第三十四節 残骸
目を疑った。真神家の門をくぐり、玄関の引き戸を乱暴に開けると、そこには死体の群れだった。
「嘘………」
「ふにゃあっ!」
アサキとおチビは目を覆い、惨事から逃れる。
その死体は、真神家で働く人達で、みんないい人ばかりだ。
それなのに、誰がこんなことを………
「鋭利な刃物………それも刀剣の類いだ」
鑑識のように、サマエルが死体のひとつに膝をついて傷口を確認している。
「ジャンヌかクダイの仕業か………」
俺の頭には二人の顔しか出て来ない。
「可能性は女の方だろう。クダイは相当深手を負ったはず。さっきも言ったが、回復まで一日はかかる。たった数時間で動き回れるとは思えんな」
それはお前の一方的な見解じゃないのか?サマエルよ。
「アロウ、あの娘は?」
アサキに言われ、俺はユラが気になった。
親父のことも、“別の意味”で心配にはなったが、気づいた時には屋敷の中を、ユラを探して走り出していた。
「アロウ!」
アサキの声も聞こえてはいたが、それどころじゃない。
この死体の群れを飛び越えながら、どうか無事でいてくれと願う。
「ユラッ!」
視界に入る襖だとか扉だとかを片っ端から開ける。
これだけ死体があると、ユラだけが生きてるとは思えなかったが、それでもこの目で確認するまではと、見たくもない惨事を見ていく。
この屋敷で、ユラだけが“普通”に接してくれていた。兄弟仲の悪い俺には、ユラは妹も同然だ。
使用人達の亡きがらを越え、辿り着いたのは親父がいつもいる座敷。
ついでだ、親父の死体も確認しておこうと、襖を力一杯開けると、
「来たか………アロウ」
「兄貴!」
兄貴がいた。それも、血まみれになって。
一体、どうなってるってんだ?
「………してやられた」
「一体誰にやられたんだ!?クダイか!?ジャンヌか!?」
抱き起こすと、兄貴の右腕がないことに気づく。出血の大半が、その傷が原因だろう。俺のコートも赤黒く染まっていく。
「私達は………最初から騙されていたんだ………」
会話さえままならないはずなのに、それでも必死に真実を告げようとする兄貴は、余程無念なのか、涙を浮かべている。
大嫌いな兄貴が、残された左手で俺の手を握る。
「騙されたって………誰にだよ?」
「………と………父さんにだ………」
「親父………?」
「い……いいか、アロウ。世界は………ループしている………」
「……な………ループ……?」
「金環日食が起きると………世界は振り出しに戻る………あの日………お前がこの街に帰って来た日にだ………」
「い、意味わかんねーよ。なんだよ、振り出しに戻るって………俺達はずっと生きて来たじゃないか」
「だ…黙って聞くんだ………」
「聞けるかよっ!子供の時、いつも勉強教えてくれたじゃないか!魚つりに行って、溺れそうになった俺を助けてくれたじゃないか!喧嘩ばっかして、親父に怒られたのは?全部嘘の記憶だって言うのか?!」
「……………この世界のバランサー。世界を不安定にする存在を消す役割………それが私達、真神家だ………」
人の質問に答えもせずに、またわけのわからないことを言うのか。
「勘弁してくれよ、兄貴………あんたがこんな状態なのに、そんな話信じられるかよ」
これも………
「アロウ………越えろ………」
真実なのか………
「兄貴………」
だとすれば………
「世界のループを……断ち切るんだ………そして………」
誰が………
「金環日食の日の………先へ行くんだ………」
何の為に………
「きっと、そこにブランシェットはいる………」
「兄貴?……兄貴ッ!?」
世界をループさせてるって言うんだ。
「なんだよ、こんな終わり方するなよ………」
まだ喧嘩の決着はついてないだろ。むしろ始まったばかりじゃないか。
「アロウッ!いたよ!あのデパートの娘!ねぇ、聞いて………る………」
息を切らした声でアサキが叫んでる。
ユラを見つけてくれたらしい。声色から、生きてはいるのだとわかる。
「アロウーー!」
おチビもやって来て、
「………こっちの動きがバレてるようだな」
サマエルも来た。
三人は、俺の腕の中の兄貴を見たのか、しばし言葉を発さなかったが、やがてアサキが、
「お兄さん………殺されたの?」
気を遣うように言った。
「………うんざりだ」
俺は兄貴を静かに寝かせ、立ち上がる。
「世界がループだとか、魔女だとか………ハハ………いい加減、疲れたぜ」
もういい。金環日食で世界が振り出しに戻るってなら、それでも構いやしないさ。
どうせクダイと親父が世界をループさせてるんだろ。そんな力を持つ奴に、どう足掻いても勝てるわけがない。
「後四日では、何も出来ねーよ。ゲームオーバーを待つだけだ」
どうしてこんなことを言ったのか。仲が悪かったとは言え、実の兄が死に、その犯人が親父だという事実がそうさせたのかもしれない。
「………諦めるのか?」
サマエルは、なぜか残念そうだ。
やりたきゃ自分でクダイを倒せばいい。実力があるんだ、俺の意志を必要としなくてもいいだろ。
「ギブアップだ。もう無理………」
諦めを口にした瞬間、頬が熱くなった。
「本気で言ってんの?」
アサキが俺をぶったのだ。
「アサキ………」
「昨日までの勢いはどうしたのよ!」
「………んなこと言ったって」
そしてまた一発。
「バカッ!私の記憶、取り戻してくれるって言ったじゃない!」
「………それは」
「アロウが諦めたら、誰が私の記憶を取り戻してくれるのよ!」
また………アサキが泣いた。俺の胸にすがり。
「………いないのよ」
「……え?」
「頼れる人が………信じられる人があんたしかいないのよ!」
じんじんしてた頬の痛みは、今は胸を攻めていた。
何をやってんだろ………俺。
カッコ悪いにもほどがある。
「………ゴメン。どうかしてたよ」
気丈なアサキも、やはり女の子なんだ。記憶のない分、孤独感は半端じゃないだろう。それなのに…………俺はバカだ。
見れば、ユラは気を失ってるのか、サマエルに抱えられていた。
「………守るものを得て強くなるものだ。男というのはな」
そう言ったサマエルには、守るものがあるのだろうか?失うものなんて無いんじゃなかったのか?
