第0話 プロローグ
無駄に長い夏休み、本日も快晴で太陽は道を行き交う人々の、体温とやる気のような何かを奪うのに余念がない。
「暑っつい!なんでこんな日まで部活しないと行けないんだよ!」
自分でもよくわからない謎理論の愚痴を零す。勿論愚痴った処で、この茹だるような暑さが涼む訳でもない。
「それは真琴が春に部活に入ったからだと思うんだけど?」
生まれた時からの腐れ縁、所謂幼なじみであり、春から恋人に昇華した結城凛が当たり前の回答をくれた。
「んな事は分かってるよ、ただの愚痴さ。まぁこれでもガチの運動部よりかは楽なんだけどね。それこそ大地なんて大変じゃん?このクソ暑い中、郊外のグランドまで行ってそっから野球を5時まででしょ?マジ考えられわー。」
「でも大地はそれが好きだから、ほんとに野球が好きだから打ち込めてるよだよ。確かに私もよくやるなーとは思うんだけど…。あっ、信号赤だよ。」
歩行者用信号は赤に切り替わり、それと共に息を荒くした数多の車が我先にと車道を走らせる。アスファルトの表面はジリジリと夏の火照りに焦がされ、そこに立つ全てを熱さんとしている。
「こーいうのを、電子レンジに入った気分って言うんだろなー。今レンチンされてる。」
「何馬鹿なこと言ってんの?道場への集合時間まで後20分なんだから、急ぐよ。」
その声に応えた了承の返事は口には出なかった。あれ?今信号赤だったよな。色変わった時の音楽鳴ってないし。じゃあ凛は何処に向かって?
伸ばした手は虚空を掴み、派手で不愉快なクラクションの音が、鼓膜を乱反射する。嗚呼分かってしまった。この妙に流れる眼前の風景に。下手なスローモーション動画の様な、見るに堪えない茶番の様な、そして一面に広がる空よりも美しい深紅。なりよりも僕の目の前からいなくなった凛が、その変わりようもない現実を突きつける。
上手く呼吸が出来ない。あれ?今まで呼吸ってどうしてたっけ?分かんない。分かんない。分かんない。分かんない。分かんない。何で僕は、どうして熱いのかな?人肌に包まれた時、始めて凛に触れたあの夜のように。どうして、どうして?真琴を真っ赤な君が包んで居るのかな?
呆然としていた僕に向けてか、それとも単なる叫び声か、人の奏でる音が聞こえて僕は凛の元に駆ける。
何で目なんか閉じちゃってんの?先月の誕プレに贈った白いシュシュの色、変わってんじゃん。どうして凛が笑ってんの?
"一緒に飛び出さなくて、良かった。手を繋いでないで良かった。真琴も死んじゃう所だったね。新しいこれからを真琴は生きてね。"
頼むから声を出してくれよ。溌剌で天真爛漫で、いつも皆に慕われてて、教室を笑顔で照らしてくれて、でも僕に見せる笑顔は違くて…。
なぁ、僕はちゃんと凛を楽しませれた?凛と一緒に、泣いたり、笑ったり、怒ったり、ちゃんと出来てた?
ねぇ? ねぇ? ねぇ?
答えろよ!!凛!!
あの日から何度も夜が過ぎた。何度も陽が上った。部屋の壁時計も何度も頂を指し示した。けれどもボクは一歩も外に出れていない。
「おい、真琴。お前はいつまでもそうやってうじうじと、凛に申し訳なく無いのか?お前が今際の凛の言葉を聞かせてくれたんだろうが。」
いつの間にか部屋に入ってきていたもう一人の幼なじみ大地がそう諭した。
はっ?何言っての?僕の内なる怒りも全く読めずに大地は続けた。
「確かに凛のことはすげー悔しいよ。俺だって何日も泣いたさ。そりゃ同じ幼なじみでも彼氏だったお前の方が、悲しみも深いだろうさ。でもよ、こうやってお前が腐っていくのを凛はほんとに見たいんか?違うだろ。新しい真琴を見たいんだって、言ってたんだろ…。」
「うっるせェ、んなこたぁ分かってんだよこっちも!このままじゃあ駄目だって、でもよ足が竦むんだ。目の奥がカチカチするんだ。何より、凛が居ないこの世界で、これ以上どうしたって意味無いんだよ!お前に分かんのかよ、最愛の人が目の前に喪失ゆく様を、見たくない、これ以上見たくないのに、直視しないといけない惨めさと愚かしいさを。それに今際にあんなこと言われたら生きるしかないじゃないか!あんな祝福の言葉を吐かれたんじゃ、ここで燻ってる今が、そして一歩踏み出してからの未来も恐ろしくなるに決まってんだろ! はァ はァ…。」
「頼むから、もう関わらないでくれ。八幡山高校1年C組佐々木真琴は、もう死んだも同然なんだよ。」
そう吐き捨てると、大地は部屋を後にした。その空間には虚しさと寂しさだけが残った。
~side:細川大地~
俺が真琴の部屋を去って3日経った。勿論真琴の両親から、あいつが部屋を出たなんて嬉しい報告は一報もない。夏休み中ともあって、クラスの連中の大半は凛の死には驚きと悲しみを隠せない様子だったものの、真琴の現状には誰も気が付かないし、そもそも真琴をチャットの話題に挙げる奴なんて、誰一人としてなかった。
「大地、大内先輩が呼んでんぞ。秋大会のメンバー決めの話すんじゃねぇの?」
部友の声に携帯をエナメルの中に仕舞うと、傍らに置いてあったペットボトルの中の、生ぬるいスポドリを流し込む。
「教えてくれてサンキュ。じゃあ俺行くわ。」
そう行ってグランドで待つ先輩の元に駆け出した。あの日と変わらぬ太陽は、容赦なく俺らを照らす。強豪野球部始めての夏練を経験している後輩達は、今にも口から魂が飛び出そうにフラフラしている。午後からの練習もキツそうだ。
真琴が自殺したというおばさんからのメールはこの1時間後に届いた。勿論俺がこのメールを呼んだのは部活終わりの5時半だった。