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小さな箱  作者: さわゆき
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 小さな箱。

突然送られてきた片手で持てる軽い小さな箱。

その小箱に収められていたのは死に装束を着せられた弟の写真だった。

顔に這う数本の糸。通り魔という誰にでもわかる知らない奴に殺された弟。


一年前のあの日、オレは死んだ弟の顔を見てはいなかった。見せては貰えなかった。あの日の朝までは柔らかい女の子のようだったオレの二才下の弟、ミキオの顔。


 「怖かった」


「ホラー映画よりスゴかった」


 傍観者が言った。まだ男になっていないミキオの顔を奴らは化け物にした。

頭が沸騰した。何も見えなくなったオレを何かが抑えつけた。そして…言葉と言えない言葉を吐き出したオレを白髪頭の男達は酒漬けにした。オレは企みに堕ちた。鈍く沈む扉の閉まる音に正気を取り戻したオレの前にミキオの物だという骨が並んでいた。


「…誰が…こんな物を………」


  送り主の名前は弟の名前が書いてある。穏やかだったミキオの顔に這う糸がオレの心を突きさす。


「このまま貫いて地獄でもいい、闇の世界でもいい、オレを……連れて行け」


 写真に落ちた滴で自分が泣いていることがわかった。それに気づいたら涙が止まらなくなった。

薄暗い誰もいないひとりの部屋で声を殺して泣いた。弟に会いたい。ただ会いたい。ミキオが墜ちた所。そこが闇の世界でもそこが地獄でも、…弟に…ミキオに会いたい。

 


 「帰ってくればいい。オレだけでは…それにウチのやつも……口にはしないから尚更…せめて大学を出るまでここにいたらどうだ?トキオ」


 十才上の兄は大人だ。

塾の講師であの日の半年前に結婚して家も買った。親と妻を気遣う心の広さがある。

 

  あの日、ミキオはオレを待っていた。学部は違ったが同じ大学に入ることになったミキオをオレが呼び出した。待ち合わせの時間にオレは間に合わなかった。

 時間を守ったミキオは殺され、守らなかったオレは生きている。それが許せないことにした。そんな理由を作ってオレはミキオの所へ行こうと思った。

どんなことをしてもミキオに会いたかった。


 それを父親に見つかった。父親は何も言わず母親の側にオレを連れて行った。

母親はオレの頬を子供の頃のように撫でた。そして弟の名を呼んだ。

小さな頃から両親はオレとミキオは双子のようだと言った。


「見た目ではないの。漂う空気、深い、深い所がよく似ているのよ」

 それが母親の口癖だった。


「…わからない…みたいだ」

父親が絞り出すような声で言った。





  母親はミキオが死んだということがわからなくなっていた。

誰かがそのことを言うと目を赤くして首を振り拒んだ。そして、オレをミキオにした。

そうやってオレとミキオの区別をつけないことでミキオが死んでいないことにしていた。

父親は母親のこの世界を壊さないことにした。

母親の世界でオレは会えないミキオを思い出しミキオの仕草をまねた。

そして、会えないミキオの話し方で答えた。

でも、笑えなかった。オレにはミキオの笑顔は出来ない。笑うとわかってしまう。

壊れてしまう。


  どこにもいけなくなったオレは大学の近くに部屋を借りた。

そこは喪失感という漠然としたものに乗っ取られた空間。

布団の中のオレを見下す天井が襲う。壁に浮かぶ向こうのオレがあの日のオレを冷たくののしる。

夜も無くしたオレはバイトに明け暮れた。

疲れれば眠れると思った。

疲れれば逃げられると思った。忘れられると思った。


「お帰りなさい。また一人? チィちゃんは?」


オレは息を整えてから母親と父親の笑顔を見比べる。


「…バイトだって」


チィちゃんは小さい兄ちゃん、つまりオレのことだ。




わらわらと笑いながら地獄へ誘う顔。

恨めしく見る目。オレだけに見える闇。

でも、知っている。

こんな風になってもわかる。オレの手は言っている。

ミキオ、

そう、そんな所にミキオはいない。


鏡に映る母親がミキオとして見る今のオレの顔。

見えない獣の牙に怯える濡れネズミの顔。アイツはこんな顔だったのか?

心地良かった弟との時間。

いつも同級生の誘いよりもオレの遊びについて来た弟。心を探る必要の無い時間。

心地良くさせたミキオの笑う顔。

その笑顔をオレが地獄へ沈めた。オレが行かせてしまった地獄。自分の血で出来ていく暗闇。救われないことを知っていく恐怖。

 

あの日、ミキオの顔は自らの血で出来た‘死んでいく恐怖’という地獄に沈んだ。

あの日、あの時間、あの場所で約束しなければ失うことは無かった。こんなことにはならなかった。

あの時のオレの前を横切り道を塞いだ顔。

その時オレはもう一つの約束に心を支配されミキオとの約束を無くした。

そして…オレがミキオを殺させてしまった。

あの日オレが作ってしまった奴らからの侵入を防げなかった家。冷静な兄はその家に蓋をした。

そして両親を自分の眼下に住まわせた。


「父さんには言わないほうがいいと思う」オレは送られてきたその写真を兄に見せた。


「ここでは無く、トキオの所へ?」


 冷静で大人の兄は真っ直ぐにあの写真を見ている。

大人のこの人は見えないふりができる。 

今もこのオレと違いあの写真を黙って見ていることができる。

兄はため息を落とすと眉間にしわを浮かべた。そしてそこに書いてある住所を見て兄の目がオレに移った。

 

「ここは…死んだ祖父ちゃんの実家じゃないか」



「うん、だからオレ行って来る。大丈夫、金はある。バイト代が…」


兄は飲み込むようにオレを見ると口元をキツく結んだ。


「大学に行かないで貯めた金か? こういう仕事していると大学の噂話は何でも入る。まぁ、好きにすればいい…父さんにはオレからサラッと言っておく」

 兄は無造作に写真をオレにつき返した。

そして、「仕事だ」と素っ気なくオレの前から出て行った。

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