第一話 日常
某県立高等学校。
一教室でがやがやと騒ぎつつ、朝のホームルームが始まるまで駄弁っている男女共々。
「昨日さ、有紗がすごいイケメン見たんだって!」
「またイケメンの話?」
その隅っこで二人の少女が話していること。女子の間で良くありそうな、色男の話題。どこで見た、どんな顔だったか、服装はなんだ。
とにかく色恋沙汰にうるさい年頃であろう。
「イケメンって言っても、どうしようもない人らも居るから。その逆も。だから、私はどうでもいい」
「イケメンは嫌いなの?」
色男の話題に噛みつかない真面目そうな少女。無関心か。
「そうじゃないって。何でもかんでも顔で決めるのは、危なくない?」
「うーん、それはそうだけど……やっぱ見た目が一番になっちゃうんだよねー」
(やっぱそこか……)
それぞれの恋愛模様に、真面目そうな少女はとやかく突っ込む気は無いのだが、あまりに男の子を見る視野が顔だけ。
恋愛に興味が高ぶる友人――月島梨杏に何をどう、助言しても見た目にたどり着く。一度危ない目に遇わないと、考え方を変えないだろう。
「はいはい。で、どんな人だったの?」
「赤のメッシュが印象だったかな。あと、身長も高くてアウトローな感じが素晴らしい!」
「ただの不良だよね、それ」
単純に突っ込んだ真面目そうな少女――日向華澄の友人は、経典的な不良イケメンが好みのようだ。
恋愛の方法は人それぞれ。あれこれ突っ込んでも仕方ない。その人の好きなようにするのが得策であり、関わらない身である和美には無難。
しかし、恋の話より優先させる事が和美にはある。
「そんな色恋話より、大丈夫なの?」
「何が?」
梨杏はきょとんとした。完全に忘れていたのか、もしくは……その話を出されるのが嫌で誤魔化したか。
「進路だよ」
「あー進路ね! あははは忘れてた」
後に訪れるであろう進路選択。暢気な姿勢に、華澄は呆れて吐息。
「なんとか決まりそう?」
「ふっふっふっ。自宅警備員」
「真面目に大丈夫なの?」
「あぁ……えぇ、分からん」
なぜこうも私の友人は短絡で自由なのだろうか、頭を押さえて再び吐息する華澄。
「私はね、大学を選ぶよ。もっと勉強を積んで、社会に貢献できる人間に成りたいの」
「っ……」
華澄の真面目な姿勢に梨杏は視線を下にずらし、口を閉ざしてしまう。
その真面目な一言に、何を思ったか、沈黙が流れる。
(社会に貢献……ね)
進路選択の行く末は知れたことだと、梨杏は分かっているつもりだが、素直に応援の声を掛けられない。
「……あたしには、役立てる生き方なんて良く分からない。縛られる人生はごめんだね」
「自分の将来が懸かってるんだよ?」
真っ直ぐに見つめてくる華澄の視線が眩しく、机に伏した梨杏。
「私はさ、自由に自分らしい生き方をしたい梨杏が大好きだよ」
「……けど」
「でも、避けられない道もあるんだよ」
言葉を遮られて、黙る梨杏。言い返すことはなかったが、正論なので、どうにもできない。
華澄はさらに一声掛けようとした瞬間、教室の扉が開き、担任の先生がゆるやかに入っていく。
「まあ、じっくり考えるよ……」
適当にはぐらかされて、頭を抱える華澄。進路が刻々と迫ることに、危機感を抱いてほしいと言いたかったが、ホームルームのチャイムが鳴ると同時に、担任の先生がいつも通りに声を上げる。
(ほんと、人生ってめんどくさいなぁ)
歩道を、横に並んで歩く若者が三人。歩幅を合わせて歩き、三人は前進を続ける。
「おい。なんか目星付いたかよ」
