両親から「お前は世界一可愛い」と言われ甘やかされて育った妹が、調子に乗って私の婚約者まで奪おうとしてきた
幼い頃は、両親から可愛がられている妹に嫉妬したり、羨むこともあった。
けれど──今ではすっかり達観してしまい、そんな気力さえ湧いてこない。
侯爵家の長女である私──ドロシー・マレットは、いつも妹であるグレースのわがままに振り回されていた。
彼女の口癖は、「それ、お姉様には似合わないわ!」である。
甲高い声と激しい身振り手振りで私の周りの物事を気に入らないと毛嫌いし、「絶対、お姉様より私のほうが似合う!」とドレスをはじめとする様々な物を強奪していくのだ。
いつからそうなったのかはよく覚えていないが、気づいた時にはそうなっていた。
グレースは姉が持っているものが異常に気になるようで、私の大事なものに度々手を出してきた。
そんな妹の言い分は、「だって、お姉様より私のほうが可愛いんだもの。だから、似合うに決まっているでしょう?」とのこと。
なんとも傍若無人なグレースだったが、その異常さにも大分慣れてきた。いや、最早諦めの境地に達していると言ったほうが正しいかもしれない。
前述の通り、私は親から放任されて育ったせいか年齢の割に達観しているところがある。
だから、妹がどんなに身勝手な振る舞いをしても平常心を保てていた。
「はぁ……本当に可愛い。私って、どうしてこんなに可愛いのかしら?」
グレースは、今日も今日とて手鏡を見ながら恍惚とした表情で自分の顔に見惚れている。
そんな妹の前を真顔のまま素通りして自室に向かう──それが、私の日課となっていると言っても過言ではない。
時々、「ねえ、お姉様。私ってどうしてこんなに可愛いんだと思う?」とやや反応に困る質問を投げかけられたりもするが、それも適当に「わざわざ鏡を見て確認しなくても、あなたは今日も世界一可愛いわ」と返しておけば満足するので特に問題はない。
我ながら冷めた性格だと思うが、そんな私にも真摯な愛を向けてくれる婚約者がいる。
彼の名はカルロ。公爵家の嫡男で、同じ貴族学園に通う同級生だ。
親同士の決めた婚約者ではあるけれど、彼の誠実な性格を私はとても気に入っているし、楽しい毎日を過ごすことができていた。
私の願いは、自分大好きなこの自己愛が強すぎる妹と離れて暮らすことだ。
それも相まって、カルロと結婚できる日を心待ちにしていた。
そんなある日のこと。
グレースがひどく憤慨しながら帰ってきた。
理由を聞いてみると、学園祭の出し物で行うことになった演劇のヒロイン役を決める際、自分が選ばれなかったと。それが原因でご立腹しているらしい。
「世界一可愛い私をヒロインに抜擢しないなんて、みんなどうかしているわ! それに、可愛いだけじゃなく演技にだって自信があるのに!」
感情のままに喚き散らすグレースを冷めた目で見ていると、いつものように両親が彼女のご機嫌取りを始めた。
一度癇癪を起こすとしばらく収まらないのだが、両親が必死に宥めた甲斐があって何とか事なきを得たのだった。
「どうして? 中等部にいる頃はみんな私が一番可愛いって言っていたし、演劇をやる時は絶対にヒロイン役に選んでくれたのに……」
そんなことをぼやきながら自室に向かう妹の背中を見送りつつ、私は彼女の疑問に心の中で答える。
何故かって? それは、中等部までは親が根回しして教師や同級生たちにグレースを特別扱いするよう頼み込んでいたからだ。
しかし、王都の学園に進学したとなるとそうはいかない。グレースの異常さに同級生たちが気づくのも時間の問題だろう。
思い通りにならない出来事が発生するたびにグレースが癇癪を起こし、それを両親が宥める。そして、私はそれを遠巻きにして眺める──そんな生活がしばらく続き、気づけば卒業式が間近に迫っていた。
卒業式が終わった後、何故か私はカルロに呼び出された。
