013 ボタン、押してないですよね。絶対
言語とは、ヒトが概念化と定義を繰り返し積み上げてきた、まさしく天まで届く建造物のようなものだ。ゆえにヒトはその有形無形すら問わず、森羅万象を定義せんという妄執に囚われている。それはある種の呪いなのかもしれない。
ヒトの業は世界を問わず。この島における「言語理解」のスキルはその呪いが成立させていると言って良い。そんな万能とも思える「言語理解」をもってしても、すべてが正しく伝わるとは限らない。
ヒトは主観を共有できるほど、言語を定義できていないのだから。
【87日目 朝 記録者:デシイチゴウ】
虫の知らせは本能か。彼方から揺れが迫ってくるような気がした。いや、もう揺れたのか。それともこれは夢なのか。
ヒトはどこまでが眠っていて、どこからが起きているんだろう。
デシです。
瞼が落ちているからなのか、まだ眠りのうちなのか。ボクはまだ暗く閉じた世界のなかにいた。
「音」だろうか。揺れに続いて、なにかが閉じた世界にヒビを入れた。夢と現の境界線をまたぎ、意識のヤツがおぼろげに形をとりはじめたあたりで、ボクはようやく「声」だと気がついた。
「イチゴウさんー。そろそろ起きるのだわー」
沁み入るように届いたのは、のんびりと優しそうな女のヒトの声だった。目覚まし向きの声じゃないな、とぼんやりと思う。ボクの上半身がむくりと起きた。明るさは感じるものの、まだ瞼は閉店中だ。
「チカさん、おはようございましゅ……」
意識のヤツはあやふやなまま、惰性と反射がボクの口を動かした。挨拶だけは師匠に叩き込まれているのでしゅ……。
間があったのは待ってくれたのだろうか。
「イチゴウさんー。イチゴウさんー?」
困ったような声が遠のき、か細く消えていく。二度寝という何者にも勝る誘惑がボクの意識を撫で回し、本能を押し倒す。スイッチがゆっくりとオフになるような感覚に身を任せーー、
「ああー! また眠っちゃうのだわ。ええと、こういうときは……」
不穏。「こういうときは」の一言に、ボクの本能がなにかを感じ取った。あらゆる承認プロセスを無視、覆い被さる誘惑を押し退け、すでに陥落しかけている意識のヤツを全力で殴り飛ばす。瞼、開店。意識のヤツは訳もわからないまま、カッと目を見開かせ、起床を宣言すべく喉に指令を飛ばす。
「あのーー」
が、ボクのなかで行われたすべての努力は遅きに失していた。
「ポチッと、なのだわ」
ボタン、押してないですよね。絶対。
まったく無力だった意識のヤツは、そんなしょうもない感想をボクに伝えてきた。
うん。押してないね。絶対。
本能が同意した。ボク内の歴史的和解だな。うん。
脈絡なく、ボクを襲ったのは浮遊感だった。続いて急速な落下感。夢なら間違いなくビクッとなって起きるヤツだ。ただ残念ながら夢じゃない。そう。ボクはリアルに落ちていた。
コレはあれだ。きっと痛いヤツだ。そう確信した直後。
盛大に水音がした。
ええ、これは冷たいヤツでした。
完全に想定外。大量の水が鼻から入る。
ええ、ついでに痛いヤツでした。
ボクは服を着たまま、ひとり水に浮いていた。大浴場にサウナと併せて新設された深めの水風呂だ。確かに一発で目は覚めたけどさ。
「ねえ、チカさん。仮眠室に転移罠使うのやめません?」
ボクはぷかぷかと漂いながら、石造りの天井に声をかける。相手は声の主にしてこの空間の主。岩ダンジョン族のミイスティアチカなんとかさん、ことチカさん。喫茶店の地下に広がる空間そのものが、チカさんという生き物だ。
岩ダンジョン族は、自分の身体のサイズまでなら理想の間取りも思いのままなのだそうで、ボクはお願いして店員用の仮眠室を作ってもらった。営業時間中にホールで店員が寝てるとか自由すぎるんですよ、この店……。
