表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編集

一つで済むなら

掲載日:2026/03/27

 明日に、延ばすな。


 会議室の空調は一定で、外の時間を感じさせなかった。

 長机の上に並んだ資料は、どれも同じような体裁で、同じように線が引かれている。

「このルートだと、ここが引っかかります」

 担当者がレーザーポインタで一点を示す。

 スクリーンには、地形図と既存区画、そして一本の直線が重ねられていた。

「回せない?」

「回すと今度はこっちが干渉します。勾配も基準を外れます」

 別の案が表示される。

 線はわずかに曲がるが、別の場所に赤いマークが灯る。

「結局、どのコースでも同じか」

「はい。ここだけは避けきれません」

 沈黙が落ちる。

 資料をめくる音だけが、一定のリズムで続いた。

「一件で済むなら、ここで決めるのが一番現実的だな」

 誰かが言う。

 異論は出ない。

「条件は満たしてる。工期も読める」

「補償も標準でいけます」

 言葉はどれも正しい。

 正しいものだけが、机の上に残っている。

「じゃあ、このラインで現地確認」

 結論は簡潔だった。

 線は、ほとんど最初からそこにあった。

 現地は静かだった。

 測量テープが引かれ、白い杭が一定間隔で打たれていく。

 図面の上の直線が、地面の上に現れる。

「座標、合ってます」

 端末と杭の位置が一致する。

 数値にズレはない。

「このまま通すと、ここにかかるな」


*************


 家に帰ると、郵便受けに厚みのある封筒が挟まっていた。

 差出人のロゴに見覚えがある。健康管理センター。人間ドックの結果だ。

 靴を脱ぎながら封を切る。

 紙はきれいに折られていて、数値と所見が整然と並んでいる。

「要精査? 胃が……なんだって?」

 視線が一行に止まる。

 具体的な言葉は並んでいるが、意味が頭に落ちてこない。

 そのままページをめくる。

 他はだいたい基準内だ。大きな問題は見当たらない。

 だから余計に、その一行だけが浮く。

 机の端に書類を置く。

 時計を見ると、もう遅い時間だった。

 三日後の予定が頭に浮かぶ。

 新設道路の現地で、最後に残った一件の立ち退き交渉。

 どのルートを取っても避けられない場所。

 条件はすべて揃っている。あとは話を通すだけだ。

 検査のことは、後でもいい。

 そういう順番にする。

 書類を閉じ、軽く指で叩いて揃える。

 紙の角が、きれいに揃う。

「……あなた……」

 台所の方から声がする。

 振り返る。

「何?」

「さっき、郵便来てたでしょ」

「ああ、検査の結果」

「どうだったの」

 少しだけ間を置く。

「大したことない。ちょっと引っかかっただけ」

 そう言って、封筒を持ち上げる。

 重さは変わらない。

 明日の段取りを思い出す。

 資料の確認、訪問の順序、説明の流れ。

「……明日、行ってきます」

 言葉は自然に出た。

 誰に向けたものか、自分でもはっきりしない。

 書類は、そのまま机の上に置かれている。

 まだ、開いたときの形を保っていた。


「まず、今の状態を見てみましょう。人間ドックのときは……レントゲンですね。では、胃カメラで直接確認しましょう。軽易であれば、そのまま処置も可能です」

 白衣の男は淡々と言った。

 説明は一通り受けた。サインもした。

 必要なことは、すべて終わっている。

 更衣室で検査着に着替える。

 薄い布越しに、室内の温度がそのまま伝わる。

 待合の椅子に腰を下ろす。

 呼ばれるまで、やることはない。

 腹が鳴る。

 昨日の晩から何も入れていない。

「これが終わったら俺、ラーメンとチャーハンを食べるぞ」

 名前を呼ばれた。

 すっくと立ち上がった。


 モニターに、暗い管の内部が映る。

 光が当たるたびに、粘膜が濡れた色を返す。

 「……少し力を抜いてください」

 声が遠くにある。


*************


 「……あー、主任、病院行くって休んじゃって。任せるって言われたって、俺この仕事噛んでないのに、わかんねえよ」

 「そのカメラ使って。場所が確認できたら、アームで除去しちゃって」

 「ほいほい。これ触るの、研修以来なんだけど」

 操作卓の前で、指がいくつかのスイッチをなぞる。

 映像が拡大される。

 輪郭がはっきりする。

 「……まあ、いいか……」

 軽く、押す。


*************


 「……あれ……」

 検査室の空気が少しだけ止まる。

 「綺麗ですね」

 モニターに映るのは、均一な色調。

 異常所見は見当たらない。

 器具がゆっくりと引き抜かれる。


 診察室に戻る。

 医師は一度画面を見直し、それから端末に手を伸ばした。

 短い通話。

 「……大変申し上げにくいのですが、事故があったようです。カルテが一人分、ずれていまして」

 言葉は丁寧だった。

 内容もはっきりしている。

 「本来の対象ではなかった可能性がありますが……現時点で異常は確認されていません。今回の検査費用はこちらで負担します」

 少し考える。

 胃は問題ない。

 検査代もかからない。

 それで十分だ。

「……まあ、いいです」

 席を立つ。


 外に出ると、空気が軽い。

 腹がまた鳴る。

 ――ラーメンとチャーハン。

 それに、唐揚げもいけるな。

 歩き出す。

 頭の中は、もう店のことでいっぱいだった。


*************


「ここで、いいんだよな……」


*************


 突然、空に柱が落ちてきた。

 雲を突き抜け、一直線に地表へ叩きつけられる。

「なんだ、あれは」

 誰かの声が、すぐに掻き消える。

 地面が揺れる。

 大地震のような振動が連続し、建物が軋み、街路が裂ける。

 遅れて、雷のような轟音が空を覆う。

 それは一箇所ではない。

 視界の外、音の届かない遠方でも、同じ現象が同時に起きている。

 世界のあちこちで、同じ形の破壊が繰り返されていた。

 空から落ちてくるのは、ただの柱ではない。

 正確に、まっすぐに、何かを貫くためのものだ。

 胃のあたりが、ふっと軽くなる。

 違和感が消える。

 ――綺麗ですね。

 声が、どこかで重なる。


*************


 作業卓の上で、光が収束する。

 巨大な球体が、ゆっくりと持ち上げられる。

「取れた。でっかいから時間かかった~ もう定時回ってるじゃん」

 作業者が肩を回す。

 指先には、まだ微細な振動が残っている。

 空間の奥行きは、人間の感覚とは一致しない。

 距離も時間も、別の単位で測られている。

 後方から足音。

「すまないね、時間がかかってしまって」

 主任が入ってくる。

「ちょうど終わりました。これで、次元間道路が通せますね」

 軽く球体を掲げる。

 表面には、まだ微かな光の揺らぎが残っている。

 主任は一歩近づき、それを見た。

 そして、止まる。

「……これ、隣の星系だぞ」

「まじ?」

 短い沈黙。

 遠くで、別の作業音が続いている。

 止まる気配はない。

「明日には道路工事が始まる。俺もやるから、今からやり直すぞ」

「えー、残業ですか?」

 愚痴のように言いながら、手元の球体を見下ろす。

 少しだけ考えて、

 男は、それを軽く放り投げた。

 青い球体は、弧を描いてどこかへ飛んでいった。


 誰かがフラグを踏んだから?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