不思議に思いつつも待ち合わせ場所に向かうと、衝撃的な一言を告げられた。
「申し訳ないけど、君との婚約をなかったことにしたい」
「え? ちょっと待って。どういうこと……?」
理由を問いただしてみれば、どうやらグレースと親密な関係になり、気持ちが傾き始めているとのことだった。
「そもそも、君と僕は釣り合わなかったんだよ。君は素敵な人だ。そんな君と結婚するのは、僕には荷が重すぎる」
褒め言葉なのかよくわからないが、いずれにせよ心が抉られたのは間違いなかった。
「お父様とお母様は、そのことを知らないのよね? それに、そちらのご両親も……」
「既に両家の了承は得ているよ。だから、問題はない」
「そ、そう……」
行動力がありすぎるのも困りものだと思いながら、私は「じゃあ、そういうことだから」と去っていくカルロの背中を見送る。
去り際に「本当は、僕はもっと平凡な娘が好きなんだ」と呟いていたような気がしたが、正直それどころではなかったためきちんと聞き取れなかった。
……流石の私も、突然婚約の解消を言い渡されたら動揺せざるを得ない。そんな風に呆然と立ち尽くしているところを、運悪くグレースに見つかった。彼女は満面の笑みを浮かべながら話しかけてくる。
「元気を出して、お姉様。お姉様には、彼は似合わなかったのよ。だから、彼が私を選ぶのも当然でしょう? だって、私のほうが断然可愛いんですもの。平凡なお姉様には、きっともっと相応しい相手が現れるわ」
これは励ましなどではなく、馬鹿にしているとみて間違いないだろう。
私は若干の苛立ちを覚えながらも、押し黙ることしかできなかった。
数ヶ月後。私は良縁に恵まれ、無事に別の相手と婚約することとなった。
相手は、貴族学園に通っていた頃の同級生。名前はアベルという。元々顔見知りだったこともあって、彼とはすぐ打ち解けられた。
とはいえ、好きな人に捨てられた直後なので複雑な気分ではある。
そんな気持ちを察してくれた彼は、私の気を紛らわすために色々な場所に連れて行ってくれた。
私の傷ついた心は、アベルの気遣いのお陰ですっかり癒やされたのだった。
ある時、アベルがこんなことを尋ねてきた。
「君の妹のことなんだけど……やたらとご両親に可愛がられているね。君との待遇の違いは一体何なんだ? 何か、理由があるのか?」
「ああ、それは……」
実は、グレースが特別扱いをされているのには理由がある。
というのも、彼女は幼い頃に両親の不注意で足に怪我を負ってしまったのだ。
幸い傷跡は残らなかったのだが、その負い目もあって、両親は彼女に甘いのである。
お陰で、自分は放任されて育ったと──そう説明した。
私が事の顛末を話すと、アベルは少し怪訝そうな顔をして呟いた。
「なるほど……しかし、それにしたって甘やかしすぎじゃないか? しかも、事あるごとに彼女のことを『可愛い』と褒め称えているだろう? 流石に、行き過ぎのような気がするけど。それに、こう言ったらなんだけど、正直グレースは……」
そこまで言うと、アベルは言い淀んだ。そのまま言葉に詰まってしまったので、私は口を開く。
「ええ。それに関しては、私も困っていたところなの」
「よし。それなら、僕にいい考えがある」
何やら考えが浮かんだらしいアベルは、私を見てにっこり微笑んだのだった。
数週間後。
アベルが「君のご両親と妹に大事な話がある」と言って邸を訪ねてきた。
首を傾げる私に向かって、彼は頻りに目配せをしてくる。それを見て、何となく意図を汲み取った私は彼と共に応接間へと入った。
私とアベルが並んでソファに腰掛けると、向かい側に両親とグレースの三人が座る。
「それで、今日は何の用かな? アベル君」
先に口を開いたのは、父だ。いつもと変わらない穏やかな微笑を顔に浮かべているものの、二人の間にはどことなく冷え冷えとした空気が流れる。
