「もう、うんざりです。さようなら」~魅了にすべてを奪われた令嬢は旅に出る~
「セアラ・オルコット。君の無実が判明した。よって……釈放する」
感情のない声が、石造りの壁に反響した。
かつての婚約者は最後まで私と視線を合わせることもなく、まるで逃げるように立ち去る。
こうして、私の一年に及ぶ投獄生活は、このひと言で終わりを迎えた。
*
――王太子カーライル・ディアスの婚約者だった私は、一年前『フレデリカ・マレーを散々と虐げ、挙句の果てには命を害そうとした』と断罪された。
『当然、婚約は破棄する。……そして、フレデリカを新たな婚約者に迎える』
『そんな、待ってください……! 私は何もしていません。信じて!』
『どうか、罪と向き合って……。セアラ様』
慈愛に満ち溢れ涙を浮かべた瞳が、私にはギラリと歪に輝いてみえた。
『ああ、フレデリカ。君は、どこまでも優しいな。まるで伝説の聖女が生まれ変わったかのようだ』
殿下はフレデリカを抱き寄せ、美しい金糸の髪に口づけた。
そして、私は地下にある牢屋へと連行された。
無遠慮に掴まれた黒髪を、錆びの浮いた短剣がザクザクと切り落としていく。項を湿り気を帯びた冷たい風が撫でた。
『……軽くなったわ、ね』
腰まであった私の髪は、すっかり短くなってまるで男の子だ。
その日から、私の全てが変わってしまった。
それまで身に纏っていたドレスを剥ぎ取られ、渡されたのは粗末な麻布の衣。食事は、一日に一度きり。味のない薄いスープだけ。それすら忘れ去られたことは一度や二度ではない。
フレデリカは気まぐれに地下牢へとやって来ては、僕みたいな殿下の側近たちに私の背中や腕を鞭で打たせた。
時には首輪をつけられ、そこから繋がる鎖を彼女が握り、見世物にするかのように城内を引き回されたこともある。
あまりにも異様な光景に、『人道に反する』と苦言を呈した騎士もいた。だが、激昂した彼女は『私が悪いと言うの? 悪いのは、この女でしょ!』と私の頬を力任せに張り飛ばした。それ以来、城の者は見て見ぬふりを決めたのだ。
こうして私の心は、死んでいった。
――彼が現れるまで。
*
「……それで、私が王宮から出て自由になれるのはいつでしょうか?」
この一年でようやく肩まで伸びた毛先。それを指で遊ばせながら淡々と殿下に問う。
目の前にいる男は、釈放を宣言した際も、それから今日までの数日の間も、ひと言も謝罪の言葉を口にしていない。
殿下の側近ヒューゴいわく――
フレデリカは、『魅了の魔導具』を使い殿下を魅了し、未来の王妃の座を手に入れようとした。そこで邪魔な私に罪を被せて殿下に婚約破棄させた。しかし、何らかの理由で『魔導具』が破損。殿下が正気に戻り、フレデリカは『これじゃ殿下を操れない!』と自ら墓穴を掘った。と、いうのがことの顛末だそうで。
ちなみに、殿下のお仲間のヒューゴ、ハロルド、そして、マーカス。彼らは誰ひとり操られていなかったらしい。
……つまり貴方たちは、殿下やあの女に命じられ私に鞭を振るったあの時、ずっと正気だったのね?
