第二話 邂逅
憂鬱な気分だ……と、梨杏は晴れない胸の内を溜め込んでいた。
このまま家に帰れば、また繰り返すつまらない言い争い。だからブランコに座ったまま、ある人物を待つ。
――背徳の獣
選ばれたユーザーの苦悩を聞き受け、共有の言葉を投げ掛けてくれる。梨杏にとっては理解者に等しいだろう。自分でも分からない価値観を素直に受け入れてくれる存在が、心の在処になっている。
(早く来てくれないかな……)
あのメッセージから見て、この近くなのかと思うと何か疑いたくなるが、今はどうでもいいこと。
分からない価値観を共有してくれる存在が会いに来てくれる。期待が高ぶる気持ちを冷めない前に、早く一目見たい。他の考えが全て集中しているだろう。
誰も周りには居ないのに、梨杏は胸を抑える。
(あたし、凄く……緊張してる)
深呼吸。
乱れた呼吸を調えて、梨杏は夜空を見上げる。どのような想いを馳せているから分からないが、梨杏の瞳は生き生きしている。
彼女が空を見上げるの夢中でいると、雑草を踏む足音。気付いた梨杏が、ふと頭をそこへ向けたら……。
「このメッセージはお前か?」
青年の声に誘われ、暗闇の中、宙に浮くスマートフォンの画面を良く見ると、先程の会話を広げていたシークレットメッセージ。
自分に近づく足音が、更なる期待を引き寄せる。
「あ、あの! あんたが……背徳の獣……さん?」
スマートフォンの画面を閉じて、外灯の下で姿を現した……粗野な青年が梨杏を見下ろす。
「あぁ。現実に餓える奴らの味方、背徳の獣ご本人だ」
(……あたし、幸せかも)
驚きの表情を隠せない梨杏。相手はネットでは一部人気のユーザー。それが、目の前に居ることが奇跡のようだ。しかも、梨杏が求める理想像にも合致している。
何を驚いているのか理解し難い青年は首を傾げ、無表情のまま梨杏を見つめる。
「何固まってんだ。足でも痺れたか?」
「違うし!」
「威勢があるな。気に入った」
「それって……口説いてんの?」
「なぜそうなる。ちゃらちゃらに見えるか? そこらの性欲丸出し野郎と一緒にすんな」
二人の会話が熱を帯びようとしたら、軽快な声が即座に割り込んで来る。それは青年が当然聞き馴れた声だ。
「はいはーい。カップルごっこ終了。健全な恋愛を心掛けましょー」
「随、空気読んで」
がさつな青年――随と淡々な姿勢の少女は、二人に近づく。
「勘違いはそこまでだ。薄。そいつを診断してくれ」
「はい」
か弱く答える少女――薄。粗野な青年の指示と思われる言葉で、薄は梨杏の目前にして肩を掴み、顔を至近距離まで近づける。
「近いって!」
「黙って」
瞳を見つめられ、唇が重なりそうで梨杏は顔を赤くする。薄が掴む手をどうにかしたかったが、視線を一切逸らさない薄の冷たい表情に、目のやり場に困る。
「ありゃりゃ。全開じゃないすか先輩。俺らもやろうよ」
「俺が、その流れでやるとでも?」
「堅いねー。まあ冗談だ・け・ど」
随が肩に腕を回し、微笑む。
嫌そうに視線を落とし粗野な青年は吐息。
変わって、二人の少女が顔を合わせる最中。薄はある問い掛けをする。
「退屈から脱け出す勇気はある?」
「あ、ある」
「後悔するけど大丈夫?」
「しない」
言葉一つ一つ。薄は温もりを感じない言動で最後の問い掛けを投げる。
「大切なモノが消えても、それでも進む?」
(……はっ?)
答えに迷う梨杏。
「どうしたの? 答えないの?」
視線が泳ぎ、下を向いて答えない梨杏。
薄は返答を待たず、冷淡に口を開く。
「刺激に満ちた世界へ行きたくないの? どうなの?」
「……刺激?」
「そう。今の自分を、環境を。変えたくないの?」
「あたしは……」
下を向いていた視線が真っ直ぐ向き直す。
「変えたい。くよくよ迷う自分から! 一つしかない道なんて、あたしはごめんだ!」
薄の言葉で勢いと熱意が加速させ、はっきりと答えた梨杏。
薄は歓迎のつもりか、肩を掴んでいた両手を放して抱擁。
「ちょっ!? いきなりなんなの!?」
「とりあえず合格。その褒美」
黙って見守っていた随が「第一面接終了」と、小声で呟き、粗野な青年は「ああ」と同調する素振りの頷きを見せる。
粗野な青年の肩に腕を乗せていた随は一端離れて、二人の少女に歩む。
「ちゃっちゃっと第二面接を始めようや」
抱擁していた両腕を放す薄。
「そうしよう」
次は何をさせられるのか。不安が募るよりも、現実から脱け出せることに奮える梨杏。暗く曇らせた表情も、いつの間にか活気を戻していた。
「次はお前の家に案内しろ。今度は行動で示してもらう」
落ち着いたところで粗野な青年が案内を求め、梨杏はゆっくりと頷いた。
人気のない道を静かに歩く。
たどり着いた場所は……公園。
(微かに残っている)
それが何を感じとったのか。ブランコまで寄って、ただそこに突っ立てる。
(獣たちは此処に居た……まだ近くに?)
辺りを見回し、それはある物を発見する。
「学生手帳?」
捨てられたのか、鞄から落ちたのか。とにかくその手帳の中身を拝見。なんにせよ、これは手掛かりの一つ。
名前と住所。手帳を懐に収め、そこから足取りを掴んだのか直ぐ様公園から離れ、急ぎ足で追う。
(あれを行われる前に阻止する……!)
黒一色の身なりは、夜に溶け込んで消えて行った。