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硬直した体に神経を走らせる、慌てふためいた脳みそのままでシラスの名を叫ぶ。
自分の視界に入ったものが現実だと思いたくなくて、そばに近づいても触れることすらできない。
混乱にめまいと動機を感じながらも完全には現実逃避できない自分にもどかしいような帰って来て欲しいような、飢餓感を感じながら言語を舌で絡ませる。
「しら、す・・」
息をしてるのか、血は止まっているのか、生きているのか、
疑問をぐるぐると喉にかき混ぜながら恐る恐るシラスに指を伸ばす。
シラスが死んだらどうすればいい、どう生きていけばいい、どうしてまたこうなるんだ、
また繰り返すのか、
僕のせいで、?また?
血に指先が触れる。ほんのりと残る体温にまだ傷が真新しいことに気づく。
大丈夫、大丈夫だ、まだ大丈夫。
ぐっと息を飲み脳から吹き出す異常物質を抑えながら、今にも壊れそうなものに触れるような手つきで服をめくる。主に大量の血があふれ出ているのは腹部、よってここに肉を裂いた忌々しい傷口が・・・、
あれ?
ない?
「し、しらすくん?」
正気に戻った瞳孔を瞬かせながら奇妙な擬音を漏らしながらおろおろと服のあちこちを引っ張ったり血の匂いを嗅いだりする。鉄分の多い奇特な異臭が鼻をつく、これがシラスの体から流れてないとすれば一体この血は誰のだというのか。致死量とはいかないがべっとりと付いた血痕には非日常を彷彿とさせるだけの量を含んでいた。
疲れきったようにうつ伏せになり額から汗を流したシラスはうっすらと目を開け、ジュラを横目で睨むような強さをもった眼光で言い放ち、よかった、シラス。と口にする前に一喝。
「僕じゃない、外にいるやつを即刻手当もしくは救急車を呼んでください!」
「え、えっ、あ、うん!」
怒られて動揺しながらぐっと片手で上半身を起こすシラスに一瞥され言われるままに、背後を抜け扉をくぐり外に出て見つけたのは、店先の付近で倒れこむ本当の負傷者かつ血塗れの犯人。
「だ、大丈夫ですか?」
店前に倒れこんだ様子に声をかけるも反応は薄く呼びかけにも答えず、瞼を閉じ顔面蒼白で冷や汗を流しながら青い唇を震わせる。意識があるのかないのかわからないほど彼は衰弱しきっていた。
徐々に冷静さを回復しながら、慣れた手つきで負荷をかけないように手を滑り込ませ自分の体に重心を預けるようにして相手を抱えて玄関を通る。
少し柔らかい絨毯に急遽床に横たえ、相手を観察する。腕を斬りつけられたようで、循環する体液が応急手当か巻かれた布に徐々に滲み出ていた。他にも腹部や肩に刃物の切っ先がかすめたような傷跡を一瞥すると、腕を流れる血を止めるためにジャケットのポケットから取り出したゴムできつく太い血管をせき止めるように心臓に近い部分を締め付ける。服が汚れるのも構わないままに作業を行う。
「これ、ヤバイかも・・」
悪寒が走る。背筋が走ったものに嫌悪を抱きながら動揺を表しながら背後で浅く荒い息を吐き閉じたドアに背を預けるシラスを見つめる。
「そ、んな。」
驚愕に目を見開き、目前に迫る危機と人間の死に立ち会う悍ましさと憂いをない混ぜ溢れた感情を制御できないまま縋るように、眉を寄せジュラの名を悲痛に漏らす。
困ったように微笑み返しながらつぶやく。
「助けられるけど、えっとーシラスには見られたくないなぁー」
首をかしげながらほっぺに指を当てる姿には状況との落差にシラスは顔を顰める。
「意味がわからない、助けられるなら助けてださいよ・・!」
悲痛に叫ぶ、初めて人生で人間の大量の血に触れ消え行く命の灯火を肌で感じ取ったのだろう、周りの者全てに恐怖と動揺あらぬ虚偽を脳内に浮かべてもおかしくない。
「かぶっててね!ぜったいだよっ!」
ばさりと自分のジャケットをシラス目掛けて脱ぎ捨てる。突然の行動に頭を覆うジャケットを抑えながらおろおろと指を動かす。
「見たらシラスクビだかんねっ!!」
指を指しながら言い放つ。まるでこれは昔話の鶴の恩返しみたい。とか思考を浮かべながら呼吸をか細くする相手を見つめる。
このまま放っておけば医療機関に到着する前に多量出血で息を引き取ってしまう。
致し方ないと腹をくくり唇を開き、
ゆっくりと傷口に、舌を這わせる。
血の独特の鉄さびた甘味とは程遠い味が舌を濡らしながら、唾液を含んだ舌を細胞の裂傷にそって這わせる。
こんな変態みたいな行為見られたらお嫁にいけないもんね!
横目でシラスの、静かになった空間を不安に思いながらも言ったことを忠実に守る姿に心の中でほっと息をつく。
舌で血と唾液を混ぜ合わせる音がシラスの耳に届かないように最小限の動きに留めながら長い裂傷を舐め終わる。
性格には舐めることが重要なのではなく、僕の唾液で傷口を濡らすのが大事なんだけどね。
舌を血で染めながら眼下で行われる圧倒的な治癒を眺める。ジュラが舐めたところから血管が再生し、神経をつなげ組織液を増やし薄い皮膜が形成されていく。
肌に乗る血痕以外は跡形もなく傷がふさがる。
事情は詳しくは話せないが、自分の唾液には人体を治癒を促進する成分が分泌されていて、たいていの傷は舐めれば治すことができるのだ。
残りの小さなキズや少し深い痕を早急に舐めると、シラスをごまかすために上から一応包帯を巻いて急いでシラスのもとへ駆け寄る。
「もう大丈夫だよ!」
「・・なんなんだよ」
不機嫌そうな顔がジャケットの下から覗く。
本当に大丈夫なのかと疑う表情に信用ないなぁ~と息を付き倒れる彼を指差す。
呼吸が先ほどと打って変わって落ち着き、青白かった顔も先ほどよりかはマシになったと思う。
「よかった」
その様子をみて心底安心したような表情をシラスが零す。
そんな姿にさらに安堵してジュラも目を細め微笑む。
突然舞い込んできた非日常に、ひと段落がついたとでも言ったところか。
「っ、ジュラ・・!」
小さなベルが激しく鳴り響きながら閉じた扉が開く。
焦ったようなシフォンの顔をみた二人が顔を見合わせ吹き出す。
「おい・・」
半切れになったシフォンの肩にまぁまぁと手をおく。
「一杯紅茶でも飲みながらさ、玄関の血とそこに倒れてる誰かさんの話でもきこうじゃないか!」
何が何だかあわからないというような表情でシフォンがはあとため息をつく。
焦った俺がバカだった、と。