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異世界日本オムニバス  作者: ささかま
日本と魚
4/6

異世界の人魚姫

 晴れの日に海面を見上げながら泳ぐのが好きだ。

 海の青を透かして降り注ぐ光が、波でゆらゆら揺れる。

 時々魚の群れが通り過ぎて行き、青一色の世界にきらきらと銀色を振りまいてく。

 まるで一面に広がる宝石だ。

 生まれた頃から数えきれないほど見てきた光景だけど、何度見たって飽きはしない。


 ナルナ・ブーナ・マジュナーグは潮の流れに巧みに乗り、背面を海底に向けて優雅に海を泳いでいた。

 海に溶け込みそうな深い青色の髪。

 前髪が額を分けて幾つかの髪飾りでまとめられており、後ろ髪が、やや青白くなめらかな肌を滑り腰の辺りで広がる。

 赤色の鮮やかな服は、肩から乳房までを包み、その下着として白くきらつく長い(※1)シャツが腹部から覗いていた。

 腰から下はまるで魚のような形のひとつなぎの脚部が伸びる。その表面は鮫肌のようでもあり、尾ひれの部分はかなり鋭角的だ。

 機能性を損なわない程度に、装飾としてつけられた薄布や宝石が美しく揺らめいている。

 手には、指の一つ目の節と節に水かきがあり、そこに彼女の身長よりやや短い三叉の槍が一本、握られている。


 (……)


 内瞼と呼ばれる透明な膜に覆われた大きな瞳は、まばたき一つせず、ただ海面を見つめ続ける。

 水を切り裂くように尖った流線型の耳が、時折ピクリと動き、またその半分の頻度で足ひれがくねり、歩くような速さを保ち続けていた。

 海面から注ぐ光を浴びるようなその姿は、さながら絵画のようですらある。


 (……)


 彼女は(※2)魚人であり、その中でも飛び切りの美人であった。

 その美しさは魚人にとって最も身近な宝石である真珠にも例えられる程だ。

 ブーナは青真珠を意味する称号名、マジュナーグは彼女の属する氏族の名である。

 氏族名を名乗ることが出来るのはそれだけで名家に連なる人物であることを意味し、かつ、マジュナーグは数百年の伝統を誇る名家であった。

 そしてナルナの歳は16。結婚には適当な年齢になっていた。

 美人で名家出身であれば結婚相手には事欠かないのは、魚人の社会も変わらない。

 にも関わらず、両頬に描かれた矢のような形の化粧は、彼女が未婚の成人女性であることを表している。


 (……きた!)


