第五話 大地の贈り物
「大丈夫、マコトちゃん?」
不安そうに瞳を向けるメグミに、何度か拳を握ったり開いたりと確かめてからマコトは頷いた。
「だいぶ回復したってとこだな。さっきみたいに力が入らないって感じはもうねぇよ」
解す様に身体のあちこちを動かし筋肉を伸ばしていく。入念に、と言えば聞こえがいいがマコトのその動作は些か執拗すぎる感がある。不自然にメグミを見ない様にしている風でもあり、その事から自分の意識を逸らしているようでもあった。
「マコトちゃん?」
さすがは幼馴染、といったところだろうか。身体をチェックしている風を装うマコトの姿からいつにない不自然さを感じ取りメグミは不安げな声を発した。
「なんでもねぇよ」
ぶっきらぼうな言葉が突いて出た。
慈しむ様にメグミを抱きしめていた先程とは真逆な姿だが、むしろこれこそが本来のマコトである。どこか触れて欲しくなさそうな気配を敏感に察知し、メグミはそれ以上は踏み込まない。
きっとまだ調子が悪いんだろう、と。そんな風に彼を気づかっての行為。
(なんつーか、幼馴染だとこんだけ考えがわかっちまうもんかね)
苦々しく、ではなく思いながらマコトは胸中で溜息をつく。もちろん己の未熟さもさることながら、恥ずかしさがその大部分を占めている。
(弱ってたっつーか、実際にヤバかったしメグミが無事でほっとしたのもあるけど、さすがにあんな状況になってたとか思い返すと恥ずかしすぎるどころじゃねぇぞ)
メグミをその胸に抱き二人寄り添う様に横たわっていた。それも一時間以上も。
常日頃の彼からは考えられない行為であり、それが森の中でなくベッドの中でなら愛し合った後をまどろむ恋人の姿に映っただろう。そういう行為に興味と関心を抱く、むしろ大部分を占める年ごろだからこそ恥ずかしさが極まっていた。
とにかく何かに集中している振りでもしなければ、羞恥から穴でも掘りかねない気分だったのだ。
「ちょっと離れてろ」
確認をし終えそんな声を掛けたのは、彼女を避けてでの行為ではもちろんない。
言葉にするでもなく意志の疎通を図ったメグミは静かに一歩、後ろへと引いた。
「いつまでもこんなところにいられねぇしな」
告げるでもなく一人呟いてマコトは右腕をかざす。
常のように、大気から魔力を呼び寄せる。
「――光よ」
彼独自の詠唱に反応し収束する魔の力。
世界中どこにでもあり満たしているその力が今、マコトへと集う。
「――――っ」
魔力を回し始めた瞬間、マコトは顔をしかめた。
「マコトちゃん?」
「……いや、なんでもない」
敏感に反応した幼馴染に、マコトはさっと表情を戻し首を振る。
わずかに奥歯を噛みしめて、今度はゆっくりと右腕に魔力を通す。
「――星海図」
言霊に呼応し光が広がる。
白銀の輝きを放つそれは掌を中心に綺麗な円を描き現れる。
中央に描かれた新円を囲う様に四方に小さな円が、さらにその外にも同様に四つの円が配置されたその魔法陣は精緻な文様が刻まれていた。
「――――」
マコトは思わず、展開された魔法に目を見開いた。
まるで天体を周回する衛星の様にくるくるとそれぞれに左右別回転をみせるその円陣はその回転に合わせ周囲に魔力を放出する。
それは普段通りのマコトの魔法。行方の分からなくなったメグミを探した時にも用いた、周囲を探索する索敵の術。
震えそうになる右腕を、そうとは悟られないように細心の注意を放ちながら魔法を行使する。
大凡一分ほど、魔力を回し続けたマコトは開いていた掌を握る。それだけで白銀の幻想たる光景は陽炎のように消え去った。
「…………」
ぎゅっぎゅっと、確かめるように掌を握り、開く。
魔力を通した瞬間に感じた激痛。
普段通りに魔法を通す事ができなかった。
魔力回路に走った無数の針で刺し貫かれる様な痛みは身体が訴える信号だ。だからこそためらいがちにゆっくりと、ほんの僅かに回した魔法は、けれど普段と遜色のない魔法行使を実現させた。
その、矛盾に。
「……そういや、召喚されたばかりでも親父はバカみたいに強かったんだって言ってたっけな」
