第七話 期待しすぎる人のための、使い切れない付箋
※この物語は、
文房具屋を訪れる人たちの、
小さな選択の話です。
期待しているつもりは、なかった。
ただ、いつも少しだけ、
「こうなったらいいな」を
頭の片隅に置いているだけだった。
返事が早いといいな。
ちゃんと分かってくれるといいな。
思った通りに進むといいな。
それが裏切られたとき、
自分が勝手に期待していただけだと、
後から分かる。
でも、
分かったところで、
がっかりは消えない。
その日も、
スマホを見ながら歩いていた。
返信は来ている。
でも、欲しかった言葉じゃない。
短い。
事務的。
悪意はない。
それが、余計につらい。
——別に、責められてるわけじゃない。
そう言い聞かせても、
胸の奥に残るものは、
どうしても消えなかった。
気づけば、
文房具屋の前に立っていた。
もう、
「偶然だった」とは言えない。
ベルが鳴る。
店内は、
相変わらず静かだ。
期待という言葉が、
似合わない場所。
店主が顔を上げる。
「何か、お探しですか」
「……使い切れないものって、ありますか」
自分でも、
少し変な聞き方だと思った。
でも、店主は驚かない。
「付箋があります」
私は、
すぐに分かった。
棚の一角。
小さな箱に、
色とりどりの付箋が入っている。
一見、普通だ。
ただ、
量が多すぎる。
「……これ、
何枚入ってるんですか」
「分かりません」
「分からない?」
「減りませんから」
私は、
少しだけ苦笑した。
「使っても?」
「使えます」
「……なくならない?」
「なくなりません」
それは、
安心のようで、
少し怖い。
「どういう人が、
これを買うんですか」
「期待しすぎる人です」
即答だった。
私は、
付箋を一枚、
そっと剥がした。
普通の付箋。
粘着力も、色も、
見慣れたもの。
「書いたら、どうなるんですか」
「書いたことは、残ります」
「貼ったら?」
「貼った場所に、
意味を持ちます」
それだけだった。
私は、
その箱を買った。
袋は、
思ったより軽い。
家に帰って、
机に座る。
付箋を一枚、
机の上に置く。
何を書くべきか、
すぐには思いつかなかった。
期待していることは、
山ほどある。
でも、
書いてしまったら、
それが「形」になってしまう気がした。
私は、
小さく書いた。
《分かってもらえる》
曖昧だ。
主語もない。
誰が、何を、
どう分かるのか。
それでも、
今の自分には、
ちょうどいい。
私は、その付箋を、
スマホの横に貼った。
しばらくして、
またスマホを見る。
さっきと同じ通知。
同じ文面。
でも、
付箋が視界に入った瞬間、
少しだけ、
見え方が変わった。
——分かってもらえる、
とは限らない。
その言葉が、
付箋の裏側に、
自然と浮かぶ。
私は、
新しい付箋を剥がした。
《分からなくてもいい》
貼る。
胸の奥が、
少しだけ緩む。
次の日、
私はまた、
付箋を使った。
《期待している》
《期待してしまった》
《勝手に期待した》
貼る場所は、
毎回少しずつ違う。
机。
ノート。
ドアの内側。
付箋は、
減らない。
使えば使うほど、
「期待」が外に出ていく。
頭の中に溜めていたものが、
机の上に並ぶ。
不思議と、
がっかりする回数が減った。
期待しなくなったわけじゃない。
期待を、
一人で抱えなくなっただけだ。
数日後、
文房具屋に立ち寄る。
ベルが鳴る。
「減りましたか」
店主が聞く。
「……減りません」
「それで、困りましたか」
私は、
少し考えてから、
首を振った。
「……助かってます」
「使い切ろうと
しなくていいものも、
あります」
「期待、とか?」
「はい」
私は、
小さく笑った。
「次は、何がいいですか」
私が聞くと、
店主は、
カウンターの奥を見た。
「何も買わない人のための、
場所があります」
私は、
一瞬、
言葉に詰まった。
それは、
これまでの流れの、
その先にある気がしたから。
今日は、
まだ早い。
私は、
付箋の箱を抱えたまま、
店を出た。
家の机の上には、
相変わらず、
付箋が貼られている。
どれも、
まだそこにある。
でも、
どれも、
前ほど重くない。
——期待は、
消すものじゃない。
置き場所を、
変えるものだ。
短編集です。




