第八節 動機
千獣の獅子と呼ばれたライオンは、俺を睨んだまま舌をペロリとした。
体長何メートルあるだろうか。もはや獣の域を超え、化け物だ。
「ガルルル………」
唸り声さえ地面を這って下腹辺りに響いて来る。
「うっふっふっふ。アタチの勝ちだ!こいつに喰われれば、骨の欠片すら残らない!」
「くそったれ………」
見事なまでの筋肉を見せてるライオンは、一歩前に出て首を振ると、もう一度咆哮した。
刻印の力で倒すのが先か、喰われてしまうのが先か、いずれにせよこちらから仕掛けるのは不可能だ。敵の出方を見て、せいぜい逃げ回ることで精一杯だろう。なんとか隙を見つけられればいいくらいだろう。
ドロシーが“魔女らしく”にやけ、“主らしく”命令する!
「さあ!行きなちゃい!ロザリオカルヴァを殺ちてちまえ!」
その主の命令を受け、雄々しく、威厳ある偉大なライオンは答えた。
「断るっ!!」
シ〜ンと静まり返り、俺も、そしてドロシーすらその意味に理解出来ないでいた。
「な………っ!」
わなわなと震えながら、ドロシーは何て言うか悩んでいるようで、結局、
「ロザリオカルヴァなど相手に出来るか!」
ライオンの方からそう告げた。
「ワシは帰る!」
全く戦う気はないらしい。ま、助かったと言えば助かったが。
踵を返したライオンは、魔法陣の中へ首を突っ込んだ。その時だ。
「このっ、バカライオンッ!!」
持っていた鞭を、そのか細い腕で力いっぱい振るい出した。
「ひ、ひいぃぃぃ〜〜〜っ!!」
「死ね!お前が死ね!自ら死ね!徹底的に死ね!」
「痛い!痛いって!」
「臆病者め!死ね死ね死ねっ!!」
「だ、だって、勝てるわけないって!」
「う〜〜〜るさいっ!!主の命令を堂々と拒否するような奴は、死んでしまえっ!!」
なんだか可哀相に思えてきた。
と言うか、拍子抜けした。
−これが魔女なのか?−
幼いとは言え、不思議な能力は持っている。このライオンとて、その気になれば無敵じゃないか。
「お、おい、もうその辺にしといてやれよ。いくらなんでも、叩き過ぎだろ」
個人的思考はともかく、動物虐待を無視は出来ない。
俺の声で、ドロシーはピタリと手を止めた。
「お前には関係ない」
「そういうわけにいくかよ。見ろよ、ケツに血が滲んでるじゃないか」
「黙れっ!アタチに指図するな!」
そうして、再びライオンを叩こうとしたドロシーの腕を、俺は無意識に掴んでいた。
「い、痛い!」
魔女とは言え非力な少女は、俺の力に屈服したが、なぜだろ?許せず手を離せなかった。
「主だから何をしてもいいなんて、間違ってると思わないのか?」
「狩人ごときが……口を挟むな!役立たずにはお仕置きが必要なの!」
刹那、俺の右手はドロシーの頬を張っていた。
「な……何をする……?」
「黙れッ!!」
「ひっ!」
「叩かれて痛いと思うなら、自分のわがままでむやみに叩くな!!」
魔女狩り。それが俺の目的のはずだ。ドロシーがライオンを叩こうが、ブリキを蹴ろうが、どうでもいいじゃないか。なのに、俺は………。
乱暴にドロシーの腕を突き放し、刻印を彼女の額に宛てる。
「……………。」
何人いるか解らない魔女の一人を狩るチャンスなのに、狩る気にはなれなかった。
刻印を引っ込め、深く溜め息を吐く。
「逃げろよ」
「………え?」
「早く!兄貴が戻って来ないうちに逃げろ!」
要らぬ正義感が邪魔をした。
今回だけだ。今回だけ見逃す。
「狩人………なぜだ?ロザリオカルヴァとしての使命を果たさないのか?」
ライオンが言った。
「今日はそういう気分じゃない」
心のどっかで、昨夜のようにアサキが来て邪魔してくれることを望んでいたのかもな。でなきゃ、この行動に説明を付けられない。
「キコリ、ドロシーをワシの背中に乗せろ」
伏せたライオンの大きな背中に、ブリキのキコリは放心状態のドロシーを乗せてやった。
「今夜の恩は忘れない」
ライオンはさっきまでの臆病者の仮面を脱ぎ、俺を数秒見据え、去る。
「………また会おう。狩人よ」
そして、ブリキ共々気配を消した。
「会わない方がいい。次は………」
振り返らなかった俺は、その後の言葉が見つからなかった。