第十四話 潜むモノ
それは突然の招集だった。
朝から様子がおかしいのはわかっていた。昨日は朝食を共にしたディンもグラッドも席にはおらず、用意されていたのはマコトとメグミの二人分。首を傾げつつもそれに舌鼓を打つ二人の元に、僅かに表情を硬くしたディンが現れたのは食事が終わる間際のこと。
「食事中の所ごめん。マコト、あんたの力を貸してほしい」
その様子に顔を見合わせる二人。けれど、その後の行動は迅速だった。手早く食事を片付けるとディンの後に続いて付いていく。当然とばかりにメグミもマコトに続き、やってきたのは戦士隊の詰め所前。
そこにはグラッドを中心として村の戦士全員が集まっていた。
ただ一人を除いて。
「おうマコト、朝飯はきちんと食ったか? 食った? よし、なら緊急事態だ」
片手を上げてまるで何でも無い様に告げたグラッドは最後にそんな台詞をぶちかました。
「緊急事態?」
「おう。時間は定かではないが昨夜からキールの姿が見当たらないらしくてな。今現在でもその姿は確認されていない。ま、つまる所が行方不明と言うやつだな」
「行方不明、ねぇ……。ちょっと森に狩りに行ったとか、もしくは単に家出みたいな奴なんじゃないのか?」
マコトはキールと自分の年齢はそう変わらないと思っていた。なら自分を基準に考えてみて、もう大人と言われたい年頃の男が夜に姿を消したくらいで大慌てをしている彼らの事が、単純にマコトには理解できなかった。
特にこの世界での成人と言うのはマコトの世界に比べて遥かに早い。数え年で十五になれば立派な大人扱いだと母から教わっている。それを知っているからこそ、大袈裟じゃないかと眉を顰めた。
「この村にはいくつかの掟があって、その中の一つに勝手な外出行動、特に戦士の無断外出は禁止しているのよ」
「へぇ、その理由は?」
「あんたも昨日体験したように、村を一歩出ればそこは本当に死と隣り合わせの世界よ。特に戦士は己の命をかけて森へと出ている。だから誰にも知られずにどこかで命を落とす事がない様に、外出時には事前の報告を徹底させているの」
「なるほどな、それが今回なかったと。でもそれだと変じゃねぇか? ならそもそも村の中で行方不明になるってことが有り得ないだろ?」
「ええ、言う通りね。だからあたしの考えはこうよ。キールは掟を破って勝手に森へと出ていった。理由は不明。でもあのバカも一応は戦士だから掟は理解していたはず。ならキールにとってはちょっと出るだけのつもりだった」
「ちょっとそこまで、こっそり出て戻ればバレはしないって腹か。だが、そこで何らかのトラブルに巻き込まれたと」
「ええ、それが現時点での憶測。でも当たらずとも遠からずってとこだと思ってるわ」
表情を強張らせ頷くディン。マコトは隣で立つグラッドへと鋭い視線を投げた。
「まぁ筋は通った話しだよ、言ってる事も本当なんだろうしな。で? 他に何を隠してる?」
「いちいちそう睨むな、別に隠してたってわけじゃねぇさ。ほれ、昨日おめぇさんにも森を探索させただろう? その際にいくつか班分けし森を見て回った訳だが、その別働隊が見つけたのさ、お前たちを襲った異様な獣、その飼い主の痕跡をな」
グラッドの合図で戦士たちが何かを運んできた。戸板に乗せられたそれは獣。マコトを襲ったあの獣と似た狼。体毛は紅く、けれど所々斑模様の様に黒が入り混じる。ただしあの時の獣と違うところはその黒が別の生き物の様に身体を覆っていない事。そして、その獣が死体である事だった。
「――――っ」
