第一話 それは何もない平穏
はじめまして、飯綱華火と申します。
初めての異世界召喚物語です。
拙い文章、至らない個所が多々あるかと思いますが、温かい目で見守ってもらえたらと思います。
少しでも楽しんでもらえたら幸いです。
――――危ない!
そう思った時には、既に身体が動いていた。
出来事自体は何時何処でも起こり得る可能性のある事故だった。
朝の通学という何でも無い日常風景。
マンションを建設中の其処は地元では誰もがよく使う通学路で、それこそ小学生から地元のお年寄りまで誰もが通る道のりだ。
だから小学生の一団がそこを通るのも不思議ではなく、ちょうど鉄筋を持ち上げていたロープが解けて彼らの頭上へと落下したのも、――ありえなくはない話だったのだ。
日常が、非日常の悲劇へと唐突に切り変わる。
事故が起こらない様にと見張っていた警備員が叫び声を上げ、
驚いた小学生たちがあわてて走りだし、
周囲にいた者たちはこぞってその凶事に啼く。
その中で、運悪く転んだ男の子が一人いて、
たまたまその場を通りかかった白咲愛美は、反射的にその子供の元へと駆けだしていた。
まるで時が遅滞したかのように、もしくはコマ送りで流れる映像のように、景色が緩やかに過ぎてゆく。
それは奇跡か、偶然か。
メグミは男の子の元へと間に合った。だが、それまでだ。
庇う様に彼を胸に抱くも、それですでに万策尽きた。
スローモーションのようにゆっくりと近づいてくる鉄骨と、遠くに間延びして聞こえる、狂乱の声。
迫りくる死の光景をその瞳に移しながら、それでもなお悲愴を帯びる事は無い。
彼女はただ一人、常に在る少年の姿だけを、思い描く。
故に恐怖は無く、一欠けらの絶望すらも、抱くことはない。
そして、
「――――光よ」
起こり得る悲劇を眼の前に、その場にいた誰もが思わず瞳を閉ざす。
回避不可能な惨劇を前に、全ての者がその光景から自己を遠ざける。
そうであるがために、その行為は誰に目撃されることなく起こり、終わる。
真白の光が瞬き、少女と男の子を包み込んだ。
● ● ●
「ったく、目を離した隙にすぐこれだ! もういい加減無茶すんじゃねぇよ!」
「むー、目の前で子供が危険な目に合ってたら助けるでしょふつうー。わたしは悪くないもーんだ」
「あのなぁ、悪くないとかそういう問題じゃねぇ。それで死んだらどうすんだっつー話しだよ!」
反省しろ、とばかりに頭をひっぱたく。ぺちん、と乾いた音が鳴る。
拳でなく掌で叩いたそれにまるで力など入っておらず、彼女を思いやる戒めでしかない。
が、
「あっ、ひっどーい。女の子を叩くとか最低だよマコトちゃん! いけないんだ!」
「はっ、そうかよ。幼馴染は女の子カテゴリーにはカウントされないからいいんだよ、ばーか」
「ばか!? 今バカって言ったマコトちゃん! 言ったほうがバカなんだからね、ばーか!」
「はっ、なら今お前も言ったろうが、ばーかっ」
売り言葉に買い言葉、というよりももはや幼児の罵り合いに近いそれはとてもではないが高校生が行っている光景とは思えない。
叩かれた頭を両手で押さえながら口を尖らせるメグミと、叩いた張本人である少年がいるのは先程の事故現場からやや離れた公園だった。
元々小さく僅かな遊具とベンチが置かれるのみのそこは工事現場の近くでもあって人がよりつく事がめったにない寂れた場所だ。それが明け方の通勤時間ともなればなおのことであり、二人が威勢よく口論していても誰に見咎められる事も無かった。
ベンチに腰掛けた彼女はまるでいじけているかのようなふくれっ面をして少年を見上げ、気まずくなったのか彼は視線を逸らして言葉を紡ぐ。
「とりあえず黙って足出せ」
「え?」
「だから、治療してやるっつってんの。それとも自分が怪我してる事にも気づいてないのか、おまえ?」