母から聞かされていた父親の特異性を思い起こした。
「え?」
「いやさ、前に母さんが言ってたんだよ。召喚されて戦い方も知らないはずなのに、親父は最初から強かったって。さすがは勇者様とか惚気てたけど、もしかしたら何かしらの仕掛けがあったんじゃねぇかって思ってな」
「んー、どういうこと?」
「なんかさ、全然力を籠めてないのにいつもと同じ魔法が使えたんだよ」
マコトはメグミに対して嘘を言わない。
ただ、そこに意図的に含めない事実があるだけで。
「なぁ、俺だけじゃなくさ、メグミも身体が軽い様な感じがないか?」
「ん? うーん、言われてみればいつもより軽いっていうか、なんか楽な感じはあるよ」
「やっぱりそうか」
おそらくは今二人が感じているこの感覚がその仕掛けだろう。けれどもそれがどういった理由に寄るものなのかはわからない。
「ま、とりあえず今考えていてもしょうがないな。とにかく周囲の索敵は済んだ。今のところ危険はないみたいだから、まずは先へと進んでみようぜ」
歩きはじめてから一時間といったところだろうか。
帰宅途中で突如襲われた光によって手にしていた荷物は全てがやられてしまったようだ。
まずメグミの学校指定の鞄はおそらくは飛ばされた際にどこかへとなくしていた。
次に携帯や腕時計といった身に着けていたものは全て壊れており、携帯にいたっては圏外になるどころか電源すら入らない鉄の塊と化している。
腕時計は電磁式でもないに関わらずその動きを止めたただのダサいアクセサリーだ。
唯一まともに機能を果たしそうなのは財布だが、中身が無事とはいえそもそも異世界(推定)で同じ価値をもって使えるかどうかすらあやしいところだ。
そんなわけで確かめて早々にマコトは見切りを付けてそれらを全て捨てようとした。それを、
「む! ポイ捨て禁止だよマコトちゃん。自然を汚す事はわたしがゆるしません!」
何とも勘違いな怒りに寄って制止された。呆れ半分といった調子でマコトは学生服のポケットに仕舞う。もう半分はメグミらしいな、という安堵感だ。
こんな訳のわからない状況になっても変わらないその在りようはマコトに安心と落ちつきを与えていた。
メグミがこの様子なのだ。男の自分が戸惑う姿など見せられる筈がない。
強がり、というのは男子にだけ与えられた特権なのだから。ここは精一杯に強がりを見せる場面だろう。
「あっ! あったよマコトちゃん! あれじゃないかな?」
喜々とした声が上がった。思わずといった風に駆けだしたメグミをすぐさま追いかけながらマコトの耳が彼女に遅れてその音を捉える。ついですぐにその姿が目に留まる。
「よかったー、マコトちゃんの言った通り本当にあったね、川」
せせらぎの音が森に木霊する。流れるのはまさに清流と呼べる小さな川の水だった。
「あ、冷たい! それにすっごく綺麗!」
「こんだけ自然に囲まれてりゃそうだろうな。でもま、これで一安心だ」
すぐさま手を淹れて顔をほころばせているメグミの隣に腰を下ろし、さっそく喉を潤そうとする彼女をを制し先にマコトは水をすくい取り口に運ぶ。
――――うまい。
すぐさま浮かんだ感想がそれだった。
まさか水を飲んだだけでこれほど旨いと感じるとは思ってもみなかった。思いがけない感動に数瞬前の自分を恥じる。万が一の危険性を疑ったが、これほどの水に害が含まれている筈がない。
「ヤバいぞメグミ、これ、すげぇうまい」
「ほんと!? じゃあさっそく味見しよっと。もう喉がカラッカラだよー」
知らない地をひたすらに歩きとおすというのは思った以上に負担と渇きを強いたようで、メグミはかぶりつく様に水を飲み始める。一口掬ってその味に感激した後はもう止まらない。ひたすらに満足するまで水を飲みほしていく。その隣でマコトも同じように喉を潤した。
「ふぅ~」
「生き返ったな」
しばらくして、二人とも満足がいくだけ飲んでからぺたっと地に腰を下ろした。いい加減足も疲労が出始めている。小川を見つけた事は幸いだ。休憩する必要が二人にはあった。
「水筒でもあればよかったんだけどなー」