咄嗟にマコトは隣に立つメグミの目を手で覆い隠す。そのまま抱き寄せるようにその身を引き寄せ、そのまま身体ごと獣から背を向けるように反転させる。
「マコトちゃん?」
「見るな、メグミ」
咄嗟の事にも素直に成すがままに従ったメグミの視界を塞いだままでマコトはグラッドを睨みつける。
「おい、ふざけんなよおっさん。今すぐそれをどかせ」
「おっと、嬢ちゃんなら平気だと思ったが、お前さんが過保護だって事を忘れてたぜ。まぁいいだろう、戻せ」
文句も言わずに運んだ獣の死体をまた戻していく戦士たち。視線を尖らせていたマコトはその姿が完全に見えなくなると抱いていた手を離し瞳を覆っていた手をどかす。
メグミは僅かに申し訳なさそうな眼差しをグラッドへ向け、けれど僅かにマコトへと身を寄せる。メグミの頭へと乗ったヒスイがグラッドへと視線を向けて低く唸りを上げた。
「ったく、大切にされてるなぁ嬢ちゃん」
軽口をたたくもメグミが何かを言いかける前にひらりと手を振ってグラッドは言葉を遮った。
「これ以上の軽口は余計な軋轢しかうまねぇものな。――じゃあ本題だ、さっきの死体は森の中で見つけたものでな、ただ転がってたのではなく、巧妙に隠されていたそうだ」
「隠されていた?」
「そうだ。そもそもあの獣の死体だが、あれは赤狼と言ってな、この熾り火の森を抜けた外に生息する魔獣だ。緑大熊とは相性が悪く、その為この森を縄張りにしていない。極稀にはぐれが迷い込む事はあっても森の奥まで入ってくる事はまずない。そしてあの死体は一匹だけじゃあ無くてな、複数あった。それも何やら普段と様子が変容した状態で、だ」
「変容?」
「おう。さっきの一匹はその中ではだいぶマシな方だな。元の状態に限りなく近い」
「ということは、変容ってのはそういう意味か。獣が元の姿を留めていなかったと」
「そういうことだ。なんでぇ、やたらと落ち着いていやがるなお前。ディンなこの話をして実物を見た時にはかなりしかめっ面をしてたってのによ」
驚いて見せるグラッドにマコトは無表情を装った。
獣がその姿を変容させ死んでいた。それも隠されて。
この世界に来て僅かでだいぶ元の常識を取っ払われているマコトだ、そろそろ感覚が麻痺してきている。それに加え、元の世界でのゲームや漫画の知識が今のマコトの理解度に一役買っていた。
グラッドの話しを聞く限りでは赤狼は実験動物の様な物だったのだろう。それの成功例がマコトを襲ったあの獣たちで、失敗例が死体となった物だと考えればすんなりと納得できたのだ。そしてのそ過程で姿形が代わってしまったとしても、常識ではないとしてもそういう事もあり得ると漫画やゲームでいくらでも見てきたマコトからすれば、受け入れやすい事ではあった。
「さて、ここまで話せばわかるだろうがあの魔獣たちは自然に湧いて出てきたものじゃねぇ。明らかに人の手がかかっていやがる」
「その犯人がこの森のどこかに潜んでいて、キールを連れ去った可能性があるってことだな」
「そういうこった。まぁ可能性じゃなく十中八九そうだと踏んでいるがな。この厳戒態勢もその為だ」
グラッドを中心に集まった戦士たち。皆一様に表情は引き締まり、瞳には微かに暗い影を宿している。これはおそらく、怒り、だろう。何ものかはわからないが、彼らの森を犯し仲間を連れ去った者へと向けられた暗く鋭い感情。
「俺はその犯人捜しを手伝えばいいってわけだな?」
「ああ、ディンから聞いたがお前さん、星海図は使えんだろ?」
「母さんの魔法なら全部使えるぞ」
「ハッ、そいつぁ頼もしい限りだ。仮にも神位に列された魔術師の魔法全てを使えるたぁ大した虚言だがそれくらい豪語できるなら頼もしいわな」