「怪我……? あ、ほんとだ」
おそらくは男の子を庇った際に地面で擦ったのだろう、右膝からは血が滲んでおり、今にも靴下に付着しそうだった。
「ほんとに気づいてなかったのかよ……。とにかく、じっとしてろよ。動いたら治してやらないからな」
ポケットからハンカチを取り出し彼は躊躇う様子もなく傷口以外の血を拭う。
ぶっきらぼうなその口調とは裏腹に、その動作は丁寧で優しい。
血の後が残らない様にしっかりと拭い去ってから、傷口へと右手をかざす。
「――――」
わずか、周囲を警戒するように視線を巡らせて、
「光よ――、治癒魔法」
ぽうっと淡い真白の光が掌に灯る。
それはすぐさま丸い円を形取り、その中に精緻な文様を描きだす。
瞬きの間に現れたそれは魔法陣。
そこから溢れる温かな光は、まるで包み込みように傷口に注がれる。
息を飲むほどに幻想的なその光景はまさに『治癒』と呼ぶにふさわしく、あっという間にまるで傷口が最初からなかったかのように塞がっていく。
治癒を終えた事を確認すると後は血を拭い、ハンカチをポケットに仕舞う。
綺麗さっぱりと拭われた後は、怪我ひとつ負っていない足が露わになる。
「ありがとう、マコトちゃん」
「次は無茶すんなよ」
「うん。――ごめんね」
愁傷に少女は謝罪を口にした。
それはあの時男の子を庇いった事に対してではなく、幼馴染である彼を心配させてしまった事に対して。
メグミは今でさえ自分の行動に後悔をしていない。
助けられたからではなく、たとえ自分が助けられなかったとしても子供を守った事に欠片の後悔も抱かないだろう。
そして、彼もまたその事をよく理解していた。
彼女がこういう無茶無貌を平気でやらかす性格である事は嫌というほど知っているし、それを止める術がない事も知っている。
なぜなら彼女の行動は正しいからだ。
誰が何と言おうと、あの場でただ一人、子供を守るために行動した彼女の姿は正しく尊い。
だから、それが理不尽にさらされることから守ることこそを彼は己が信条に置いている。
もっとも、だからといって危険な目に合う事自体を奨励しないし、そもそもそんな光景など見たくもないのが本音だが。
「ねぇ、あの子は助かったんだよね」
「ああ、おまえのお陰でな」
今頃は助かったことの奇跡に喜ばれ、同時に自分を守った何かに想いを馳せているであろう子供を思う。
「きっとね、またあんな場面に出くわしたら同じ事をしちゃうと思うんだ」
「知ってる。止めたって聞かないじゃじゃ馬だってことは俺が一番よくわかってるからな」
「じゃ、じゃじゃ馬とかひどくないかな!?」
「人の忠告聞かない女になんざそれくらいがちょうどいいだろうよ」
「ひどいなー。でもほんと、ありがとね」
「おう。ってかどうしたよメグミ? なんからしくなく萎れてるけどよ」
「んー、そんなんじゃないけどね。なんていうか、やっぱりマコトちゃんはいつでもわたしを守ってくれるんだなーって改めて思ったから」
綺麗に治った脚をぷらぷらと揺らし、目の前に立つ少年を見つめる。
「いつでもっておまえな、俺はそんなに暇じゃないぞ」
「知ってるよーだ。でもね、危ない時は必ず守ってくれるもんね、今日みたいに」
「そりゃいつあんな無茶するかわかんねぇ奴だからな、メグミは。でも、マジでいつでも守れるわけじゃないんだからな」
「それも、知ってるよ」
「そうかい。ならいいさ」
そういって、彼はぷいっと視線を逸らす。
どこか、恥ずかしそうに顔まで背けて。
「知ってんなら、もう一つ覚えとけ。俺は英雄なんかじゃない。守れる範囲には限界がある。だから、俺の傍から離れんな」
「マコトちゃんこそ、わたしを離しちゃダメなんだからね」
幸せそうに、少女は微笑んだ。