缶ジュースをがぶ飲みし、道中の自動販売機で買って僅か数秒で飲み終えた粗野そうな青年は、両隣を歩く二人に問う。
「さあて、どうすっかな。二人に任せるわ」
粗野な青年の問いに、投げ遣りに答えたのはがさつな面を出す青年。
「二人で決めて。めんどくさいから」
即投げやりに答えた少女は欠伸をしつつ目を擦る。やる気の無さを感じさせる言動が、二人の青年を脱力感へ誘う。
「あれま。決めるのめんどくさいってさ。どうします~?」
「俺に投げんのか? ならば本能で決めても文句ねぇよな?」
「それ困るわー。非常に」
がさつな青年と粗野な青年は、特に困った様子を見せず呟いては足だけを動かす。
三人がただ歩いて信号が無いT字路に差し掛かったとき、少女がフラッと、ある建物に頭を向ける。
「どしたよ?」
「あれ……」
少女の行動に釣られて、二人も頭を向ける。
三人の視線の先には、学校。フラッと立ち寄り、正門の立て札を一瞥する。
「高校かよ」
唐突に声を荒げ、不機嫌な顔を浮かべる粗野な青年。その様子にがさつ青年が一言投げる。
「嫌な思い出でも?」
「ちげぇよ。……学校なんざ行ったことねぇから分からん」
目前の高校を眺める粗野な青年。
「義務教育は高校までだろ。だったら、現実と理想の間で揺らめく時期だと思ってよ」
「まともなことを言うねー」
「るせぇな。お前は経験あるだろ」
「まあな。学生なんて一時の幻想。責任大好き社会へ入る前の段階だし、自由を浸れる唯一の期間さ」
粗野な青年の問いに対して、神妙に語るがさつな青年の顔は少し暗い影を落としている。
懐かしんでいるのか、呆れているのか。がさつな青年の返答を得て、歯を剥き出して微笑む粗野な青年。目標は決まったようだ。
「考えが浮かんだ。放課後まで待つ」
「おーおー。で、どうしたい?」
「その前に暇潰しだ。適当に狩るか」
「へいへいっと」
高校を後回しに移動を始める。
「ボケッとすんな。行くぞ」
「うん……」
茫然と高校を眺めていた少女に呼び掛け、三人共、高校から一旦離れる。
この三人は何者で、何をしようと考えているのか。一つ言えるとしたら、不吉を運んできた使い……だろう。
放課後。
学校の正門を脱けてふらふらと歩道を進む、手提げのスクールバッグを肩掛けして帰る梨杏の姿があった。表情は暗く、足の動きは遅く、顔は下ばかり向いている。
重苦しい様子の彼女が向かおうとしている場所は、日が沈みかけた無人の公園。ブランコに座り、物思いにふけ始める。
スクールバッグのチャックを外して、中からスマートフォンを手に電源ボタンを押す。梨杏が最初に開いたアプリは世界中で人気のある、リアルタイムで状況をインターネットで呟けるSNS。
梨杏のユーザーホームに、お気に入り登録しているユーザーは一人だけ。その名前は「背徳の獣」。プロフィール画面には「現実なんざクソ喰らえ」。
「背徳の獣」と名乗るユーザーが書き込みをした履歴を眺める梨杏。彼か彼女か、それは判らないことだが、痛々しく誰からも理解されたがい内容の呟き。
(やっぱり、この呟き見てると……落ち着く)
梨杏に親近感を沸かせる背徳の獣が書き込みした内容。
――誰だって自由でいたいよな?
――他人がやれって言うから、言いなりで自分はがんばるのか?
――生きるために金しかない世の中なんて壊れろ
――正式な労働が美徳と考えるのは、世界平和のためか? あぁ、やかましい
――ぶっ飛んだ思考は変質者扱い。クソな世の中
――傷の舐め合いを馬鹿げてるとほざく奴は、リアルが充実してるからほざけるんだろ?
