イキりたい気分
「うぇーい!」「フゥー!」「アーイ!」
……ほんとに『うぇーい』って言うんだな。
おれは思わず笑いそうになった。夕方の電車。座席に腰を下ろして少し経った頃、優先席のほうからやけに賑やかな声が響いてきた。
「ぎゃははは!」
目をやると、そこには黒ずくめの若者が三人。酒瓶を掲げて大声で笑い、足を投げ出し、まるで世界を支配しているかのような態度だ。
ああいうのが闇バイトとやらに手を出すんだろうな。関わらないに越したことはない。周りの乗客も引いているようだ。眉をひそめ、顔を背けている。何人かは咳払いをして、別の車両へ移っていった。……ん?
「あの子かわいくね? かわいくね」
「それな。髪食いてえ」
「おれは鞄食いてえ……あっ……」
ふと気づいた。彼らは誰かが前を通るたびに、ぴたりと黙り込むのだ。さっきまでの大声が嘘のように、まるで小動物みたいに固まる。しかも騒いでいるときでさえ、ちらちらと周囲を窺っていた。怒られないかと、ビクビクしているみたいに。
……なるほど、ただイキってるだけか。群れていると強気になれるタイプ。一人ひとりの顔をよく見れば、どこか幼くて地味だった。
「喧嘩してえー!」
「それな! ドゥクドゥク!」
「おれ今、手え怪我してるからムリダワー」
こういう連中は注意すれば、へらへら笑って一応謝るだろう。だが、そのあとで「なんなんあいつ?」と陰口を叩くのだ。恥をかかされたと逆恨みする。厄介なもんだ。
もっとも、わざわざ注意する気もない。確かにうるさいが、ここは別に図書館じゃない。乗っている間だけのこと。気にしないのが一番だ。
「じゃーにー!」
「うーい!」
「おつかれー!」
次の駅で三人のうち二人が降りた。これで静かになるだろう。別の席に、すごすご移るかもしれない。ちょっと見ておくか。
「……ふふっ、ははははは!」
――えっ。
「くぅ~、やっぱ、おれってカリスマだわ……!」
一人で!? まさか、嘘だろ……。残った一人が、突然イキり始めた。
「地元じゃ十本指に入るわー!」
すごいのか、すごくないのか。謙虚なのか、そうではないのか……。
「おれ怒らせるとやべーわ。キレると記憶飛ぶからなあ」
気絶するのだろうか。
「中学んとき、高校の勉強してたわー」
独り言のボリュームがどんどん上がっていく。さっきの駅から乗ってきた乗客も異常に気づいたようで、いそいそと別の車両へ移っていった。その顔はどこか気まずそうで、もしかすると心当たりでもあったのかもしれない。
「フォロワー八百人だわー!」
それにしても、彼は一人で何をしているのだろうか。酔っているのか? それともイキリの練習か? いや、イキリの練習ってなんだ。
「あー、昨日ジムでバーベル百キロ……百二十キロ持ち上げたから、腕キツー! やべー!」
あまりにも痛々しくて笑えない。他の乗客たちはそう感じているのだろう。彼がどれだけ声を張り上げても、返ってくるのは咳払いと怪訝そうな囁き声だけ。まるで森で遭難して、一人で叫んでいるような孤独さが漂っていた。
ああ、確かに笑えない……いや、笑わない。いいんだ、イキッてても。若者はイキり、生き急ぐものなんだ。おれも若い頃はあんな感じだった。群れて、自分を誇示するように無茶して、犯罪に手を染め、酒と薬に溺れ……。
それでも、その経験はきっと無駄じゃない。だから、お前はそのままでいいんだぞ……。
なんだか懐かしい気分になってきた。おれは目を閉じ、昔を思い出しながら揺れに身を委ねた。
やがて、電車が駅のホームに滑り込んだ。おれは立ち上がり、若者の前まで歩いた。
「マジやべえ……やべえ……」
若者はおれを見上げ、口を閉じた。息を呑んだのがわかった。おれは何も言わず、ただ笑みを浮かべた。それだけで十分伝わったはずだ。
ホームに降り立つと、ぐっと背筋を伸ばした。なんだか若返った気分だ。なんでもできる気がする――と、いてっ。
会社員らしき男と肩がぶつかった。だが男は振り返りもせず、そのまま歩いていく。
「おい」
「はい? あ……」
おれは男を呼び止めた。振り返った男は、一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに表情を引きつらせ、後ずさった。
おれは睨みつけ、ぐいと迫った。
「おい、見ろ。こっちはカッター持ってんだからな! ホームレス舐めてんじゃねえぞ! おおん!?」