第四十三節 烙印
明日の金環日食まではアサキとユラを連れ、遊びにでも行くつもりだった。
ところが、朝起きて、寝ぼけ眼で何気なく窓を開けた俺は、どう足掻いても目を覚ますしかなかった。
「な…………これは……?」
夕べ、ブレーメンに泊まったのだが、そこから見た景色は大きく変わっていた。
空は燃えたように赤く、街はまるで戦争でも起きたかのように崩壊している。
「………何が起きたってんだ………」
唖然として何も言えないでいたが、不意にアサキとユラのことを思い出して、先ずは向かいのアサキの部屋に飛び込む。
「アサキ!外を………」
たった六畳程度の部屋だ。ドアを開ければアサキがいるかいないかは目を凝らす必要もないわけだが………
「………いない?」
そして今度は、その隣の部屋。ユラの部屋に入る。
「ユラまで………?」
どこに行ったんだ?
そのままブレーメンを出て、外を見渡す。
「アサキー!ユラー!」
………嫌な予感がする。荒れ果てた街。消えたアサキとユラ。
そういえば、クダイの野郎………二度、世界を壊したとかほざいてたな。まさかクダイの仕業………?
「あんの野郎………」
サマエルがいなくなったことで、やりたい放題ってか。
「クソッタレがッ!!!」
怒りに任せ、ブロック塀を殴った。鈍痛が走り、拳から血が流れる。
「何を怒っている?」
「!!」
目の前に、そいつはいた。
「ダンテ………」
「よもや佐一郎を倒すとはな」
「テメェの仕業か………?」
「そうだ。全ての元凶は私だ」
「親父じゃなかったのかよ?世界をループさせてたのは………」
俺の問い掛けにダンテはニヤッと笑い、何かを言いかけた時、
「佐一郎は利用されただけだ」
クダイがジャンヌを連れて現れた。
「これは………チェシャ猫じゃないか」
「ダンテ………いや、グリム。君の悪巧みもおしまいだよ。観念するんだ」
「ハハハ。何を今更。お前にもまんまと騙されたが、それなりに楽しめた。礼を言うよ………神様」
どういうことだ?説明しろ!
「彼の名はグリム。佐一郎のロザリオカルヴァの力に付け込み、彼を利用して世界をループさせていたんだ。佐一郎自身は、自分の意志でそうしてると思っていたのだろうけどね」
クダイはサラッと言ったが、その表情は険しい。コイツがこういう顔をする時、状況は芳しくない。
「お前らは勘違いしている」
ダンテ………いや、グリムは余裕の笑みを浮かべたまま、
「別に佐一郎の力に付け込んだわけじゃあない。刻印なら、私の拳にもあるからな」
そう言って、右手の甲を見せる。そこには、確かに刻印があった。
「そんなバカな!刻印は真神家の者にしかないはずだ!親父にもお袋にも兄弟はいない!だから、刻印を持ってるのは、親父と兄貴、そして俺だけ………なんでお前がッ!!」
「フッ………簡単な話よ。私は今より十七年先の未来から来たお前自身なのだからな。アロウ」
なんて言った………今?未来の………俺?
「未来のアロウか………迷惑な話だ」
「クダイ。アイツの言ってること信じるのか!」
「信憑性はある。グリムはブレーメンを立ち上げ、魔女達を探していた。しかし、魔女の存在を知り得たのは、ロザリオカルヴァたる真神の者だけだ。コイツが知っていたということ自体、そもそもが怪しかったんだよ」
クダイがそう言うのなら、それもまた真実ってわけか。
「さすがクダイだな。賢いよ、お前。お前とあのサマエルさえいなかったら、もっと楽に事を進められたんだがな」
「グリム。お前が未来の俺だっていうなら、何が目的でここへ来たんだ」
「………失ったものを探しに来たんだよ」
「失ったもの?」
「そうだ。確かクダイ。お前も何かを探して時空を旅してるんだったな?」
俺を無視するように、クダイに問い掛ける。無理もないか。グリムにとって俺は、過去の自分。今俺が抱く感情だとか思考なんかは、わかってるんだ。だが、クダイは懐かしむべき相手だ。必然的にクダイと話したくなるんだろう。気に入らないけどな。
「どうしたクダイ?お前の探しものは、見つかりそうか?」
「黙れ。僕をお前と一緒にするな。どうやって時間を超える術を手にしたかは知らないけど、そうまでして欲しいものは僕とお前とでは違う」