 ナルナは耳を欹て、そしていたずらを思いついた子供のような笑みを浮かべた。

 数多の音が鳴り響く海の中、ザーザーと規則的な音が、右足の向き、海面に20身分上がった位置から聞こえてくる。

 直線の距離は丁度1000身分といった辺だ。

 そう頭のなかで瞬時に計算しながら、顔を上げて目を凝らす。

 目測での情報を補完だ。

 しかし彼女の優れた聴力と空間感覚は、視覚の補助など必要ないほど正確であった。

 目を凝らせば、彼方に銀色の糸くずのようなものが漂っていた。


 獲物だ。


 ナルナは体全体をくねらせ、足ひれで力強く水を蹴った。

 二度、三度と足ひれが閃く毎に彼女の身体はぐんぐんと速度を上げ、やがて流れる水流の音は轟々と耳朶を打つ。

 槍は水の抵抗を受けないよう、胸元に抱えて、それに抱きつくように身体を細める。

 その様は矢の如くというにはあまりにも力強く、さながら砲弾であった。

 距離は瞬く間に100身分を切るところまで縮まる。

 その加速感に心が昂ぶることを自覚しながら、彼女は冷静な頭脳で、一度進行方向を変える。

 ここから横殴りに近づいていくと、獲物の探知圏内の入ってしまう。

 それは熟練の猟師のするべき行動ではない。

 海面に対して斜めの軌道を描いて、ナルナは水面に上がっていく。

 水が軽くなっていき、押しつぶされていた肺が広がっていく快感に僅かに頬を染める。

 視界を埋め尽くすように広がっていく海面の光に、躊躇なく突っ込む。


「……ップはぁっ!!!」


 ナルナは勢いのまま空中に舞った。

 膨らんだ肺に思い切り息を取り込む。

 水中で控えめに動いていた心臓が覚醒したように早鐘をうち、取り込んだ新鮮な酸素を体中に行き渡らせていく。

 一瞬で酸素を使いきった空気は、磨きぬかれた遺伝子が実現した横隔膜が生み出す筋力で一気に吐き出され、ナルナは更にもう一息を一瞬で取り込んだ。

 宙に浮いていたのは鼓動が4度と半分動いた間。

 瞬く間に全身の酸素の交換をやってのけたその様は、正しく海の民たる魚人の精華であった。

 落着の瞬間、ナルナは髪飾りを2つ外し耳にねじ込む。

 ある海藻をひたすら煮詰めたそれは、絶妙な弾力性でもって耳孔をピタリと塞ぎ、ナルナと音の世界を断絶させる。

 そして再度槍を抱きしめるような姿勢を取り、その先端から海面に突っ込むことで衝撃を受け流した。

 水泡が辺りに満ち、ナルナの視界は一瞬真っ白に染まるが、それもすぐに晴れる。

 慣性に則って放物線を描いて飛んだナルナが落着した位置は、銀の川---(※3)白海竜、その直上であった。


 遠くからは糸くずのように見えたその体も、近くにあればナルナなどより遥かに巨大である。

 これはまだナルナの5,6倍といった程度の大きさだが、老竜ともなれば更にその倍に達する。

 蛇のように長い身体、全身を覆う鱗は鉄程も固く、力強い胸鰭は魚人など簡単に叩き殺す。

 そしてトカゲを髣髴とさせる独特の顔つきは、正に彼が竜の眷属であることの証明だ。

 特にナルナの指と同じほどもある立派な2本の髭と、口に収まりきらないほど巨大な牙は、正に海の支配者たる威厳を備えていた。

 だがナルナはそれを見て、怯えるどころが笑みを深くする。

 ナルナには竜の表情を読むことなど出来なかったが、驚愕しているであろうことは手を取るように分かった。


 戦いにおいて最も重要なのは意識の外を突くことだ、とナルナの師は語っていた。

 全くその通りだ、とナルナは思う。

 その証拠に、見よ。

 目前の竜はまるで小魚のように、こちらに驚いてまともに戦う備えが出来ていない。

 そしてその隙を逃すつもりは、ナルナには毛頭なかった。

 ナルナは水面から突っ込むがまま、すれ違いざま髭の片方を槍の穂先で切り裂いた。


 無数の貝殻を踏み潰したような耳障りな絶叫が背後で聞こえる。

 全身が痺れるほどの爆音だ。

 耳をふさいでいなければそれだけで気絶、良くても耳を失うことは避けられない。

 だが特性の耳栓は完全にそれを防ぎきっていた。

 そうなれば、必殺の絶叫は単なる雑音に成り下がる。

 体中をのたうち回らせる竜の身体を抜けると、再度速度をつけて突貫。

 今度は尾にその槍を突き立てる。

 (※4)鉄貝から切り出した刃は僅かに抵抗を受けたが、それでも尾に突き刺さった。

 そして尾にしがみつき、腕力で持ってより深々と突き立てていく。

 赤い血が辺りに飛び散るが、構わず力を込め続ける。

 ゴリ、という手応えとともに槍は竜の尾を貫き反対に抜けた。


 竜は再度絶叫しナルナを振り落とそうと暴れるが、それがかえって尾の傷を深くしていく。

 痛みと怒りが渦巻く思考の中で、竜は自らの武器の一つを使うことにようやく思い至った。

 顎を開いて牙をむく。

 それさえ突き立ててれば、海の生物で殺せぬものなどない。


 だが、それはナルナの想定を出るようなものではなかった。

 確かに竜の牙は恐ろしい。

 殺せぬものなどないだろう。


 当たれば、だが。


 ナルナは噛みつく為に尾を引き寄せようとした竜の力を利用して、ついにその尾を切り裂くと、身を捻って牙を避けた。

 尾びれとは人間にとっての足のようなものだ。

 足を切り裂かれて思った通りに動ける人間などいない。いるとしたならそれは人間ではないだろう。

 噛みつくだけと言ってしまえばそれまでだが、それは全身の筋肉を高度に複合させ稼働させ、初めて実現可能な運動だ。

 竜の身体はもはやそれを為すだけの機能を失った。


 もはや竜に勝利の目などなかった。

 ナルナは竜の周りをひらひらと舞い、竜はそれに追いすがろうとして出血を繰り返す。

 竜が身を捩ることすらできなくなるほど衰弱するまで、それほど時間はかからなかった。


 止めの一撃は静かだった。



 ------



「……で、ヴィア・ジェスを1柱狩ってきたって?

