参
裏庭に回るとトラックが下りて行った。
運転席に白い頭ともう一つの影、ハヤシさんとショウさんだろう。
あの人に顔を見せることを避けたかった。
オレはトラックが見えなくなったのを確かめてあの道を探した。
「心配なんだろう祖父ちゃん」
パキッと枝を踏む音さえ山の隅々に響いているようだ。カタカタと蛙のような声の鳥が奥へと招く。名残のツタが絡まっている木に囲まれた細い上り道。葉の茂った枝が両肩をかすめる。一キロほど歩いた頃、山頂がうかがえる所に出る。
西日が当たる木々に屋根が隠れている。御堂と同じ造り。大きさはその半分ほど。そして、黒。人の通る道から外れた所にある黒い御堂。
この御堂は鎖で囲ってある。江戸の中頃、この辺りはヒドイ飢饉があった。何十日と雨が降らなかった。ここはその時に亡くなった子供の霊を納めていると祖父ちゃんが言っていた。
すえた匂いが鼻に着く。引き寄せている。黒い御堂。
心臓が毒々しく染まりそうだ。オレはこの空間に高揚していく。
戸に手をかけると嫌な位寸なりと開いた。真っ黒の壁に鬼の面。
「祖父ちゃんはここが心配なんだろうな」
黒い御堂の鬼の面。外すと小さな溝がある。
オレはあの頃の祖父ちゃんのようにパチン、パチンとずらしていった。
溝の幅がずらす度に大きくなって最後の音がした。
もうそこは人一人通れる位の空間。下へと誘う階段がある。
七段ある階段を下りていくと踊場のような所に出る。
ここは幼子の霊の遊び場だと祖父ちゃんは言っていた。
岩壁から麻の着物の子供が出たり消えたりしている。
間延びした声が漂っていく。舌足らずな話し方で半分位がオレには何を言っているのか解らない。青い炎に包まれてケタケタと笑っている子や家を恋しがってすすり泣いている子がオレという存在を認めないでここにいる。
誰かがここに入り込んだら取り込まれてしまう。もしもそんなことになったらオレがその人を守るようにとそれがオレと祖父ちゃんの約束だった。 生きている者を取り込んだ幼子の霊は鬼となる。
「そんなことになったらこんな切ないことはない」
祖父ちゃんはあの時そう言った。壁には石をくり抜いた棚にしめ縄が張ってある。爪先立って覗くと見覚えのある箱。
「どうしてここに…」
あの小さな箱と同じ物がある。
ここには不似合いな新しい白い木箱、開けるとやはりあの写真。
ミキオの死に顔の写真。忘れるはずのないミキオの人としての最後の顔。突然、ヒューと風が入って来た。そして後ろからの光がオレを捕らえた。
「この箱。どうしてここに?」
「箱?さあ。トキオはこの場所の意味を知っているのか?」
昨日の穏やかな話し方とは違う。この話し方はあの時の祖父ちゃん。
祖父ちゃんはオレの宮参りの一週間後にあっけなく死んだ。いつもどおり一緒に夕飯を食べて、一緒に風呂に入った。
そして、布団の中で寝たまま逝った。
大好きだった祖父ちゃん。そして祖父ちゃんだけが知っていた。
慌ただしかった通夜の準備の中でオレはもう動かないはずの祖父ちゃんに呼ばれた。布団の中の話せないはずの祖父ちゃんからオレの名前だけを呼ぶ声がした。
「チィちゃん、祖父ちゃんはもう起きないって母さんが言ったよ」
オレを探していたミキオが首を傾げてオレの腕を引いたことを覚えている。
聞こえていない。
そうオレだけに解る。向こう側の言葉。
そして式が始まる前の棺。祖父ちゃんの亡骸の棺。祖父ちゃんがオレを見ていた。霞んだお腹から上の祖父ちゃんが棺から生えているようだった。ふらふらと祖父ちゃんに触れようとした指に痛みが走った。オレは意識を失った。
目が覚めると寺の控えの間のような所で寝かされていた。まどろみの中、寺の年配のお坊様と目があった。
「坊やは今は墓には行かないほうがいい。それと祖父ちゃんとの約束は守れ」
約束。
どうして知っている。
その声でこの約束は守らないといけないと確信した。
「トキオにやる。でもこのことは誰にも言ってはいけない」ゆらゆらとする意識の中で祖父ちゃんの話が続いた。
「トキオにやる。トキオの中で馴染んでいく。
これからはトキオの刃。それと…」
お坊様が祖父ちゃんの約束を繰り返した。
「このことは色が見えない者には言ってはいけない。巻き込んでしまう」
祖父ちゃんだけが知っていた。オレが亡者の色が見えること。怨みを持っているヤツの色が見えること。家族で祖父ちゃんとオレだけが見えた色。そのことを祖父ちゃんに言うと祖父ちゃんは
「怨みを持った者はそれが全て。力のあるトキオは邪魔者扱いする」
そう言って守ってくれた。痣が浮き上がった祖父ちゃんの手。三日月の刃を振ると色の奴らは消えた。その祖父ちゃんの刃をオレは貰った。