9.乗馬ができない俺、恥ずかしい思いをする
さて、双竜の霊山に行くことは決まったため、あとはどうやって俺がこの屋敷からの外出許可をもらえるようにするかを考えるだけだ。
俺は腐っても子爵家次男、という位にいる貴族だ。
長男よりは丁重に扱われないとはいえ、長男が万が一の状態に陥った時のためのスペア役なのだ。
俺が怪我するような状況は、ベルウェイトとしてもミルリラウスとしても忌避すべき事態と言えるだろう。
となると、簡単には外出の許可などくれるはずもないし、ましてや俺が行こうとしているのは危険極まりない双竜の霊山。
とてもじゃないが並大抵の理由では却下されてしまうだろう。
とすると……。
「何か都合のいい虚偽の報告を立てる必要があるなぁ……」
しかし、麓といえども霊山だ。
お使いに行きたいとか、ちょっとお出かけしたいなどといったものでは、とてもではないが時間が足りない。
最低でも一日、できれば二日は欲しいところ……。
まぁ、つまり外泊許可が欲しい、ということなんだが……。
そこで、俺は双竜の霊山に近い隣の領地の貴族のことを思い出す。
それは、『ハーブェルト男爵家』のことである。
彼らは俺たちとお隣同士ということもあり、お互いに支援や復興、お茶会など随分と仲良くさせてもらっている。
記憶が失う前の、フィルウェルト少年もその男爵家のお子さん達とは仲が良かったはずだ。
ハーブェルト男爵家には二人のお子さんがいて、長男と長女の兄妹という構成だ。
彼らの母は既に亡くなっていて、普通なら二人目の妻と再婚したりするものなのだが……。
ハーブェルト男爵家の領主さんは、最近の貴族にしては珍しい純情な方らしく、今でも亡き妻のことを一途に想い続けているそうだ。
そのため、忙しい領主さんは、子供達に寂しい思いをさせないために、よくフィルウェルト少年や、長男(そういえば、長男の名前知らないな……)と遊ばせていたらしい。
今でもその交流は続いているものも、俺は現在療養中という身であり、長男も王都の学校で勉学に励んでいるため、そういった子供達の交流は一時中断、といった感じになっている。
さて、ここまでで俺が何が言いたいのか、というと、ハーブェルト男爵家に遊びに行く、という名目で外泊許可が貰えたりしないかな〜、ということだ。
「まぁ、試してみる価値はあるだろう」
そうとなれば善は急げ、だ。
俺はすぐさまベルウェイトのいるであろう私室へと向かった。
◆
「ふむ、それでフィルはハーブェルト男爵家のご子息達と遊びたい、と?」
「はい!僕もいつまでも妹にベッタリというわけにもいきませんし……。この際、自分とほぼ同学年の子たちが何を考えているのかを知るのに良い機会だと思いますし」
「まぁ、確かにそうなのだがなぁ……」
俺は大分真摯な姿勢でお願い事をしているが、ベルウェイトは少し渋い顔だ。
そんなに難しいお願い事ではないが、彼の気持ちもわからないではない。
俺はこの世界では記憶喪失者だ。
俺自身は問題ないと思っていても、親としては記憶がないという状態がわからない以上は、子供にはできるだけ安静にして欲しい、というのが本音だろう。
しかも、行こうとしている場所は前から交流のあるハーブェルト男爵家だ。
当然、記憶を失う前と同じ接し方をしてくるはずだ。
そうなった時に、フィルウェルトとしてはショックを受けることになるのではないだろうか?とベルウェイトは考えているのである。
……これは少し厳しいか?
