特災法
「日本は異世界に転移した」
誰が言い出したかは判然としない。政府の発表から間もなく、ファンタジー小説に慣れ親しんだ若者や、いわゆるヲタクとあだ名される趣味人たちから始まったのではないかというのが、現在は一般的な解釈だ。
多くの常識的な人間たちはそれを馬鹿馬鹿しいうわさ話と考えたが、そんな彼らも目の前の現実を説明する理屈を作り出せないでいた。
全世界との連絡途絶を発表して以降も、政府からの発信は矢継ぎ早に行われた。曰く国内の外国籍の人間の所在が不明、在日米軍基地と連絡が取れない、気象衛星その他も通信途絶、観測できる限り全ての星図が変わっている、等など。
どれもこれもが常識的には起こりえない事ばかりであり、何より星図が変わってしまっているとあっては、いま自分たちが立っている星が慣れ親しんだ地球かどうかも定かではなかった。天文学者は降って湧いた研究材料に血眼になって取り組んだが、暫定の推論が導かれるまでの見積もりすら出せていなかった。
政府としては国民を混乱させる情報はなるべく小出しにしたかったのだが、事態は隠蔽できるような規模ではなかった。まさか夜空をのり弁にするわけにもいかない。
案の定、発表された情報の非現実さに多くの国民は混乱し、信じられないという人間も多くいた。マスコミもそれに乗っかりとりあえず政府を叩いたりしたが、某大臣の「では今夜夜空をご覧ください」という一言で沈黙を余儀なくされた。
テレビでは連日特番が組まれ、日本に何が起こったのかを専門家を集めて報道するなどしたが、結局のところ情報が足りず、意味もない想像論に終止するしかなかった。
ネットの住人は普段ならばその有様をあざ笑っていただろうが、ネット自体が全国レベルで停止していては何も出来なかった。それでも、何処からそのエネルギーが湧いてくるのか、ごく一部の有志たちが三日間、死に物狂いで都市レベルのローカルネットを構築することにはなるのだが。
ともかく、そういった情報インフラの崩壊を前にしても、流石に日本人というべきか、所詮は日本人というべきか、大半の人間たちは次の日になると定刻に会社に赴き、あるいは赴こうと努力した。
暴動の一つも起こらなかったあたりは自分たちのことながら薄ら寒いレベルだったが、だからこそ治安は維持され、社会は機能不全を起こしつつもなんとか回り続けた。
さて、批判に晒されるの事の多い、というよりは半ば批判されることが存在意義となりつつある閣僚やそれに準ずる責任者たちだが、少なくともこの時ばかりは遊んでいたわけではない。
彼らはとにかく情報を求め、官僚は死に物狂いでそれに答えた。ありとあらゆる連絡手段が試みられ、昭和に退化したようなローテクを駆使し、集約され、しかるべき地位の人間に届けられた。
その情報を元にどういった議論がなされたかの詳細は公開されていないが、議論が荒れたことは想像に難くない。
ともかくも、即日臨時国会が召集され連日連夜議事が行われた。後の世に言う「完徹国会」だ。これは某放送協会や各民放によって完全生中継され、各局合計の平均視聴率は約84%を記録した。全国民がぶっ続けで行われる放送にかじりついた訳だ。
不幸中の幸いか、開き直りと牛歩戦術と揚げ足取りが主要構成物の不毛極まる野次合戦の場であった国会は、前年の極東紛争によって大政翼賛もかくやという与野党比率であり、また野党も選挙での壊滅的な敗北を受けて意気消沈していた。
愚にもつかない政争が行われるような状況ではなかったということだ。
議題はもちろん今回の災害であった。
原状、日本が置かれている状況は不明。原因も不明。よって元通りに戻ることが出来るかも不明。永遠に世界から切り離された可能性すらあった。
日本は加工貿易国家であり、先進経済国家である。そして現在の先進国経済はグローバル経済と切っても切れない関係にあるのだ。だが一夜にして日本は孤立した。それも歴史上類を見ないほど完全に。