そんな空気をものともせず、アベルは話を切り出した。
「実は、少し前からグレース嬢から執拗に言い寄られていまして。僕は、ドロシーと婚約を結んでいる身なのではっきりとお断りしているのです。でも、彼女はそれに納得できていないようでして……」
「えっ!?」
初耳だったので、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。父と母は眉根を寄せて訝しげな表情を浮かべ、グレースに至っては目を泳がせている。
アベルは以前、「いい考えがある」と言っていた。だから、最初は作戦のためについた嘘なのかもしれないと思ったのだが……グレースの態度を見る限り、どうやら本当らしい。
戸惑う私をよそに、アベルが話を進める。
「それに、グレース嬢自身も他の方と婚約をされている身ですよね? それなのに、人目も憚らず何度も僕に声をかけてくるのは正直どうかと思うのですが」
アベルがきっぱりとそう告げると、グレースは顔を真っ赤にしながら彼を睨んだ。
それは、気恥ずかしさが原因ではなく怒り心頭といった様子に見える。
このままだと二人の喧嘩が始まりかねない。私が止めに入ろうとしたその時、グレースが怒声を上げた。
「だって、仕方ないじゃない! アベル様みたいな美しい人、お姉様には相応しくないんだもの! だから、私、アベル様に提案したの! 『私と婚約を結び直しましょう。お姉様みたいな平凡な女より、世界一可愛い私と結婚できたほうがあなたも嬉しいでしょ?』って! それなのに、この人はそれを断ったのよ! せっかく、この私が今の婚約者を捨ててあなたを選ぶって言ってあげたのに!」
まくし立てるように言うと、グレースはアベルを指さした。
すると、両親は困惑しながら顔を見合わせる。アベルはというと、何やら笑いを堪えるように肩を震わせていた。
「……っ! 何がおかしいのよ!?」
「いや、何というか……本当に、予想通りの反応をするなぁと……」
「はぁ!?」
アベルの返しに、グレースが信じられないといった顔になる。
対する彼は、思わず噴き出すところだったのか口元に手を当てて顔を隠した。
グレースはそんなアベルの態度に気分を害したようだったが、まだ彼の話は終わっていないようだ。
「いいでしょう。この際だから、真実を突きつけてあげますよ。……グレース嬢。あなたは、ご自分のことを『世界一可愛い』と思われているようですが、それは勘違いです。あなたの容姿は十人並み──平凡の一言に尽きます。あまり、自分の容姿を過大評価しないようにしてくださいね」
「は……? 何言ってるの? そんなわけが……だって、お父様もお母様も小さい頃から私のことを可愛いって褒めてくださっていたし、それに、中等部の頃の友人たちだって『グレースは本当に可愛くて羨ましいわ』っていつも言っていたのよ!」
アベルの発言に面食らったグレースは、甲高い声で反論する。すると、アベルは彼女を宥めるように話した。
「あなたは、幼い頃足に怪我を負ったそうですね。それ以来、ご両親はあなたに対して過保護になり、また異常に甘やかすようになったと聞きました。きっと、ご両親は負い目を感じていたんでしょう。だからこそ、傍から見たら平凡な容姿であるあなたのことを可愛いと褒め続けてきたし、周りの人に協力を仰いでまであなたを特別扱いするよう仕向けたんです」
「……!」
「よく考えてみてください。あなたの言うように、本当に世界一可愛かったり能力が高かったりすれば高等部に進学しても扱いはもっと良かったはずですよね? 過去にクラスで演劇を行うことになった際、ヒロイン役に選ばれなかったことに随分と憤慨されていたようですが、ご自身の容姿や演技力が大した事ないと考えれば選ばれないことにも合点がいくと思いませんか?」
