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第一話 死に戻り

春の花の香が鼻腔をくすぐり、暖かな風が少し開けた窓から遠慮がちに入り込んでくる。

ゆっくりと目を開けた雲嵐はしばし天井をぼんやりと見つめた後、ふと我に返り強烈な違和感に襲われた。


(さっきまで北門で戦っていたはず……)


血の匂いも刺された感触もはっきりと記憶に残っている。それなのに自室の寝台の上に横たわっているのはどういうことなのか。


「まさかあの世では自分の館を模したところで暮らすのか?」


困惑しきって雲嵐が周りを見回してるとこんこん、と扉を叩く音が聞こえた。


「旦那様、お目覚めでしょうか」


聞き馴染みのある声に思わず返事をしながら視線を遣ると、小脇に洗面器具を抱えた使用人の呉陽が入ってきた。彼は雲嵐の乳兄弟で、今でこそ立派に働いているが昔は悪戯っ子だった。余計に混乱しながらも雲嵐は何とか頭を働かせて彼にある質問を投げかけた。


「呉陽」


「はい」


「お前も死んだのか?」


呉陽の丸い瞳が見開かれ、次の瞬間には彼は腹を抱えて笑い出していた。


「勝手に私を殺さないでくださいよ!それにお前”も”ってどういう意味ですか?まさか旦那様はあの世まで行っちゃったんですか?」


涙を拭きながらまだ可笑しそうに笑いながらいう彼にややむっとしながらも、雲嵐はとりあえず次の質問に移る。


「今は永明何年だ?」


「今年は永明五年ですよ」 


お湯に浸した柔らかな布を雲嵐に渡しながら呉陽は答えた。


「永明五年?!」


驚きのあまり受け取った布を取り落としそうになった雲嵐に対して、呉陽は平然とした顔で頷いていた。

今年は永明八年だったはずだ。それが五年ということになると───。 


(まさか三年前に戻ったのか?!)


顔を布で拭きながら雲嵐はさらに混乱していた。にわかには信じられないようなことだ。過去に戻るなんて話は、せいぜい子供向けのお伽話がいいところだ。呆然としながら考え込む雲嵐の様子を見てさすがに変だと思ったのだろう、呉陽が気遣わしげに声を掛けてきた。


「まあ旦那様は戦場から帰ってきたばかりで疲れも溜まっていると思いますから、今日ぐらいゆっくり休まれたらいかがでしょう」


「ああ、そうだな」


上の空で答えながら雲嵐は思考の海へと沈んでいった。

朝餉をとりながら雲嵐は死ぬ直前に見た光景を繰り返し思い出していた。

まず自分を刺した若い兵士のことが引っかかっていた。前提としてこの翠華国では軍は四つに分けられており、東華軍、西華軍、南華軍、北華軍が国を守っていた。軍事力を分散することで反乱が起きる可能性を少しでも低めるためだ。


それぞれが平時は方角ごとに分かれ国境を守ったり、都を囲む城郭の門の警備をしたりする。

それらの軍の頂点に立つ者が将軍であり雲嵐は北の守護を任されているため、一般的に北華将軍と呼ばれている。


あの兵士は北華軍の所属であることを示す黒で描かれた玄武の紋様が入った鎧を着ていた。

あの状況に乗じて紛れ込むことは容易だろうが、念のため自軍の兵士を調べておいたほうがいいだろう。

あとは途中で消えた神官長の陣。あれを見た瞬間から一つの疑念が浮かんでいた。


そもそも謎の軍団も神官長の手引きがあったから、突然現れることができたのではないか。この国の術者のなかで最も力を持っていると言われる神官長なら、大量の武器と兵士を一度に移動させることができる術も難なく使いこなせるだろう。


翠華国軍は何かしらの異常があればすぐに知らせが来るような体制を敷いている。さらに雲嵐は各地に間者を放っており、常に情勢を細かく把握するようにしている。

だがそんな雲嵐ですら神官長の近くに間者を送ることは出来なかった。

彼の近くに不審な者がいた場合、あらゆるところに張り巡らされた陣が発動し、即刻殺されると言われている。


そのため雲嵐や他の将軍達が張り巡らした、国を守るための網をかいくぐることができるのは神官長ぐらいしかいなかった。 


(私が直接彼に会いに行った方がより確実で安全だろう)


