接触(2)
『こちらシースカウト105。着陸許可を求む』
『こちらひゅうが管制、了解。貴機は管制下に入った』
哨戒の任を終えたSH-60 シーホークが轟音を響かせながら高度を下げ、ひゅうがの甲板に向けてアプローチを始める。程なくして1機、また1機と艦隊の上空に帰還し、着艦の許可を待つために空中待機を行う。
快晴の空を仰ぐ大海原はひたすらに広く、その雄大さは距離感を麻痺させる。大きく輪形陣を取る艦隊は、それぞれが100mを大きく超える巨船であるにもかからわず、空から見れば豆粒のようだ。
しかしDD6隻、DDH3隻を擁する彼ら”特災調査統合任務部隊”ーーーJTF-烏(※1)は、国外活動としては海自史上最大の戦力と責任を有していた。
ひゅうがは元々高度な指揮能力を付与された艦級であり、それに付随する施設が多数設けられている。その中の一室、多目的会議室には各艦の艦長、及びその補佐人員が背を伸ばして着席していた。彼らの対面に並ぶ一列の椅子と机は、丁度真ん中に一人分の席が空いている。
「松岡司令、入室されます」
先行して入室してきた年若い自衛官が居並ぶ自衛官に向けて告げると、全員が席を立ち視線を入り口に向けた。
数秒して壮年の男が一人。肩に着けられた階級章には横4本の金線と、星1つが見て取れる。それを認めた室内全員が、肘を締めた敬礼を送る。
松岡一等海佐は室内全員を見回すと軽く頷き、空いていた机に腰掛けた。その後、彼以外の全員が再度着席する。
「ご苦労」
随分な言い方だな、と松岡は自嘲した。先年の中国との緊張激化時、国連軍との連携を考慮して導入されたワンスタージェネラル、准将という新たな階級に彼が昇進したのはつい先日のことだ。居並ぶ面々には同期も多く、そしてつい先日までは同階級だった。
そもそもが今回の昇進も、特災で混乱する中、将官級の人間が国内の統制に追われ、しかも未知の海域の調査という扱いづらい任務について諸々の政治があった結果だと、松岡自身なんとはなしに理解していた。
しかしどんな経緯があったとは言え、事実松岡は部隊の司令であり、彼らの上官であることに変わりはない。
(なんともやりにくいものだ)
生来権勢欲とは無縁であり、防大を出てからは現場一筋の叩き上げであった松岡は、そんな複雑な心境を極力表に出さないよう努力していた。軍隊には規律が必要で、規律には権威が必要だ。偉そうに振る舞うことで任務の成功率が上がるのならば、それをする義務が将官にはあると松岡は信じていた。
「諸君は既に目を通していることと思うが、今回こうして集まってもらったのは報告任務で上がってきている情報が本部隊の任務遂行上非常に重要なものであると判断したからである。朝倉二佐、詳細の説明を頼む」
「はっ!」
朝倉二佐は長らく松岡の補佐を行ってきた人間であり、彼らの意思疎通に淀みはない。
「任務開始以来、各艦の見張員からは多数の未確認水棲生物の発見報告が上がっておりました。しかし、既に本土近郊では未知の魚類などが相次いで発見、調査されているため、追跡調査は保留中としておりました」
それはこの場にいない下士官以下の隊員でも知っていることだった。1mを超える秋刀魚のような巨大魚類、完全に水棲適応した鳥類、巨岩そのものにしか見えない貝など、様々なものが沿岸に漂着しているのだ。魚類学者が歓喜の悲鳴を上げながら論文を書きまくっていると、様々なメディアが報道していた。
今更そんなもので部隊の佐官級を全員集めたりはするまい。朝倉二佐はそんな声ならぬ声に目線で返して続ける。
「しかし今回ひゅうが所属の航空隊から報告された情報は、本任務を遂行する上で非常に重要である可能性が高いと判断されました。本会議はこれに対する対処を周知、討議するものであります」
二佐はそこで一度言葉を区切り、会議室の照明を暗くする。程なく、プロジェクターから映像が投射された。全員の視線が集中する。
「これは現在から約18時間前に撮影された映像を分析したものです。画面右上をご覧ください」
映し出されたのはやや荒い画質の大海原だった。音声は無音である。どうせヘリの爆音でろくに聞こえはしない。民間用のものと比べて元々荒い画素数を更に拡大しているものだから、見栄えはかなり悪かった。しかしそれほど
会議室にしばらく沈黙が満ち、そして映像が終わる。しばらくして、誰かがポツリと呟くように言った。
「ヒト……か?」
「現在この情報は本土に送られ専門家による分析が行われていますが、少なくとも司令部もその可能性を考慮しています」
僅かなざわつきと唸り声が各所で上がる。
映像には波間から僅かに上半身を出したような、人と思しき存在が映し出されていた。いや、職務上救助者等を見分ける目を養っているプロから見て、それは明らかに人だった。体格からして、おそらく女性。
しばらく波間に漂っているように見えたそれは、しばらくすると映像から消えた。おそらく海に飲まれたのだろう。
「この映像撮影時に接近を試みましたが、すぐに姿を消してしまったため詳細は判明していません。しかし仮にこれが人間であるとすれば、周囲に船舶などが確認されなかったことから、高い確率で遭難者であると推測しています」