● ● ●
「――――ねぇ知ってる、今日の事故の話し」
それは一区切りを告げるベルの鳴った、昼休みの出来事。
朝のうちにSNSを通じて駆け巡ったであろう情報が言葉の端に乗って流れ出る。
「知ってる知ってる~。建設ビルの落下事故でしょー、恐いよねー」
「ほんとほんと、でもさぁあれ、奇跡的にけが人出なかったって話でしょ」
「え? そうなの? わたし子供が一人巻き込まれたった聞いたよ」
「そうなの! でもそれがさ、助かったんだって、その子供。しかもどうして助かったのかわかんないんだって」
「わかんないって、そんなことあるの?」
「でも実際に男の子は助かってさ、だれもその瞬間を見てないんだからそうなんじゃない?」
「あれ? でもその男の子なら知ってるんじゃないの?」
「それがさー、お姉ちゃんが助けてくれたって言ってるみたいなんだけどね、そんな女の子、どこにもいなかったらしいわよ」
「えー、なにそれー」
「でもね、実はいたんじゃないかって言われてるの」
「なになに? その助けた女の子?」
「そうそう。しかもその娘、うちの制服着てたらしいよ」
「うっそ! それってヒーローがこの学校にいるってこと? すっごー」
「でしょ? なんでもすごい数の鉄骨が落下したっていう話しなんだけどさ、そんな中に飛び込んで男の子を助けた人がいるってすごいよねー」
「しかも女の子なんでしょ? わたしには絶対真似できないなー」
「ほんと、まさにヒーローって感じ!」
● ● ●
「はっ、ヒーローとか、くっだらねー」
購買で昼食を買っている途中、聞こえてきた話題が残響のように耳に残る。
思わず毒づいて、常よりも乱暴な仕草で屋上への扉を押した。
バンッ! と。
そこまで力を入れたつもりでもなかったが扉は勢い良く開かれ、慣性がついたままの状態で壁に激突した。
途端に目の前に表れる青空に、どうしてかほっと胸を下ろす。
イラッとしていた気分が晴れていく。人が誰もいないのも幸いだった。扉を壊しかねない所だった現場を見られずに済んだし、きっと今の状態を見られたら間違いなく怯えられだろうと思う。
フェンスに背を預け腰を下ろす。
空一面に開かれた蒼穹の下、緩やかに流れる風が心地良い。
ただぼんやりと、のんびりと流れる雲を見上げる。
「どーして英雄なんてやつにみんな夢中になるんだろうな」
呟いた言葉は微風に乗って掻き消えた。
そう口にした自分こそがその言葉に囚われている気がして、武藤誠は盛大に顔を顰めた。
再び沸き起こる気分そのままに、買ってきたばかりの焼きそばパンに齧りつく。ほんのりとしたパンの甘さと、ソースにからめられた麺が程良く混ざり合って口内を満たしていく。ただ何をするでもなくしばらく、マコトはひたすらに口の中に詰め込んでいく。
「ねぇ、もうちょっと美味しそうに食べなきゃ失礼だよ」
「あ?」
一体いつから見ていたのか、怒っている様な呆れている様な、そんな様子で見つめる本日の英雄様がそこにいた。
「よう、ヒーロー」
「はいこれ、飲むでしょ」
マコトの軽口には付き合わず、当然とも言う様に隣に腰をおろしてメグミはストローを指したばかりの紙パックを渡してくる。
麦茶と書かれた紙パックからは汗が零れている。ちょうど食べ終わり喉の乾いていたマコトは軽く片手を上げて礼を示し、良く冷えたそれで喉を癒す。
「ん、さんきゅー」
マコトが渡したそれを受け取り、メグミもそのまま口付ける。ほんのりと朱に染まった唇がストローを啄ばむ。
「もうみんな知ってるね、事故の事。ビックリしちゃった」
美味しそうに麦茶を飲んだ後、彼と同じように購買で買って来たのであろうサンドイッチを開きながらそんな事を口にした。
「ま、今の世の中じゃそんなもんだろ。情報なんて何でもかんでも携帯で拾えるからな」