そう思った俺だったが、意外なところから援護射撃が来た。
フィルウェルト少年の母、ミルリラウスである。
「まあ、良いではありませんか」
「ミ、ミル!?」
「あなたも何をそんなに気にしているのですか?フィルはただ友に会いに行くだけですよ?」
「うむぅ……いや、確かにそうなのだがな?それでも……」
「ふふっ、あなたは心配しすぎですよ。……大丈夫ですよ、フィルは必ず乗り越えます」
「うーん……」
「フィル!」
「……はい?」
「気をつけて行ってらっしゃいね?ちゃんと護衛はつけるのよ?」
「はい、ありがとうございます、母上」
「フィルのお父さんは私がなんとかしておくから、楽しんでおいで」
「はい、じゃあ行ってきます」
良い感じにミルリラウスが俺を押してくれたかお陰で、俺は外泊許可を得る事が出来た。
「ミルリラウス様々だな……」
俺は双竜の霊山に行くための準備をしに、自室へと戻った。
「もう、何をそんなに心配しているのですか?あなたは……」
「いやな?私とてフィルがそこまで弱いとは思ってはいないのだ。むしろ問題は……」
「……カルリアちゃんの事ですね?」
「あぁ、そうだ。あの娘はどうもフィルのことを溺愛していたようだからなぁ……」
「ハーブェルト男爵家には伝えているんですか?フィルが記憶喪失だ、ってこと」
「……言えてない、というか言えるわけないだろう!?あの娘、なんだかフィルのことになると怖くなるんだもんなぁ……。大丈夫かなぁ〜、ショック受けたりしないだろうか……」
「まぁ、フィルも大分成長してきたことですし……。大丈夫ですよ。カルリアちゃんのフォローも含めてフィルが丸く収めてくるでしょう」
「そうだな、というかそうだと良いなぁ……」
◆
双竜の霊山へと行く準備が終わった俺は、シャリルちゃんが起きる前に家を飛び出した。
流石に護衛なしにはできなかったが、それでも最低限の人数であるメイド一人という成果を出すことが出来た。
名前はミルフィンと言い、まだ十代の若いメイドさんだ。
最近、何かと忙しいファーンに代わって新しく俺につくことになったメイドである。
ハーブェルト男爵領に行くから準備をしてくれ、といきなり頼んだが、ミルフィンは嫌な顔一つせずに、素直についてきてくれた。
ミルフィンはリュックを背負い、腰には護衛用の片手剣のようなものを一つぶら下げてついてくる。
対して、俺はショルダーポーチと頼れる相棒であるマリーを肩に乗せているだけという軽装すぎる状態だが、実はこれには訳がある。
それは、このショルダーポーチだ。
薄茶色のコイツは、一見ただのショルダーポーチだが、実は魔法と魔物の素材によって内容量を拡張された物である。
要はドラ○もんの○次元ポケットだ。
ただ、このショルダーポーチはあくまで内容量が拡張されたというだけで、○次元ポケットほど物が入るわけではない。
精々がスーツケース並といったところだろう。
「フィル様、ちゃんと振り落とされないように、しっかりと掴まってくださいね?」
「わかりました」
俺がショルダーポーチの構造について色々と叡智の書で調べていると、不意にミルフィンから声がかけられる。
実は、俺たちは移動手段に馬を使っている。
というのも、俺たちは隣の男爵領に遊びに行くとは言ったが、それでも大分遠い。
馬で大体一時間とちょっとといった感じだ。
距離的には隣の県ぐらいは離れているだろう。
なので、歩くには少し遠く、地球にいた頃の俺ならともかく、今のフィル少年の貧弱ステータスではとてもではないが歩くことは叶わない。
そのため、乗馬という形になるのだが……。
「こ、こう……ですか?」
「んっ……も、もう少し……」
「このくらい……ですか?」
「はい……」
俺は今、馬上で茶髪のローティーンにしがみついている形になっている。
しかも背中に、ではなくお腹に、だ。
地球にいた頃ならば百パーセント犯罪者として警察に捕まっていただろう、と俺は遠い目になる。
なぜ、こんな犯罪臭漂う姿勢なのか?
