行くか」
俺はエッセに向かって、いや、この場にいる四人に向かって告げた。
正直、彼らは俺の足手まといになるかもしれない。俺一人で行った方が良いのかもしれない。だがまあ、俺が彼らのことも守ってやれば、それで済む話だ。
「おう」
「はい!」
「ええ」
「……ああ」
エッセ、カラムス、エーラ、ヴォートが順に応じた。
「よし、速度を重視するからな、隊列を変えるぞ。エーラが先頭だ。次に俺、そしてグレイブさん、カラムス、ヴォートの順番だ」
迅速に並びを変えた。
「じゃあ出発だ。エーラ、お前は全速力でどんどん先行してくれ」
「あいよ」
言うや否や、エーラは駆け出して行った。盗人の特性を存分に発揮できる機会だからな。彼女も張り切っているのかもしれない。あっという間に姿が見えなくなった。
残った俺たちも、進軍を開始した。
「ヴォート、お前はできる限り早く来てくれたらそれでいい。あまり無理はするな」
「わかりました、エッセさん!」
威勢の良い返事だが、いつまで体力が保つかが問題となってくる。
ヴォートは人一倍の重装備だから、当然体力の消耗が激しい。それこそ走ったりなんかしたら、相当疲れるはずだ。
彼の体力がどれほどのものかは知らないが、少なくとも身軽な俺たちより移動速度は遅くなる。
エーラが早く行きすぎても、ヴォートが遅れすぎても、あまり良くないよな。
先行しすぎたエーラが、彼女では対処できない魔物に遭遇したら危険だ。
ヴォートだって、厄介なことに巻き込まれる可能性がないわけじゃない。
二人が本隊と距離があまり離れないようにする必要がある。
実はこんなときに使えるちょっとした魔法を知っている。
前を走るエッセの方をちらっと見た。Bランク冒険者だから慎重にやらないと、俺が魔法を使ったことに気づくかもしれないからな。
よし、今ならバレずにやれそうだ。
「《グレイブの名において命ず。風の精霊よ、その加護を寄越せ<<<ラーピド・コレール》」
俺は小声で魔法を詠唱した。
これでこの場にいる四人の移動速度が上昇した。大体エーラと同じ速度で走れるように調整したから、これ以上彼女と距離が開くことはない。
次はヴォートの負担を軽減してやらないとな。
「《グレイブの名において命ず。風の精霊よ、その加護を寄越せ<<<レウィス》」
ヴォートに向かって、魔法を放った。これで体への負担が軽減される。
それと、最初の魔法を使う前に、俺の魔力を周囲に薄く散布して、みんなの認識を阻害している。だから体感では何も変化が起きていないように錯覚する。移動速度が急に上がったことは誰も気づけないし、ヴォートもまさか負担が減っているとは思っていないだろう。
体力がついたとヴォートが勘違いしてしまう危険性はあるが、切迫した場面だから仕方ない。
エッセの方を再度窺ってみるが、俺が魔法を使ったことには気づけていないようだ。
俺がこっそり魔法を使用したことがバレたら、実力を隠していることがあっさり悟られてしまうからな。
進んでいくと、他とは違った魔物の気配を感じた。一際強い魔力だ。
こいつはかなり厄介な相手かもしれないぞ……。
エッセも魔物の気配を察知したようだ。
「まずいな。エーラが心配だ」
「そんなに強い相手なんですか?」
カラムスが聞いた。
ヴォートもカラムスも、魔物を感知できていないようだ。
「ああ、強い魔力を感じる。みんな、気を抜くなよ。グレイブさんは魔物の気配がわかるか?」
「そうだな、なんとなくならわかるぞ」
「そうか。なら、俺は先に行かせてもらう。二人を頼んでいいか?」
「え? ああ、いいぞ」
「《我、風の精霊と契約せし者。汝、その力を我に与え賜え<<<ラピッド》」
エッセの体が白い光に包まれる。
「それじゃあ俺は先に行く」
猛烈な勢いでエッセは駆けて行った。
俺が咄嗟に返答したために、エッセは一人で先に行ってしまった。
俺がかけた加速の魔法の効果と、エッセ自身が使った魔法の効果が掛け合わされ、すごい速度だった。これならエッセはすぐに現場に到着してしまう。
いくらBランク冒険者とはいえ、エッセだけでは分が悪い。
仕方ないな。
俺はカラムスとヴォートの加速の魔法の効果を上げた。
これでエッセとさほど変わらず急行できるはずだ。
「よし、俺たちもエッセを追いかけるぞ」
「はい!」