「ないもんはしょうがないだろ。でもま、しばらくはこの小川に沿って歩いて行こう。もしかしたらここを辿れば村とか町があるかもしれないしな」
「そうだね。まずは人に会わなくっちゃなんにもわかんないもんね」
「そういうこと」
春先になったばかりだったため二人の格好は学校指定制服の冬服だ。陽射しは射しているが大部分は天頂を覆う葉で遮られている。
歩いている所為もあり今は温かく、むしろ熱いくらいでブレザーは二人ともすでに脱いでいる。それでも、きっと夜には寒さは増すだろう。
生命維持のための水分確保はなんとかできたが、食料や寝床をどうするのかという問題は未だ解決せずに残っている。
自然の中での生活なぞ精々がキャンプの経験があるくらいだ。それでも予め衣食住をそろえた上でのこと。完全なサバイバルなんて現代に生きる二人にある筈がなかった。
ローファーを脱ぎ、足を伸ばしてマッサージをしているメグミを見る。
ここまでの道中マコトの事を完全に信頼しきり文句も言わずにずっと付いてきた。純粋な信頼は嬉しくはあるが、だからこそ強く思うのだ。守り抜かなければ、と。
単純な肉体疲労ならマコトの魔法でいくらでも対処が効く。怪我でさえなんとかなるだろう。それこそ命にかかわるものでなければ今の自分の力ななんとかできるかもしれないと思えるほど彼の魔力は充実している。
だからと言って生き抜く事はそんな単純じゃないのだ。
生きていくための最低限の衣食住。それを得て初めて幼馴染である彼女を守ることができるのだ。
その為にもマコトは一刻も早く人を発見する必要があった。
「メグミ、行こう」
立ち上がり、声を掛ける。
「うん。りょーかい」
笑顔で微笑んだ彼女をしっかりと見据えてから、二人は再び歩き出す。
どちらからともなく自然に、その手をつなぎながら。
● ● ●
砂漠にオアシスを発見すると、こういう気持ちになるのかもしれない。
その光景を目にしてマコトは素直にそう思った。
小川を辿り歩くことさらに二時間余り。陽射しの傾き具合からそろそろ夕刻に近づいてきた刻限。西日を受ける様にしてそびえるそれを遠目から見つけ、二人は思わず足を止めた。耳をすませば流水のせせらぎとは違う、水面に叩きつけるかのような飛沫の音が微かに届く。
轟々と唸りを上げる滝があった。
合計して既に三時間余りの徒歩道中だ、そんな経験などめったなことで体験できるはずもなく二人の疲労はだいぶ溜まっている。しかも場所は整備された歩道ではなく草木の生い茂る森の中だ。通常に歩く以上の負担を強いているはずなのに二人の体力がまだ保っているのは二人の身体が異世界に来て以来調子が向上しているからに他ならない。けれどそれももう限界に近かった。
自然と二人の歩みは早まっていた。胸中を期待が過ぎる。
小川を辿った先に滝が見えた。とくれば待ち受けているのは、
「――――えぇぇええっ!?」
果たして、期待通りの光景が広がっていた。
にもかかわらず響いた素っ頓狂な声は当然メグミのもの。傍らに立つマコトは声こそ挙げなかったものの唖然として眼を見開いている。
その、二人の視線の先。
暮れはじめた西日を浴びて燦と輝く水面は一面に広がる小さな泉だ。
力強い音を上げながら下る水流は段壁から零れ落ちる滝そのもの。
水面にぶつかり弾け飛ぶ飛沫が陽を浴びて煌びやかに輝きを放つ様はまさに幻想。
森のただ中にひっそりと佇むそれはどこまでも美しく、まるで王の聖剣が投じられた妖精の泉を思わせる。
その、まさにお伽噺の一場面を思い浮かべそうなその泉の中心に、それはいた。
鮮やかな白銀色の体躯は小さく幼い。
ちょこんと伸びた手足は幼子のそれを連想させ愛くるしいが、頭頂部から僅かに伸びた二本の角と上あごから生えた小さな牙は肉食獣のそれだ。
けれど翡翠に輝く両の眼はつぶらで、くりくりっとした様子は愛玩動物そのもの。
背中から生えた、幼い体躯にしてはやや大ぶりな一対の翼が力強くその身体を宙空に留めている。
それは、まぎれもなく竜であった。
「ねぇ、マコトちゃん、あの子……」
