第十話 消せない葛藤
まさか、という驚きと。
やはり、という納得感。
いったい表情に表れたのはどちらか。気がつけばマコトは剣を下ろしていた。
「ほぅ。信じる気になったか」
「……信じるもなにもない。俺たちを騙したところで特になる事があるとは思えねぇし、騙すにしたっていきなり親父の名を出せる奴はそういないだろうしな」
その言葉が気に入ったのか、グラッドは笑みを浮かべると招くように手で扉を示す。
「ひとまず、話しは中に入ってからでいいだろう。
ようこそ我が友の息子よ。そしてお連れのお嬢ちゃんに天空神の仔よ。歓迎しよう」
歴戦の士とでも言える男に恭しく傅かれるのはまるで悪い冗談か何かのようだ。マコトは盛大に顔をしかめ、それでもその言葉に乗るかのように一歩前に踏み出す。剣は左手に持ち替え、右手でメグミの手を握る。
「あ、良かったら剣はあたしが預かろうか?」
警戒を解いたディンがマコトの隣にやってくる。咄嗟の事に弓を構えた彼女だったが、マコトに戦う意志がない事を確認し、その態度は既に元に戻っていた。
「ああ、悪い。頼む」
「ん、確かに。でも提案しといてなんだけどさ、随分とあっさり自分の武器を預けるのね」
気軽に手渡された剣を手に、思わずそんな感想が零れた。
「預かるって言ったのはそっちだろ。それにこの剣はそもそも俺の武器ってわけじゃねぇ。たまたま丁度よくあったから使っただけだ」
「いやいや、そいつぁ違うぜ坊主」
浴衣の両袖に手を突っ込んだ状態でグラッドが振り返った。細められた視線はどこか懐かしそうに剣に向けられている。
「その剣は確かにお前さんの剣だよ。なにせ炎神様が認めたんだからな」
「あん? 炎神ってあの女神像の事か?」
「そうとも。神々の終焉以降その御姿こそ現れなくなったがな、今なお神々の意志はこの世界にある。あの女神像はその寄代だ。それを介し確かに選ばれたんだよ、お前さんは」
「意味がわかんねぇ」
「ま、そうだろうな。――っと、立ち話の話題でもねぇ、ほれ、さっさとこっちに来な」
くいっと首を返し、来いと指示を投げてくる。隣を見ればディンは肩を竦めた。
そのまま先導するグラッドに着き従いリビングと思わしき広々とした部屋へと案内される。
来客をもてなす場所でもある様で、大きめのテーブルが用意され、幅広のソファが囲う。テーブルの一番奥のソファに腰を降ろすとグラッドは適当な場所へ座るよう身振りで示した。
立っていても仕方がないとマコトは机を挟んで正面、グラッドと直接対面するように腰を降ろす。僅かに緊張した面持ちのメグミはピッタリと寄添う様にマコトの隣に座った。
今までずっとメグミの傍で浮かんでいたヒスイはマコトが警戒を解いた事で敵ではないと理解したのか、一変して甘えるように彼女の胸にすり寄りそのまますっぽりと抱きとめられて腕の中で丸くなる。
「さて、まずは自己紹介とでもいこうかね。俺はさっき名乗ったからな、ほれ」
どこか距離を置くように、グラッドの物とは違う、隣のソファに腰を降ろしていたディンが僅かに笑みを浮かべて二人を見た。
「改めて、ディン・フォスターよ。まさかとは思っていたけど、あなたやっぱり勇者の息子だったのね。来る途中にも言ったけど、あたしはここにいる偉そうな親父の一人娘。よろしくね」
「おいおいディン、偉そうとはなんだ偉そうとは。言っておくがな、偉そうではなく実際に偉いんだぞ?」
「はぁ……。そういうところが偉そうだっての。てかいつまでも老人に威張られてもこっちがたまったもんじゃないっていい加減気づいてよね」
「ほう、そういう態度で来るか。だが気づいて欲しかったらおまえたちこそいい加減俺を超える者を出すんだな。そうすりゃ喜んで引退だ!」
カッカッカ、と大笑いするグラッドに、「敵うわけないでしょ、この化け物」と愚痴を零すディン。親子というよりも気の合う友人同士といったやりとりに、まだ張りつめていた空気が和らいでいく。
一通り笑った後でグラッドはおもむろに視線を投げかける。なぜか不機嫌そうな表情をしているマコトを見る瞳が、次はおまえの番だと告げている。
「武藤誠だ。アンタが言ったように、此処とは違う世界から来た」