操られていて自分の意思ではなかった殿下と、命令に従っただけのヒューゴたち。
『悪いのは、あの女なんだ』と、頭すら下げないだなんて。被害者にでもなったつもりなのかしら。
「君を実家に帰すのは、その……」
殿下が気まずそうに視線を彷徨わせる。
かつては自信に満ち溢れていた、瑞々しい若葉色の瞳だったと思う。それが今では、淀んだ沼に漂う藻を思わせる色になってしまった。
「ああ、そうでした。私、オルコットの家から籍を抜かれていましたね」
あの日、私が罪人となった瞬間、父は実の娘をあっさりと切り捨てたのだ。
娘と家を天秤にかけ、家を選んだ父。
冤罪と判明したからといって、一度貴族籍から消された名を戻すことは容易ではないだろう。
今さら、あの家に戻るつもりはない。
愛されていると信じていたのに、まさか娘より保身を選ぶとは。
「……それなら、街で働きながらひとりで生きていきます。ご心配いただかなくて結構です。早くここからお暇したいのですが」
「だ、駄目だ。侯爵令嬢の君を街に行かせるなんて出来ない」
慌てふためく殿下が、ひどく滑稽にみえて、なんとか笑いを堪える。
「……元、侯爵令嬢です。殿下、今の私は家名を持たないただの平民なのです」
「頼むから、行かないでくれ……」
今にも、足元にすがりついて泣き出しそうな殿下に、半ば強引に留め置かれることになった。
あろうことか、護衛としてハロルドを私の側につけて。
私を地獄に突き落とした彼らの『善意』という名の鎖が、私の自由を奪う。
ちなみに、マーカスは監視役としてフレデリカに配置されているという。
あの女は、地下の暗くカビ臭い牢屋にはいない。離宮の一室を与えられ、のうのうと暮らしているのだ。
いったい、どこまで私を傷付けたら気が済むのだろう。
*
「頼る家のないあなたに部屋を与え保護する。カーライル殿下は、セアラ嬢を深く想われているんだ」
客室に押し込められてから毎日のように『殿下の私への愛』を語る護衛という名の監視役ハロルド。決して私と視線を合わせずに。
ハロルドたち側近の魂胆など、手に取るようにわかる。
このまま王宮に閉じ込めて、私を再び殿下の婚約者にする。そして、すべて丸く収めたことにしたいのだろう。
なんて、浅はかな考えかしら。
――己の罪悪感からただ逃れるために。
寒々しい空気の部屋にコンコンと、扉を叩く音が響いた。
「セアラ、南方の茶葉が手に入ったんだ。好きだったろう? よければ一緒にどうだろうか?」
……貴方が美味しいと勧めてくれたから、好きだと言っただけよ。ほんとうは、あの鼻に抜ける柑橘の風味は苦手だったわ。
テラスに置かれた丸いテーブルを挟んで、私たちは向かい合って座った。
目の前の殿下は嬉しそうに微笑み、こちらを見つめてくる。それが、無性に腹立たしかった。
「……殿下。フレデリカ様は、地下牢には入れないのですか?」
微笑みは、簡単に壊すことができた。
「髪は切り落としましたか? 鞭で打つのは殿下自らなさるの? 鎖に繋いで連れ回すのは?」
殿下の顔がみるみる青ざめていく。震える唇がはくはくと開いては閉じて魚みたいだ。
長い沈黙の後、殿下が発したのは、あまりにも無神経で残酷な言葉だった。
「――そんな可哀想なことは、できない」
「そうですか。可哀想……。それなら、私はどうだったのですか? 殿下」
目の前に置かれたティーカップから、柑橘の匂いが漂う。
嫌い。大嫌い。
「教えてくださいな? 自慢だった黒髪を切られた時。体に一生消えないほどの傷を刻まれた時。家畜のように連れ回される私を見て――殿下は、一度でも『可哀想』と感じたことがありましたか?」
袖口を捲り上げ、白い腕に幾筋も残る赤黒く盛り上がった跡を掲げて見せた。
「そ、それは……っ」
目を逸らした殿下の顔色は、青から白へと変わっていく。