どれもこれも、皮肉や滑稽を含めた書き込み。
そんな現実への誹謗中傷に、異を唱える者は居ない。背徳の獣が気に入ったユーザーを登録しない限り、その書き込みは半ば永久に見れない設定になっている。第三者が割り込めないように。
背徳の獣にお気に入り登録されたユーザーたちは、現実への誹謗中傷の熱意を加速させている。そのユーザーたちが一声掛ければ、必ず背徳の獣は返信が来る。犯罪への促進ではなく、同じような痛みを抱えたユーザー同士の……舐め合い。
だから、一部ではカルトな人気を誇っているのが、画面の中で論争を繰り広げている。
(私も何か書いてみよう……)
嘆きに染まる書き込みに魅せられ、画面をタッチして文字を入力する。
――私、どこにも居場所がなくて苦しいです。現実から脱け出したいです。どうしたら良いですか?
返信は必ず来る。書き込んだところで都合の良いように現状を変えてくれないのは百も承知だ。だが梨杏自身には、背徳の獣が投げてくれる言葉はどこか心地よいのだ。
――本気で変えたいか? 本気で脱け出したいか? 息の詰まる 現実 から……
予想通り。直ぐに返信はされた。
非現実なやり取りが行われるネットだから言える遊びもあるが、梨杏は少しも危険を感じていない。手早く画面をタッチし、夢中で文字を入力しているからだ。
――変えたいです。毎日毎日息苦しくて生きる意味が分からないぐらいに
此所までは遊びと相談のつもりだったのだが、次の返信に梨杏は目を疑った。
━━お前はどこに居る?
唐突に届いたシークレットメッセージ。普段の書き込みとは違い、個人と個人の秘密なやり取りができる機能。
(はっ……? 何これ……)
シークレットウィンドウから何を書かれ、何を訊かれているのは分かるが、唐突で梨杏の思考は一旦止まる。
まさか、出会いを求めてる? だとしても、手先の入力が固まってしまい、次の入力が出来ない。
━━息苦しくて生きる意味が失ってるんだろ?
尚も背徳の獣からメッセージは送られてくる。
━━幻想へ連れてってやる。お前が望むモノを創りたいなら、一歩を踏み出せよ
そのメッセージが伝わったのか、梨杏は一言を入力する。
━━本当に?
━━お前自身が望めば、手を掴んでやる
励ましなのか、誘いなのか。
もうそんなことは考えてる暇はない。
━━お願いします! 私は脱け出したい! こんなふざけた世界から!
━━お前の望み、叶えてやる
意を決して、自分の現在地を書き込んでいくのであった。目の前のことが嘘だとしても、この高まる気持ちを抑えられないのだから。
日が沈んだ時刻に差し掛かり、学校の正門を眺める三人の若者。
「結局、見つからなかったね……」
少女は気力が抜け落ちて、表情を暗くする。
誰かを捜してはいたが、結局のところ見つからない。
「そりゃあそうよ。『現実飽きてます?』って、訊けるわけないじゃん。果たして何人『そうです』って答えるかねぇー」
がさつな青年は、事態の展開に進まないことを嘆いてはいるが、それほど落ち込んではいない。むしろ、気にはしていない様子。
「見ぃつけた」
好調に言葉を吐いたのは、ガードレールに腰を据えて、スマートフォンを手に画面を触っている……あの粗野な青年だった。
嬉しい口調に、がさつな青年が一声。
「おっと!? まさかヒットしちゃった?」
「そのまさかだ」
画面を閉じたスマートフォンをジーパンの懐に納め、高校から去って行く。
「まあ確かめるさ。マジでこっちに来る気があるか、ないか」
「そうやって……前も失敗したよ? 今回も失敗すると思う」
少女は前例を遠回しに述べた。が、刺々しい微笑みを見せる粗野な青年。
「今回は上手く行ける。何度も相談に乗ってから、直に会えば伝わりやすいだろ?」
「はぁー。あやふやな自信と根拠に満ちる謎の活気は嫌いじゃないねえ」
「言ってろ」
「二人とも……行こう」
三人は急ぐ様子を見せることなく外灯が照らす光から離れ、暗闇の奥へ消える。