「ふむ。ムトウ・マコト、か。やはり名は同じという訳だ。なら、ヤマトとシャロンの息子で間違いないな?」
確かめるような言葉。父どころか母の名まで告げられマコトは頷く。そして確信に至る。
この男はかつて英雄であり勇者と呼ばれた父の右腕であった男。そして、勇者として召喚された父に戦闘の全てを叩き込んだ張本人。
「《赤の武王》グラッド・フォスターってのは、アンタだったのか」
「ほう、懐かしい通り名だ。なんだ、姫さんにでも聞いたのか?」
「ああ、クソ親父の話しは嫌になるほど聞いてきからな。その中でアンタの事もさんざん聞かされた」
「シャロンの話し好きも、変わってはいないようだな。――ああ、安心した」
呟くように漏れた声音は優しく、まるで兄が妹を気遣うような、そんな色を含んでいる。
「さて、最後はそっちのお嬢ちゃんか。まさかシャロンの娘じゃあるまい?」
「あ、はい! 白崎、愛美です! えっと、マコトちゃんの、幼馴染です!」
急に矛先を向けられ緊張したように告げて、ヒスイを抱いたままぺこりと頭を下げる。その姿がおかしかったのか、グラッドは喉で笑う。
「なかなかに可愛らしいお嬢さんだ。しかし見たところ普通のようだが……」
「あたりまえだ、メグミは戦いどころか魔法一つ使えない」
「ほぅ……。しかしその割にはその竜種は懐いているようなんだがな」
メグミに抱かれたままじっと動く事のないヒスイへと、まるで不思議な生物を見るような視線を向ける。一方のヒスイはお構いなしにメグミの腕の中で丸くなったままだ。ピンと尖ったままの耳を見ると未だ警戒は怠っていないようだが会話に混ざる気はないらしい。
「ヒスイの事か? それに関しては俺も不思議なんだ、どういうわけかこいつはメグミに懐いてるし、守ろうとしている」
「――ふむ。普通竜種が人間に懐くなど有り得ないんだがなぁ。というよりも、ここまで完璧な竜種が存在している時点で驚天動地だ。――しかし、見た限り完全に気を許しているときたもんだ。別段、特に魔術で従えたわけでもないと?」
「それ、やるにしても時間がかかるだろ? まだ出会って二日目だ。つーか出会い頭にこいつが抱きしめて、むしろメグミがヒスイに懐いた感じだな」
思い出したのか、どこか呆れた様に言葉を零すマコト。それに軽快な笑いが響く。
「はっはっ、そいつぁ何とも興味深い。しかしまぁ、これもある種の資質というやつだろう、竜種に好かれるなんぞ稀有な才能だ。ヒスイ、と言ったなそこの竜種は。どうやらよほどアンタが気に入った様だぞお嬢ちゃん、精々大切にしてやると良い」
「あ――、はい!」
嬉しそうに抱く力を強めるメグミ。それに応えるかのように「きゅー」と一声ヒスイが鳴く。メグミに抱かれて丸くなっているヒスイはとても幸せそうだ。
「はい二人とも、どうぞ」
いつの間にかディンが飲み物を用意してきており、木で造られたコップにまるで麦茶の様な琥珀色の液体が注がれて供される。
「ありがとう、ディン」
「どういたしまして。おかわりなら在るから遠慮なくね。喉、乾いてるんじゃない? 口に合うと良いんだけど」
初めの出会いから、まるで気安い口調になったディンは優しげに二人を気遣う。
「聞きたい事がある」
――口に合うと良い。
その言葉はディンが彼ら二人が異世界から来た事を納得しているからこそかけられた優しさだ。さも当たり前のように親子二人が異世界から来たという前提で話を進めている事に気づき、マコトは無遠慮に言葉を投げかけた。
「どうしてあんたらはそうやって俺たちが別の世界から来たなんていう与太話を簡単に受け入れているんだ?」
「なんだ、そんなことか」
簡単だ、と言って手をひらりと持ち上げる。マコトにとっては重要な質問にも関わらず、まるで世間話でもするかのような気軽さで口が開かれる。
「それが与太話なんかじゃなく、現実として起こりうる出来事だって事を知っているから、だな。ディンには寝物語としてガキの頃なんかにはよく語って聞かせたもんだがな、英雄・ヤマトによる救世の物語は此の世界じゃあ誰もが子供の頃に聞かされる英雄譚だ。物語の始まりはおまえの母であるシャロンがヤマトを異世界より召喚するところから。ならほれ、そういう事があると俺たちが信じて疑わないのも納得だろう?」