明らかにムッとした表情を浮かべるマコトにディンは慌ててメグミを見る。黙って話しを聞いていた彼女は薄く微笑んでマコトの手にそっと触れる。まるで落ち付けと言わんばかりの行動に、けれどマコトはそれ以上言葉を開く事は無かった。
「さっ、一通り状況が分かったところでそろそろ本題よ。キールの馬鹿を探しに行くわ」
締めるように告げたディンに、マコトは黙って頷いた。
● ● ●
森を歩く一行の雰囲気は殺伐としていた。
目深にフードを被り、やや前傾姿勢でゆっくりと歩く。適度な感覚で散った戦士たちの表情を隠すフードの下の視線は鋭く左右へと向けられ僅かな痕跡さえも見逃さない。
獲物を探す飢えた獣、あるいは破裂寸前の爆薬と言った雰囲気だ。
「…………」
マコトもまた無言で魔法を展開する。周辺の索敵・感知をする星海図。それを村を出てからずっと展開し続けていた。
「ねぇ、それずっと使い続けているけど魔力がもつの?」
「なんだよ、使えって言ったのはそっちだろ」
「いや、そうだけどさ」
気まずそうに言い淀むディン。それを見てマコトは苦笑した。
「悪い、言ってみただけだ。これくらいの範囲なら大丈夫だ。この魔法は制御さえ出来れば魔力はそんなに食わない使い勝手の良い魔法だよ」
右手に掲げる魔法陣。その魔法陣は白い光を放ちながら稼働を続けている。
めったに、いや、ディンの知る限りこれほど高度な魔法を見た事がない。それをさも当然の様に平然と使い続けるマコトにこれ以上の追求の言葉を一瞬忘れてしまう。
「この世界の魔法ってやつはつまるところ魔法を構築するまでの難易度で等級が決まってるからな。まぁ籠める魔力量によって発動するしないもあるけどさ、それでも構築まで出来れば魔力消費が少なければ維持するのも苦じゃねぇよ」
「でもあんた、前に本調子じゃないみたいな事いってなかった?」
「ああ、それは変わらねぇよ。でも星海図は魔力消費の燃費はいいんだ。構成が複雑ってだけでな。もしこれで魔力消費も大きかったら龍位にでもなってたんじゃねぇかな。てか、これはそれぐらいに便利で有用な魔法だし、だからこその王位魔術なんだろうけど」
「…………」
言葉を失う、というのはまさにこのことだろう。
この世界の魔法には階級分けが存在する。
初級、中級、上級と呼ばれる基礎魔法。
王位、龍位、神位と呼ばれる階位魔法。
基礎魔法は魔術師を目指す者ならば必ず到達しなければならない目標地点だ。ただし一般人レベルで魔法を使うのなら初級を納めただけで十分であり、戦闘として用いるのなら中級まで納めればそれで十分である。上級にまで到達すれば一般的には魔法を極めたと言えるだろう。上級魔術師なら王国や帝国で魔術団の顧問として永久就職だって可能だ。
そしてその上、階位魔法は一通りの魔法を修め、ある地点にまで到達した者がさらなる上を目指す超常の世界。階位魔術師に到達するという事すなわち、魔導へと至る事に他ならない。
その中の一つである王位魔術。これは英雄『《赤の武王》』グラッド・フォスターと同じ階位だ。英雄とされる彼でさえこのレベル。ディンに至っては中級魔法を操るのみだ。
にもかかわらず。
さも当然のようにマコトは操って見せた。王位魔術を。自分が本調子ではないと言いながら。
わけがわからない、とディンは思う。
自分は紛れもなく天才肌であるとの自覚はある。それは血筋で片付けたくはないが少なからず影響しているのだろうとは思っている。なぜなら英雄の娘である自分はこの戦士の集まりである真紅の烈兵の村で抜きんでた実力を持つからだ。
