017 師匠は愛嬌以外は完璧ですよね
【87日目 夜 記録者:凪見ユノ 雨】
「あ、師匠。おかえりなさい」
マドカとらーちゃんと連れ立ってフロアに上がる。階段を登るとそこは惨劇の現場だった。
店内にある姿は四つ。
床を棒雑巾で吹いているデシ。カウンターのじゃみー。奥の席に人型の女の客が一人。
そして、入り口のあたりに転がる赤いロングコートの女。雨と泥にまみれた女がうつ伏せに転がっているだけでも十分異質。しかし、そんなことは女の下半身がないことに比べたら大したことはないだろう。そう。赤いロングコートは背中の途中から床板にぺったりと貼り付いていた。
ちなみに棒雑巾は、T字の木の先に雑巾を巻きつけた日本古来の掃除用具なんだが、デシのやつはそんなの知らずに制作に至ったらしい。民族の遺伝子とかあるんだろうか。
ともかく、だ。
「殺人の証拠隠滅中か?」
喫茶店よしの殺人事件。犯人はデシ。
状況だけだと、この上半身しかない女の死体を片付けているようにしか見えんし。
「違いますよ。マドカさんが歩いたあとが川みたいになってたんです。で、掃除してたらあそこのヒトが入ってきたんですよ。入ってくるなり、なんか力尽きてますけど」
そういやずぶ濡れだったなと横に視線をやると、「やってやったぜ!」っと言わんばかりに薄い胸を張る銀髪赤目のロリババア様。滅多に会わないがこいつなかなかいい性格してるな。嫌いじゃないぞ。
「さんきゅー、イッチー」
「どういたしまして」
思えば我が弟子ながらこいつもなかなかいい性格に育ったもんだ。
遠目に見る限り、上半身だけの女はずぶ濡れ。泥だらけの長い金髪が、こぼしたカレーうどんみたいにべっちゃりと広がっている。ぴくりとも動かない。力尽きたっていうか、ただの変死体だろ。いや、まてよ。なんか、いたな。上半身だけのこういうーー。
「ま、いいか」
そんなことより、湯上がりのドリンクだ。
手近なテーブル席に腰をかける。マドカも同じテーブルにつく。らーちゃんはマドカの膝の上を選んだ。ちょっとくやしいが、マドカは存在がレアだからな。今夜は譲ってやろう。
「じゃみー、コーヒーをアイスで頼む」
「みーくん、おなじやつ」
「らー!」
「みなさん、働く気あります?」
清掃員イチゴウが何かいいたげな顔で本音をこぼすが、無視。じゃみーは「承知」と短く渋い声。動じないクマである。
当店のコーヒーマスターの手際は何度見ても飽きない。まずもって、見た目が子どもサイズのまるまるモフモフなクマだ。可愛い。そんなクマが専用の踏み台に立って、一生懸命コーヒーを淹れている。
鑑賞するにはそれだけでも十分すぎる要素が揃っているといえよう。しかし、じゃみーは可愛いだけではない。その所作は洗練されており、道を極めた茶人のごとき風格が漂う。静と動。武の頂きに至った「剛拳不敗」の騎士団長だからこそなせる技か。
じゃみーは木のカップをカウンターに並べると、青い小石をおもむろに取り出し宙へ放る。この島の「通貨」だ。イメージするだけで「購入」が成立する。次の瞬間、小石は宙空で氷の延棒へと姿を変えた。やおら、じゃみーは無造作に両手を左右に広げる。ゆっくりと流れるような動きにも関わらず、それは常人では視認不能な絶技が炸裂した。音はなかった。氷の延べ棒がカップの上で均一なブロック状になり、きっかり三つずつ、木のカップに収まる。カラン、と小さな音がした。私は思わず口笛を吹いた。
「アイスのドリンク三つだ」
渋い声が告げると、デシは近くに棒雑巾を立てかけ、給仕に入った。
「アイスコーヒー『大喝采』をふたつ。はちみつとなんかの果物ドリンクがひとつ、です」
デシはマニュアル通りの接客で、静かに丁寧にカップを置く。その動きたるや、じゃみーに比べて見るところが全くない。つまらん。
「六十五点」
採点してやるとデシはわかりやすくため息で返した。
「師匠の採点基準で満点取りに行ったら、ボクは明日の朝日を拝めなくなるのでイヤです」
よくわかってるじゃないか。私は何も言わず、ニッと笑ってやるとデシは二度目のため息。もう少し店員が増えたら接客講習会やってもいい。アイスコーヒーなら頭からぶっかけたところで惨事にはならんだろう。
「ウチの店員心得な。一に愛嬌、二に酔狂、三に頓狂……あとはなんだ?」
こういうの決めておいたら講習会で使えそうな気がする。四つか五つは欲しいところだ。
「知りませんよ。とりあえず、せめて誠実とか入れときませんか」
弟子。つまらん。韻も踏んでない。
「不採用」
