第三話 幕開けは突然に
其処は寂れて使われなくなり、そして処分もされずに廃棄された工場跡地。
割れて欠けた窓ガラスから時折隙間風が吹いてくる。乱雑に散らばった当時の工具や嵌まりが緩くなった扉などがその度にカタカタと音を立てる。
僅かに射し込む月明かりだけが頼りだが、遮蔽物の多い工場内では悪戯に影を生み出し、それがよりいっそうの恐怖を煽る。
「ごめんね、ごめんねメグミっ」
「大丈夫。わたしは大丈夫だから、ね?」
人がいなくなって久しい其の場所の奥で、二人の少女が肩を寄せ合って震えている。
二人の両手は後ろ手に固定され、ロープで縛れていた。
「でも、でもわたしのせいでこんな事になって、うっうっ、ほんと、ごめんね……」
「気にしないでカオリちゃん。カオリちゃんの所為なんかじゃないんだから」
涙で顔をボロボロに濡らす少女へと声を掛けながら、メグミは一生懸命に湧き出てくる恐怖と戦っていた。
今二人がいるのは使われなくなった工場跡地の一角。
二人は小学生時代からの旧知の中で親友とも呼べる付き合いで、今は共に恐怖と戦っている戦友の様な状態か。
けれど並び、共に震えるその姿も雰囲気もまるで似ていない。
メグミの容姿がミディアムボブの髪型に、髪は染めない黒のままで、化粧をしてもナチュラルメイクに留めるだけのものに対して、
カオリと呼ばれた少女――如月薫は茶色く染めたセミロングの髪を毛先からカールさせ、また同じ高二にしては大人びた顔立ちを目立たせる少し強めのメイクを施した対照的な出で立ち。性格もどちらかと言えば大人しいメグミに対しカオリは活発だ。
そんな二人はどういう訳かウマが合い続け、高校生である現在も親友として過ごしている。互いに所属する女子の派閥や生活圏は違えども相談ごとには乗り合える友人同士。
だから切っ掛けはよくある相談ごとの一つだった。
――――付き合い始めた恋人が危ない人かもしれない。
ちょっとした夜遊びで友達数人と一緒に行ったクラブで年上の男と知り合ったという。
大学生風のその男の見た目は清潔であり、また大人びた雰囲気は高校生のそれとは違っていてすぐに惹かれたのだとカオリは語る。
その夜は何事もなく、ただ意気投合した二人は連絡先を交換し、付き合い始めるようになるまでに時間はかからなかったらしい。
けれど付き合いだした後でその相手が実はヤバい事に手を出していると知ったのだという。
大学生である事は本当らしかったが、それも休学に近い状態で大学へは違う事をしに通っているらしい。
大学生への違法商品の横流し、という目的で。
どこからそんな物を入手しそんな事をしているかまでは知りたくもないと語るカオリ。ただそんな危険な事に自分の彼氏が関与しているなんて知りたくなかったし、知った以上は止めるか別れるかしかないと、と彼女は冷静に判断を下していた。
そんな相談事を、メグミは生徒会の歓迎会の後、近場のファミレスで受けたのだ。
愚痴りながらもしっかりと自分の考えを語る彼女に同意し、メグミもそうした方がいいと励ます。話しながら自分の気持ちに整理を付けたのか、終える頃にはどこか怯え焦っていた風のカオリも落ち着きを取り戻していた。
とりあえずは電話をしてみるというカオリに笑顔でメグミは頷きを返し、二人はファミレスを後にする。
ここまでであったなら普通の相談ごとで、よくある何でも無い話になったであろう。
けれど、計算違いが三つほど。
一つ、彼氏であるその男が彼女であるカオリのそんな行動に気が付いてしまっていたこと。
二つ、男は危ない事をしているくせに肝が小さく、バレたと知ったことでパニックになっていたこと。
三つ、二人の想像を超えてその男が付き合っていた連中が危険であったということ。
その結果、二人は人気のない道へ入った瞬間に拉致された。
「さーてと、あのバカの折檻も終わった事だし、まーたせなぁ嬢ちゃん達ィ!」
甲高く響く下卑た声が工場内に木霊した。
「ひぃッ!?」
「――――っ!?」
ビクッと二人は肩を震わせる。
これ以上は逃げようにも壁が邪魔して進めない、そんな現状で二人を拉致した男たち数人がやってくる。
まず最初に彼らは二人の手を縛るとそのまま放置して、必死で泣き叫び暴れるカオリの彼氏だった男を引きずってどこかへ消えてから今まで姿を見せなかったのだ。