 竜神級の馬鹿よね、あなた」

「……」


 狩った竜を靡かせて意気揚々と街に戻ったナルナは、待ち構えていた親友のテミュにとりあえず殴られた。拳で。


 魚人の街は海岸にある。

 川の畔にも小さな村ならたくさんあるが、名前が知られる大きな街は例外なく海岸沿いだ。

 魚人なら海に住むものと勘違いしている人間も多いが、魚人は基本的には陸棲だ。

 魚人といえども水に潜り続けられるわけではなく、あくまで人間よりは長く、うまく泳げるだけに過ぎない。

 何より、文明的な暮らしと火は不可分である。

 飯を食べるには火を起こすし、陶器を作るにも明かりを灯すにも鉄を打つにも火が要る。

 そして火は水の中では着けられない。

 必然暮らしは水と陸の間になる。

 もっとも、その街の様相は人間のそれとは大きく異なる文化だ。

 ナルナが住む街、周辺でもっとも大きい交易都市であるナガラ・ヌガラもその例外ではない。

 近くで大量に産出される大理石は富の象徴であり、またそれによって作られた街は白く美しい。

 その白亜の街は、ここ数日竜の被害に悩まされていた。


 魚人は海の民であるからして、貿易の民でもある。

 彼らが鼻歌交じりに運搬できる貿易品の量は、陸の商人が家畜を使ってやっとこ運べるそれを遥かに凌駕している。

 速さも同じくだ。

 故に魚人はその自らの生まれ持った才覚を活かして、港と港を結ぶ商人として活躍していた。

 しかし海は様々な危険が潜む場所でもある。

 陸の商人は未開の地を往くことを危険だと嘯くが、海はそもそも地ですらない。

 海には人は住まず、よって全てが未開の地である。

 魚人たちが普段利用する海路とは、その未開の地を細く結んだ自分たちのテリトリーだった。

 そこには船を噛み砕く竜は寄り付かないし、まして街を滅ぼすと呼ばれる龍も現れない。滅多なことでは。

 しかしその滅多なことが起きたのだ。

 よりにもよって、多島海と呼ばれる数多の都市国家が林立する魚人文化圏の中心地、それらと大陸を結ぶ主要航路で、である。

 3桁の魚人が海に還り、2桁の船が海底に行き先を変えた。

 保険屋は軒並み保険料を釣り上げ、経済は萎縮した。

 無論、手を拱いている訳もない。直ぐにも共同軍と呼ばれる都市国家連合の軍が討伐に乗り出した。

 いかな竜といえども群れた魚人にはかなわない。

 万金を叩いて魔術師すら百人単位で投入したのだ。

 いくらかの犠牲が出たものの、数十匹と見積もられた竜たちは討伐されるなり、住処を変えるなりして大部分の問題は解決された。

 しかし若年の竜は成竜と違って臆病な性質で、そのくせ食欲旺盛だった。

 軍のような大部隊を前にするとすぐに逃げ、かと言って少人数の魚人を見つけると目ざとく食い掛かる。

 実際の所魚人だろうが魚だろうが、とにかく食えるものはなんでも食っていたのだが、そんなもの当人たちにとっては何の慰めにもならない。

 人々はきっちり竜を片付けることを都市に、ひいては共同軍に望んだが、しかしその犠牲と軍の維持費用は、天秤にかけると維持費用のほうがはるかに重いのだ。

 小賢しいことに、犠牲の頻度もそれほど高いものではない。

 竜は賢く、人を怒らせない程度につまむ分際を心得ていた。


 さて、魚人たちは商人であり、商人にとって金は命よりも重い。

 かくして時たま魚人をつまむ竜は、経済的合理性の元、憎まれつつも許容された。

 犠牲者の遺族にとってはふざけるな、である。

 悲しいかな武力に乏しい彼ら彼女らは私財を叩いて懸賞金をかけ勇者を募ったが、しかし子供とはいえ竜。

 対して懸賞金は、稼ぎ頭を失った遺族たちのものであるが故にさしたる額ではなかった。

 それでも、金に釣られた人間の傭兵が船に乗って討伐に乗り出したこともあった。

 単に餌が増えただけだったが。

 かくして竜と人とのある意味での共存が成り立とうとしていたところに現れたのがナルナであった。


 ナルナはいわゆる残念な美少女である。

 その真珠にも例えられる容姿とは裏腹に、彼女の頭は空っぽだった。

 いや、戦いのことについてはぎっしり詰まっているのだが、それ以外が空っぽだった。

 口さがないものはバカ貝の真珠、などと言うほどだ。

 名家の3女として生まれた彼女はその容姿もあり蝶よ花よと育てられ、紆余曲折の末立派な戦士と成り果てた。


 魚人文化では男性に体力、武力を求める向きは比較的小さかったが、それも程度問題だ。

 兵士でもないのに下手な軍人なら片手であしらうほどの実力者とあっては、14に成人を迎えた時は引きも切らなかった縁談が、波にさらわれた焚き火の様に消えるまでに半年もかからなかったのも当然である。