それでも彼に魔法を使われれば圧倒される可能性すらあると本気で思う。間合い次第では手も足も出ないだろう。
それなのにその当人はその事をあまり理解していないのか平然と高位魔法を使い、こうして要請に応じて協力までしてくれる。
この世界での魔術師は閉鎖的だ。特に高位魔術を持つ者ほど使いたがらない。それが有用で利便性のある魔法なら尚更だ。それをあろうことか出会って数日のあまりいい思い出もない人物の探索に当てるなど考えられない行為だ。
恐ろしい。けれどそれ以上に掴めない。
それが今のマコトに対するディンの評価だ。
だから見極めようと思っていた。この機会に、都合が良いと言ってはキールとリーアに失礼だが、それでもこのチャンスに彼を見極める。
涼しい顔で王位魔法を使い続けるマコトの横顔を盗み見ながら、ディンはそう新たに決意した。
「――――止まってくれ」
不意に発したマコトの言葉に、戦士団の全員がピタリと足を止めた。
翳していた左の掌を上へと向ける。すぐさま魔法陣がそれに合わせ空中へと浮き上がり、全員に見えるように持ちあがる。
それは現代の探知レーダーの様な印象だ。魔法陣の中をくるくると回る円の中に浮かぶ光点、その先に固まる複数の光点。すぐにそれが自分たちと、そして敵の位置を示しているのだと理解した。
「この先に何かいる。まぁ、十中八九敵だろうな」
「でしょうね。それでマコト、キールの位置は?」
「今の時点じゃわからねぇ。ただし、この先に何かあるのは間違いないと思うぜ?」
視線を投げるマコトにディンはコクッと頷いた。
「一班と二班は左右に展開し索敵開始。接敵と同時に攻撃に移れ。その間にわたし達は間を抜けて先へと向かう」
放たれた指示に緑のフードを一層目深にかぶり直した戦士たちが音も無く森へと駆けていく。その様子を見守るディンは既に完全にスイッチが入っていた。
「マコト、この先にキールがいる可能性は?」
「五分だ。だがこの配置を見りゃわかるが相手も警戒しているのは確かだろう。いなくても何かしら手掛かりはあると思ってもいいと思うがな」
自らを示す光点の先に、いくつかの固まって動く光点が点在する。それはまるで近づく者を警戒するかのような動きだ。
「同意見だ。ではこれより突撃を開始する。遊撃班は他の二班が交戦中であっても構うな、接近してくる敵にのみ弓で威嚇しつつ前進。キールを発見の場合は対処にはあたしとマコトで当たる。他の者は周囲警戒を。回収の後離脱。発見できない場合は周囲を確認し次第速やかに撤退する」
いいな、と赤い瞳が訴える。それに無言で頷く戦士はマコトを含めて四人。
「では行くぞ」
言葉と同時にディンが走りだす。その姿はさながら赤い閃光だ。
前傾姿勢で縫う様に森をかけていく。それに緑の影が追づいする。あっという間にマコトは置いてけぼりだ。
「っくそ、こっちの事も考えろよな」
悪態をつきながら、それでもマコトも全力で追いかけた。彼らとくれ比べればドタバタという形容ができてしまうくらい走りに冴がない。けれどこれが普通だ。なにせマコトには森の中を全速力で、それも地面のあちこちから飛び出る木の根や進行を妨げる様に伸びる木の枝を交わしながら走る術など当然ありはしないのだから。目の前の連中がおかしいと自分に言い聞かせる。
猛スピードで駆けていく緑の背中を追ってすぐ、戦闘の音を聞いた。
速度は落とさずに視線だけを横へと向ける。
森にまぎれる緑のフードを被った戦士たちがマコト達の道を確保するように左右で戦っている。相手は獣だ。緑狼が多いが、始めてみる獣もいる。だが、その全てが黒い呪いに犯された様に斑模様が全身を這っている。
