029 自我が壊れて、治せないのじゃダメ?
血錆色の毛が針山みたいに逆立ち、巨体が跳ねた。
足元がずんと揺れる。
「にっがぁっ!?」
目を覚ましたチベスナさんの第一声は悲鳴だった。
寝起き顔は相変わらず虚無だけど、少し目が潤んで見える。そういう模様なんじゃないかと思うほど表情はまったく変わらないのに、必死になって何かを吐き出そうとしているのは実にシュールだ。声だけひたすら悶絶中。「おぅぐぇぼぉああ!?」っていろいろと大丈夫な声なんだろうか。
「大丈夫ですかー?」
距離があるのでボクは少し声を張る。
念話だとボクにしかわからないから声に出してみた――んだけど、どちらにしろチベスナさんの声は聞こえないんだよな。ボクが一人延々と語りかけているだけのヤバい絵面な気もする。気にしたら負けだな。うん。
チベスナさんとの距離はだいたい一〇歩くらい。
タマモさんの言葉を信じるなら、チベスナさんは全身毒持ちだ。近寄るくらいなら問題ないらしいけど、有効範囲の検証は遠慮したい。死なないと言われても、肌が赤黒くなって、全身から血を吹き出して、お腹がめちゃくちゃ痛くなるのはちょっとなぁと思う。特にお腹が痛くなるのは勘弁願いたい。
「無事で良かったですね。チベスナさん」
「ぶ、ぶ、ぶ、無事だあ!? ぅ、お、俺様の口に何いれやがったぁ!?」
わななく悪態。なんだか睨みつけられているような気もするけど……うん、虚無。
「身体に風穴が空いたり、頭部が粉々になったりしてないんですから無事じゃないですか。あ、とにかく苦い葉っぱだそうですよ。それ」
気絶したチベスナさんをどうやって起こそうかという話になり、ナナリアさんに白羽の矢が立った。ボクは触りたくな——役に立てそうにないし、タマモさんに頼んだら起こすどころか永眠させかねない。
ナナリアさんは不満顔で、だいぶ面倒くさそうにしながらも即興で気付け薬を用意してくれた。そこらの木やら草やらと話をして、激烈に苦い葉を何枚か拝借。「植物操作」で口に突っ込んだ。自害宣告の伐採と違って、葉をむしるのは髪の毛何本かもらうくらいの感覚なんだとか。
「身体大きいからちょっと心配だったんだけどね。苦味を限界まで『植物強化』してみたの。うん。上出来、上出来」
ひと仕事終えたナナリアさんは、そこそこ満足げ。休憩とばかりにボクの肩に腰をかける。面倒くさそうにしても、ちゃんとやってくれるのが当店の副店長です。師匠とは大違いですよ。
地面が再度揺れた。巨大な毛玉ならぬ毛山がゴロゴロと左右にのたうつ。吐くのは諦めたのか、その声はただただ苦悶。
「チベスナさん、結構大変そうですけど、あの葉っぱってただ苦いだけなんですか?」
「んー、疲労回復とかするかも。薬草だし」
「あ、そうなんですね」
身体にもいいらしいですよ。よかったですね。良薬口に苦しってことでひとつ。
「苦すぎるわ! 薬、どころか、毒だろ、こんなの!」
起き上がり、息も絶え絶えな文句が返ってくる。あ、そうか。考えるだけで伝わっちゃうんだった。チベスナさんが一歩寄ってきたので、ボクは三歩さがる。
「いやいや、毒はチベスナさんのほうですよね。どれくらい近寄るとヤバいんですか? ほら、ボクら初対面なわけですし、適度な距離感て大事だと思うんですよ」
いまのところボクの身体に異常はない。遅効性とかじゃないなら、まだ安全距離なんだと思う。そもそも全身に毒って、触ったり、食べたりしなければ大丈夫ってことなんだろうか。毛とか汗にも毒あるとかだとこれ以上近寄りたくないなぁ。そんなことを考えていると、チベスナさんは不可解そうに唸った。
「さっきから、毒がどうのって、なんの話だ?」
今度はボクが不可解な顔になる。
「肌が赤黒くなって、全身から血を吹き出して、お腹がめちゃくちゃ痛くなるんですよね?」
チベスナさんは「ん?」としばし考えるような、それから「あー」と得心したような声。あくまで声だけ。顔は変わらない。
「毒じゃねえ。『祟り』だそりゃ」
「祟り?」
なんか「祟るぞ」とか言われていた気がする。ただの脅し文句じゃなかったのか。「祟り」って「呪い」の親戚だか上位互換みたいなやつだっけ? あとで師匠に聞いてみよう。
「俺様は固有個体でな。特別リソースが割り当てられてるんだわ。ああ『祟り』は俺様の固有スキルな」
「それ、ただの毒より厄介なんじゃ……ん?」
いま、サラッと流しちゃダメな会話だった気がするぞ。
固有個体。特別リソース。固有スキル。どれもこの島の仕組みを理解していないと出てこない単語だ。まさか、ボクらと同じ転移者? それともヨモさんみたいな干渉者なのか?