「はっ、ははっ……。今まで確信はしてたけどそれでも推測でしかなかったのにな。まさか竜なんて見せられたなら、マジでここは異世界だって信じるしかねぇやな……」
「――すっごく可愛いよ!」
「おいっ、言う台詞がそれか!?」
思わず突っ込むマコトに構わず興奮しきったメグミはキャーっと大喜びで駆けていく。
そんなまさに珍種めいた行動に逆に興味をそそられたのか、泉に浮かんでいた白銀色をした小竜はふわふわと浮かびながらメグミの元へと近寄っていく。
「おいっ、何が起こるかわかんねぇんだぞ!」
ようやく正常に戻った思考であわてて叫ぶ。
見た目は確かに愛玩動物だが竜なんて今の今までファンタジーの中の生物だったのだ。完全に二人の常識の埒外にある生き物相手に無警戒でいられるほどマコトは能天気ではなかった。
慌てて駆け寄るも、すでにメグミと小竜との距離は文字通り眼と鼻の先。ほんのわずかな距離を残して一人と一匹が見つめ合っている状態だ。
ふわり、ふわりと浮かぶそれ。
一体どういう法則か、翼はほとんど揺れ動かずにまさに浮かぶようにしてある小竜と、あと一歩で抱きつく距離に迫る喜色満面を浮かべた少女。
それはある種珍妙な光景ではあった。
メグミが抱きつかないのは抱きつけば自分が泉に転落するからで、ギリギリのところで理性がそれを回避した結果でしかない。
小竜の方はまさに狙ったかのような絶妙な距離感でそんな彼女を見つめている。
黒曜の眼に翡翠の瞳。
見つめ合う瞳は互いに純粋無垢そのものであった。
純真、という表現がこれほどぴったりな光景はないと、思わず歩を止めてしまったマコトは思う。どういう訳か、二人の邪魔をしてはいけない様な気がしてならない。
そうして、
「――――えいっ」
「キュアっ!?」
精一杯の背伸びをして、メグミが見事その腕の中に小竜を抱きとめたのだった。
「ふぁーッ、すっごいかわいいー!」
落下する寸前の所で抱きしめることに成功したメグミはそのまま頬を思いっきり小竜に摺り寄せている。その笑顔はまさに満開の花畑といったありようだ。
反対に驚愕にジタバタともがいているのは小竜の方であった。意外に可愛い鳴き声を上げて驚きながらも成す術もないといった様子でメグミの成すがままにされている。
(いや、普通逆だろそれ!)
もはや呆れるしかない光景だった。
お伽噺で語られる強大な生物が幼馴染の手の中でいい様ににあやされているのだ。その姿は子供に抱きしめられて逃げられなくなった子猫に似ている。すでに竜としての威厳も何もあったものじゃない。
「メグミ、いい加減話してやれって。つか落ちつけばか」
「ふぇ? あっ……」
さっきまで警戒していた自分がバカらしいというような投げやりの態度でようやくマコトはメグミから小竜を引き離す。
「…………」
「…………」
図らずして小竜と視線が交錯する。まるで何かを感じ取ったかのように小竜はじっとマコトを見つめ、マコトも小竜を見る。
まるで生まれたての赤ん坊のように無垢の瞳が翡翠に輝く。
危険、とは既に思っていない。けれど警戒を解く事もしない。
マコトの竜に対する対応はまるで変わってはいなかった。なにがあってもメグミを守れる様に身体は常に臨戦態勢を維持している。
だから、かもしれない。
「キュイー」
視線の交錯はそれこそほんの数秒程度であった。小竜の方から興味を無くしたとばかりにそれを切り、メグミの方へと浮かびよっていく。その姿はやはり気まぐれな猫を連想させる。
「へへん、わたしのほうがいいみたいだねー」
一人と一匹の無言の遣り取りを呆気にとられて見守っていたメグミはそれでスイッチが入り直したように得意満面の笑みを浮かべて胸を張る。そのまま豊かなその果実の中に再び小竜を抱きとめる。
まるで癒しを求める様に頬をこすりつけ、
「ねぇマコトちゃん、わたしたち本当に異世界に来たんだね」
どこまでも無邪気なメグミだった。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
また明日も更新します。