鉱物、石油、ガス、そして何より食料。そういった資源がなくなれば日本は誇張なしに崩壊する。官僚がかき集めた情報に基づけば、備蓄は約一年分だった。実際の所、経済活動が萎縮することが分かりきっている中で工業系の資源消費量は減らざるを得ないのだから、統制は本当に必要なのかという話も出た。が、少なくとも人が生きる以上腹は減る。ならばやることは一つ、節約しかない。
審議は怒鳴り声と罵声と時折殴り合いの中でつつがなく進行し、この緊急事態が解決するまでという但し書きつきで、首相には大きな権限が与えられ、国民の生活統制は合法化された。
すなわち喫緊の資源問題の統制、一部食料の配給制などを主軸に添えた時限法「特殊災害特別措置法」、通称特災法の可決である。
企業や国民の自由を著しく制限する強力な法であったため多くの議論を呼んだが、結局全会一致で可決。戦後最も強力と言われる法律がこれほど早く可決されたのはある種の奇跡だった。
そして結果として生まれた膨大な数の書類に、官僚たちは同僚の屍山血河を代償として判子の絨毯爆撃を浴びせかけることによって、直ちに日本全土で施行されていった。
無論一部の人間や野党は戦前回帰だ強行採決だと声高に叫んだが、大勢を覆すにはまるで足りなかった。民主主義の建前は衣食住に満ち足りた豊満な国家にのみ許された特権なのだ。
あるいは災害列島で淘汰されてきた日本人にとり、非常時であるという錦の御旗は最強だった、というだけのことかもしれない。
ともかくも大多数の日本人は不満を口にしつつも、デモの一つも起こすことなく受け入れた。この時の日本にとって、そういった国民の性質は福音だった。
余談だが、この時の完徹国会は様々な副作用を後の日本に及ぼした。
一つは国民の政治感心の増大である。
常日頃から仕事に追われていた労働者たちも、この時は様々な理由から一時的に仕事がなくなり、多くが業務を減らされるか、職種によっては自宅待機も多く出た。そしてネットはほぼ停止状態。
結果として多くの人間がテレビにかじりつくことになったのだが、この国会生中継はその後もある種のブームとなり、人々の話題に政治が登ってくることもにわかに多くなった。
やがてブームは自然に鎮火していったが完全になくなった訳でもなく、その名残は現在に至るまで国会生中継や、選挙の投票数等の行った形で残っている。今の日本人には想像もつかないことだろうが、当時の日本では政治の話題はタブー気味であったし、国政選挙の投票率は50%を下回りかけていたのだ。
この政治的状況の激変によって、政治の混沌度合いが上がると共に、政治家は厳しくなった国民の目により気を使うことが必要となり、政治の質は以前と比べればかなり良くなった、と言われている。
そしてもう一つ、とある若手議員が口頭弁論の時に上げた、ある言葉がある。
趣旨は次のとおりだ。
曰く「今回の災害に付いて、若者の一部では異世界に転移した、という噂が広がっている。そして天体までが変わってしまったこと、科学的に説明がつかないことが多すぎることを考えると、単なる噂話しと考えるのはどうかと思う。これについての政府の見解を伺いたい」
これに対して総理大臣は次のように答弁した。
「今回の災害に付いての調査は鋭意進めているが、残念ながらまだ情報が十分に集まっていない。しかし今回起こったことが科学的には説明がつかないということは政府としても認識しており、ありとあらゆる可能性を考慮している。この場で根拠の無い発言をすることは出来ないし、転移なるものがどういった現象か分からないが、そういった意見も可能性の一つではある」
この発言自体は特に問題もなく、その場では特に取り上げられることも無かったのだが、転移という言葉が公的に使われたのはこれが最初だった。
この後に様々な分析が進んでいく中で、この用語は事態の形容としておおよそ正しいことが分かった。それと共に徐々にこの用語は広まり始め、そして決定的な「エイプリールフール発表」を境にして特殊災害という言葉に取って代わり、今日に至る。