閑話、その1 あるギルド職員の悩み
「本当に、これで良かったのでしょうか……」
冒険者ギルド、アルケー支部の事務室で、女性が頭を抱えていた。
彼女――ハシリーは、とある悩みのせいで、仕事に集中できずにいた。机の上には、書類が乱雑に積み重ねられており、もちろん進捗はよろしくない。
「ハシリーさん、まだ悩んでるんですか? もう済んじゃったことですし、良いじゃないですか」
同僚の若い男が声をかけてくる。
「でも、やっぱり本当のことを伝えた方が良かったと思うんです」
「知らない方が、良いんじゃないですか? その方がグレイブさんだって、活動しやすいと思いますよ。変に意識しちゃうと、萎縮してしまうかもしれませんし」
平然と告げてくるが、ハシリーは罪悪感を拭い去れないでいた。
「でも、グレイブさんにはお世話になりましたし……」
「そりゃそうですけど、それとこれとは話が違いますよ」
「フェニスさんには人情というものがないんですか? やっぱりグレイブさんに、申し訳ないですよ」
「言っちゃ駄目だって規則なんですから、仕方ないじゃないですか。あのときハシリーさんが説明したから、心残りになっちゃってるんですよ。だから僕が説明するって言ったのに」
フェニスは飄々としている。
「ですが……」
「でもまあ、今回のことに関しては本部が悪いですけどね。いくら『アーリー・リタイア制度』を普及させるためとは言え、用意していた予算の全部をグレイブさん一人に使おうと言い出すなんて、本当にどうかしてますよね」
「そうです! その通りです!」
我が意を得たりと、ハシリーが勢い込む。
「だいたい何ですか! 複数の冒険者を採用するよりも、グレイブさんだけを全力で支援した方が宣伝の効果が高まるって、いったいどういう考え方をしているんでしょうかっ!」
「まあ僕も、それは思いましたけどね。だけどよくよく考えたら、中途半端な人を支援するよりも、グレイブさんみたいな優秀な人に注力した方が、効果はあるかもしれないですよね」
「それはそうかもしれないですけど、グレイブさんへの負担が大きすぎます。それに本人に伝えないなんて、どうかしてますよ!」
ハシリーが鬱憤を晴らすかのように憤激する。
そう、実は『アーリー・リタイア制度』は、グレイブしか採用されていないのだ。
当初は複数の冒険者に適用する予定だったのだが、グレイブが応募してきたがために、本部は大混乱となった。
まさか現役のAランク冒険者が『アーリー・リタイア制度』に申請してくるとは思いも寄らないことだったからだ。
本部は協議を重ね、グレイブだけを採用して、用意していた資金をすべて彼の支援に使うことが最終的に決定した。
『アーリー・リタイア制度』を普及させるためには、そこらの冒険者を幾人か採用するよりも、実力のあるグレイブの方が宣伝効果が高いと考えられたのだ。
『アーリー・リタイア制度』が認知されるためには、グレイブに各地を回ってもらう必要がある。そこで『スタンプラリー』という特典が編み出されたのだった。言ってみれば『スタンプラリー』は、グレイブのために考案されたようなものだ。
グレイブの活動を支援するために、冒険者ギルド関係者の多くはこの経緯を知っているが、彼の性格が考慮され、本人に伝えるのは禁ずると本部から通達されている。
「まあでも、グレイブさんにとっても悪い話じゃないでしょう? だったら良いんじゃないですか? 我々だって悪気があってやってるわけじゃないんですし」
「そうですけど……」
ハシリーはフェニスの弁に納得できないようだ。
「仕方ないですよ。もうグレイブさんはアルケーを出て行っちゃったんですから、どうしようもないですしね」
「…………」
「本当のことを伝えたらクビになっちゃいますよ? それに、グレイブさんは相当な実力者ですからね。僕たちが動かなくとも、自分の力で困難をどうにかできちゃう人ですよ。彼を信じて、今は目の前の仕事を片づけましょう」
ハシリーの机に積まれている書類をフェニスは幾らか手に取った。
「……そうですよね。グレイブさんだったら、大丈夫ですよね……?」
「ええ、彼なら何があってもきっと簡単に切り抜けちゃいますよ。僕たちが心配したって、余計なお世話です。彼のすごいところは、僕たちが一番見てきたじゃないですか」
そこで初めてフェニスが破顔した。
「これは僕がやっときますんで。残りはちゃんとハシリーさんがやってくださいね」
フェニスは自分を励ましに来てくれていたのだと、ハシリーはここでようやく理解できた。
「……ありがとうございます。助かります」
フェニスは自分の席へ戻っていった。
「そうですよね、グレイブさんなら、きっと大丈夫ですよね」
ハシリーは晴れやかな表情になっていた。
「さてと、私もお仕事、頑張らなくちゃ!」
これにて第1章完結です!
ここまで読んでくださった方、感謝です!