 悪いことにマジュナーグと家格が釣り合う家の男性といえばことごとくが商売人、悪く言えば貧弱な一般人だったため、彼女はますます良縁から遠ざかり、ますます戦士の道に邁進した。

 最初こそ家族も心配したのだが、言ってしまえば所詮は三女、家の名前を背負うでもないし、何より彼女には非常に優秀な兄が2人も存在していたことから、名家としての面目は彼らで十分に足りた。

 何度も言うが、魚人とは商人の民族である。

 商人にとっての誇りとは自らの才覚、富、顧客との信頼、そしてなにより自立自存である。

 名家と言われるマジュナーグも、元はといえばどこぞの馬の骨とも知らない天才商人が一代で立ち上げたものであり、そして馬の骨から成り上がった事自体が家の誇りだった。

 故に家族はその誇りに基づいて、彼女が戦士として独り立ちするのであればそれもよし、と結論づけた。

 無論、これ以上娘に教育をねじ込んでも無駄だと気付いた、というのもある。

 筋肉に知識を詰め込んでも仕方がない。

 マジュナーグは名家にふさわしい商才の持ち主であり、商売には損切りも重要なのだ。


 かくして意気揚々と家を出たナルナだが、早速金欠に苦しむこととなった。

 ボッタクリと値切りもしない客のどちらが悪いと言われれば、100人が100人ボッタクリの味方をするのがナガラ・ヌガラの倫理観である。

 名家にふさわしい支度金を渡されたナルナは、名家にふさわしいプロのボッタクリとスリと物乞いの群にごっそりやられた。

 その金額たるや、スラムの子どもたちが百人単位でまっとうな道を歩めるほどで、何故か彼らの間でマジュナーグ家の名が上がったほどの量だった。


 すっからかんになって親友のテミュの家に転がり込んだ彼女は、友情と信頼をすり減らしながらもなんとか日々を食いつなぎ、ストレス解消の為にテミュからもらった小遣いで酒でも飲もうと入った酒場でその竜討伐募集の張り紙を見つけた。


