第十一話 文房具屋が閉まっている日
また、11話を作ってしまいました。
その日は、最初からおかしかった。
駅前の通りを歩いていて、
何も考えていないのに、
足が自然と、あの方向へ向かう。
——困っているわけじゃない。
昨日も、
特に問題なく一日を終えた。
今日も、
今のところは、何も起きていない。
それでも、
歩く速度が、少しだけ遅くなる。
文房具屋の前に立って、
私は初めて、
立ち止まった。
シャッターが、下りている。
完全に閉まっているわけじゃない。
半分だけ。
中の様子は、見えない。
看板は、いつも通りだ。
壊れてもいない。
貼り紙もない。
——休み?
曜日を思い出そうとするが、
この店の休みを、
私は一度も意識したことがなかった。
来たいときに、
そこにある場所。
勝手に、
そう思っていた。
私は、
ガラスに近づく。
中は暗い。
蛍光灯が消えている。
ベルも、鳴らない。
「あ……」
思わず、
声が漏れた。
残念、というより、
拍子抜けに近い。
——今日は、
使えない日なんだ。
そう理解した瞬間、
胸の奥に、
小さな空白が生まれた。
あの店は、
困ったときに行く場所だ。
じゃあ、
今の私は、
困っているのか。
立ったまま、
しばらく考える。
返信は、
もう先延ばしにしていない。
謝ることも、
言葉にできる。
決めることも、
時間はかかるけれど、
止まらない。
——じゃあ、
何が足りない?
私は、
スマホを取り出す。
無意識に、
「誰か」に連絡しようとして、
やめた。
今日は、
頼る場所がない。
文房具屋が閉まっている。
その事実が、
少しだけ、
心細い。
でも同時に、
別の感覚もある。
——ここまで来た。
そうだ。
私は、
店の前まで、
自分の足で来ている。
道具は、
引き出しにある。
使い方も、
だいたい分かっている。
それでも、
ここに来たのはなぜだろう。
私は、
ゆっくりと、
通りを見渡した。
人は多い。
音もある。
店は、
他にもたくさん開いている。
でも、
あの文房具屋だけが、
閉まっている。
——今日は、
自分でやれ、
という日なのかもしれない。
私は、
深呼吸して、
歩き出した。
帰り道、
頭の中で、
あの店主の声が、
勝手に再生される。
「使わない、
という選択もあります」
「今日は、
買わなくていいです」
「選べるからです」
言われた覚えのある言葉。
でも、
今日は実際に、
“使えない”。
それは、
選択ですらない。
家に着いて、
鞄を置く。
引き出しを開ける。
ペン。
ノート。
定規。
鉛筆。
付箋。
全部、
そこにある。
私は、
机に座って、
ノートを開いた。
最後の一行ノートではない。
普通のノート。
今日は、
道具に助けてもらう日じゃない。
私は、
何も考えずに、
一文だけ書いた。
《今日は、
文房具屋が閉まっていた》
それだけ。
消えない。
変わらない。
意味も、
すぐには出てこない。
でも、
その一文を見ていると、
少しだけ、
落ち着く。
——頼る場所がなくても、
書ける。
その事実が、
じわっと効いてくる。
夜になって、
ふと気づく。
今日は、
一度も、
文房具屋に助けてもらっていない。
それでも、
一日は終わった。
悪くなかった。
むしろ、
少しだけ、
静かだった。
眠る前、
カーテンの隙間から、
街の灯りを見る。
あの店も、
今は暗いだろう。
でも、
閉まっているからこそ、
分かることがある。
——あの場所は、
「必要なときに必ずある」
わけじゃない。
「自分でやれるかどうかを、
試す日」を、
作ってくれる場所だ。
明日、
また開いているかどうかは、
分からない。
でも、
それでいい。
私は、
電気を消した。
文房具屋が閉まっている日も、
人生は、
ちゃんと進む。
そして、
進めたと気づいたとき、
人は、
またあの店を思い出す。
——今度は、
確認じゃなくて、
報告のために。
短編集?です。