「ディン」
「余所見をするなマコト! あんたの役割はこの奥に在る!」
一喝で二の句を封じられマコトは黙る。戦士としてスイッチが入ったディンは普段とは百八十度真逆だ。
「――――見えた!」
獣たちと刃を交える戦士を置いて走り抜けた先、ディンがそう声を上げた。
森に隠れるようにひっそりとそれはあった。僅かに覗く暗い穴はその奥へと続いている事を予感させる。
「マコト、先は?」
「続いてる。でもなにがあるかわからねぇぞ」
「わからない?」
「見えないんだ。星海図に反応が現れない」
「そ。なら間違いなく何かがあるってことね」
弓を背中から外し左手に構える。矢はまだ筒の中。けれど弓の両端に付いた刃がきらりと光る。
「マコト、このまま突入する。灯りを」
「――――光玉」
返事代わりに右手から光の玉が数個飛んでいく。そのまま先行するように洞窟へと入っていき内部をほんのりと照らし出す。
「続け、真紅の烈兵」
言葉と共に、ディンは洞窟へと飛び込んだ。
光球がうっすらと照らすそこは自然の洞穴だった。
霊峰イフェスティオの眼窩に茂る森林地帯・熾火の森はイフェスティオが噴火した時の影響で火山道による洞穴がいたるところに在る。これもその一つなのだろう、人が二人並んでも優に通れるだけの横幅を備えたそれは緩やかに降下しながら奥へと続いていた。
「――――」
素早く辺りを見渡したディンはひとまず入口に何も無い事を確認する。後から続いて飛び込んできた戦士達に目配せをし、中腰になりながら弓を構え奥へと進んで行く。
「マコト、あんたはいつでも例の魔法をぶっ放せる準備をしておいて」
例の魔法、というのは光鎖の事だろう。マコトが使う魔法の中で特にディンの印象に残った魔法であり、攻撃においてマコトが頼りにする魔法である。
「わかった」
必要最低限だけを返し、ディンを戦闘にした隊列の一番後ろに着く。他の戦士たちはディンの左右を守る様に反りのある肉厚の剣を構えている。キールが使っていた物と同様の、凶暴な獣と打ち合いになっても折れない頑丈な剣だ。元の世界でいうところのククリナイフに近いだろう。
「…………」
会話は一つも無く、ハンドサインだけでディンはスムーズに奥へと進んで行く。
マコトの光玉だけを頼りにした心もとない光源のみの潜入は痛いほどの静けさと洞窟の圧迫感でマコトに重圧をかけてくる。
それにじっと耐えるように耐えるように、戦士たちの後へと続いて奥へと進むと、何やら物音が聞こえてきた。
「――――っ!」
人差し指を唇にあて、静かに! というジェスチャーを見せるディン。同時にぴたりと足を止め、そこからゆっくりと屈むようにして再び前進。
ハンドサインだけが素早く繰り出され、剣を構えた戦士二人がぴったりとディンの後ろに付いて続く。もう一人は一人分感覚を開け、さらに一人分感覚を開けてマコトが続く。ディンの合図で二人が即座に奇襲、マコトはフォローの隊形だ。
「…………」
曲がり角の様な場所に到達した。奥からは光が零れ、人影が伸びている。
間違いなく、いる。そして声は先程よりも明瞭になり、だんだんと内容がハッキリとし出す。
共に男のものであると分かる音で、一つは一方的に語りかけるように、あるいはどなりつけるかのようで。もう一つは低く呻く様にくぐもった音。あるいは口が聞けないほどの状態なのか。
音だけで伝わるその様相はまるで、
「――――尋問、か?」
ぽつりとマコトが声を漏らす。それはごく小さな呟き。にもかかわらず、静寂な水面を打ったかのように洞穴内に響いた。
「――――」