石造りのベッドの上に自作の布団を敷いただけと簡素なものだけど、部屋の明るさ調整可、高い防音性と完璧な空調。ボク的には実に贅沢な仮眠室が誕生したわけです。ただ、目覚ましまで完備されてるとは思わなかったなぁ。
ボクの心からの提案に、チカさんは不思議そうな声で答えた。
「店長からもらった仮眠室利用マニュアルにはそう書いてあるのだわ?」
回答、想定内でした。どう考えても師匠案件です。知ってました。
それでもってこのヒト、底抜けにピュアなお嬢さんでした。
ボクは水の冷たさに慣れてきたのを感じ、ため息をひとつ。そして真顔で言った。
「今度はお湯のほうでお願いします」
「わかったのだわ!」
チカさん、力いっぱい返事してくれました。ピュアだなあ。
次回はあったかい予定です。いや、起きろボク。
さて、チカさんのスキル「水操作」で服と髪を乾かしてもらい、ホールに出ると、夜でした。
記憶が色々とつながる。あー……そうか。夜シフト前に仮眠してたんだった。
「購入」ができるようになって、店内には照明やら空調やらと色々なものが増えた。おかげで夜でも快適に営業ができる。油を灯りに使っていたときと比べて、ちょっと情緒は無くなった気もするけど、利便性は補ってあまりあるというやつだ。
動力は各自がエネルギーと定義しているもの。ボクや師匠なら「霊力」だし、ナナリアさんなら「魔力」。呼び名が違うだけなのか、本質的に異なるものなのかはよくわからないけど、汎用スキルが使えるのだから互換性はあるんだろう。
店内を見渡すとカウンターにはじゃみーさん。ホールにナナリアさんの姿が確認できた。
当店はエプロン姿のクマさんと妖精さんが接客してくれる、素晴らしくファンタジーなお店です。ぜひ一度お越しください。
よし、宣伝おわり。
「お疲れさまですー」
声をかけると二人とも視線で返してくれた。店内は人間らしきお客さんが二組。片方はナナリアさんがお会計中だった。
じゃみーさんが、カウンター側の壁にかかっている木札を一つ、ひっくり返して表にした。シフトに入る店員でメニューが変わるのがよしの流。現在提供可能なメニューなわかるように、お客さんからもわかるように木札を作ってみた。札は三種。じゃみーさんがいるとき限定の「特製コーヒー」、ボクか師匠がいるとき限定の「特製フード」、あとは「その他」。
特製フードがオープンになったということは、師匠は不在。うん知ってた、というやつだ。師匠は店内で寝てる様子もない。仮眠室にはボクしかいなかったから外に出てるのか。基本面倒くさがりの出不精なのに、気がつけば外出している。わが師匠ながらまったく行動原理がわからない。
喫茶店よしの、料理担当募集中です。張り紙出しておけばいいのかな。
「デシくんおつかれさまー」
会計を済ませたナナリアさんがバレルロールしながら飛んできた。
妖精姫の短いスカートは本日も鉄壁。薄桃色の膝上スカートは、どんなアクロバット飛行でも中が見えることはない。
一部の男性常連客の間では「絶対領域の先」だの「バカには見えない」だのと言われているらしい。賢かったら見えるのかと問いたいが、そんなこと言っている時点で絶対に見えないと思うぞ。うん。ボク的にはスキル説を推します。
「私あがりだから、あとはよろしくねー」
「オツですー」
そんなボクの失礼な思考などつゆ知らず、ナナリアさんは笑顔で軽く手を振ると、そのまま地下へと消えていった。それを見送って、ボクはカウンターに入る。専用踏み台に立つじゃみーさんと並ぶと、じゃみーさんはなにかのメモを眺めているみたいだった。