それが、タオルで手を拭きながらニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべながら近寄ってくる。たった今放り捨てたタオルでいったい『何を』拭き取ったのかなんて考えるのも恐ろしい。
「ったくよぉ、あのクソバカがテメェの女に仕事がバレたと抜かしやがった時はどうしてくれようかと思ったがな、こいつぁ思わぬ拾い物ってやつだ。間抜けのくせして良い女捕まえてやがる」
まるで舌舐めずりする様な言葉に二人の背筋は怖気でゾクリと震える。
リーダー各の男に突き従うかのようにして、同様に気色悪い笑みを浮かべた男たちが近寄ってくる。そして唐突にビデオカメラなどを取り出しあちこちに固定しだした。
「な、なにするつもりよ……っ」
「あぁん? そんなの楽しいことに決まってるじゃんよぉ」
勇気を絞り出したようなカオリの言葉に、嗜虐に染まった粘着質な声が返ってくる。
「お嬢ちゃんたち二人が知ったのはちょーっとマズイ話しでな、こいつを知られると困るのよぉ俺たちぃ。だぁからぁ、お互い楽しい事して忘れようぜって話しだよ、なぁ? そうすりゃきぃっと他の連中になんか話したくなくなるんだからさぁ」
手下たちに準備をさせる中で男は愉しそうにケタケタと嗤う。まるで何かのクスリでもキメているかのような調子だ。そうしていても何ら不思議ではないところがさらに恐怖を掻きたてる。
けれど、
「ね、ねぇ」
庇う様に、護る様に。
「め、メグミ!?」
手を縛られた状態で、それでもメグミは声を震わせながらも親友を背に男の前に立つ。
「なんだぁ、嬢ちゃん? あぁ、もしかしておまえが一番最初に遊んでほしいってことかぁ?」
「そ、そんなわけなよ。そうじゃなくてね、もう、こんなこと止めた方が良いよ」
「あ?」
「だ、だってさ、こんなのちっとも良くないよ。悪い事はダメだよ。間違ったなら、それを正してやり直さなくちゃダメだよ!」
「メグミ!? アンタなにいって……」
「ハッハー、こいつぁいいなぁお嬢ちゃん。こんな状態で俺たちの心配ってわけか!? こいつぁ嬉しくて涙が出そうだよ! でもなぁ、なーんも悪い事なんてないんだぜ? 俺たちは愉しい、そしてアンタ達も愉しい。きぃっとこの後は自分たちから俺たちに遊んでくださいって頼む様になるんだ。それくらいにハマっちまうんだぜ? 良い事しかねぇじゃねぇかよぉなあ!」
狂ったような言葉にカオリがまたも肩を震わせ涙を零す。
けれどメグミはそれでも負けないとでもいう様に震える身体を必死に抑える様に男を睨む。
「良い事なんて、ちっともないよ。愉しい事なんて、どこにもないよ」
「ハハッ、もう俺はすでに愉しいがねぇ嬢ちゃん。あとはアンタが俺の下で啼いてくれりゃあもっと楽しめそうだ」
「そんな事には、絶対にならない」
それは確信に満ちた言葉であった。
「メグミ……?」
「大丈夫。大丈夫だよカオリちゃん」
「なん、で……?」
「だって、わたしには英雄がいるんだから」
その言葉はまるで祈りの様でもあって。
絶対に揺るがない、信頼を持って紡がれる。
故にこそ、それは表れる。
「――――驚いた。今どきこんなステレオタイプのバカってほんとにいたんだな」
それはこの場には似つかわしくないほど呑気で落ちついた声であった。
「マコトちゃん!」
「うそ……。武藤、くん? なんで……」
パッと花が開いたかのように笑顔になってメグミが歓声を上げる。信じられないといった表情でカオリは突然表れたマコトを見つめる。
「だれだぁ、てめぇ?」
興を削がれた苛立ちか、単純に水を注された怒りからか、男の声に険呑が混じり周囲で撮影の準備をしていた男たちまでもが殺気立つ。
「とりあえずは拉致監禁か。んでここから先は婦女暴行でもやらかそうって腹ね。状況はさっぱりなんだけどさ。ふぅん、……四、五、六人か。たった二人の女子高生相手に男六人がかりとか、おまえらバカなんじゃねぇの」
「んだとテメェ!」
男の言葉を無視して状況を観察するマコト。聞かせるというよりも単に感想が零れ出ただけともとれるそんな言葉に、一番近くにいた男が激昂して拳を振るう。
「一応これで正当防衛な」
