泥沼劇から-4
昼休みの残りはわずか。人気のない中庭でベンチに腰掛ける。空を見上げれば、晴天。晴天をぽかんと意味もなく見上げているこの状況を客観的に見れば相当間抜けだろう。
「フィル様!」
「セアラ嬢」
セアラ嬢がこちらに駆けてくる。もっと好奇心に満ちた顔をしてるのかと思ったが、そこにあったのは心配の表情だ。
彼女の表情を見ていると、じわじわと心が温まる気がした。単純に嬉しい。心配してくれるだけの情があるのだ。
喜びの感情が沸き上がるとともに、今まで心にわだかまっていたものが解けていく気がした。
自分は一体何をかたくなになっていたんだろうか。
避けられているからと交流を避けていたのは、やはり意固地になっていたのだ。
「セアラ嬢」
「はい」
「私と夜会に出て欲しい。私のパートナーとして出席してくれ」
彼女の目を見て、申し込む。断られることへの恐怖は気にしなかった。
セアラ嬢の頬が朱に染まっていく。ふわりと花が咲くようだと思った。
「はい。お受けしますわ。よろしくお願いしますね」
にっこりと笑んで応えてくれる。
「セアラ嬢……! ありがとう!」
嬉しさのあまり、彼女を抱擁しそうになった。いけない、と踏み留まって手を差し出す。
セアラ嬢は急にビタッと止まった男を怪訝に思ったか首を小さく傾げた後、差し出した手に気づいて手を握り返してくれた。
良かった。と彼女の手の温もりを感じながらしみじみと安堵した。
この度の夜会の参加に際し、パートナーを申し込んだセアラ嬢の家、ロードリック家にあいさつを送る。その旨を、自分の実家へも伝えた。すると、夜会の類いには出たがらないはずの実家の人間達も揃って出席すると言い出した。
なにやら大事になりそうな気がする。杞憂に終わればいいが。
不安に思いつつも、実家の協力は必要不可欠なので、目をつむった。
セアラ嬢のドレスや装身具はどうするか、両家に相談する。
今回は夜会の開催までそんなに時間もない。また、まだ友人関係の内から身につける物を贈り合ったりなどしない。と改めて教えてもらう。
こういうことも経験がないので、教えてもらわないとどうにもできない。情けなく思うが、いっそ今経験が積めて良かったのだと実家から言われる。確かにその通りだ。
「かといって手ぶらもなんだから、花の一つでも贈りなさい」
と母から指導が入る。適した花の種類、ブーケの大きさなども教わる。
母に礼の手紙を書けば、素直でよろしいと返事がくる。指図に反発しておかしな行動をとる様子がなくて良かったと安堵が記されていた。
当たり前のことをしているだけなのに、こんな反応が返ってくることを疑問に思う。母は過去にそんな風に指導を無視された経験があるのだろうか。
学園がにわかに騒がしい。夜会の準備など、皆慣れて水面下で進んでいるものと思っていたが、案外そうでもないようだ。
周囲の会話が夜会への準備や誘いに関するものばかりになっている。
社交に慣れていても、本格的な夜会の場に出るのは皆初めてで、戸惑いは誰にでもあるのだと知れてほっとした。
「何か不自由はしとらんか」
廊下で出会った際、殿下から声をかけられる。
「はい。今のところは滞りなく準備しております」
「そうか。共に出席する相手は見つかったのか」
「はい。受けてもらいました」
「そうか。万事つつがなく済むよう祈っておる」
「もったいないお言葉、ありがとうございます」
殿下との対話の間、殿下の背後からきつい視線が寄越されたが、特に口を挟まれることもなかった。
セアラ嬢と話し、ロニーもそこに入れながら日常が過ぎていく。ときどき、殿下に気遣われる。
周囲の目は段々と気にならなくなっていった。用があるとき、他の生徒とも話をする。これまで、それすらも避けられがちだったことを思えば、何かが変わったように思う。
殿下が話しかけてくるからというのもあるが、結局は自分の心構えが一番変化してるのではないだろうか。
気にしていないつもりでいながら周囲への不信感が外に漏れて、人への印象を悪くさせ、それが人を遠ざける要因になっていたのではないか。
そんな気がしてならない。
夜会当日。セアラ嬢を迎えに行く。支度を終えた彼女が姿を表す。
淡い水色のドレスは清冽で瑞々しく映り、彼女によく似合っていた。飾りは少ないながら、生地の美しさと仕立ての良さははっきりとわかる。
彼女の上半身から体の線に沿った形で膝からふわりと広がる。
「その、着るものに関してはまったく詳しくないんだが、きれいだ。とても似合っている」
「お針子さん達、いい腕をしているでしょ」
セアラ嬢はふふふ、と笑う。彼女そのものを褒めたつもりが、まったく伝わっていない。もっと言葉を尽くそうかと思ったところで、気づいた。
「セアラ嬢、その髪飾りは」
「ええ。先ほどいただいたお花から使わせていただきましたの」
セアラ嬢の髪は一部編み込まれていて、そこに花が差してあった。
「娘時代にしかできない装いだから、しましょうってことで」
確かに、大人の女性が花を髪飾りに使うのは見たことがない。花を飾るのは若い娘と花嫁くらいのもので、つまり未婚の内にしかできない装いだ。
「お揃いですわね」
「ああ」
セアラ嬢が私の胸に差した花を指差す。そこにはセアラ嬢に贈った花と同じ花を使っていた。
私の側は無難な礼装で二人で揃いの衣装というわけではなかったが、同じ花を飾ることでパートナーらしさが増したのだった。