ため息三度。何が不満なのか。好感度高く、独自性に溢れ、ちょっと間が抜けている。ほら、なんか人気でそうだろ。
「元凶ね」
マドカが淡々と混ざる。悪くないセンスだ。
「いいね、採用」
わかっていてやらかす、が追加された。素晴らしい。
「師匠は愛嬌以外は完璧ですよね。四つ目とか」
「店長だからな」
一丁前に皮肉を返すようになったか。人生、多少の理不尽は踏み倒してなんぼ。弟子の成長は喜ばしい。褒めてはやらんが、いい笑顔くらいは見せてやろう。
満面の笑みを返してやると、デシは何かもう一言二言返そうとして、それ以上の言葉は飲み込んだようだ。
ついでにため息も飲み込だ、そんな顔をしたデシは、マドカの前にカップをひとつ置き、もうひとつは手を伸ばして受け取りアピールしているらーちゃんに直接手渡した。
「らー!」
らーちゃんはデシからカップを受け取りご機嫌そうにごくごくと飲む。うむ、可愛い。その場の視線を独り占めというやつだ。
ひとしきりらーちゃん鑑賞を堪能して、私も自分のカップに口をつける。スッキリとした味わいの苦味と冷たさが喉を抜けていく。美味い。さすがじゃみー、結構なお手前で。
らーちゃんもおいしかったアピールなのか、「らー!」とじゃみーに向かってパタパタと手を振る。じゃみーは敬礼で返す。主従関係がはっきりしているシロクマ帝国だ。
マドカは、膝の上の可愛い生き物の邪魔をすまいと、らーちゃんが飲み終わるまで自分のカップには手を出さないようだった。
給仕を終えたデシは掃除に戻る。
「そういえば、マドカさんがコーヒー飲むの珍しいですね。いつもジュース飲んでませんか?」
テーブルの近くから拭き始めたデシが話を振ると、マドカは「吸血鬼だもの」と答える。
「果汁は植物の体液」
デシを一瞥すらせず、マドカはらーちゃんをもふもふと愛でる。
「なるほど」
デシが消化不良そうに答えると、不意にマドカが顔を上げ、首を傾げた。
「イッチー、いまナンパしてた?」
「してないです……」
「そう」
なかなかズレた会話だが、このロリババア様は七〇以上年下の男にナンパされたい願望でもあるんだろうか。もしか、血が吸えるかも、とか思ったのか。
ドリンクを飲み終えたらーちゃんは、うとうととし始めていた。もう夜も半ば、そろそろおねむの時間だったのだろう。らーちゃんはもぞもぞと動いてスギタに乗っかると、そのままふよふよと地下へと降りていった。
マドカは少し残念そうに見送る。らーちゃん見えなくなってしばし余韻ひたり、思い出したようにカップへ手を伸ばした。
少し間があって、
「ねえ。ユノちゃん」
マドカが淡々とした声で呼んだ。私はカップに口をつけたまま視線を返す。
「これ、苦いわ」
私は飲む手を止め、自分のカップを見て、返答。
「コーヒーだしな」
「そう」
表情ひとつ変えず、マドカもカップのなかを眺めていた。
まさかはじめて飲んだのか、このロリババア様は。風呂に続いてコーヒーも馴染みのない世界だったということか。人型はしているけど、本体はスライムっぽいなにかだし、存外に文化の差は大きいんだろう。
「シロップやミルクを入れると苦味が和らぐ。苦いのが苦手なら試してみるといい」
じゃみーがカウンターから声をかけてくる。マドカは頭を振り、
「いい。苦いのも好き」
とアイスコーヒーをちびちびと飲み始めた。本当に会話のテンポが独特な女だな。
「あのー」
今度は背中の方からデシの声がした。椅子越しに振り向くと、掃除が進み、入り口のあたり。棒雑巾を手にしたまま、いまだ転がったままの訪問者を見下ろしている。
「いいかげん構ってあげないと可哀想かなって思うんですけど、このヒト、どうしますか? たぶんマドカさんの知り合いですよね?」
デシもちゃんと気がついていたようで、私は「ふむ」と一言。
床に転がっている赤いコートのカレーうどん女。体半分しかないからカレーうどんハーフ女か。
フロアに上がってきてすぐに、マドカとよく似た気配が店内にあるのを感じた。マドカの本体は半精神体。幽霊もどきだ。霊力を使う私やデシには馴染みの深い怪異、妖怪に近い。でなければ本当に喫茶店よしの殺人事件の幕開けだ。犯人はデシ。次のシーンは死体を畑に埋めているあたりだろうか。
「よんだ?」
マドカはカップ片手に席を立った。入り口までトコトコと靴音が向かい、赤いコートの女の前で止まる。しばらく無言で見下ろして、マドカは一言。
「アリ姉さん、わりと邪魔」
カレーうどんハーフ女は、ロリババア姉様だったらしい。




