第十話 誰かを連れてきた人と、初めて入る人の話
短編集の終わらせ方を見失った10話です。
その日は、最初から一人じゃなかった。
駅前で待ち合わせて、
並んで歩く。
相手は、
最近よく話すようになった人だ。
特別に親しいわけでも、
他人というほど遠くもない。
ただ、
少し前の自分を見ているような人。
「……この辺に、
変な文房具屋があるんだっけ」
変な、という言い方に、
思わず笑いそうになる。
「変ではないよ」
「でも、
普通でもないんでしょ」
「うん。
でも、
困ってるときには、
ちょうどいい」
自分でも、
不思議な説明だと思った。
説明しきれない場所を、
誰かに勧めるのは、
少し勇気がいる。
文房具屋の前で、
相手が立ち止まる。
「……ここ?」
ガラス越しに、
棚が見える。
いつもと同じ。
変わらないはずの景色なのに、
今日は少し違って見えた。
——私は、
もう“初めての人”じゃない。
ベルが鳴る。
二人分の音が、
少しだけ重なる。
店内に入った瞬間、
相手が、
きょろきょろと見回す。
「静かだね」
「いつも、こんな感じ」
店主は、
私を見る。
ほんの一瞬。
それから、
初めての人の方を見る。
「何か、お探しですか」
相手は、
少し戸惑ってから言う。
「……特に、
決めてないです」
私は、
その言葉に、
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
——分かる。
以前の自分も、
そう言った。
私は、
一歩だけ下がる。
今日は、
案内役じゃない。
「……なんで、
ここに連れてきたの」
相手が、
小声で聞いてくる。
私は、
正直に答える。
「困ってる顔してたから」
「そんな顔、
してた?」
「してた」
即答すると、
相手は苦笑した。
「……じゃあ、
あなたは何を買ったの」
私は、
少し考えてから言う。
「最初は、
ペン」
「どんな?」
「書くと、
消えるやつ」
「……怖」
「怖くないよ。
助かった」
相手は、
半信半疑で棚を見る。
そして、
自然と、
ノートの前で足を止めた。
《最後の一行だけ、残ります》
声に出さずに、
文字を追っているのが分かる。
「……これ」
相手が、
小さく言う。
店主が、
すぐ横に立つ。
「決めたいことが、
ありますか」
相手は、
少し黙ってから言う。
「……決めたくないことなら」
私は、
思わず、
息を吸った。
——それも、
立派な悩みだ。
「それでも、
使えます」
店主は、
そう言って、
ノートを差し出す。
相手は、
ノートを受け取って、
少し戸惑った顔をする。
「……あなたは?」
今度は、
私に聞いてくる。
「今日は、
買わない」
「え」
「見るだけ」
相手は、
少し驚いた顔をしてから、
ゆっくり頷いた。
「……じゃあ、
一人で、
買う感じ?」
「うん」
私は、
それ以上、何も言わなかった。
——自分で選ぶ時間は、
奪わない方がいい。
相手は、
ノートを抱えたまま、
しばらく棚を見て回った。
ペン。
定規。
付箋。
最後に、
ノートだけをレジに置く。
「これで」
店主は、
淡々と会計をする。
袋を受け取った相手が、
少しだけ不安そうに言う。
「……これ、
正解かな」
私は、
即答しなかった。
代わりに、
こう言った。
「分からないまま、
選んだなら、
たぶん大丈夫」
相手は、
少しだけ笑った。
店を出る。
ベルが鳴る。
外の空気が、
急に現実に戻る。
「……なんか、
変な店だったね」
「うん」
「でも」
相手は、
ノートを見下ろす。
「……来てよかった気がする」
私は、
その言葉を聞いて、
何も言わなかった。
——それで、
十分だ。
歩きながら、
ふと気づく。
今日は、
自分の悩みについて、
ほとんど考えていない。
代わりに、
誰かが、
自分で選ぶ瞬間を見ていた。
それが、
少しだけ嬉しい。
別れ際、
相手が言う。
「……また、
一緒に行ってもいい?」
私は、
少しだけ迷ってから答えた。
「今度は、
一人で行ってみて」
「……そっか」
「その方が、
いい気がする」
相手は、
小さく頷いた。
家に帰って、
引き出しを開ける。
文房具は、
相変わらずそこにある。
今日は、
使わない。
でも、
あの店は、
もう“自分だけの場所”じゃない。
——必要な人が、
自分で辿り着く場所だ。
そう思えたことで、
私は、
少しだけ、
次の段階に進んだ気がした。
また、書いてしまいました。