正面から迫る右ストレート。それをほんの僅かに左にずれるだけの紙一重で交わし切り、カウンター気味に鳩尾へと拳を一発。
「くはっ……」
たったそれだけの事で殴りかかった男は崩れ落ちる。
不自然なほど男の身体が『く』の字に折れ曲がったこのなど気にもならない。
あまりにも一瞬すぎて、何が起こったか理解が追いつかない。まさに、電光石火の一撃。
「これで後は五人、と。一応忠告な。手加減する気なんざまるでねぇから無駄な抵抗は止めとけ。おまえらが苦しくなるだけ」
「…………ッ!」
当然のように告げられたその傲慢ともとれる言葉に男たちは拳を握る。けれどたった今見せつけられたばかりの光景が脳裏を過ぎり、行動を踏みとどませる。
そんな彼らに対し、マコトは一切の感情を向けない。簡単な話だ。マコトにとって彼らなどどうでもいい存在。歯牙に掛ける必要すらない路傍の石ころの様なもの。
そもそも彼の関心は初めからただ一つきり。
「メグミ。それから……如月さん、だよな。悪い、一分ほど待ってくれ」
「――うん」
安心しきったような言葉に優しげに微笑んで、一変。
その相貌は鋭く尖り、切れ長の瞳が男たちを射竦める。
「さて――覚悟は良いな?」
一方的な制圧が始まった。
● ● ●
匿名で通報した警察が到着するのを遠くから見守った。
「よし、とりあえずこれでもう大丈夫だろ」
一安心とばかりに言葉を掛けるとあからさまにほっとした表情を浮かべる二人。
「おばさん、大丈夫だったか?」
「うん。やっぱり心配かけちゃったから、ちょっと泣いてたみたいだけど、でも大丈夫だった。あと、マコトちゃんにありがとうって言ってたよ。やっぱりマコトちゃんなら安心だって」
「そういや俺の時もそんなこと言ってたな、おばさん」
警察が男たちを連れていくところを見守って、三人はその場を後にする。
「悪いな如月さん、帰りが遅くなっちまってさ」
「ううん、わたしは大丈夫よ。自分で言うのもなんだけどさ、高校入ってから夜遊びばっかりしてる不良娘で通ってるから、メグミの家と違ってこんな遅くになっても家族は心配しないし」
「なんだかそれはそれで嫌な話だな。でもま、しばらくは夜遊びはやめといた方が良いじゃないか?」
「うん、そのつもり。しばらくはっていうより、もう止めようかなって」
「あー、トラウマになりかけてる?」
「ちょっとだけ。でも、大丈夫だと思う」
どこか憑き物の落ちた様なさっぱりとした表情でカオリはそう告げる。
「これもきっと、マコトくんのおかげかな」
「……俺?」
「カオリちゃん?」
まるで悪戯っ子のように微笑む彼女のその表情は、マコトの知る限りで一番綺麗なもので、
「それよりさぁ、メーグミ! あんたちょーっとツラかしなさーい」
「え? ほわぁぁあ!?」
一転してメグミの首をロック。そのままマコトから少しだけ距離を取って耳元に口を近づける。
「あんた、マコトくんがあんなに強いって、知ってたんでしょ?」
「え? あ、うん。マコトちゃんに黙ってろって言われてたから……」
「なによそれっ。ねぇひょっとして、その秘密って知ってたのはあんただけ?」
「うーん、今はカオリちゃんも知ってるけどね」
ひそひそと囁かれる言葉のやりとりに目を白黒させながら、どこかちぐはぐとした答えを返すメグミ。
マコトはそんな乙女たちの突然の奇行をただ黙って見守りながら後ろを歩く。
なんとなく、自分が関わるとろくな結果にならない様な気がするのだ。
「やっぱり幼馴染っていうポイントは大きいかー。しかもこんだけの美少女がずっといっしょとか、これじゃあさすがのわたしの美貌でも太刀打ちが難しいもんなぁ」
「あ、あのー、カオリちゃん? 急にどうしたの? それに、マコトちゃんのこと、名前で呼んでたっけ?」
「いーえ、呼んでません。ていうかさメグミ、あんた今日からわたしの敵だから、敵。つーかライバル!」
「え、えぇぇ!?」
いきなりの発言に素っ頓狂な声が夜道に響く。
「ばっか! 声が大きいわよ」
「え、だって、ライバルって、なに?」
「そんなの、恋敵に決まってるでしょー、こ・い・が・た・き! てかさー、きっとマコトくんの強さを知っちゃったらライバル、増えると思うよ?」
「こ、恋敵って……。それに増えるって……」