思考をグルグルとさせていると、耳たぶがクイクイと引かれた。いつの間にか、ボクの耳たぶは呼び鈴になったらしい。ナナリアさんだ。
「あのさ」
ナナリアさんは妙に小声だった。
「どうかしました?」
ボクも小声で返す。隠し事の相手はタマモさんだと思うんだけど、タマモイヤーは地獄耳な気がしてならない。
察したのかはわからないけど、ナナリアさんは声には出さず、文字通りボクの目の前に何かを差し出した。目に近すぎるのと、小さいのとでよく見えない。ナナリアさんの手のひらサイズは切手よりも小さいのだ。ただどことなく見覚えがある。何か書かれて……?
頭で理解するより早く、ボクはズボンのポケットに手を突っ込んだ。固い感触。カードだ。ボクの記憶が正しければ、それはほぼ白紙だったはず。少し震える指で取り出したそれは――文字が書かれていた。
『イベント 固有個体の使役』
「うわ……」
思わずうめきが口から出た。ナナリアさんも肩が落ちている。島の特定の場所にいくとカードが反応してイベントが発生とか説明されてたけど、こんな感じなのか。
「固有個体って、キツネでしょ? どうしたら使役できるの?」
「もう、聞いた方が早いと思います……」
イベントを進めるのもあるけど、タマモさんから解放されたい気持ちも大きい。こうなれば、一刻も早くチベスナさんにタマモさんを回収してもらおう。間違ってないぞ。うん。
「チベスナさん。どうしたら『動物使役』って成功します? ボク的には、もうスキルとか関係なく、チベスナさんがタマモさんのペットなれば万事解決って気もしてるんですが、ダメですか?」
カードには使役としか書かれていないし、「動物使役」のスキルに限定されていないかもしれない。タマモさんも嬉しい。ボクも嬉しい。大団円な解決法だと思う。
「俺様が嬉しくないだろうがっ! あんなの、どうみても化け物だし! 飼われたら即日死ぬわ!」
うーん。チベスナさんから見てもタマモさんは化け物だったか。否定はしないぞ。だって怖いもん。
だからといって退く気はない。こういうときに使える言葉をボクは知っている。
「諦めが肝心っていい言葉ですよね」
笑顔で答え――いやちょっと待てよ。師匠に拾われるのとどっちがマシだ?
師匠との日々を思い返せば、命の危険は日常茶飯事。理不尽は空気レベルで存在するし、見返りは特にない……と思う。
「……チベスナさん、もしかして好待遇じゃないですか? 何が不満なんです?」
「待遇基準がおかしすぎるだろうがよっ!」
うがあ! と地団駄を踏むも……うん、顔、虚無。お気に召さない感情を全身で伝えないといけないのも大変だなあ。しかしこのままじゃ|タマモさんから逃げられない《命がいくつあっても足りない》ぞ。こんなとき師匠ならどうするだろうか。考えること刹那。
「あの、ナナリアさん。洗脳できる草とかないですかね? 惚れ薬みたいなのでもいいんですけど。効果時間は少しの間でいいんで」
困ったときは師の教え。師匠ならたぶんこうする。「幻術」のスキルで精神崩壊くらい平気でやらかす。「あとで治せばいいんだよ」とか言って。耳元でナナリアさんの「うーん」て声がして、それから少し間があった。
「自我が壊れて、治せないのじゃダメ?」
「治せないやつかぁ……もうこの際ですしそれで――」
「いいわけあるかあぁ! 話す! 話す!」
チベスナさんの、泣き出す一歩手前くらいの声が全力で止めにきた。それでも顔は虚無のままっていうのはすごいなと思う。
氷川です。
タマモ遭遇編は次回まで。ほとんど書き上がってるので今週更新予定です。思いのほか話数使ってました。
そのあとはユノの方にバトンタッチ!




