第三十五節 既往
「セツハが殺されました」
ジャンヌの報告を聞き、クダイは苦笑いをした。そうする以外にリアクションが見当たらなかったのだ。
「佐一郎が動いたか」
「はい。刻印のある右腕を奪って」
刻は夜。金環日食まで時間がまた擦り減った。
「また、ループします」
残念そうな口調でジャンヌは呟いた。
「………実験はまだ終わってない。まだ四日………いや、三日か」
今日は足早に過ぎて行く。サマエルとの戦いで負った傷は、もう充分に回復している。が、今夜はどこへも出掛ける気はない。
わずかな確率で、今夜ここにアロウ達が来る。本当にわずかな確率で。
「消滅した世界。しかし、消滅したとは言え、実在していた事実が存在する以上、時間上の過去へ行くことも可能………そうでしたね?」
もうクダイから幾度と聞かされた話だ。クダイは酒を飲むと、自分の世界の話より、自分が愛した異世界の話をする。だから、いい加減脳みそに刻まれている。
「僕は時空間を旅してこの世界を見つけた時、試してみたいことが出来た。ループし続ける世界に、未来を与えてやれるかをね」
「与えられたとして、それで何かわかるのですか?」
「ループエンドになれば、ループしていた間の時間の密度が一気に開放される。その力で時間軸を流れ落ちる、“過ぎた時間”を消し飛ばすんだ。そうすれば、僕が壊した世界の破片が飛び散り、見つけられるかもしれない」
「その破片があれば、消滅した世界に行けると………?」
「ジャンヌ。時間だとか空間なんてものは、人の知り得る知識では説明が付けられないんだ。例えば空間。形が無いのに確かに存在している。どうやって存在してるかわかるかい?」
ジャンヌは肩をすくめ、理解不能を示した。
「空間はね、例えるならとんでもなく薄い紙なんだ。それが幾重にも重なって存在している。コミックスだね。1ページ前は過去。1ページ先は未来。人はページを飛ばして未来へは行けないし、一度見終わったページは記憶の中でしか見れない。一言で言ってしまえば、それが空間と時間の概念だ」
「興味深い話です。………ボクには理解出来ませんけどね。でも、その概念を破って、クダイ様は過去へ行こうとなさってる」
「時間軸に世界が存在してる限り、過去へは行けるんだよ。ただ、過去で何かをやらかしても、現在に影響はなく“別の”現在が出来るだけだ。そして、その世界に干渉は出来ない。なぜなら、全く存在しなかった未来が、可能性として存在してるだけだからね。僕は………」
クダイは一端、言い淀み、
「僕は消滅した世界の破片を集めて、再生させたいんだ。破片の全てを集める必要はない。破片に宿るエネルギーの条件の満たされる集まれば、それでいい」
そんなことで、果たしてクダイの願いが叶うかは、ジャンヌには確かめる術はない。
「………その世界に、クダイ様の好きな女性はいたのですか?」
この質問は、何度も避けて来た。ただ楽しかっただけで、消滅した世界を取り戻すなんてしないだろう。
そこにいた仲間。なにより好意を寄せてた女性を取り戻したい………もう一度会いたいと願っている。クダイに好意を持つジャンヌにとって、それは苦しい現実ではあるが、それほどの女性なら会ってみたいとも思っている。
「いたよ」
ジャンヌの気持ちを知っていながら、気遣う様子もなく言った。
「エルフのね、王女様なんだ。………とても、綺麗な女の子だ。僕は彼女に恋をした。だから、もう一度会いたい」
聞かなければよかった。後悔しても遅かったが、本人の口からはっきりと言われると、胸をえぐられるようだ。
「………そんなはっきりと言わないで下さい。ボクも一応、女ですよ」
取り繕う笑顔をした時、急に腕を引き寄せられ、唇を塞がれた。
「………クダイ……様」
「ジャンヌ。君には期待している。数百年をたった一人生きて来た僕には、頼れる者がいないんだ」
にっこり笑う。反則的に。
演技だとしても、満足させられる。
「ズルイ人です………あなたは。でも、そう言われてしまえば、ボクはクダイ様の為に働かざるを得ないでしょう。召喚主の命令に従うのが、召喚されし者の運命なのですから」
「………君を召喚してよかったよ」
ジャンヌの髪を一撫でし、ベッドから降りる。
窓際に立ち、銀色の月を見る。
「6回目のループを経て、世界の時間密度は濃くなった。これ以上のループは、世界から抜けられなくなる」
「ならば、アロウに手を貸して佐一郎を倒しますか?」
「………いや。サマエルは僕が世界をループさせてると思っている。アロウ達は僕を倒しに来るだろう。受けて立たねばならない」
「サマエルがいない過去5回においても、アロウ達はクダイ様がループさせてると思っていました。サマエルがいる今回は、自然に違うルートを辿ることになると思っていたのに………どうなさるおつもりです?」
「………打って出る」
「具体的には?」
「アロウ達に真実を告げよう」
「上手く行くでしょうか?」
「かつてある男は、自分は傍観者だと言いながら、他人を思い通りに動かすことで世界に干渉していた。その時は、その男がそんなことをしていたなんて気づかなかったけど、そうすることで欲しい結果を手に入れてたんだ。僕は傍観し過ぎてた………欲しいものがあるなら、最後は自分自身で動かなければならない。それがセオリーだ」
「………その男は、どうなりました?」
クダイが言うのは、クダイが壊した世界にいた男だろう。だとすれば、世界と共に消滅したはずだ。そして、それは男の欲しい結果ではなかったはず。
「………去って行ったよ。世界が消滅する前に。彼もまた強く願う野望があった。………いつか、また出会う時が来るだろう」
その横顔は、その時を楽しみにしていることを表していた。
クダイがジャンヌに向き直ると、ジャンヌが静かに頷く。そして、クダイの身体が強い光を放つと、一匹の猫に変貌した。
チェシャ猫だ。
「行くぞ、ジャンヌ。金環日食が訪れる前に仕事を済ませるんだ」
神が賽を投げた。