というのも……。
『フィル様!フィル様は、乗馬されたことはありますか?』
『いえ、ないですが……』
『そうですか……そうなると少し困ったことになりましたね』
『何がですか?』
『フィル様がハーブェルト男爵領に行くためにはどうしても馬が必要不可欠なのですが……。アークウォイト家にある馬車で使える物が今、ないんですよ』
『……そうなんですか?』
『はい……。一つは使節用ですし、二つ目の物はファーンメイド長が帝都への買出しに使っていますし……最後の一つはまだ修理中なんです』
『……修理にはどのくらい、かかりますか?』
『そうですね……少なくとも日が真上に来るくらいまでは……』
『そうですか……。なら、馬でいきましょう。ミルフィンさんは乗馬経験があるんですよね?だったら、少し迷惑をかけることになりますが、一緒に乗せて頂けませんか?』
『い、いえいえ!迷惑なんて、そんな!全然、構わないのですが……』
『ですが……?』
『いや〜、私は少し乗馬が荒くてですね……相当、しがみついておかないと吹っ飛ばされると思いますよ?』
『そ、そうなんですか……』
と、こんな感じで、実際ミルフィンの乗馬技術は荒かった。
最初は、ミルフィンが背負っているリュックの上からしがみつくような形で乗っていたのだが、アークウォイト家を出発してから僅か数分で俺は地面に叩き落とされた。
幸い、肩に乗せていたマリーが地面に接触するときに、クッションの役割を果たしてくれたので、傷を負うことはなかったが、正直に言って、第二の人生はここで終わりだと思った。
その後、慌てるミルフィンを落ち着かせてから、彼女の背負っているリュックを俺の体にかけて、俺が直に彼女の背中にしがみついてみた。
しかし、これもまた失敗。
というか、むしろ背中に重りがついた分、最初より勢いよく吹っ飛んだ気がする。
そして、またしてもマリーに命を助けられ、ミルフィンをオロオロさせるという展開になった。
こうして、三度目の試み。
遂に大胆にもミルフィンは、俺を彼女の前に乗せた。
俺の体はまだ五歳のガキということもあり、小さいため、俺越しにも馬の手綱も取ることができるが、それでも背中から年相応の胸が感じられ……。
少し、というかかなり恥ずかしい姿勢になった。
これが年の差が一回りも二回りも離れている相手だったらまだ良かった。
俺が恋愛対象外ということも関係あるが、何よりも相手が俺に対して緊張しないのだ。
そのため、大分楽なのだが……。
しかし、ミルフィンはそこまで年上じゃない、というか地球にいた頃の俺からしたらバリバリセーフゾーンに入っている年頃だ。
俺は肉体年齢上ミルフィンに欲情はしないものの、それでもこんな密着するような形では、心臓に悪いどころの話ではない。
下手したら麻痺する。
ミルフィンとしても、まだ俺を担当してから三ヶ月も経っていないのだ。
俺がどういった性格の人間なのかを掴めていないために、距離感が取りづらいだろうし、十代といえば色々と多感なお年頃だ。
当然、異性に対しても敏感になってしまうだろう。
そこに、領主の次男という立場ではあるものの、まあまあ顔が綺麗な男の子が自分に密着するように座っているのだ。
心臓はポンプのように跳ね上がっていることだろう。
しかし、ミルフィンは優秀だった。
俺が自身の前に座っていることを感じさせないほど、キリリとした顔つきで、馬を走らせた。
そしてーーー
ーーー俺は、落馬した。
今度は前に座っていたがために、通行人が道を通った時の馬の急ブレーキに耐えきれずに、顔から地面に突っ込んでいった。
流石に前から突っ込むとは思わなかったのか、マリーも俺を迫り来る地面(いや、この場合迫っているのは俺の顔か……)から守ることができずに、地面と猛烈なキスをすることになった。
