第二十四節 迷宮
「アサキ」
アサキを追いかけ、彼女の部屋まで来ていた。
意外に広く、殺風景ではあるが、洋風の小洒落た感じがあった。
「聞くべきじゃなかったな。ゴメン。軽率だったよ」
謝っても、アサキの心が癒えることはないのだろうが、それでも謝るしかない。
当のアサキは、俺の謝罪に関心もせず、ただ俯いてる。
「お、俺って昔から空気読めないって言うか、人の都合とか考えないからなあ〜………ハハハ………」
何を言ってるんだ、俺は。そんなんじゃ、慰めにもならないだろ。
「………なあ、アサキ」
「……………。」
「………記憶、やっぱ欲しい……よな」
「……………。」
「取り戻してみないか?」
考えもせずに出た言葉に、アサキが振り返った。そこには、あの危険女のアサキはなく、涙を流すただの女子高生がいた。
迂闊にも、元が美少女だけに、俺はドキリとしてしまい、目を逸らした。
「せ、世界のどこにもお前の情報がないなんて、そんなの嘘さ。ダンテとジャンヌが調べ損ねただけだよ。なんつったって、ブレーメンは組織とは程遠い、“団”みたいなもんだからな」
「………だからって、どうやって私の記憶を………?」
「それは、その………」
「無理よ。そして無駄。確かにブレーメンはちっぽけな“団”みたいなものだけど、あの二人は一般人じゃない。何か、そういう臭いのする存在だもの、そういう意味では、あの二人の話は信じられるわ」
「で、でもだな………」
「ありがとう」
「え………?」
「嬉しかった。私の為にあそこまで言ってくれて」
「アサキ………」
「私の為に必死に何か言ってくれる人なんて、いないと思ってた。だから、それだけでも満足かもね」
「ふざけんなっ!!」
「!!?」
「満足だって?!んなわけねーだろ!記憶がなけりゃ、自分自身が何なのかわからないままだ!記憶がなけりゃ、どんなことに悩み、苦しみ、喜んでたのかわからねーじゃねーかっ!!」
「ア……アロウ……」
気づけば叫んでた。考えてなかったのとは違う。無意識に、腹の底から想いがしゃしゃり出て来やがったんだ。
自分が、何を言ってるのかもわからないのに。
「記憶って、そりゃあいいことばっか詰まってるわけじゃないだろうけど、大切な人とか思い出が絶対あるはずだ!それがないまま生きるなんて、満足出来るわけねーっ!!」
俺はアサキの上腕を掴み、
「だから取り戻すんだ!お前の記憶を!」
「だからあ、取り戻すって………どうするのよ……!」
「んなもん、片っ端から情報収集に決まってんだろ!ダンテとジャンヌにも協力させるし、真神の権力も利用する!ついでにサマエルとクダイにも手伝わせる!ヘッ、あいつら人間離れしてっからよ、きっといい仕事してくれるぜ!あ、シンデレラは働き者っぽいし、アリスは………まあなんかやらせるとして、チェシャ猫は猫のくせに賢いから、頼れるさ!」
なんでもいい。押し切りたかった。この淀んだ空気とアサキの涙ごと。
そんな俺の気持ちが伝わったのか、アサキはニコッと微笑み、
「………そうね。頼ってみてもいいかも」
「ああ。そうさ!きっと何か見つかるさ!」
「うん!」
軽く言ったわけじゃない。この世界で生まれた以上、何らかの情報はある。どんな手段を用いても、アサキの情報を探して、記憶を戻してやる。
「アロウ」
「ん?なんだ?」
「改めて、ありがとう」
「いや、ま、まあ………なんだ………き、気にすんなって!」
普段のアサキからは想像つかない優しい笑顔と口調だった。
胸の中にほんのりと温かいものが芽生えていたが、それが恋心なのかどうかは、考えないことにしていた。
「今日も魔女狩りするのかい?」
銃の手入れをするセツハを見れば、解りうることではあるのだが、クダイはそれを敢えて聞いた。