 そしてその足でそのまま海に飛び込み、竜を狩って、テミュに成果を報告しに行き、半信半疑の彼女を腕を引っ張って竜を引き上げた港まで連れて来て、今に至るわけである。


「いや、でも、皆困ってたし」

「私はあんたの馬鹿さ加減にさんざん困らされてるわよ。

 竜を一人で狩るとか馬鹿じゃないの?」

「え、確かに強いけどまだ小さかったし、髭切っちゃえばおっきい魚みたいなものだよ?」

「あんたそれを遺族の人たちには絶対に言わないでよ」


 魚人が魚に食われて死んだなんて、喧嘩売ってるようなもんよ、とテミュは嘆息した。

 軍人が徒党を組んで、それでも死者が出るような相手に、少女が槍一つで討伐なんて控えめに言ってドン引きである。

 既に港の周りには野次馬が集まりつつある。うわさ話も一両日中に街中に広がるだろう。

 そのうわさ話には私も巻き込まれるんだろうなぁと、テミュは頭を抱える。


「とにかくさっさと役所に行って届け出してきなさい。あと死体処分の手続きも」

「処分かぁ…食べれないかな、これ」

「食べる気なのあなた」


 食べられるか食べられないかで言えば、竜は美味いと聞く。

 テミュが口にする機会は無かったが、高級食材なのだから美味いのだろう。

 しかし人を喰った竜であることを考えれば、味の問題では無いだろう。

 名残惜しそうに指を加えて竜の死体を見つめるナルナに呆れ返りつつ、テミュは深い溜息を吐いた。


「全く今日は次から次へと問題ばかり。休日だっていうのにこれっぽっちも休めないじゃない」

「ん、何かあったの?」


 のんきに首をかしげるナルナ。

 もう一度殴りつけてやろうかとも思ったが、先程から自分の手の痛みが消えないのでこらえる。


「ええ。数日前に陸の人間が軍艦引き連れてバヌラミの港にやってきて、いきなり攻撃してきたらしいわ」


 それを聞いた途端、ナルナが目を輝かせる。


「戦い!?」

「竜とやってきてまだ満足しないのかしらこの子…

 数が少なかったから結局全部沈めたらしいし、すぐ戦いにはならないわよ。幸いな事にね」

「えー」

「でも連中がこれで懲りるとは思わない。遠くない内戦争になるかもしれないわよ」


 陸の人間、ニーダーラントとか名乗っていたが、その人間たちが魚人たちと接触するようになったのはここ最近のことだ。

 無論それまでも何度か現れたことがあったが、それは目的を持ってやってきたと言うよりは漂流と余り区別のつかないものだった。

 しかし彼らの造船技術は凄まじい勢いで進歩しており、最近では直接商品を買い付けることも増えてきた。

 商売相手ならば歓迎なのだが、困ったことに彼らはやたら強欲かつ好戦的で、特に彼らの信奉する宗教は問題だった。


「人間以外の種族は全て人間以下、獣の混ざった野蛮な種族だなんて言っているんだもの。共存なんか無理よ」


 テミュからしてみれば世迷い言以外の何物でもない。

 初めてその話を聞いた時は、長い航海で気でも狂ったのかと思ったほどだ。

 だが彼らは商人に紛れて布教活動を行うわ、勝手にどこぞの島に乗り付けて自分たちのものだと言い始めるわ、好き勝手に行動し始めている。

 今回の1件は氷山の一角に過ぎず、色々なところで生じている摩擦は程なく種火となって戦火を燃え上がらせるだろう。


「クロブスの活動もまた活発になっているらしいし、ほんと問題だらけ」


 だからこれ以上問題を起こしてくれるな、と言外に伝えたつもりだったが、当の本人は全く気づいていない様子で「ふーん」と上の空だ。

 ため息が止まらない。

 この調子では暇に飽かせてまたぞろ問題を引き起こすこと請け合いだ。

 いっその事何か仕事を任せられればとも思うが、あいにく筋肉だけでできる仕事にツテはない。

 いや、ああ、そういえば、とテミュはこの間耳にした一つの報告を思い出した。


「そういえばもう一つ、北方航路の商人の間で変な噂が流れてるのよ。

 なんでも島みたいに大きな船の影を見たとかなんとか」


 ぴく、とナルナの耳が動く。

 戦いほど夢中ではないようだが、興味は唆られたようだ。

 もうひと押しか、とは言葉を選ぶ。


「こんな時勢だから人間たちがまた何か悪いことを企んでるかもしれないんだけど、位置がクロブスよりも更に北でね。

 あのあたりは”私達も知らない”ところだから」


 ピクリ。


「余り航路もないところだから”危険が多くて”、調査に行かせるにしても人選に困ってるのよ」

「私、行ってもいいよ」


 釣れた。未知と危険はナルナの餌として優秀であることを、テミュは短くない付き合いの中で心得ていた。


「そう? じゃあ詳しい話は後でするから、あなたはさっさと役所に行ってらっしゃい」

「はーい」


 比較的上機嫌に役所に向かうナルナの背中を見て、テミュはようやく心労から開放されると安堵した。

 ナルナにはああ言ったが、あのあたりの海域にそれほど危険はない。

 海が深すぎて竜の住処に向かず、また件のクロブスに近いために大型の海獣も寄り付かないのだ。

 山のように大きい船、というのも気になるが、それも怪しいものだ。

 ニーダーラントの連中ならあるいはとは思うが、奴らがやってきた方向とは魚人の領域を挟んで真逆。

 他に候補と成りうる大華は海禁政策を敷いているし、それ以外に大きな国など無かった。

 十中八九、単に島と見間違えたのだろうと当たりをつけていた。

 まぁ仮に何かがあっても竜を狩るような女だ、どうにでもなるだろうと、この時テミュは彼女らしくもなく雑に考えていた。


 後に彼女はこの時の判断を、生涯悔いることになる。

(※1) シャツ

ナブと呼ばれる貫頭衣のような下着。

水に浸っても傷まないよう、特殊な海藻の繊維を撚り合わせて作られる。


(※2)魚人

彼ら自身はヌガル・イ、海の人と自称する。

我が国以外では蔑称として使われる向きも強いが、分かりやすさを優先して本書では魚人表記に統一する。


(※3)白海竜

魚人語ではヴィア・ジェス(銀の川)と表される。

日本名オオナガシロヒゲリュウ。2等危険害獣。


(※4)鉄貝

貝殻部分を鉄と炭素の合金で構成する貝。

魚人文化では武器、加工品の材料等として重宝される。

生物学的分類としては、ハガネガイ科に属する一部種の総称である。


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