精神科で見た、感情を弄ぶ者
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見習いとして閉鎖病棟に入ったとき、
いつも視線を感じていた。
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先輩看護師のものではない。
それとは違う、
どこか粘つくような視線だった。
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それから一週間ほどして、
無口だった男が、突然近づいてきた。
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「君は大人しいんだね」
「何歳」
「どこ出身?」
「家族は?」
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矢継ぎ早の質問。
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特に違和感もなく、
私はいくつか答えてしまった。
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そのときだった。
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「ごめんね、今ちょっと教えてる最中で」
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先輩看護師が間に入った。
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男は、舌打ちをして離れていった。
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詰所に戻るなり、
看護師は短く言った。
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「あの人には気をつけろ」
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理由は聞けなかった。
ただ、
少し気になっただけだった。
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ある日、その男が興奮していた。
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配属から一ヶ月。
業務にも慣れてきた頃だった。
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私は声をかけた。
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「どうしましたか?」
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次の瞬間だった。
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「気安く話しかけるな」
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低い声。
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「親と一緒に住んで、ぬくぬく生きてきたやつに、俺の何がわかる」
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「消えろ」
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その言葉に、
動けなかった。
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――ああ、これか。
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そう思った。
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「おい、言われただろ。詰所に戻れ」
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看護師の声で、我に返った。
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それからその男は、
私に一切話しかけなくなった。
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無視だった。
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後で看護師が言った。
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「新人は大体これでやられる」
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「まずは患者を知れ」
「自分のことは語るな」
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「どう向き合うかを考えろ」
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少し間を置いて、
続けた。
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「耐えられずに辞めたやつも、何人も見てきた」
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「だから、無理はするな」
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「辞めたくなったら、辞めろ」
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あれから、
どれくらい経ったのだろう。
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私は今も、
精神科で働いている。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
距離を間違えると、
ほんの一言で崩れることがあります。
あのとき何がいけなかったのか、
今でもはっきりとは分かりません。
ただ、同じことを繰り返さないようにと、
今も意識し続けています。




