第十二節 招待
アリスが見せた力。それは、空間を将棋板のように区切り、マス目を入れ替えるという神業だった。
“空間搾取”とは、狙った部分の空間を搾り取る。そんな意味なのかもしれない。動作がそんな感じだ。
だから、俺がアリスに仕掛けても、寸前で全く違う場所に移動させられている。
「ふふん。どーよ!アリス様の空間搾取の能力は!」
どうって………こんな現象が実際に起きてることが信じられなさすぎて、どうとも言えない。
「なんなんだ………いつの間に違う場所に移されるなんて」
こりゃあ、本気で行かないとやられちまう。
「迷っても始まらねー。前進あるのみだ!」
何度でも挑戦するしかない。
刻印に力を込め、後ろめたくはあるが、アリスの顔面目掛けて拳を投げる。
当たれば、そのまま消えてくれるはず。
「うおぉぉぉーーーーっ!!!」
「何度やっても見えた結果だというのに」
アリスの足元の猫が皮肉を言った。
黙れ。猫よ。やってみなけりゃ解らないこともある。
そう意気込むも、次の瞬間にはクダイの真後ろにいた。
加速する拳は、クダイの頭を狙う羽目になったが、クダイは振り向きもせずかわした。おかげで、無様に転ぶ結果となる。
「どわっ!」
「大丈夫かい?手を貸そうか?」
ムカつく野郎だ。
「結構!」
さて、立ち上がったはいいが、どうすべきか。思案をし始めると、
「アロウ。僕がやろう」
クダイがそう言った。
「刻印も無いのにか?」
「そんなもの、僕には必要ない。僕にはこれがある」
左側の腰の剣を抜き、自慢げに見せてくれた。
「剣なんかで倒せる相手じゃないぜ」
「これはただの剣じゃない」
「フン。伝説の剣なんてほざくんじゃないだろうな」
「この剣はダーインスレイヴ。伝説なんて生易しい肩書くらいじゃ満足しないよ。この剣は」
悔しいが、空間搾取を破る術を俺は持たない。
「………譲るぜ」
「そうさせてもらうよ」
クダイはアリスの前に立つ。
「誰が来たって同じなんだから!」
「アリス。気をつけた方がいい。こやつ、人間の気配じゃない」
チェシャ猫が注意を促している。
それにしても妙なことを言いやがる。クダイが人間の気配をしてない?そんなわけあるか。妖かしならとっくに気付いている。
「空間搾取。面白い魔法だけど、僕には仕組みが解ったよ。悪いけど、一手で終わりさ。お嬢さん」
敢えて構えることもせず、アリスを挑発する。
「仕組みが解ったところで、どうにか出来るもんじゃないから!」
一方で、アリスはチェシャ猫に言われたのを警戒してか、クダイが仕掛けて来るのを待っている。
「行くよ」
そのクダイは、ダーインスレイヴを投げた。風を裂くように飛んで行くダーインスレイヴは、明らかにアリスの心臓を狙っていた。
「甘い甘い!とりゃあっ!」
空間搾取。アリスはまたあの仕草をする。ダーインスレイヴを搾取して、別の場所に移すつもりなのだろう。それが、突然として俺の目の前だったら………ジ・エンド。
クダイが何かに気付いたようだが、頼むから最悪の結果は避けてくれ。
ところが、そんな俺の不安は裏切られてしまう。
一瞬歪む空間は、アリスが空間を“いじって”いる証拠。同時に、その歪みの中でダーインスレイヴは消えた。
「!!」
当然ながら、俺は搾取されたダーインスレイヴへの警戒をする。
なのにだ、
「勝負あったね」
クダイはさらりと言い切った。
その意味は………
「そ、そそ、そんなぁ………」
ダーインスレイヴは、アリスの鼻先に宙に浮きながら突き付けられていた。
へたれ込むアリス。チェシャ猫も、猫ながら驚いた表情をしている。
「ど……どうなってんだ……?」
俺も目を丸くせずにいられない。搾取されたダーインスレイヴが、“なぜか”アリスの前にあるからだ。ミスをしたのか?