ピタリと声が止む。しまった、とマコトが思った時にはすでに始まっていた。
「――――行け!」
鋭いディンの掛け声とともに戦士二名が躍り出るように駆けだし洞穴の奥へと突撃を仕掛ける。
通路を曲る二人の背中を追う様にディンが続き、もう一名と共にマコトも慌てて後を追う。
「キール!」
そんな悲鳴にも似た声は通路を折れた瞬間に響いた。
「――――ッ!?」
折れ曲った通路の先はこれまでとは違い、まるで室内の様に広い空間だった。十畳は優に超える洞穴内は中央に置かれた燭台により煌々と照らされている。
その灯りの中心、打ちつけられた太い丸太に縛られる様にしてキールがぐったりともたれかかっていた。両手はロープで縛られ丸太の天頂にくくりつけられ、まるで吊るされている様な姿だ。服装は戦士のそれであるが、一目見てわかるほどにぼろぼろで、顔は殴られたのであろう右目は腫れ上がり口元には血が滲みあちこちが痣だらけだ。
「…………」
ぐったりと俯いた様は生きているのすら判別がつかない。そしてそのような目に合わせた相手はその先、洞穴の奥へと続く通路の手前に立っていた。
「おやおやおやァ、やはり戦士一人を拐せばこうなりますかァ」
癇に障る良く響く声が洞穴に木霊する。キーの高い声音は第一声でマコトの心をいらつかせた。
「マコト、キールを!」
ディンが矢を番えながら声を荒げる。戦士たちはディンの左右を守護するように抜き身の刀を構え声の主を睨みつける。けれど、それ以上先へと動きはしない。
漆黒のローブを羽織った男だった。フードが付いたそれを目深にかぶり、僅かに口元が見えるのみ。ピッタリと閉じられたローブの中は着ている服さえもわからない。中央に置かれた燭台から離れ、奥へと続く洞穴の影の一部に浸る姿はまるで影の一部の様でもある。
そしてその手前に、男を守る様に睨みを利かせる緑豹が四匹牙を剥き出しで低い唸り声を上げていた。
「――――」
睨みあう戦士と獣たち。その光景を余所にマコトはディンの指示に従いキールの元へと駆けつける。すぐさま縄を剣で斬りキールを解放する。
「ヒュー……、ヒュー……」
僅かだが呼吸が聞こえる。気を失っているようだが、命を失ってはいない事は確かなようだった。
「――――大・治癒魔法」
一番傷の酷い顔へと掌を掲げ魔法陣を展開。普段メグミに掛けているのとは違う強めの治癒を施していく。すぐさま魔法陣を通じて掌から強い光が発せられキールの傷を癒していく。
一番傷の酷い顔へと掌を掲げ魔法陣を展開。普段メグミに掛けているのとは違う強めの治癒を施していく。すぐさま魔法陣を通じて掌から強い光が発せられキールの傷を癒していく。
「おやおやァ、白魔法、それも方陣魔法ですかァ? てぇっきり赤の防人は赤魔法しか使えないとばかり思っていたのですがねェ」
フードの奥から甲高い声が発せられる。それに応じるように一歩前へと踏み出したディンたちへ、緑豹が牙を剥き出しにして牽制をかける。
「しっかしィ、宴をしているからと興味本位に覗いてみれば、それにつられてひょっこり現れたバァカな戦士を生け捕り、まではよかったんですがねェ。やはり腐っても戦士の村、勇者の剣を守護する赤の防人だけあって行動は迅速、でしたねェ」
まるでくすくすと笑い声が聞こえてきそうなくらいおちょくった言葉だった。獣に守られたフードの男は余裕綽々と言った様子でディンたちを見つめる。
「勇者の剣は《赤の武王》が守護している様ですがァ、ここであなた方までも人質にとれればァ、手に入るかもしれないですねェ」
「ハッ、ならお前は勇者の聖剣が目的だと?」