「でもみんなわたし達の事は知らないみたいだったね。あれもマコトちゃんの魔法なの?」
「いや、ただの偶然。そりゃまあ一応目くらましになる様に光量は多くしたけどさ、単にあの場の全員があの瞬間にビビって眼を逸らしたってだけだよ。なさけねぇ」
「うーん、誰だってそうなっちゃうと思うけどなー」
「それ、おまえが言うと説得力ゼロだぞ」
唯一あの場で恐れずにただ一人子供を助ける為だけに飛び出した少女は呑気にサンドイッチを口にしていた。齧る様に小さく小さく咀嚼して行く様はリスのような小動物を思わせる。
「でも、あの子が助かったんだからそれで十分だよね」
「そうだな」
実際に子供を助けたのはマコトだ。
落ちて来た鉄骨は全てマコトが光を以って防ぎ、あの場にいた全員が目をそむけた一瞬のすきをついてメグミを連れて離脱したのだ。それぐらいの事ならば、マコトの魔法を使えば朝飯前。
けれど、それは結果論でしかない。
そもそも子供を助けようとしたのはメグミであり、マコトの行動はメグミを助けようとしたついでの結果に過ぎない。
はたしてどちらの行動が正しいか、という話しは論ずるまでもなく無意味だ。けれどどちらがより英雄的であるかと言われれば考えるまでもなくメグミと誰しもが答えるだろう。
英雄。
そう呼ばれる存在を嫌悪するマコトではあるが、それでもメグミの行動は尊いものだと思うのだ。
「ねぇマコトちゃん。今日の放課後って予定ある?」
「予定っつーかまぁ、いつも通りのバイトだな。メグミこそ生徒会だろ?」
「うん。ちょっと帰るのが遅くなりそうかも。新入生歓迎の時期だから色々と忙しくなりそうでね」
高校二年になったばかりの二人の生活はこれまでと変わりつつあった。
もともとバイトに精を出しているマコトは部活動に参加する気がまったくなく、一方のメグミは部活というよりはクラブ活動とでも言えるような料理部に所属して、時たま放課後をメンバーと一緒にお菓子作りなどをして楽しんでいた。大抵はメグミがマコトのバイト先に顔を出して共に帰るというのが二人の日常であったのだが、そんな生活も彼女が去年の秋に生徒会の書記に選ばれて(立候補ではない)からはそうも言っていられなくなっていた。
もっとも、二人が共にいる事は代わりない事ではあって。
「じゃあ学校で待ってるか?」
どちらかが迎えに行き、一緒に帰るというのは二人にとっての当たり前であった。
「うーん、本当はそうしたいんだけどね、今日は大丈夫そうなの」
「なんだ、予定でもあったのか」
「うん。生徒会のお手伝いがしたいんですって言ってきた新入生が何人かいてね、それで生徒会長の宇佐美さんが感動しちゃって、仕事が終わったら歓迎会だーって張りきってる。今日やるんだって」
「なるほど、明日が休みだからちょうどいいもんな。なら楽しめよ、メグミ。それにしても部活に入らず学校の雑用係に入りたがるとか今どき珍しいよな」
「むー、それ生徒会員のわたしに対する嫌味かマコトちゃん」
「誰もが思ってる事実さ」
ぷっくりと頬を膨らませるメグミにマコトは笑って答えた。
いつの間にか、ささくれだっていた気持ちが納まっている。
「ま、帰り道には気を付けろよ」
「大丈夫だもーん。ってかもう高二だよ、わたしだって夜道くらい帰れるもん」
まっかせなさい! とメグミは胸を張る。その拍子にブレザー越しからでもわかる豊かなそれが自己主張するように揺れる。
体の発育にお頭が追いついてないからな、とは口が裂けても言えないマコトだ。
「ま、何かあったら連絡しろ」
「うん。頼りにしてるんだから」
屈託のない笑顔を向けられて苦笑を返す。
言葉通りの信頼がこそばゆく、だからこそ心地良い。
のどかでなんの変哲もない日常が、緩やか過ぎていく。