その背後に控えていたハロルドは、口元を押さえて吐き気を堪えている。
「出ていってください。気分が優れませんので。……ハロルド様、貴方も。私を、ひとりにしてください」
もう、誰も私を傷つけないで。
静まり返った部屋でひとり。思い出すのは、名前も知らない彼のことだった。
ある日現れた牢番の彼が運んでくる食事は、冷めた薄いスープではなかった。温かなポタージュに、パンと香ばしく焼かれた鶏のソテー。時には、果物まであった。
彼だけは、私を人間として扱ってくれた。
あの女の僕が私の背に鞭を振るうのを、身を挺して止めてくれた。
「あんたは無実だ。俺が必ず助けてやる」
私にとって彼だけが、死にかけの心を照らす一筋の光だった。
貴方に会いたい。
*
夜の闇に紛れて部屋を抜け出した私は、地下へと続く螺旋階段を下りていく。
護衛という名の監視役ハロルドは、毎夜何かから逃れるかのように酒を煽り、隣室で泥酔している頃だろう。
冷たい空気混じる、カビ臭さ。嫌でもあの頃を思い出し体が震えた。
長い廊下の突き当たり、鉄格子の並ぶ空間に置かれた粗末な机と椅子。
そこに、彼はいた。
蝋燭の炎がユラユラと彼の背中を浮かび上がらせている。無造作に耳上で結った銀の髪が、星のように煌めく。
人の気配に振り返った彼が、私の姿を捉えて目を見開いた。
「どうした? こんな場所、二度と来たくないだろ?」
自分の上着を脱いで、私の肩に掛けてくれた。大きくて温かくて、涙で彼の顔が滲んでしまう。
「貴方に、会いたくなってしまったの」
「馬鹿だな……。俺なんかに会いたいなんて」
困ったように眉を下げた彼が小さく笑った。神秘的な赤い瞳は柘榴色。
「……でも、来てくれてよかった。俺は、この国を出ることにした」
「……そんな」
もう会えないの?
「私も、連れて行って」
「出来ない。――あんたが、こんな目に遭ったのは、俺のせいなんだ」
鮮やかな柘榴の瞳が揺れたのは、蝋燭の炎のせいか、それとも。
「何を、言っているの?」
「俺の一族は、魔導具作りを生業としていた」
「……それって」
「あの女が使っていた『魅了の魔導具』は、俺の祖父が作った。……元々は、戦争に取り憑かれた独裁者に、愛を思い出させてほしいと妻が依頼したものだ」
そうして、聞かされたのは彼の一族の物語。
魔導具とは、人々の暮らしをより良いものにするためのものだった。しかし、魔導具を巡って争いが起きたり、使い方を誤り今回のように理不尽な冤罪が頻発してしまった。心を痛めた一族はその技術を封印した。
そして、彼らは世界中に散らばってしまった魔導具を回収し、破壊する旅に出たのだという。
噂を辿り、フレデリカが『魅了』を使っていると知った彼は、牢番として城に忍び込み破壊の機会を窺っていた。
「あの女が常に喉元に巻いていた首飾り。あれが魔導具だ。大粒の禍々しい輝きを放つ紫の石が嵌め込まれていただろ? あの石が『核』。それを破壊したから、あの女の『魅了』が解けた。……で、あんたは釈放されたわけだ。」
「でも、どうやって? 貴方が、あの女に近づくのは無理では?」
「『核』に俺の魔力を撃ち込んだ」
彼はそう言って、左腕を真っ直ぐ伸ばす。人差し指を矢に見立て、右手は弦を引く仕草をする。
「……誰にも見えない『矢』さ。近づく必要はない」
半信半疑だった。彼の言葉のすべてをすぐには理解できない。
「あんたには迷惑をかけて、ほんとうに申し訳ないと思っている」
「いいえ。貴方のせいではないわ。貴方がいてくれたから、心が死んでしまうような日々も乗り越えられた……それに、貴方は私を助けてくれたじゃない」
私は、肩に掛けられている上着の襟をぎゅっと握り締めた。
「ありがとう。明日の朝、ここを発つよ。あんたの幸せを祈ってる」
*
人の心を操る。そんな恐ろしいことが出来る『魅了の魔導具』。