「それにさ、あたしが聞いてきたのは単なる寝物語じゃなくって父さんの実体験。ならほら、これ以上にないってくらいの証人がそうだって認めてるんだから、むしろ信じないほうが逆におかしいってものよ」
グラッドを引き継いだディンの言葉に納得せざるをえなかった。
確かにそれが当たり前に在った出来事として聞かされていたのなら信じるだろう。マコトがこの世界が母の故郷である異世界だと何の根拠もなく信じたように。
「だから、簡単に信じたと? それでも俺がその勇者とやらの息子だとは限らないだろう? それにもしかしたらその話しを聞いた奴があの剣を奪うためにでっち上げた可能性だってある」
「ま、それがそこいらの剣なら、の話しだわな」
「どういう事だ?」
「おめぇさん、その剣を手に入れる時、なにか起こらなかったか?」
「? 何かって……」
「あ、マコトちゃんほら、女神さまの瞳が光ってそれで剣が出てきた。あれの事じゃない?」
「ああ、そういやそんな事もあったな」
もう過去の記憶だと言わんばかりにポンと手を叩くマコト。実際此処に来るまでが色濃すぎでその出来事はすっかり記憶から抜けおちていた。
「そいつはな、炎神アリスによって封印をされていた剣なんだよ。炎神様が認めた者以外が使えないようにってな」
「なんでまたそんなことを……。まぁ、確かにすごい剣だってことはなんとなくわかってはいるけどさ」
思い返すのは獣相手に振るった一太刀だ。
まるでマコトの魔力を媒介にでもする様に、白銀の剣線が剣から伸び、獣どころか遠くの岩壁までも切り裂いた光の一撃。
普通の武器ではあのような事はまず有り得ないだろう、それこそ、神々の武器とでも言われた方がしっくりとくる。
「その剣の銘は【絶対の一】。別名を大地神剣クロノス。かつて神々の終焉に於いて主神クロノスが振るい、悪神・プルトナスを打倒した神剣であり、二十年前の魔王戦争にて勇者ヤマトが振るった聖剣だよ」
「クロノス……」
「ああそうだ、姫さんから聞いたことなかったか?」
ニヤリと笑うグラッド。マコトは思わずと言った表情で壁に立てかけられた剣を見る。
「ねぇマコトちゃん、クロノスってなに?」
メグミがきょとんとした表情で問いかけた。
「ああ、クロノスってのは炎神アリスと同じこの世界の神様の名前だよ。大地神クロノス。またの名を全能神。全ての神の頂点に君臨する父神。それがクロノスだ」
「じゃああの剣は一番偉い神様の剣ってこと?」
「まぁそうなるだろうな、なにせ全能神の名前がそのまま付いているくらいだし」
確かめる様に視線を向けるとグラッドは満足げに頷いた。
「良く俺たちの世界の事を学んでいるじゃねぇか」
「まぁな。ガキの頃は神様とか神話とか、そういう話しはわりと好きだったからな」
「確かに神々の物語は子供心を惹く、特に男の関心を掴むにはもってこいの話しだからな。だが、この世界じゃあ神は実在し、神話は実話だ」
「え、そうなの!?」
「魔法だってあるくらいだ、神様だって実在するんだよ。俺たちの世界から見ればこの世界は本当にファンタジーそのものだからな」
「じゃあ本当に神様が使っていた剣ってことなの?」
「そうなるだろうな」
視線を向ければグラッドは大仰に頷いた。
「神々の武器ってのはこの世に実在する代物よ。そんでこの神々の武器は誰しもが扱えるわけじゃあねぇ。それを振るった神々に選ばれて初めて使う事が許される、特別な武器なのさ」
「ん? ちょっと待て、この剣はアリスの像からでてきたんだぞ? その理屈通りならコイツはアリスの剣ってことになるんじゃねぇのか?」
「実はそれがちと複雑な事情でな、まぁその事情こそがおまえさんがヤマトの息子たる証拠に成るんだが」
ぐっと身体を前のめりに乗り出し、おもむろに右手の拳を翳す。パッと掌を開くと、勢い良くグラッドの掌から炎が迸った。
「わっ!?」
「炎神アリスはその名の通り赤の魔法色を司る神だ。俺はもちろんの事、同じく赤を宿したヤマトにとってもアリス様は守護神ってわけだ」