「……ふん、エッセさんに頼まれたからって、良い気になるなよ」
カラムスは人当たりが良いが、いかんせんヴォートの扱いが難しい。
とはいえ毒づきながらも、ヴォートは素直についてくる。
進むにつれて、魔物の強大な魔力がひしひしと体に伝わってきた。
ここまで来ればカラムスとヴォートにも気配を察知できるみたいだ。
「本当に、大丈夫なのでしょうか……?」
「バカ言え、俺たちにはエッセさんがついてるんだ。何とかなるに決まってる」
不安を募らせるカラムスと、険しい顔つきをするヴォート。二人とも、敵の強さを恐れているようだ。
一方で俺はやや安堵していた。これほど強大な力を持つ魔物を相手取ることができる冒険者はほとんどいない。もしも俺がこの場にいなかったら、被害は甚大になっていたはずだ。そういう意味で俺が今日たまたまこのダンジョンにいたことは、言ってみれば幸運だったのではなかろうか。
そんなふうに俺は思う。
「……なんだか、息苦しくなってきました」
「ったくお前はほんとに根性がねえな」
カラムスの顔色が悪い。
悪態をつくヴォートも、顔が歪んでいる。
俺は最初なぜだかわからず混乱していたが、すぐに原因に思い至った。
そう、二人は魔物の瘴気に当てられているのだ。俺の身には全くもって関係ないことだから、最初はわからなかった。
この様子だと、エーラも体調を崩しているかもしれない。
強い魔物というのは内包する魔力が多く、周囲の大気にまで影響を与えることがある。
あまりにも魔物との実力差がありすぎると、瘴気を受けただけで命を落としてしまうこともある。
たとえ浴びても大丈夫な程度の瘴気でも、長時間触れていると気が狂ったり、下手すると死んでしまう可能性がある。
それほど魔物の放つ瘴気というのは厄介なものなのだ。
ちなみに余談だが、本当に強い魔物は瘴気を出さないように調節していることがある。強い冒険者に見つからないようにするための工夫というわけだ。
俺は自分の魔力を練り上げて、体から解き放った。
魔物の瘴気を無効化するためには、魔物が放出している瘴気よりも強い魔力を散布してやればいい。
とりあえずはカラムスとヴォートが苦しまない程度で良いだろう。
「……あれ、なんだか急に楽になってきました」
「ああ! きっとエッセさんの仕業に違いねえ!」
瘴気の苦痛から解放されて、カラムスは不思議そうだ。
一方でヴォートは、エッセへの信頼が相変わらず厚い。盲目的というか、思考停止というか、だいたいそんな感じだ。
さらに進んでいくと、地面に倒れている冒険者の側にエーラがいた。
「あっ、エーラさん!」
「おお、あんたたちずいぶん早かったね」
カラムスの呼びかけに、エーラが応じた。
「エーラは瘴気は大丈夫なのか?」
「ああ、この辺りまでなら何とかね。そういうあんたは大丈夫なのかい?」
「ああ、俺はまだ大丈夫だ」
「へえ、そうかい。やっぱりあんた、中々強いんだね」
エーラが感心したかのように言った。
「それより、その人は?」
さっきからみんなが疑問に思っていたであろうことを聞いた。
「おお、そうだった。カラムス、この人に治癒魔法をかけてやってくれ。魔物の攻撃と瘴気とで、結構ダメージを負っているんだ。エッセに頼まれて、あんたたちが来るのを待ってたんだよ」
「わかりました。すぐに治療します」
カラムスが詠唱の準備に入る。
その間に、俺はこっそりと魔物の瘴気を無効化する領域を拡げた。これで倒れている冒険者とエーラも、瘴気の影響を受けなくて済む。
「《我、光の精霊の力を宿す者。汝、我にその加護を与え賜え<<<セラピア》」
カラムスが回復魔法を唱えた。
地面に横たわっている冒険者の全身が、まばゆいほどの真っ白な光に包まれる。
――だが、これだけでは回復力が弱い。カラムスの魔法だけじゃ、この冒険者は起き上がることすらままならないだろう。
俺はこっそりと、カラムスの魔法に細工をした。カラムスの回復魔法に俺の魔力を流し込み、効果を上げたのだ。
これでこの冒険者は放っておいて大丈夫だ。俺たちが去ったころに、この冒険者は全回復していることだろう。もちろん時間差を置いてから回復するようにわざと調整した。そうしないと、怪しまれる可能性があるからな。
さて、先に進むとするか。
魔物はもう、目前へと迫っている。