次にこちらをご覧ください、と朝倉二佐は動画を停止し、スライドを進めた。
数字は折れ線グラフであり、右肩上がりに上昇を続けている。最も高い値は10、と記録されていた。
「これまで本部隊で上がった未確認生物、その中でも人のようだった、という証言が取れたものの日当たりの報告数です。ご覧のように、南に進むことと比例して数が増大しています。
ここから推測されることは、おそらく南に彼らの、便宜上現地民と呼称しますが、現地民の国家、ないしそれに近いものがあるということです。
そしてこれだけ大量の発見報告が上がっていることから、大規模な船舶事故か津波などの災害が発生した可能性があります。
これを救助すれば、転移……失礼、特災後初めての日本人以外との接触となるかもしれません。本部隊の作戦目的は海域の情報収集ですが、現地民から直接情報を入手できれば大きな成果となります。
よって本部隊はこれより更に南進し、優先目標を”現地住民の救助活動”とします」
朝倉二佐はそこまで言うと、一礼して着席した。
「朝倉二佐、報告ご苦労。
諸君、聞いてのとおりだ。何か質問があればこの場で受け付けるので、挙手の上発言してくれ」
その言葉を待っていた、と言うように各所で手が挙がる。その中でも最も早く勢いがあったのは松岡の旧友、ひゅうが艦長・永井一等海佐であった。
極東危機においては松岡のように海上部隊司令を務めたこともある優秀な自衛官だ。冷静を気取ってはいるが、松岡から言わせれば血の気の多い闘将だった。
民間船の航行に中国側が難癖をつけ、その護衛についた際などは、発砲が禁じられる中、領空侵犯してきた中国側の航空機に射撃用レーダーを合わせて挑発、また潜水艦を一晩中付け回しピンガーを浴びせまくるなどの行動をとって物議を醸した。
しかし極東危機が最も高まったと言われるこの事件で、結局日本、中国側ともに負傷者一人出さなかったことは明らかに彼の功績だった。
極東危機後、ひゅうが艦長に着任。永井は酒の席で「降格人事だ」等と笑っていたが、極東危機で改めてその有用性が明らかになった多機能ヘリ空母の艦長は降格人事であてられるような役職ではない。
今回永井が部隊に加えられたのも、過去の司令経験を活かした、新米司令の補助役という性格があると松岡は読んでいた。
そんな腐れ縁であり先輩とも言える永井が、やたらかしこまった顔で手を上げているものだから、松岡は思わず苦笑しそうになった。
「永井一佐」
「はっ! まず、現地住民の救助活動とのことでしたが、調査任務は引き続き継続するのでありましょうか?」
「そのとおりだ。しかし人命が最優先であることに変わりはない」
松岡の歯切れの悪い回答に、永井は頷くことで答えた。
調査とは言え国交も結んでいない、いや、国家があるかさえ定かではない地域に対して断ることもなく軍事力を派遣しているのだ。以前の日本ならば取れるはずがない暴挙と言える。言い訳は多いに越したことはない。
人命救助。数少ない万国共通の正義だ。
「続いて、現地勢力からの接触、特に武力攻撃が認められた場合の対応に付いてお伺いしたい」
「現地勢力からの接触が認められた場合は、即時に本艦に連絡すること。出向している外務省職員の管轄となる。
次いで武力攻撃を受けた場合だが、無論、”反撃は容認される”。これについては政府、統幕共に確認済みである」
断固として言い切って、一呼吸。
「しかし可能な限り戦闘は回避する。これは政治的な要請もあるが、本部隊の任務はあくまで情報収集であるという事がもっとも大きな理由だ。反撃は戦闘回避が困難な場合、及び隊員の人命に危険が生じた場合に限ることとする」
「ハッ!」
永井はキビキビとした所作で敬礼を取り、着席する。敬礼をする一瞬前、永井の顔に僅かに浮かんだ笑みを松岡は見逃さなかった。永井ならば聞かずとも分かる事、しかも後から書面で共有されることが分かりきっていることを、わざわざ質問してきたのは、永井なりの試験だったのだろう。
笑みを浮かべたということはひとまずは合格か。松永は内心安堵のため息を付いた。
その後も他の自衛官から幾つか質問に答え、やがて挙手もなくなった。
「他に質問は? ……よろしい。では、詳細は追って伝達ーーー」
ピリリリ、と電子音が鳴り、部屋の空気が変わった。部屋中の視線が朝倉二佐に集中する。
朝倉二佐は胸元から船内連絡用の携帯を取り出した。
「こちら朝倉二佐、何か。……うむ……うむ、了解した。そのまま待て」
朝倉二佐は松岡に視線を向けた。重要な会議中の緊急電、ろくな事ではないな、と松永は眉をひそめる。
「『くらま』より連絡です。現地人を発見しました」
その言葉に会議室がざわつく。悪いニュースではない。そう松永が思って直後、
「現在、3km南方で不明生物と戦闘中とのことです」
続いて朝倉二佐が放った言葉に、松永の心臓が跳ねた。
※1
JTF-烏
特災法に関連して施行された法律に基づき編成された統合任務部隊。
通称である烏は、神武天皇の道案内役をしたという八咫烏の神話にあやかったもの。