再び掌を握ると炎は何事もなかったかのように消失する。思わずマコトの腕にしがみついていたメグミは目をぱちくりとさせながらこくこくと頷いた。
「いちいち魔法を発動しなくていいから要点を言え」
「ははっ、お前の姫さんを驚かせちまったようだな。でもまぁいいじゃねぇか、こういうのも御愛嬌って奴だ。――っと、話しに戻るがヤマトはお前さん達の世界に戻る時、あの神剣についてどうするかを考えた。誰もが使える代物じゃねぇことは確かだったが、だからと言って価値がない訳じゃない。元々この剣はヤマトが扱うまでは誰も扱えない価値があり過ぎるだけの骨董品。むしろその価値すら怪しまれるほどの遺物だった。王家に代々伝わることで漸く価値を保っていられた、そんな代物だ。それを勇者ヤマトが現れその剣を引き抜き魔王を討伐することで一気に表舞台入りよ。魔王を倒した勇者が振るいし伝説の聖剣ってな具合の付加価値を付けてな。つまり、世界を救ったというシンボルだ。なら、それを扱えなかったとしても所持さえしていればそれだけで勇者ヤマトの加護がある、とお偉方は考える訳だ。勇者ヤマトに認められ選ばれたってな」
「俺らの世界の錦の御旗と同じってわけか。それがあるだけで勇者――つまり絶対正義を掲げる事ができる」
「その通りだ。そして魔王がいなくなった後の覇権争いの道具にされちまうってことだな。その事はまぁ、容易に想像がついた。だからこそヤマトは剣を封印する事にした。だが、そこで問題が生じた」
「問題?」
「そうだ。確かにヤマトは大地神に選ばれちゃいたが、だからと言って大地神がヤマトの守護神であったかと言ったらそうじゃない。大地神は特殊でな、全ての人々を見守る神であり、同時に全ての守護神たり得ない存在なのさ」
「どういう事だ?」
「人は皆魔法色を持つが、大地神クロノスに連なる魔法色はない。むしろ五つの魔法色は大地神より生まれ他の神々に与えられたもので、それが俺たち人間にも齎された。通常守護神ってぇのはそれぞれの持つ魔法色の神だからな、故にヤマトは己の守護神であるアリス様に大地神剣を託す事にしたってわけだ。クロノス様の実の娘であるアリス様になら真剣を託しても問題ないだろうってな」
「だからアリスの像から出てきたってわけだな」
「その通りだ。もちろん誰もが剣に選らばれる訳じゃない。その選定は新たな剣の守護者たるアリス様が下す。だから本来赤の魔法色を持つ者が選ばれる可能性が高いと思っていたんだが、」
「俺はそうじゃないな」
「ああ。そしてそれこそがお前がヤマトの息子と信じる理由だよ」
「あん?」
「わからなぇか? アリス様はお前の中に流れるヤマトの面影を捕えたのさ。王妃シャロンの魔法色を受け継ぎ勇者ヤマトの力を継承したおまえの、な」
真っ直ぐに向けられた瞳はひたすらに力強く、純粋だった。グラッドが大袈裟な事を言っている訳でも嘘をついているのでもな、ただ純真に本音を告げていた。
だからこそ、マコトの胸の去来したのは、嫌気だった。
「ああそうかよ。ったく、随分ともったいぶった大袈裟な話しだと思いきや、神が俺の中に親父の面影を見ただと? はっ、それだけで全能神の剣を齎すとかなんなんだ? あの親父はそんなに偉いってか、くだらなぇな!」
「マコト?」
「で、選んだ後はなんだ? 今度は世界でも救わせようってか? あの糞野郎の息子なら体よく使えるだろうってか? ふざけんじゃねぇぞ! そもそも何様だおまえらは、勝手に他の世界の人間呼んでおいてこっちの迷惑なんてお構いなしか? 今度はどんな事情で呼び出したのかしらねぇけどな、てめぇらの世界の事くらい自分たちで何とかしやがれよ。調子いいこと抜かしてんじゃねぇぞ」
一変して嫌悪の表情を浮かべたマコトはまくしたてるようにそう口にすると、荒々しく席を立ちそのまま場を後にした。
床を踏み抜くかのように苛立ちを露わにした足取りで、そのまま乱暴に戸が閉められる。呆気に取られるグラッドとディンを前に、追いかけずにその場に残ったメグミが申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい、マコトちゃんお父さんのお話しになるとああなっちゃうから」
