変わらない朝
ジリリリリリリリリ!
カーテンの少し開いた隙間から、眩しい陽射しが差し込んできたのと同時に、部屋に朝六時半を知らせる目覚まし時計の音が鳴り響く。
「ん…るっせぇ…な…」
俺は手探りでそれを止めると、もう一度布団を頭から被った。すると…
「お兄ちゃん朝だよ起きて!」
「ぐはっ⁉」
勢いよく部屋のドアが開き突如現れた、中学校の制服を着た可憐で小柄な少女から、ボディープレスをくらう。俺の妹の、木暮美羽である。よく手入れが行き届いた綺麗で艶のある長い黒髪のおかげか、清楚でやや大人びた雰囲気があるが、いつも天真爛漫で、表情豊かな明るい性格の少女だ。美羽は俺の上にかぶさるように乗ったまま、そのまだ幼さを残す美貌と、大きな瞳を向けてくる。
「おはようお兄ちゃん。起きた?」
「あぁ…おはよう美羽…。バッチリ目が覚めたよ。だからとりあえずどいてくれ…」
「はーい」
俺は笑顔の美羽をどかしてから、まだ少し痛む身体をゆっくりと起こす。昔からされて来たから、流石にもう慣れたが…。
「早く来てよ。朝ご飯冷めちゃうからね」
「了解。先下行ってくれ」
「今日から新学期なんだから遅れちゃダメだよ?」
「へいへい」
軽く答えて、美羽が部屋を出たのを見送ってから、もうだいぶ着慣れた高校の制服に着替える。それから部屋を出て階段を降り、洗面所へ向かう。冷水で顔を洗って、髪の寝癖を直してから、リビングに入る。すでにキッチン前のテーブルには、二人分の朝食が用意されていた。
「今日もうまそうだな」
「えへへ、そうでしょ?」
美羽が得意そうに胸を張る。見るからにフワフワのスクランブルエッグに、ツナとレタスのサラダ、カリカリそうなベーコンに、イチゴジャムとマーガリンをぬったトースト。これら全てを美羽が作ってくれた。彼女は共働きでなかなか家に帰ってこれない両親に代わって、家事を全部完璧にこなす。俺も出来なくはないが、美羽には遠く及ばない。まぁ俺も美羽も、料理はある奴直伝なんだけど。
「そんじゃあいただきます」
俺は冷蔵庫から牛乳を持ってきて美羽の対面に座り、朝食を食べ始める。
「ん?お兄ちゃんってそんな物つけてたっけ?」
突然、美羽が俺の左手首にある物を指差して聞いてきた。タイガーアイと呼ばれる石でできた数珠である。
「えっ?あぁこれか?いや、最近買ったんだよ」
俺は慌てて右手で数珠を隠し答える。実は言うと、四年前のあの時からつけてはいたんだが…。しかし美羽は、俺のそんな態度を不思議とは思わなかったのか、「ふ〜ん」とだけ言って、話の話題を変えた。
「そういえばね、昨日唯ちゃんが妖精使いに会ったって言ってたんだよ!」
「えっ⁉」
俺は驚いて目を見開く。唯ちゃんと言うのは美羽の友達で、優しそうな大人しい女の子だ。何度かこの家にも遊びに来ているので、顔は知っているのだが…。
「美羽、今何てった?」
「へ?だから唯ちゃんが妖精使いに会ったって。なんかナンパされてたのを助けてもらったらしいよ」
美羽はなんだか羨ましそうにそう言った。『妖精使い』と言うのは、成仏した死者の魂から生まれる霊的存在である『妖精』と契約を結び、使役して、その様々な『異能』と呼ばれる特殊な力を振るうことが出来る人間達のことだ。今ではその存在は世界中の誰もが知っていることだから、別に見かけても不思議ではないのだけれど…。
(でも普通の妖精使いは、妖精相手以外には力を使ってはいけないはず…)
妖精使いを見分けるのは、一般市民ではまず出来るはずがない。なぜなら彼らは普段はただの人間として生活しているからだ。それに、妖精との契約の証として身体のどこかに刻まれる『契約刻印』と言うものも、妖精使い以外である人間には見ることが出来ない。ただし唯一見極める方法があるとすれば、それは妖精使いの力をその目で見ることだけだ。
「なぁ美羽。その妖精使いがどんな人だったかは聞いてるか?」
俺は一つ思いあたることがあったため、念のため美羽にそう聞いてみた。すると彼女はしばらく腕を組んで「う〜ん」と唸ってから答えてくれた。
「確か…青い髪をしてて、蒼い焔を操ってたって聞いたっけ」
「やっぱりかよ…」
「?」
俺ははぁ…と呆れてため息を吐く。思いっきりビンゴ、知り合いと思われる人物だった。
「どうしたのお兄ちゃん?もしかして知ってる人だった⁉」
美羽が興奮したような表情でテーブルから身を乗り出してくる。
「いや、残念だけど俺にはそんなすごい知り合いはいねぇよ。少し予想が外れただけだよ」
俺は適当に誤魔化す。今いると言ってこいつに会わせろなんて言われたら面倒だしな…。美羽は「えぇ〜」と残念そうな顔をしながらイスに座りなおした。
(でもまぁこれで、唯ちゃんがどうして妖精使いだと判断できたかは分かったな)
高位の妖精には、人間の姿になれる奴もいる。そいつらは稀に人間に化けてイタズラをする時がある。唯ちゃんを助けた妖精使いは、それに気付いて力を使って攻撃、いや、捕獲したんだろうな。妖精使いは当たり前だが妖精を殺したりはしない。まぁそれが、普通の妖精であればだけどな…。
「ごちそうさま。でもいいなぁ、美羽も妖精使いに会ってみたいなぁ〜」
「そ、そうだな…」
食べ終わった食器を片付けながら呟いた美羽に、俺は少し動揺しながら言葉を返した。今すぐに会わせてやれないこともないんだけど…。そう思いながら、左手首の数珠に触れた。
*
「おーい美羽、先行っちゃうぞー」
「ちょっと待ってよー!」
俺が階段に向かってそう声をかけると、すぐにパタパタと美羽が通学カバンを持って二階から下りてきた。
「お姉ちゃんのとこ行くんでしょ?」
「あぁ、行かないとなぜか怒られるからな…」
ブラウン色のローファーを履きながら聞いてきた美羽に、俺はメンドそうに答える。彼女が今言ったお姉ちゃんというのは、俺の幼馴染みの女子のことだ。そいつとは小学校一年生の時に知り合って、そのまま中学高校と同じで、もう十年くらいの付き合いになる。だから美羽は彼女のことをお姉ちゃんと呼ぶ。俺的にはどうかと思うが、まぁあっちがいいって言ってるからいいんだけど…。
「なぜかって…。ほんとお兄ちゃんはお兄ちゃんだよねぇ…」
「お、おう?」
呆れた表情で玄関を出た美羽に疑問を持ちながらも、彼女の後を追うように俺も家を出た。