「愛し愛しと云う心」
七夕と催涙雨のお話。
『愛し愛しと云う心』
天の川の星々が、微笑むように瞬いた。
くすくすと、素敵な秘密を囁くように。
『教えてあげる、話してあげる』
『こいごころの、お話だ』
それは七月六日、七夕前夜のことだった。
――催涙雨とは、雨によって逢瀬が叶わなかった織姫と彦星の涙だと云われている。
あまり知られていないけれど、地上の天気に関係なく、織姫と彦星は逢瀬を叶えている。催涙雨、という言葉はあくまで雨を指した言葉。星の瞬きは雲の上、雨は二人を隠すだけなのだ。
もっとも、仕事を怠けることはなくなったので手紙こそ許されていないが、笹船を天の川に流すことは赦されていた。さながら文通のように不定期に、人々が願いを込める笹の葉に、二人は想いを託していた。
けれど、――催涙雨。
催涙雨は、織姫と彦星の涙。
それ自体は、間違ってはいないのだ。
二人が涙するのは、逢瀬が叶わないからじゃあない。
反対なのだ。
叶うから、会えたから。
だから、――二人は涙をこぼす。
一年越しの嬉しさに、さびしさに、歓びに、哀しさに、愛おしさに。一日でまた裂かれるこころの痛みと、どうしようもない募った恋情に、言葉よりもまず涙がこぼれてしまうのだろう。互いを確かめるようにきつく抱きしめあって、はらはらと幸福な涙をこぼすのだ。
けれど、今年は違った。
七月六日に雨が降った。
七夕前夜、織姫がひとり泣いたから。
星の持つ時間は永い。
その気の遠くなるような長い永い時間、ひとりを想い続けることはどれだけ困難だろう。年に一度の逢瀬に恋い焦がれ、ひとり待つのはどれだけつらいだろう。
どれだけ、ひとり泣くのだろう。
どれだけ、自分を責めるだろう。
彦星もだろうが、織姫は思っていた。あのとき仕事を怠けなければ、と口に出さないだけで悔やまない日はなかった。
責めて、責めて、責めて。
想って、想って、疑って。
――疑って。
恋い焦がれるその感情は、決して奇麗で愛らしいものだけではない。想うからこそ嫉妬し疑って、届くからこそ喪失に怯える。愛おしむからこそ、痛みを伴うその恋情。――深いからこそ、痛みも深い。
織姫は繰り返されて繰り返されてきた繰り返しに、すっかり疲れてしまっていた。
そして逢瀬の前夜。
つい、こう悔やんでしまった。
――どうして、すきになってしまったの。
こぼれた言葉は涙と同じ、取り消せない。織姫は自分に怯えた。そんな自分のこころが、恐ろしくなった。
――いっそ七夕なんて、逢瀬なんてぶち壊してしまおう。
――こんなにもつらいなら、涙とおんなじに流れてしまえばいい。
大切なあの星をひとつ、流してしまえば。
でも。
織姫が天の川辺に、ぺたりと力が抜けてしまったようにへたりこんだ。微かに肩が震えたかと思うと、ほろんと一粒。そうして、わんわんと声を上げて涙をこぼした。
こぼれた涙は水たまりになり、川幅を拡げて、辺り一帯を海のような巨大な水たまりにしてしまった。――そうして、それは地上に雨として降り注いだ。
その水の中を、笹船がひとつ流れてきた。
ぷかぷかと頼りなげだが図ったように、織姫の傍にぴとりと止まる。
けれど、図られたタイミングでないことを織姫は知っていた。――ずっと、ずっと知っていた。
涙まじりにへたりこんだまま、そうっと笹船を掬い上げ、潰してしまわないように胸に抱く。ちいさくわらおうとして、そのままぽろぽろと、また涙をこぼした。
――そうだ、そういうひとだった。
――つらいだとかぜんぶ、だからどうしたっていうの。
――きらいになんて、なれなかった。
天の川の星々が、あやすように瞬いていた。
それが昨日、七月六日のこと。
そうして、七夕の夜。
二人は例年通り、逢瀬を叶えた。
やっぱり今年も泣いたから、幸福な涙が地上に降った。
天の川の星々が微笑ましさに綻ぶ。
星でありながら、ひとのこころを持つ彼らを愛おしんで。
『笹につるした短冊は、二人に叶えてもらうものだろう?』
『だからほら。ひとのこころに願いが絶えない限り、彼らの逢瀬は叶うのさ』
『さあ今年、ひとは何を願うのかねえ』
すきでいたい、すきだから。
そんな、いつまでも不器用な恋人たちが逢瀬と想いを交わす夜空のかなた。
いつまでたっても愛らしいひとのこころを、瞬く星々が愛おしげに見守っていた。
2011.07.06