ハハッ……俺のセカンドキスがまさか地面とはな……。
俺は自嘲気味に顔を上げて、ふと、額の方からドロォとした物が流れているのを感じた。
……血だ。
俺がそう感じたと同時にミルフィンが大泣きした。
彼女は度重なる不敬(領主の次男を何度も落馬させたこと)と自責の念に堪えきれなかったようだ。
しかし、こんな道の往来で泣かれて困るのは俺だ。
何度も何度も最初の方で落馬してしまう故、俺は全くと言っていいほどアークウォイト家から離れられていない。
そのため、ここでグズグズしていたら、起きたシャリルちゃんが俺を探しにここまで来るかもしれない。
そうなったら、軽度になったとはいえ魅了状態の俺のことだ。
シャリルちゃんの言うことをなんでも聞く木偶の坊になること間違いなしだ。
そのため、俺は一刻も早くこの場を立ち去りたかった。
なので、大泣きしているミルフィンを必死で慰め、甘やかし、ベルウェイトには上手く怒られないようにするから、と言い、なんとか機嫌を直してもらって再度挑戦した。
だが、ここで困ったのが乗馬の仕方である。
正直に言って、もうこれでもか、というほど試してきたのだ。
ミルフィンの前に乗っている姿勢が一番安全だった筈なのだ。
あの姿勢から落馬するのならば、どんな姿勢でも落ちる気しかしない。
どうしたものか……。
俺がうーんと唸っていると、泣き止んだばかりで少し目の赤いミルフィンが、俺にこう提言してきた。
『フィル様……私に抱きついて下さい』
『……は!?』
ミルフィンの提案はこうだ。
もともと、非力な俺ではミルフィンの背中にしがみつくのは不可能なのだ。
俺はミルフィンの前に乗るしかない。
しかし、それだけでは五歳にしても軽すぎる俺は慣性の法則に従って吹き飛ばされてしまう。
そのため、俺は前回のようにミルフィンに背中を向けて座るのではなく、彼女と向き合うようにして座り、コアラのようにミルフィンの体に抱きつけ、と言っているのだ。
流石にそれは恥ずかしすぎる。
そう言った俺だったが、ミルフィンの
『じゃあ、他に何か方法があるんですかっ』
『……』
という一言に黙らざるを得なかった。
もともと、無茶を言っていたのは俺だったのだ。
多少の恥なら我慢しよう。
そう思って馬に乗り込んだ俺だったが、想定が甘かった、と言うほかない。
抱きついたときに感じる、女の子特有のふんわりとした感触、ミルフィンの背中ぐらいまではあろう長い髪が俺の体をビクつかせる。
女の子皆がそうなのか?と思うほど良い匂いをしており、思わず興奮しそうになる。
……まぁ、この体じゃ何の反応もしないけどな。
さらに布越しであるとはいえ、しっかりと感じるミルフィンの鼓動。
そのどれも魅力的で、男の俺からすれば拷問としか言いようがない感覚だった。
しかし、この抱っこのような姿勢は、今までの中で一番安定していた。
現に、俺は既に三十分くらいこの姿勢で乗っているが、一度も落ちていない。
多分、この姿勢のままハーブェルト男爵領に到着することだろう。
「大丈夫ですか、フィル様?」
「あ、え、っと……はい、大丈夫です……」
「そうですか……。ここからさらにスピードを上げるので、振り落とされないように、しっかりとしがみついて下さいね」
「えっ……と、わかり、ました」
「『微風の付与』!」
ミルフィンからもう少ししがみつけ、と言われ、少しきつめに彼女の体へとしがみつくと、ミルフィンは直後に魔法を行使した。
風属性を付与された馬は、三十分間走り続けていたとは思えないほど軽やかな足取りで疾走し始めた。
それと同時に、ものすごい勢い俺の体にかかる重力が俺を苦しめる。
「うぅ……っ」
俺がその苦しさに呻き声を上げると、ミルフィンが少しだけキュッと俺を抱きしめてくれる。
……。
少しだけ恥ずかしいとは思うものの、なんとなく役得だなぁ、と感じる俺だった。