きゅっとヒスイを抱きしめたメグミは哀しそうに瞳を伏せる。
それはマコトの態度を悲しんでいるのではなく、そうせざるをえないほどに父を嫌悪する事になった現実を嘆いているようだった。
「…………そうとうに拗れちまっている様だな、ありゃ」
「というか、いったいどうしたわけ? 唐突過ぎてすごいビックリしたんだけど」
「うん。その、ね。マコトちゃんにとってお父さんはこの世界を救った勇者さまである前にたった一人のお父さんなの。だから、よけいに許せないって、きっとそう思ってるんじゃないかな」
「許せない、か。そいつぁ難儀なことだな」
「ていうかどういうこと? あたしには話しが見えてこないんだけど」
首を傾げるディンに、メグミはもう一度きゅっとヒスイを抱きしめる。温かな腕に包まれたヒスイは彼女の悲しみを感じてか、まるで安心させるかのように腕に垂らした前足でメグミの手を撫でた。
「マコトちゃんのお父さんは、この世界では世界を救った英雄で勇者さま。わたしもね、その事はマコトちゃんのお母さんからも話しを聞いて来て知ってるの。だって、いつもすごく嬉しそうに話してくれるから。でも、いざこの世界の人たちからそいう話しを聞かされるとすごいんだろうなって思う反面、わたしにとっては全然別の、マコトちゃんのお父さんじゃない、違う誰かの話にも聞こえるんだ。だって、当の勇者さまは自分の家族を残してもう十年も前に行方不明なんだから」
「えっ……、行方、不明……?」
「うん。ちょうどわたし達が小学校に上がった後の事だから、もう十年も前。突然なんの前触れもなくいなくなっちゃったってマコトちゃんが言ってた。それ以来ね、本来お姫さまであるはずのマコトちゃんのお母さんは夜遅くまでずっとお仕事をして、一生懸命お金のやりくりをしてでマコトちゃんを育てたの。それをマコトちゃんも知っているから早い時期から年齢を偽って色々なアルバイトをしてお金を稼いでお母さんの手助けをしているんだ。
ねぇディン、信じられる? 世界を救ったはずの勇者さまが、その後に一番守らなきゃいけないはずの家族を残して消えちゃうなんて。
ハッピーエンドで終わるはずの物語が、実はその後でお姫さまとその子供がすごく苦労して生きてきたって現実を。
前にね、マコトちゃんが一度だけ言った事があるの。世界を救う事はできるくせに家族を守る事も出来ないのかよ、って。
マコトちゃん、普段はそういう弱音も一切言わないんだけど、その時はすっごく辛そうで哀しそうにそう言ってたからよく覚えてるの。
だってマコトちゃん、お父さんがいなくなっちゃってから今までずっと、心の中で何かに耐えてる様に歯を食いしばっているから。
そんな現実を知っているからね、わたしにはお父さんの話しがなんか違うっていう風に聞こえるし、大変で苦しい想いをしてきたからこそ、マコトちゃんにとってお父さんはとても許せない存在になってるの。だから、お父さんの話しになるとどうしてもああいう態度になっちゃうんだ」
哀しげに眉を伏せたメグミに、グラッドとディンは言葉を失う。けれどメグミは、さらに言葉を続けた。
「マコトちゃんの態度を許してほしいとは言わないよ。やっぱりああいうのはよくないなって思うもん。でもね、できることならマコトちゃんの事情を分かってもらえると、うれしいかな」
ヒスイを抱いたままメグミはゆっくりと席を立つ。ぺこりと頭を下げてから、言葉を継げなくなった二人に背を向けて部屋を出た。
唐突に知った英雄譚のその後の残酷を前にディンは言葉を失い。友である勇者のその後の顛末にグラッドは何かに耐えるような表情のまま黙っていた。
パタン、と扉を閉める音がやけに大きく響くが二人は反応を見せず、音を取り戻すまでにはまだしばらくの時間を必要とするのだった。
● ● ●
まるで目の前に聳え立つ富士山の様に大きな山が見下ろす森に、ぽっかりと取り残されたかのように草の絨毯が敷かれている。その空けた地を暮れなずむ空がほんのりと朱に染めはじめ、そんな、まるで風景から取り残されたかのようで場所で一人、マコトは仰向けに寝そべりながら、うっすらと星が顔を覗かせ始めた空を眺めていた。