「わかりきったことを聞くな」
「フフ。いや、やけに熱心に手入れしてるからさ。別のことでもするのかと」
「なんだ、別のこととは」
「アロウ殺し」
「!!!」
「………冗談だよ」
「私が、アロウを殺すのを目的としてると言いたいのか!」
「そう怒らないでよ。言ったろ?冗談だって」
冗談には聞こえなかった。
「時空間移動者だかなんだか知らんが、偉そうに人を茶化すな!大体、人間が時空間を越えて別の世界を行き来するなど、私は信じていない!」
「………同感だよ。無理もない」
セツハは驚いた。クダイが、自身の否定を認めたからだ。
しかし、それが上辺だけのものであることは、すぐに吐露される。
「クダイ……ッ。馬鹿にしてるのか!?」
「とんでもない。僕だって君の“立場”なら、きっとそう言うさ。でもね、事実は事実なんだよ。セツハが僕とサマエルを否定するのは、“時空間移動”出来ると言う非現実的な一点だけだ」
「充分だ!非現実的なら、現実ではないと言うことだろう!」
机に手の平を叩き付けたセツハを、クダイは不気味な目で見つめる。
「わかってないよね。“その”非現実的は、セツハ自身が“身につけた”常識に過ぎない。でも、“その”常識が偽りだとは疑わないのかい?」
「フッ。常識を疑えだと?笑わせるな。常識は常識だ。有り得ないものは有り得ないのが世の中であり、有り得ないことを可能にするなど、神にしか出来んこと。それとも何か?お前やサマエルは神だと告白でもしてみるか?」
「それも面白いかもしれない。僕とサマエルが神ならば、それだけで証拠になってしまうわけだ」
卑しくクダイが笑む。まるで、セツハが術中にハマったかのような歓喜さえ漂わせて。
セツハは思わず息を呑み、言い知れぬ重圧感にまどろむ。
「いいことを教えてあげるよ。人が自分を保つのに不可欠なものは記憶だ。さっき常識を疑えって言ったのは、君の中にある全ての記憶………生まれてから現在に至るまでの全てが、一秒前に創作されたかもしれないってことさ」
「………な、なんだと……っ!」
突拍子もない言葉なのに、突っ返せない。
記憶が一秒前に創作された?そんなものは戯言。虚言だ。なのに、クダイに勝てない自分がいる。
セツハの動揺は異常だろう。何の話かわからないのにプレッシャーを感じての動揺なのだから。
「アロウは利口だよ。少なくとも、真実を自分の目で確かめようとしている。魔女狩りを押し付けられた時から、自分は違う世界にいるんじゃないかとさえ思ってるだろうね」
「私とアロウがいるこの世界が、全く別の世界だと言うのか?」
「セツハ。真実は一つだなんて思わないことだ。有り得ないことが真実だった場合、君は出口を見失う」
「くっ………なら、私達がいる“ここ”は、どこだと言うのだッ!!」
信憑性のカケラもないクダイの言葉は、既にセツハを袋小路に追いやっている。
こんな時、すべきことは一つだけ。
「ここは………」
そのすべきことは、確実に相手を仕留める武器になる。
「ラビリンスだ」
“存在”の定義が“記憶”によるものであるならば、人は行くべき道を紡げなくなる。
なぜなら、記憶とは曖昧なもので、経験“した”と誰かが書き込めば済む話だからだ。
−全記憶の一秒前の創作−
それは、世界が一秒前に創造されたかもしれないif。
−存在を創る定義−
記憶がなければ世界に存在出来ない理由。
クダイの放った言葉は魔法だった。セツハの思考を捕らえ離さない。
それが真実であるか虚言であるか、セツハは確かめる術を持ち合わせていないのに。
脱力感が襲う“今、創造されたかもしれない肉体”を想えば、目の前で卑しく笑うクダイは、まさに神だった。