「だってさメグミ、考えてもごらんなさいよ。突然のピンチに颯爽と表れて悪い奴を一蹴とか、これで惚れるなって方が無理でしょ? マコトくん、顔だって悪くないんだしさ」
「あ、あぅ……」
ストレートすぎる物言いに思わずメグミは黙りこむ。
今彼女は親友から幼馴染に惚れたのだと告げられているのだ。彼女のキャパシティはすでに破裂寸前でなんと言葉を返すべきかまったくわからなくなっている。
その耳元でそっと、
「マコトくん、いつ誰に奪われたって不思議じゃないと思うけど?」
「――――っっっ!?」
今度こそメグミの思考回路はショートし弾け飛んだ。
「ま、今のところわたしはマコトくんの眼中にないみたいだし? むしろ対象として見られてるかすら妖しいし? それに、今日はメグミにものすっごく迷惑かけちゃったから、アプローチとかはしないでおくけど」
トン、と背中を押され。
「――休み明けには争奪戦、開始だかんね?」
捕まっていた時の泣き顔が嘘のように不敵に笑って、カオリはくるりと背を向けた。
「マコトくん、ほんっとーに今日はありがとう。たっくさん感謝してる。それから、すっごくカッコよかったよ!」
メグミに向けたものとは違う、晴れやかなその笑みは助け出せて良かったと思わせる微笑みで。
「じゃあ二人とも、ありがと。そしておやすみっ」
バイバイっと手を振って軽やかに駆けて行く先には明かりの灯った一軒家。いつの間にか、彼女の家に辿り着いていたらしい。
「なぁ、おまえら何話してたんだ?」
ただただ見送るしかない二人。マコトはそんな疑問を口にして。
「な、ないしょだもんっ」
メグミは顔を赤らめてそっぽを向いた。
● ● ●
「なんか大変な一日だったね」
のんびりと連れだって歩く帰り道。
月明かりに照らされ伸びる影法師が仲良く並ぶ。
その影は互いに離れまいとする様に、しっかりと寄り添って。
「わたしね、マコトちゃんはきっと来てくれるって、信じてたんだ」
「そうかよ。けど、今度からは連絡くらいしろよな。おばさんから連絡貰った時、マジで焦ったんだぜ?」
「ごめんね、まさかこんな事になるとは思わなくって」
「ま、それに関しちゃしかたねぇけど。でもほんと、メグミがいなくなるとか性質の悪い冗談だ、まったく」
ぼやく彼に、彼女は不謹慎だと思いつつも嬉しさが込み上げてくるのを止められない。
幸せが胸いっぱいに広がることを止める事など、できはしない。
「探してくれてありがとう、マコトちゃん」
「当たり前の事でいちいち礼なんか言ってんじゃねぇよ、ばか」
どこか照れくさそうにそっぽ向くその仕草すら愛おしく感じて、
「ねぇ、マコトちゃん――」
少女は思わず、足を止める。
「メグミ?」
怪訝そうに見てくる瞳を艶やかな眼差しで見つめ返し、
「あのね、わたしね――」
――――そうして唐突に、彼らの世界は反転する。
「――――ッ!?」
「え――?」
突如、光が訪れた。
「なん、だ――?」
思わず目をそむけそうになるほどの発光。
夜の闇を切り裂く様な燐光。
それは地面から湧きあがり、
二人の足元には幾何学模様が精緻に記された魔法陣が広がっていた。
文様をハッキリと目にした途端、それはさらに強烈な光を放つ。
吸い込まれる、と二人は直感した。
同時に身体が持ち上がる浮遊感。
唐突な無重力に、身体の動きを奪われる。
まるで強烈な圧力で世界から追い出される様な感覚。
成す術もなく持ち上げられ、自由を奪われた二人は勢いのままに離れて行く。
「――――メグミ!」
「マコトちゃんっ!」
とっさに二人は手を伸ばし、
その指先が微かに触れあって、
「メグミ――ッ!!」
真白き光が、全てを飲み込む。
それはまるで一瞬の出来事であったかのように。
強烈な発光の後の収束。
あたりは何事もなかったかのように元の闇の静寂に包まれる。
そこに痕跡の一切もなく。
二人は世界から消え去った。
序章 ~残酷なる我が故郷~ 了
/to be continued
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序章、日常パートの終了となります。
物語のスタート、異世界物語は次話からとなります。
まずはここまでお読み頂きありがとうございます。
次話は明日更新します。
またお読みいただけたら幸いです。
もし、感想など頂けたら嬉しいです。