アベルの話に、グレースの顔がどんどん青ざめていく。
「嘘……そんなの、嘘よ……」
「もしかしたら、あなた自身も薄々感づいていたんじゃないですか? ……自分が平凡であるということに」
「……ッ! いやああああああ!!」
グレースの絶叫が室内に響く。わんわんと泣き喚きながらも、「嘘だ嘘だ」と繰り返す彼女にアベルが容赦なく言った。
「外見が美しかったり、可愛かったりしても性格が良い人はいます。あなたのように自分は世界一可愛いからと驕って他人のものを横取りする浅ましさを持った人間は、残念ながらどう贔屓目に見ても可愛げの欠片もありません。外見以前の問題ですよ」
アベルにきっぱりとそう言われ、グレースは最早反論する気力もなくなったのか泣き叫びながら部屋から飛び出していってしまった。
両親は、呆然とした表情のまま固まっている。様子から察するに、もしかしたらようやく自分たちが犯した過ちに気づいたのかもしれない。
後日。結局、グレースとカルロの婚約は破談になったと聞いた。
なんでも、グレースがアベルにちょっかいをかけていたことがカルロに伝わり、怒った彼が父に苦情を言いにきたそうだ。
今、両親はグレースの新しい結婚相手を探すことに奔走しているのだという。
しかし、カルロがグレースの悪口を吹聴しているせいか、縁談が全くまとまらないようでほとほと困っているのだとか。
その仕返しなのか、今度はグレースがカルロの悪口をあちこちで言いふらしているらしい。
互いに潰し合っている状態のようだが、私には関係ないことなので最早どうでも良かった。
そして、五年の歳月が流れ。
私とアベルは結婚し、子宝にも恵まれ幸せに暮らしていた。
「そう言えば……噂で聞いたけど、君の妹はまだ結婚出来ていないらしいね。しかも、ようやく縁談がまとまりかけた年上の貴族に暴言を浴びせたとかで、ますます社交界での評判が悪くなったらしいよ」
不意に、アベルがそんな話題を口にした。
なんでも、三十歳ほど年上の貴族との縁談に我慢できなかったらしく、「こんな年寄り、私に相応しくない!」と啖呵を切ったそうだ。
「はぁ……相変わらずね」
苦笑混じりに呟くと、アベルが思い出したように言った。
「ああ、そうそう。前から言おうと思ってたいたんだけど……君は君で、自分のことを過小評価しているよね。グレースとは正反対だ」
「どういうこと?」
「君は自分が凡人だと思い込んでいるようだけど、とんでもないよ。学園に在籍している頃から、僕の目には華やかに映っていたんだから」
アベル曰く、私は成績優秀で非の打ちどころがない美人でまさに高嶺の花という印象だったらしい。
流石に褒めすぎだし、そんな自覚もなかったから何だかむず痒くなってくる。
「まあ、姉妹なのにあまり似ていないのも君たちが異母姉妹だってことを考えれば納得できるかな」
「えっ」
アベルの口から飛び出した衝撃的な言葉に、私は驚いて目を見開く。
「何、その話。初耳なんだけど……?」
「あれ? もしかして、知らなかった?」
アベルの話によると、グレースは父と過去に邸で雇っていたメイドとの間に生まれた子供らしい。
社交界では周知の事実らしいが、私自身は初耳だった。もしかしたら、周りが気を遣って言わないでいてくれただけなのかもしれないが。
「君たちは顔は似ていないけど、自己評価と周囲の評価がずれているところなんかはよく似ているのかもしれないな」
アベルはそう言いながら肩をすくめる。
そう言えば、どこかで能力の高い人ほど自己評価が低く、逆に能力が低い人ほど自信に溢れているという話を聞いたことがある。
自覚がないので、アベルの言うように私自身が有能な人間かどうかはわからないが……いずれにせよ、これから先も決して驕らずいつも周りの人たちに感謝しながら生きることが大切だと改めて思わされたのだった。