悦に入ったように一人で語っていた男にディンが口を挟む。声のトーンだけで怒りに燃えているのが良くわかる。
「えぇ、その通りですよォ。けれど過去幾度となく奪取を試みられてきた聖剣はその悉くを《赤の武王》に阻まれた、と聞き及んでいましたからねェ、色々と準備をして体よく捕虜を捕まえては見たもの、これが思いのほか頑固者でしてェ、いっこうに口を割らないときたもんだァ」
ゆらり、とローブが揺れた気がした。同時に男の身体全体から魔力が湧きあがるのをマコトは感じ取る。
「聞いて効かぬならァ、別の手段に訴えるべき、ですよねェ――」
「――――光玉!」
ローブの奥から得体の知れない魔力の発動を感知したと同時に、マコトは叫んでいた。
掲げた右手から光の玉が勢いよく走りだし、睨みあいを続けていた緑豹の頭上を越えて男へと襲いかかる。
一直線に放たれた光の弾丸は、けれど男が放った黒い光によって討ち阻まれた。足元から立ち昇る様に現れた黒い光は光玉の直撃を受けて相殺するよに消し飛ぶ。
「なんと、黒い盾が相殺されるほどの白魔法とは……」
呟かれた言葉は先程までの人を苛立たせるものではなくなっている。本当に驚いたかのような声音、けれどそれはマコトも同様だった。
いくら咄嗟に放った光玉とはいえ、相殺されるとはまったく思っていなかった。
「真紅の烈兵――ッ!」
ディンが吠えた。呼応するように戦士二人が剣を構えて走りだし、相対するように緑豹が牙を剥く。
「シッ――!」
矢を弓に番え、ニ連三連と速射する。赤い流星は二体の緑豹を牽制し、その隙に戦士二人が残りの二体へと斬りかかった。
(マコトの魔法が防がれるとはね、あのフード、高位魔術師ってわけ?)
内心でごちるディン。険しくさせた視線を向けながら素早く矢を射かけていく。
「おぉっとォ、危ないですねェ」
ローブをはためかせうっとうしそうに矢を弾く男。足元から影が湧きあがったかのように立ち昇る黒い壁がディンの矢を防いでいた。
「そろそろお暇しますかねェ」
「させるかよ!」
左手を翳し星海図を発動。瞬時に広がった光の波がエコーの様に周辺を索敵、洞窟内に出来た部屋がマコトの知覚範囲に置かれる。
「光鎖――」
フードの退路を塞ぐため、背後から魔法を放とうとしたマコトは、それを感知した。
「ディン、逃げろ――っ!」
「…………え?」
突然の言葉に僅かに動きが鈍る。それを好機と捉えた緑豹が大口を開きディンへと飛び掛かる。
「くっ――、――――え?」
咄嗟に身構えたディンはそれを見た。そして慌てて身を翻し一も二も無くその場を飛び退く。
今まさに噛み砕かんとばかりに飛び掛かった緑豹は、空中へ飛んだ体制のまま、背後から突如遅い掛かった黒い影に叩き潰された。
「GUOOOOOOOOOOOOOOOUU!!」
大地を砕かんばかりの衝撃と共に迸る咆哮。
洞穴の奥、フードの男の背後に潜んでいた獣が解き放たれた。
「嘘でしょ!?」
洞穴内を振るわせる咆哮を放つ獣を見つめ、ディンが目を見開く。寸前の所で飛び退いていた戦士二人も呆気に取られた様に動きを止め、仲間を潰された緑豹は委縮したのかソレを前に縮こまっている。
緑色の体毛を黒き斑に覆われた巨躯。外へと溢れだした血管の様に脈動する黒斑がその身体を今まで以上に大きく見せている。
唸り声を上げる口元から覗く牙は獰猛で、力強く振るわせる爪は凶悪だ。瞳は血走ったように赤々とそまりマコト達を睨み見る。
「緑大熊……」
ぽつりと零れた言葉には明らかな恐怖が滲む。
「では、退散するとしましょうかねェ」
ただ一人愉しそうに、フードの男はそう告げた。
明日も更新します