「なあに、単純なカラクリさ」
得意そうにクダイはジェスチャーを身振り、
「彼女の空間搾取ってのは、あらかじめ自分の周りに搾取する魔法トラップを仕掛けて、全てのトラップを一気に発動させる。だから、どこに何が来ても、思惑の場所に移動させられる仕組みになってるんだ」
「いや、だからってだな、ダーインスレイヴは搾取されたはず。ならなんでアリスの前に?」
「搾取される前に、僕が移動させたのさ。弱点としては、あらかじめ軌道が予測出来るものでないと成功率が下がるってことかな。ついでに言わせてもらうと、空間搾取のトラップを仕掛けているのは彼女じゃない。“彼”だよ。そうだね?チェシャ猫」
なんて奴だ。ほんの少し見ただけで仕組みを解きやがった。
「一定の範囲をマス目で区切り、それぞれの空間に歪みを作っておくのがチェシャ猫の役目。アリスは敵や物体の軌道を読み、トラップを発動させるトリガーにしか過ぎない。ま、こんなところかな」
なるほど。親父が連れて来ただけはある。分析力と閃きに長けているというところか。
「細かいところは違うんだろうけど」
そう付け加えたクダイに、
「何者だ。明らかに人間ではない」
チェシャ猫が言うと、
「僕は人間だよ。ちょっとだけ変わり者なだけの。ね」
そして振り向いて俺を見て、
「トドメは君に任せるよ。このまま魔女を狩るか、生かしておくか」
「なんで俺に委ねるんだ?お前がやるって言ったんだろ。大体、生かしておいてもしょうがねーだろ」
責任を持て。そう言いたげな俺を見透かしたのか、
「狩ればロザリオカルヴァとしての責務は果たされる。だけど、それだけじゃ君は何も知らないままだ」
「何を言いたいんだ?はっきり言えよ!」
「魔女だって生きてるんだ。その命を摘み取るなら、知るべきことは知るべきじゃない?」
「いい加減にしろよ?知るべきことってなんだよ!」
クダイの回りくどい言い方に同意出来ず、怒りをあらわにしてしまった。かと言って、クダイが便乗して怒るわけではない。ただ静かにこう言うのだ。
「真神の手駒のままでいいのか?」
と。
その瞬間、言葉の意味を理解した。
要するに、自由欲しさに魔女狩りをすることは、視点を変えれば利用されているだけ。政府と真神との間のやり取りは俺には語られていない。親父が何かを隠してるのは推測出来るが、興味が無かっただけだ。
魔女を生かして得られるもの。それは真実への道。
何も知らず魔女狩りを続ければ、親父や政府の企みに加担することになる。
無論、何かを企んでいればの話だ。
ただ、クダイがそれを教唆するのは、これまたおかしな話ではないか。
「クダイ………お前、親父の味方じゃないのか?」
「どうしてだい?」
洗練された理想的な肉体には似合わない笑顔で聞き返される。
「俺に真神を裏切れって言ってんだろ?」
「それは君の解釈次第だよ」
違うのか?真実を知れと言うのは、何も知らなくていいと親父に言われた俺にとっては、最大の裏切り。他の解釈などないのだが………。
「話し中失礼するが、我々の異端審問の結論は出たのかね?」
まるで魔女裁判を受けていたかのように、チェシャ猫は言う。
さながら、クダイが検察官で、俺が裁判官と死刑執行人とを兼任しとると言ったところか。
「さあ、君の判断を聞かせてくれ」
同い年のクダイがやけにエラソーに感じる。
狩るか生かすか。生かしてどうする?逃がしてもまた同じことの繰り返し。
刻印が焼け付くように疼く。狩れと急かすように。
「俺は………」
「その魔女は我々で保護させてもらう」
暗闇から声がし、現れたのは、ボーイッシュな金髪の女と、
「児童虐待で訴えてやろうかしら」
アサキだった。
彼女がいるということは、連れの女はブレーメンなのだろう。
もっとも、連れられてるのはアサキの方だと、立ち位置から推測可能だった。
ささやかな魔女裁判は、乱入者によって無効とされた。だが、俺は心のどこかに安堵を覚えたのは確かだった。
「やれやれ。君が呑気だから邪魔が入ったじゃないか」
吐息を漏らし、クダイはダーインスレイヴを引き寄せ鞘に収める。その“異端児”的な振る舞いに、アサキは驚いてるようだが、連れの女は顔色ひとつ変えなかった。
「あまり人前に出るのは趣味じゃない。僕は先に帰らせてもらう」
「え?あ、ちょっ、ちょっ、待てよ!クダイ!」
片手を挙げただけで、クダイは俺を残し宣言通り帰路に着いた。
「あんにゃろー………」
人前に出るのに趣味は関係ないだろ。
「どうやら我々の行き先は決まったようだな」
放心状態にあるアリスを連れ逃げることは不可能と悟ったか、チェシャ猫は一先ず保護してくれると言った、ブレーメンに甘んじる決心をしたらしい。
「真神呀狼君だよね?」
金髪の女は爽やかに笑み、
「ボクはブレーメンの室長補佐、ジャンヌだ」
挨拶をする。どうせ挨拶するなら、フルネームを聞きたいね。
「俺に何か用かよ」
「ハハ。まあ、そんなにつっけんどんにならないでくれ。ボクらは君と喧嘩をしたいワケじゃないんだから」
知るか。第一印象は最悪と言っておく。なぜなら、一人称を“ボク”、俺を“君”と呼ぶのが、クダイの女版に思えて気持ち悪かったからだ。
アサキがアリスを抱き上げると、チェシャ猫はホッとしたようだ。
「用件なら早くしてくれ。今夜の失態を報告しなけりゃならない」
兄貴の小言は、昼間の倍にはなるだろうな。説教が好きな人間だから。
「それなら単刀直入に言おう」
そうしてくれと言ってるんだ。にしても、珍しくアサキが口を開かない。さっきの皮肉が全力投球だとは、明日世界が終わるとしても認められない。つまりは、このジャンヌという女が、ブレーメンでアサキとは掛け離れた地位にいることの証だ。
「真神アロウ君、君をブレーメンに招待したい」
「は?」
おいおい、何の話だ?唐突も加減をしてくれないと困る。
「君のやろうとしてることは、世界を恐怖に陥れることなんだ。知ってるか知らないかは別として………」
ジャンヌは仕切直すように話を中断させてから、
「真実を知りたくないか?」
クダイと同じようなことを言って来た。
“真実”なんて聞こえがいいだけで、中身は案外、残酷なもの。ろくでもないことに巻き込まれるだけで、知る者をいつも傷付ける。それを理解しながらも、針の付いたエサだと知りながらも、触れずにはいられなかった。