「あ、それ配合表ですか?」
「うむ。寝起きのコーヒーでも飲むか?」
「あ、どもです。いただきます」
じゃみーさんは渋い声で口元だけの笑みを返してくれた。当店のコーヒーマスターは、まるまるモフモフかつクールな感じ、本日も絶好調です。
じゃみーさん、最近はコーヒーのブレンドにハマっていて、客足の少ないときには店員や常連さんに試作品を振る舞っている。ナナリアさんが探索ついでに新しい豆を見つけてくるので、豆の種類が日に日に増えているのだ。
固有スキルとはいえ「植物会話」便利だよなあ。ボクの「植物知識」、完全に下位互換なんですけど……。
まあいいんですけどね。周囲とのスペック差は師匠で慣れてるし、「無いものねだりは、自分自身に死ぬ気でねだってなんとかしろ」って教え込まれてるので、ボクの死ぬ気はいまだ温存中です。
じゃみーさんが豆を挽く音を聞きながら、フード担当のボクは食材の確認をしておく。
肉は定番のイノシシの塊がひとつ、羽の数がおかしい鳥肉っぽい塊がひとつ、長い足みたいな肉は八本足の巨大ネズミだったかな? あれ、カエルだったかも。野菜はトマトの味がする柿がいくつか。木になってるんだよね。あとは芋。この島の芋、歩くらしい。
うん。ここは肉料理のお店ですか。今朝のボク、ちゃんと補充しとけよ。ほんと。
夕飯どきを前に実に心許ない。うーん、チカさんの冷凍庫に野菜あったかなぁ。店の裏に開墾された「ナナリア農園」にいけばいいんだけど、夜だしなあ。
「いまって日の入りしたくらいですよね?」
「つい先刻というくらいか。雨だからあてにはならんが」
この店では太陽と月がおおまかな時刻の目安だ。「購入」にある「時計」はやたら高額なのと、店長である師匠が「いらん!」と一蹴したので導入予定はない。
しかし、夕飯どきの確認をしたつもりが、あらぬ情報を聞いてしまった。
「雨かー」
寝る前は確か降ってなかったと思う。曇ってはいたかもしれない。夜プラス雨。余計に収穫にいくか悩む。
ボクがうだうだ考えていると、程なく店内にコーヒーのいい香りが漂いだした。蒸らしから抽出まで、綺麗な所作で、美しくコーヒーの雫が落ちていく。コーヒーマスターじゃみーの特製ブレンド。ネルドリップでゆっくりと抽出した一杯は、柔らかく豊かな味わいが人気だ。
「おまちどう」
目の前に木製のカップが置かれた。ボクは一度思考を止める。この一杯には真摯に向き合うべきだ。決して面倒くさくなったわけではない。ホントですよ?
「いただきます」
カップを満たす褐色の液体から、ふわりと湯気が立ち昇る。香ばしいアロマを存分に味わってから、カップに口をつける。
美味しいコーヒーはブラックに限る。舌の上に広がる絶妙な苦味と酸味。ほのかに感じる風味は柑橘系だろうか。
じゃみーさんがシフトにいない時はボクもコーヒーを淹れるのだけれど、できあがりはまったくの別物だ。同じ豆、同じ道具でこうも違うものなのかと痛感するくらい。なのでボクが淹れるやつは「普通のコーヒー(豆)」。「バリスタ」スキルの取得条件が知りたいこの頃です。
「おいしいです」
「そうか。新作で『黒龍王』と名付けようかと思っている」
じゃみーさんは機嫌良さげに微笑した。
「前回のは『大喝采』でしたっけ。あれも好きです」
じゃみーさんのネーミングセンス、騎士団長クオリティです。
しばしコーヒーを満喫。ゆったりとした贅沢な時間は「野菜の注文入らなければいいんだ」という天啓を授けてくれた。雨だからか、飲み終わるまで店内を静かな時間が流れていた。平和だ。
それからしばらくして静かに店の扉が開いた。