雲嵐には将軍という肩書きがあるため、普通の人よりは信用してもらえるかもしれない。

雲嵐は呉陽に外出の支度をするように声をかけると、着替え始めた。



一応形だけ護衛を連れて雲嵐は愛馬の黒雷に跨って、神殿に向かった。黒雷は漆黒の駿馬でありいささか気の強いところはあるが、雲嵐の言うことをよく聞き長年戦場を共に駆け抜けてきた、大切な相棒である。


黒雷を操りながら柔らかい春の日差しの中をひらひらと舞う桃の花びらを、雲嵐は目を細めて眺めた。季節を感じることなど久しくなかった。

雲嵐は人生の半分以上を戦場で過ごしてきた。

上官も部下も戦友もそのほとんどが戦で命を散らし、悲しむことすらできない環境に身を置いているうちに、徐々に心を殺すようになっていった。


それでもまだ花を美しいと思える心が自分に残っていることが、嬉しいような気がしたのだ。

しばらくすると神殿が見えてきた。都の中央にある皇宮から少し離れたところに位置する神殿は他の宮とは違い、独特な雰囲気を醸し出している。


皇宮のように城壁を張り巡らしたわけでも、金色に輝く屋根があるわけでもない。だが白木で造られた建物はどこか荘厳な佇まいであり、また目を凝らすと神殿の門や扉には精巧な彫刻が施されているのが分かる。 


その建物自体が、神官の存在を表しているようであった。皇帝が太陽だとすれば神官は月である。

民を静かに照らし暗い闇夜で彼らを導き、寄り添うような存在だ。その中でも神官長は別格だった。この国の中で最も偉大な術者と称えられ、不思議な術を用いてこの国を密かに守っているとの噂だ。


(確か何度か姿を見たような)


だが神官長が唯一民の前に姿を現す建国ノ儀の時でさえも彼は薄布を被り、姿をはっきりと見せることがなかった。


もし神官長が裏切り者だとするならばこの状況は彼にとって都合がいいだろう。顔を知る者がほとんどいないのであらば、替え玉を用意しておけば入れ替わって外で自由に行動することができる。また周囲からは信頼される立場の為、警戒されることも少ないだろう。


(あまりにも条件が整い過ぎている)


少しずつ少しずつどんな証拠でも残さず集めて逃れられないようにしてやる。

戦場で感じる血が騒めくような興奮を覚え、雲嵐は不敵な笑みを浮かべた。

神殿の門の前に着くと雲嵐は黒雷から降りて馬丁に引き渡す。護衛の者には外で待つように伝えて門の中に入り、大きな階段を登って『霊斎院』と書かれた額縁が掛かった扉のところまで歩いていった。


扉の横には藍色の衣を纏った、神官の護衛である清風院の者達が立っており、神殿に入る者を確認していた。雲嵐も一応は調べられたが形だけという風であり、思っていた以上にすんなりと入ることができた。

入ってすぐに祭壇が置かれている大きな広間に着き、辺りを見回す。パタパタと神官見習い達が書物を運んだり、神官に会おうとしている者を案内してたり忙しそうに働いていたりしていた。


雲嵐はその中で丁度手が空いた少年に声をかけた。 

「すまないが神官長に会うことができないか?」


色白の聡明そうな少年は少し首を傾げた後、


「確認して参ります」


と言い広間を出て奥に続く廊下の方に向かって行った。

少し待つと先程の少年が戻ってきた。


「神官長はお会いするとのことです。広間をでて廊下を道なりに進んでいけば、大きな扉がある部屋があります。そこに神官長はいらっしゃいます」


「ああ、わかったありがとう」


こんなにも簡単に会えたことに少々拍子抜けしながらも、雲嵐は少年に教えられた通りに進んでいく。廊下の窓から日光が差し込み磨き上げられた床が光を反射して輝いているように見える。

歩くうちに大きな扉のある部屋に辿り着いた。名前を名乗ると少しして中から返事が聞こえた。


「失礼する」


重い扉を開け中に入ると一気に墨と書物の匂いに包まれた。部屋の中央には文机が置いてあり、その周りには書物が積み上げられている。先程から文机に向かって紙に何やら書きつけていた小柄な男が雲嵐が入ってくるとようやく顔を上げ、雲嵐に手で文机の前に座るように促した。彼は見たことがないほど美しい男だった。

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