「違わないな。私は知っている。お前の欲しいもの。望むものを。フッ………なんにも変わりはしない。救えなかった時間を、可能なら救いたい。誰だってそう思うさ。我が同胞のチェシャ猫を殺し、彼に成り済ましていたお前なら尚更、私の気持ちに共感が持てるはず」
「君に僕の話をした覚えはないと思ったが?」
「フフ………まあいいじゃないか。さて、決着を着けようか。お前らをブランシェットに会わせるわけにはいかないからな」
醜くく笑ってくれるぜ。これが自分なのかと思うと、頭痛がする。
「待てよグリム!」
おっぱじめる前に、聞かなきゃなんねーことがある。
「なんだね?アロウ」
「アサキとユラはどこだ!それと、シンデレラとアリスもだ!」
自分で元凶だと吐いたんだ。知らないとは言わせねーぞ。
「おお。忘れていた」
「ふざけんなよテメェ………」
「怒りを堪えてるところ悪いが、シンデレラとアリスはもうこの世に存在しない」
「まさか………」
グリムは、刻印を見せつける。それは、シンデレラとアリスの二人を狩ったということだ。
「なんだなんだその顔は?彼女らは妖かしだ。妖かしを狩るのはロザリオカルヴァの役目。当然だろ?ああ、そうそう。こいつも忘れてた」
そう言うと、刻印のある右手に、スッと何かを出現させた。
「………あ……兄貴の……右手!」
「承知してると思うが、狩った妖かしの能力は自在に使えるようになる。残念ながら、ドロシーの能力は手に入らなかったが、まあ、あの召喚獣は、大して使えるような従者じゃなかったし、困ることはない」
「クズが………!アサキとユラはどこだ!」
「二人なら………」
兄貴の右手をどっかに消し、指を鳴らした。
グリムの両脇の空間が歪み、そこにアサキとユラが現れた。
「アサキ!ユラ!」
意識がないのか、反応は皆無だ。
「二人に何をしたッ!」
「何もしてない。ただ眠っててもらってるだけだ」
何の為に二人を………!そう聞く前に、
「生贄………」
ジャンヌが口にした。
「察しがいい。クダイの右腕だけはある」
「無駄話で時間を稼ぐのはやめにしないか?そういうの、一番嫌いなんだ」
不快感をあらわにしたクダイは、腰に下げた二本の剣を抜く。
「おい!クダイ!しゃしゃり出るな!」
「これは君だけの問題じゃない。僕の問題でもある」
「ケッ。どうせろくでもない目的の為だろ!」
「そうじゃない。もし、グリムの言う通り僕が時間超えの術を彼に………強いては君に教えたのだとしたら、自分で造った迷宮に自ら迷い込んだということだ。だが、この世界に来たのは全くの気まぐれで、ループも四回のみ。その中で君に時間超えを教えた記憶もないし、グリムと対峙するのもこれが初めてだ。となれば、これはあらかじめ描かれていたシナリオ。………考えたくもないが、決められていた運命ということになる。そんなものは、断じて認めるわけにはいかないんだよ!」
クダイが何に対して怒ってるのか、俺には皆目見当もつかない。
でも、これだけは言える。グリムを生かしておくわけにはいかないんだと。
「アサキとユラは、ブランシェットへの鍵だ」
不意にグリムがそう宣言し、
「それに気付くまで、何回ループさせて来たことか」
そう言った。だがこれではっきりした。グリムがこの世界に来たのは、ループが始まる二週間前。コイツが過去のこの世界にやって来たことが、ループの始まりだったんだ。
そう思うと、怒りも限界を超え、夕べ親父と戦った時のように肉体が変容していく。
「クダイ。悪いが、俺もアイツを倒す」
「………フッ。いいよ。せいぜい足を引っ張らないでくれ」
ジャンヌも剣を抜いて構えた。
グリムの目的がブランシェットだろうとなんだろうと、アサキとユラを傍に置いておくわけにはいかない。今はとにかく、グリムを倒すのみ。
「さあ、来るがいい!哀れな子羊達よ!」
「グリム………例えお前が未来の俺だとしても、生かして帰さねぇッ!!」
クダイは言った。“これはあらかじめ描かれていたシナリオ”だと。
しかし、それを認めないと。
これが全てを否定する戦いなら、俺はそれすらも否定する。
ずっと、誰かの言葉に耳を傾け、与えられた情報だけで判断をして来た。それが間違いだった。世界が壊滅してしまった今になって、後悔している。右手の刻印は、疑い、考えるべき事象を怠った自分への罪。その烙印。
もう誰も信じない。進むべき道は、俺がこの手で切り開く。