表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『文房具屋には、決めるための道具が置いてある』  作者: くろめがね


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/14

第二話 謝れない人のための消えるインク

※この物語は、

 文房具屋を訪れる人たちの、

 小さな選択の話です。

謝るタイミングは、いつも一度きりだ。


逃した瞬間に、

「今さら感」が発生して、

それを理由に、さらに何も言えなくなる。


私はその状態で、三日ほど過ごしていた。


原因は小さなことだ。

言い方がきつかった。

相手の表情が固まった。

そのあと、何もなかったように別れた。


帰り道で気づいた。

あ、今のは言い過ぎた、と。


でも、そのときにはもう遅い。

その場で言えなかった謝罪は、

時間が経つほど重くなる。


《さっきはごめん》


たったそれだけなのに、

頭の中で何十通も下書きを作って、

どれも送れずに消えた。


三日目の帰り道、

私はまた、あの文房具屋の前で足を止めていた。


理由は分からない。

分からないまま、戸を開ける。


ベルが鳴る。


店内は相変わらず静かで、

棚の配置も、光の具合も変わっていない。


店主が顔を上げる。


「何か、お探しですか」


「……たぶん」


自分でも曖昧だと思った。

でも、それでいい気がした。


ペンの棚の前に立つ。

色も太さも、種類が多い。


その中で、

一本だけ、説明書きが控えめなペンがあった。


《数分で消えます》


第一話のペンとは、少し違う。

あれは「残るか消えるか」だった。

これは、最初から消える前提だ。


「これ……」


私が言うと、

店主がすぐ横に来た。


「消えます」


「必ず?」


「はい」


「……書いたこと、なかったことになるんですか」


店主は少し考える素振りをしてから言った。


「文字は、なくなります」


それ以上は、言わない。


私はペンを手に取った。

インクの色は、普通の青。

何の変哲もない。


「謝るのに、使う人が多いです」


店主が、ぽつりと言った。


私は思わず顔を上げた。


「……それ、ずるくないですか」


「何がでしょう」


「消えるなら。

 言っても、責任取らなくていいみたいで」


店主は否定しなかった。


「最初から言わないよりは、

 いいと考える人もいます」


私はその言葉を、

少しだけ心の中で転がした。


最初から言わない。

それは、今の私だ。


「……ください」


ペンをレジに置いたとき、

なぜか少し、負けた気がした。


でも、負けたまま進むのも、

たまには悪くない。


帰宅して、机に向かう。

ノートを開く。


ペンを握ると、

手のひらがじんわり汗ばんだ。


私は、いきなり本番を書かなかった。


まず、ノートの端に書く。


《ごめん》


短すぎる。

軽い。

投げやりに見える。


数分後、文字が薄くなり、消えた。


次に書く。


《さっきは言い方がきつかったと思う》


これは事実だ。

でも、相手の気持ちに触れていない。


消えた。


《傷つけたならごめん》


保険をかけすぎだ。

「なら」は逃げだ。


消えた。


消えるたびに、

自分の中の言い訳も一緒に消えていく。


私は深呼吸して、

少し長めに書いた。


《あのとき、余裕がなくて、

 強い言い方になりました。

 嫌な思いをさせたと思います。ごめんなさい》


今度は、すぐには消えなかった。


少し待つ。

インクは残ったままだ。


——残る。


私は、その文章を見つめた。


責任を取る文章だ。

相手がどう受け取るかは分からない。

許されるかも分からない。


それでも、

自分がしたことを、ちゃんと認めている。


数分経っても、文字は消えなかった。


私は、スマホを開く。

メッセージ欄に、同じ文章を打つ。


送信ボタンの上で、指が止まる。


怖い。

返事が来ないかもしれない。

来ても、冷たいかもしれない。


それでも、

ノートの文字が残っている。


私は送信した。


スマホを伏せる。

胸の奥が、じくじく痛む。

でも、その痛みは「遅れた痛み」じゃない。


ちゃんと向き合った後の痛みだ。


数時間後、返信が来た。


《こちらこそ、言いすぎた。

 気にしてたならごめん》


短い文だった。

それでも、十分だった。


私は、力が抜けて、

そのまま椅子にもたれた。


次の日、

私はまた文房具屋に立ち寄った。


「消えましたか」


店主が言う。


「……消えませんでした」


「それは、よかったですね」


「でも、

 消えてくれても、助かったと思います」


店主は、少しだけ首を傾ける。


「言えたから、ですか」


私は頷いた。


「言えなかったら、

 ずっと重かったと思います」


「重い言葉は、

 書く前に軽くしていい場合もあります」


店主の言い方は、

どこか事務的で、でも優しい。


「次は、何がいいですか」


私が聞くと、

店主は棚を指した。


「ノートがあります」


「どんな?」


「最後の一行だけ、残ります」


私は、少し笑った。


まだ、そのノートは早い気がした。


今日は、もう十分だ。


私は何も買わずに、店を出た。


引き出しの中のペンは、

もう使わないかもしれない。


でも、

「言ってから整える」というやり方を、

私は覚えた。


それだけで、

あのペンは、役目を終えたのだと思う。


短編集です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