私を苦しめたのは、彼の一族が作った魔導具だった。だけど私を救ってくれたのもまた、彼で。
『俺は、この国を出ることにした』
彼が、いなくなってしまう。
私は、筆を執り便箋に殿下への気持ちを綴った――
*
翌朝。
セアラの置き手紙を発見した彼らは、焦りと混乱に陥っていた。
『もう、うんざりです。さようなら』
たった一行だけの別れの言葉。
そんな彼らの目の前には、柘榴色の瞳で冷たく睨み付ける牢番の姿。
「なあ。操られていたとしても、彼女を愛していたなら謝罪のひとつもするべきだろ?」
「……う、うるさい! たかが牢番がこの僕に説教するな!」
カーライルは便箋を握り締めながら叫んだ。
……セアラに謝るのが、怖かった。謝罪することで自分がしでかした残虐な行いを認めるのが、何よりも恐ろしかった。
だから、フレデリカを投獄することも、罰を与えることも出来なかった。
魅了されていた間の記憶がなければよかったのに。何故、すべてを覚えているんだ。
セアラ……何度でも謝るから、許してくれ。頼むから戻って来て。
「貴様らも、命令に従っただけ? 操られてもいないにあれだけの残忍な真似が出来るとは、正気の沙汰とは思えないな」
「……」
側近たちは、黙り込む。
「なぜ、誰ひとりセアラに謝らない? なんの罪もないのに鞭で打たれ、首輪で引きずり回されたんだぞ? 身も心もどれほど傷ついているかわからないのか?」
彼は深い溜め息を吐き出し、カーライルたちを一瞥すると、煙のように姿を消した。
静まり返った部屋で最初に声を上げたのは、ヒューゴだった。
「あんたが、あんな女に簡単に操られたお陰で、俺は伯爵家から追い出されそうなんだぞ」
「は? おまえたちが僕を止めなかったのが悪い!」
「セアラ嬢が、再び殿下の婚約者に落ち着けば、問題ないんじゃなかったのですか?」
「我々は、貴方の命令に従っただけだ」
醜い罵り合いはいつまでも続いた。
*
――その後、フレデリカは、孤島の監獄へと送られた。判決が下された後も、「無礼者! 私は未来の王妃になる女なのよ!」と喚き続けた彼女は、猿轡を噛まされ、手枷と足枷に自由を奪われた。そして、そのまま船に乗せられ王都を去った。
側近たちは、それぞれ家督を弟や親戚に奪われ、平民として街へと放り出された。
王太子カーライルは、操られていて不可抗力だったとして罪には問われることはなかった。だが、周囲からの冷ややかな蔑みの視線に晒され続けることとなる。
「来年、第二王子殿下が成人を迎えたら正式に廃嫡されるらしい。北方の不毛の地を下賜されるそうだ」
「王太子殿下に甘い陛下も、ついにお覚悟を決められたわけか。それはそれは、お可哀想に……くくく」
「第二王子殿下は勤勉で優秀と聞く。代替わりが待ち遠しいな」
*
もう、行ってしまったかしら?
いつ殿下に見つかるかわからない。不安の中、黒い外套を深く被り城門の前で彼を待っていた。
ザッザッと砂利を踏みしめる音に、ゆっくりと振り向く。
「……あんた」
地下の薄暗い闇とは比べ物にならないほど、太陽の下で初めて見る銀の髪は、眩しかった。
「お願い、貴方の旅に連れて行ってください。私みたいに魔導具で苦しむ人を助けたいの」
「いつ終わるのか、わからない旅だぞ?」
「いいわ。もう、帰る家も国も私にはないもの」
「ほんとうに馬鹿だな。……好きにしたらいい」
やっぱり困ったように眉を下げて小さく笑う、彼。
「ありがとう。そうだ、貴方のお名前は?」
「ラディだ。ラディ・クルトワ」
「ラディ……。ラディ・クルトワ。よろしく、ラディ」
何度も反芻する。
彼の名前を呼べる幸せ。
「私は、セアラよ。セアラって呼んでね。ラディ」
「知ってる…………セアラ」
二人の旅は、今、はじまったばかり――
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