第十四話 店主が、見送る話
最終話です。
その人は、来なくなった。
気づいたのは、
特別な理由があったわけじゃない。
ただ、
通りの人の流れを見ていて、
「あ、最近あの人、来てないな」
と、思っただけだ。
この店では、
それはよくあることだった。
困った人が来て、
少し立ち止まって、
何かを持って帰って、
そして、来なくなる。
珍しくもない。
寂しくもない。
……はずだった。
棚を拭きながら、
店主は、
ほんの一瞬だけ、
入口を見る。
ベルは鳴らない。
今日も、
鳴らない。
店主は、
それでいいと思った。
あの人は、
最初から、
何も特別じゃなかった。
強いわけでも、
弱いわけでもない。
迷いながら、
ちゃんと考えて、
少しずつ進む人だった。
だから、
来なくなった。
それは、
うまくいった証拠だ。
店主は、
カウンターの奥で、
一冊のノートを閉じた。
売上の記録でも、
仕入れの帳簿でもない。
ここを訪れた人の、
名前も、
事情も、
書いていない。
ただ、
一行だけ。
《今日は、来なかった》
それを書き足すとき、
店主の手は、
ほんのわずかに、
止まった。
——来なかった日を、
数える必要はない。
そう思って、
ページをめくる。
次のページは、
白い。
白いままで、
いい。
ベルが鳴った。
別の人だ。
少し肩をすくめながら、
入ってくる。
目線が、
落ち着かない。
——困っている。
店主は、
いつもの声で言う。
「何か、お探しですか」
そのやり取りをしながらも、
店主の意識の片隅には、
もう来なくなった人のことが、
静かに残っていた。
あの人は、
もう、
自分で選べる。
だから、
ここには来ない。
それは、
この店にとって、
いちばん正しい結末だ。
夜になり、
シャッターを下ろす。
半分だけ。
完全には閉めない。
この店は、
いつも、
少しだけ開いている。
必要な人が、
迷わず入れるように。
でも、
もう必要ない人が、
無理に戻らなくていいように。
店主は、
最後にもう一度、
入口を見る。
ベルは、
鳴らない。
それでも、
店主は、
小さく頷いた。
——行けたな。
誰に向けた言葉でもない。
声にも出さない。
ただ、
一人の人が、
ここを必要としなくなった。
それだけで、
今日は、
いい日だった。
店主は、
電気を落とす。
文房具は、
静かに棚に並んでいる。
書くためでも、
消すためでもない。
選ぶための道具として。
あの人が、
もう来なくなったとしても。
また、
別の誰かが、
初めてここに来る。
それでいい。
それが、
この店の役目だ。
ベルが鳴らない夜に、
店主は、
静かに店を閉めた。
——また明日。
来る人のために。
来なくなった人のためにも。
またのご来店をお待ちしております。




