第六話 抱え込みすぎる人のための、余白が広すぎるノート
※この物語は、
文房具屋を訪れる人たちの、
小さな選択の話です。
抱え込んでいる自覚は、あった。
仕事も、頼まれごとも、
「大丈夫です」と言う癖がついている。
本当に大丈夫かどうかは、
確認する前に引き受けてしまう。
断る理由を考えるより、
やる方法を探す方が早い。
そうやって、いつの間にか、
自分の分まで背負っていた。
——まあ、私がやった方が早いし。
口癖のように思う。
でも、その「早い」は、
だいたい夜に回収される。
その日も、
鞄が重かった。
書類。
ノート。
誰かに渡されて、
「一応、共有です」と言われたもの。
一応、が多すぎる。
駅に向かう途中、
足が自然に、
あの文房具屋の前で止まった。
ベルが鳴る。
店内は静かだ。
ここでは、
何も引き受けなくていい気がする。
店主が顔を上げる。
「何か、お探しですか」
「……軽くなりたいです」
言ってから、
少し照れくさくなる。
でも、店主は驚かない。
「ノートがあります」
私は、
もう分かっている気がした。
棚の奥。
一冊だけ、
やけに薄く見えるノートがある。
実際は、薄くない。
むしろ、ページ数は多い。
ただ、
余白が異様に広い。
罫線はある。
でも、
書けるスペースが少ない。
値札の横に、
短い説明。
《余白が広すぎます》
「……使いづらそうですね」
「全部、書かなくていい人向けです」
店主の言い方は、
いつも通り、押しつけない。
私はノートを手に取った。
持った瞬間、
なぜか、
鞄が重いことを思い出した。
「……これ、
全部書こうとしたら、
大変ですよね」
「書けません」
即答だった。
「どうして」
「入りません」
私は、
思わず笑ってしまった。
入りません、
か。
家に帰り、
鞄の中身を全部出した。
机の上が、
一気に埋まる。
ノートを開く。
最初のページに、
今日やることを書こうとした。
《資料まとめ》
……はみ出す。
《返信》
……余白に飲み込まれる。
《確認》
何を確認するのか、
もう書けない。
私はペンを止めた。
——書けない。
全部は、
書けない。
それに気づいた瞬間、
肩が、
すとんと落ちた。
私は、
一番上に、
こう書いた。
《今日は、三つまで》
その下に、
三行分のスペース。
《資料まとめ》
《返信》
《自分のこと一つ》
それ以上、
書く場所はない。
最初は、
不安だった。
これだけで、
足りるのか。
やり残しが、
山ほどある。
でも、
書けないものは、
書けない。
私は、
書ける三つだけを、
順番に片づけた。
三つ目。
《自分のこと一つ》。
しばらく考えて、
《早く帰る》と書いた。
夜、
いつもより早く、
鞄を閉じた。
罪悪感は、
少しだけあった。
でも、
ノートを閉じると、
それ以上考えられなくなる。
——書けないから。
翌日、
文房具屋に寄る。
ベルが鳴る。
「余白、
使えましたか」
「……余りました」
店主は、
少しだけ頷く。
「それは、
良い使い方です」
「でも、
やらなかったこと、
たくさんあります」
「抱えなかった、
ということです」
私は、
その言葉を、
胸の中で繰り返した。
抱えなかった。
「次は、何がいいですか」
私が聞くと、
店主は、
小さな箱の棚を見た。
「付箋があります」
「付箋?」
「書いて、
貼らなくてもいいものです」
私は、
少し考えてから、
首を振った。
今日は、
ここまででいい。
私は、
何も買わずに店を出た。
引き出しの中のノートは、
今もそこにある。
余白は、
相変わらず広い。
でも、
その余白を見るたび、
思い出す。
——全部、
持たなくていい。
そう思えるだけで、
今日は、
少しだけ軽い。
短編集です。