「アサキ。もう泣くな。残された時間、全力で戦おう。俺は約束は守る!」
まだ謎は残るが、挫折してる暇も立ち止まり考える暇もない。
「ふにゃあ〜〜〜!」
「おチビ。なんでお前が泣くんだ」
「だってぇ〜〜、アロウがカッコ良く見えるからぁ〜〜」
悪かったな。
「サマエル。兄貴が言うには世界はループしてるらしい。金環日食を迎えると、一週間前に戻るんだそうだ。だから金環日食の先に行けと」
コイツは知っている。気づいていると言うべきか。
だからこそ、今、サマエルの意見が聞きたい。
「クク。ループの世界か。だが、不完全な世界だ」
サマエルは抱いていたユラを、俺に委ねる。
「不完全………ループするこの世界がか?」
「そうだ。ループする世界など、実は珍しいものではない。形としては様々だが、どんなループの仕方であっても、ループによる世界時間が短期間であること。ループを可能としている者以外の記憶のリセット。そして、他世界からの干渉を受けないという絶対条件がある」
ホント、よく知ってるぜ。けど、何を言いたいのかはわかった。
「ループするこの世界にサマエル………お前がいる。それは三番目の条件を反古にしている」
「クダイがループの元凶かは別として、俺の侵入は予定外であり、不本意だろうな」
それは、ループを壊す希望ということだ。
「それとだな、金環日食の先にブランシェットがいるはずだっても言ってた」
兄貴も何かを知ったんだ。
「そもそも、三千年ごとにブランシェットと戦ってると言う割りに、ブランシェットの明確な情報が無さ過ぎる。これは俺の推測だが、魔女の存在はブランシェットが分散した姿だ。だから魔女を生贄にして、自分の姿を取り戻そうとするのかもしれん。しかし、それをさせるとループエンドとなってしまう。それを阻止し、ループを継続させるのが貴様らロザリオカルヴァなのだろう。その為の魔女狩りだ」
「魔女狩りが?生贄にされるのと変わらないだろ」
「生贄とただ存在を消されるとでは、その意味が大きく異なる。魔女狩りで魔女の存在を世界から消せば、ループは継続される。しかしだ、その手段も百パーセントではない。魔女の人数がゼロにならない。つまり、何人いようと必ず一人は残るのは、ブランシェット自身の存在が金環日食の先にあるからだ。最後の一人をどちらが占有するか。そこが“肝”なんだろう」
「魔女を狩るのはループ継続の確率を上げる為か。でも、ブレーメンが魔女を保護しようとしたのはなぜだ?最初からループが目的なら、俺達に力を貸せばいい話だ。親父がブレーメンと関係あるかはわからないが、戦いの行方によっちゃ、俺も兄貴も死んでいた。そうなったら、魔女狩りが出来なくなるだろ」
「きっとループ継続が目的ではない。本当の目的は別にあるはずだ。この前、チェシャ猫には言ったが、この世界は実験台にされている可能性がある。実験が成功しないからループさせる。貴様らはループ前の記憶が無いから、魔女狩りを始めてしまう。ブレーメンは実験の行方を見守る為に、魔女を保護したいだけだ。そして、実験をしてるのは………」
「クダイ」
「俺がこの世界に来た時より、時間の密度が濃くなった。つまり、俺もループに捕われたワケだ。クク………とんだ災難だ」
災難だと思ってるにしちゃ、楽しそうだが。
「でも、ループエンドをするってことは、ドロシー達を生贄にするってことじゃないの?」
アサキはおチビを見て言った。
そんなことはしたくないんだろう。
「魔女はブランシェットの存在のカケラ。生贄という表現は適切でないかもしれないが、魔女が存在しない世界が、この世界の健全な姿ということだ」
サマエルの“推測”が正しいなら、元々の世界の形ってどんなんなんだ?そう考えるのはアサキも同じだろう。
その“推測”を聞いたおチビ………ドロシーは、自分の存在を悲しんでいるのだろうか?表情からは読み取れない。
「おチビ」
「………アチシは大丈夫だよ。心配いらないよぉ」
なんとか、救ってやることは出来ないだろうか。
「とにかく、クダイを探した方が早いわね。アロウのお父さんも行方不明みたいだし」
アサキの言う通りだ。
俺はおもむろに兄貴の亡きがらを漁り、手掛かりを探る。
スーツの胸ポケットから、兄貴がよく利用するホテルのレストランのレシートを見つけた。
「………行こう。クダイはきっとここにいる」
ぐちゃっとレシートを握って言った。
決意新たに、目指すは人の領域を超えたクダイの下。
ただ、気掛かりなのは、兄貴の右腕が無いこと。その残骸も無い。
それでも時間は寿命を擦り減らしている。
金環日食の向こう側へ行く為、俺達は前に進む。