「もう、わたしを置いてくなんて酷いよマコトちゃん」
からかうように告げて、当たり前のようにマコトを見つけたメグミはゆっくりと隣に腰を降ろす。それまでぎゅっと抱きしめていたヒスイを離すと、まさに羽を伸ばすかのようにヒスイは紅く染まり始めた空へふわりと舞った。
「…………わるい」
「ほんとだよ、だからしっかり反省していっしょにいること」
寝そべった上体を起こし謝るマコトは普段の覇気が消えている。いや、覇気ではなく溜めこんでいた憤りが形を失って靄のように腹の底に溜まっているのだ。
「見て、マコトちゃん。この下に広がってるのがディンの住んでいる村で、わたしたちの世界とは全然違う場所。マコトちゃんのお母さんが言っていたようにさ、本当に映画の世界みたいな場所なんだね」
まるでとんがり帽子を被ったかのような石造りの家々が並ぶ光景を指差し柔らかい口調で話す。
すっと、まるで吸い寄せられるかのようにメグミの肩がマコトの肩に触れ、そのままゆっくりと体重が重なっていく。じんわりと、温かく沁みていくメグミの体温にマコトはその温かさを受け止める。
「わたしたちの世界とは違う、本当の異世界、なんだね」
「ああ、そうだな。これが、母さんの故郷……」
「うん。魔法があって、ヒスイみたいな生き物がいる、私たちの暮らしていた場所とはまったく違う、別の世界」
ゆっくりと紡がれる言葉に、マコトはメグミの真意を悟る。
この世界が今までとまるで異なる世界だというのなら、
父であった男は、この世界では勇者であって、この世界の人々からすれば、父親である前に世界を救った英雄なのだ。
つまり、
「休んだらさ、謝りに行こう。だって、二人は悪くないんだもん」
マコトの気持ちを理解して、一番身近でいるからこそよくわかって、それでもあの場での八つ当たりはマコトが悪いのだと、メグミはそう告げた。
「ああ、そうだな」
一番の理解者に、わかってはいた事をはっきりと言われて漸く、マコトはその事実を受け入れた。
「――――あ、いたいた。ったくこんなところにいるとか随分目の付けどころがいいじゃないマコト」
振り返らずとも不敵に微笑む姿が目に浮かぶかのようだ。
どこか無理して明るくふるまっている様な様子のディンが表れた。
「ディン……」
「あんた結構良い場所に目を付けるじゃない。ここなら余計な邪魔も無く霊峰を一望できるし眺めは最高だし、なによりスカッと広がっていて解放感がある。あたしもさ、たまにここに来て空や景色を眺める時があるよ」
「あのさ――」
すらりと人差し指が一本立った。まるで堰き止めるかのように、言葉を紡ぎかけたマコトの先を制す。
「悪いね、今のあたしはただのメッセンジャー。一方的に届けるだけの役回りであって、あんたからの言葉は一切受け付けないの」
言葉とは裏腹の優しげな眼差しがマコトを捕える。そのまますぅっと横へスライドした瞳はメグミを捕えると小さくウィンクを投げかける。
「マコトとメグミ、あんたたち二人の部屋を用意したから今後はそこを好きに使って良いってさ。それとこの後うちのアホ親父様は色々と仕事があるし、もう今日は陽が暮れ始めているから話しはまた明日、だってさ。以上、大馬鹿英雄様からのお言葉でした」
芝居がかった調子で告げて、務めは果たしたとばかりの顔をするディン。そのままくるりと踵を返すと、ぴたりとその足を止めた。
「…………その、さ。これはあたし個人としての、言葉なんだけど」
それは先程とはまるで違う、言葉を探る様な、胸の内からひっしにかき集めるかのようなそんな様子で。
「英雄なんて大層な親を持つのはあんただけじゃないから。めんどくさいしがらみとか、周囲からのやっかみとか、理不尽な現実とか。まぁその辺色々諸々と、ちょっとくらいは、あたしもわかるつもりだから」
振り返らず、ただその言葉だけが真っ直ぐにマコトに届けられた。
そうしてディンは今度こそ足を止めることなく村へと戻っていく。足早に消えていく赤い髪を眺めながら、マコトはその言葉の意味をじっと噛みしめて、見えなくなるまでその背中を追い続けた。
1章の2のスタートです。
明日も投稿します