いつかあなたに花束を~いまはただ、この一歩を踏みしめて~
デート。
そう、デートだ。
前世ではそれなりにしたことのあるそれは、ファーシルとしてははじめての経験となる。……いや、うん。だって色恋どころじゃなかったし。決してモテなかったわけじゃない。わけじゃ……。
わけじゃない、よな……?
スペックだけはやたら高い自覚はあるけど、それがモテることとイコールになるかっていうとどうなんだろう。
いやいや、過去はいい、過去は。大事なのは現在。誘いかたが全然スマートのスの字もなかったからこそ、デート自体はきっちり決めたい。男の見栄は否定しない。
ファーシルとしてははじめてだろうと、俺には頼もしき前世の記憶がある。それさえあれば失敗なんてしないだろう。
なんて考えが甘かった。
俺の前世の記憶って、基本的に婚約破棄とかいう非常識極まりないアホイベントがあるってことが中心になってたんだよな……。そのへんを知るために必要な部分は割とはっきりしているクセに、そこから離れれば離れるだけ薄らぼんやりしてくる。
たぶん、前世の俺の周辺環境とかそういうのも、転生についてや必要な知識を受け入れやすくするために思い出させられたんじゃないかって思う。だってそのあたり、こんな感じというくらいはわかるけど、細かく思い出そうとすると輪郭失くしてくるし。ついでに、乙女ゲーム内であったはずのイベント内容の詳細も、実はあんまり知らなかった。婚約破棄というアホイベントがあって、そこに至るにはリーリア嬢がヒロインを苛め抜くってことばかり明瞭で、ヒロインが起こすイベントの細々したものはほとんどわからなかったのだ。
だからそれをひとつひとつ潰していくとかしなければならなかったら、俺、詰んでた。いやー、変な強制力とかなくてよかったよかった。
……じゃなくて! 俺の知識チート、マジでくそ役に立たねえっ!
あれか。こんなところに知識チートいらないとか思ったから罰があたったのか。すみません、神様。謝るのでデートのときの記憶くださいっ!
と、どれだけ謝ろうが願おうが、天は無情なのだった。つまり、前世の記憶もあてにならない。
詰んだ。俺、詰んだ。
それに気づいたときの絶望といったらもう、とてもくちにできるものじゃない。けど、そんなことを言っていても時間は流れるのだ。
どのみち世界が全然違うわけだし、前世の知識なんてあったところで役に立たないよな! と、自棄気味に自分に言い聞かせて、とにかく切り替える。
いいところ見せたい、というのは男として仕方ないとして、それよりなによりせっかくだからリーリア嬢に楽しんでもらいたいと願うのは当然だろう。
というわけで、それはもう必死に事前リサーチを重ねた。リーリア嬢にバレないよう、水面下で。情報収集のために声をかけた相手にはなぜか軒並み生あたたかい目で見られたが、気にしない。実の家族や義理の家族は相談したらダメな人間ばかりなので決してなにも言わなかったのに、義父母がにやにやした視線を向けてくるのはイラっとした。
こういうとこで鼻が利くのは、絶対アズレール家の性質だと思う。実母にはなにがなんでも会いたくない。
そうして表面上素知らぬ顔を通し、裏で綿密なプランを練る日々が過ぎ……。
やってきた、デート当日。
ひとまず目的地付近までは馬車で向かい、それから徒歩の予定であるため、まずはリーリア嬢を迎えに行く。公爵邸ではリーリア嬢のご両親にも出迎えられ、緊張からうっかり冷静さを欠いてしまったことが泣ける。完全に出鼻を挫かれた。
「リーリアを頼むよ、ファーシル君」
「ふふ、この子ったら、それはもう今日のことを楽しみにしていたのよ。よろしくね、ファーシルさん」
「もう、お母様。恥ずかしいわ」
たぶん、ほほえましい光景だったんだと思う。……一線引いて見ていられたなら。
「は、はいっ。お任せください」
絶対噛んだ。絶対しぇ、とか言っちまったし、気の利いた台詞もなにもあったものじゃなかった。……泣きたい。
いや、言いわけじゃないけど、ふだんならもっとちゃんと対応できるぞ。初デートという重圧が足を引っ張ったんだ……。……泣きたい。
もうなんか男の見栄とかそういうのが即効崩れていくのを自覚しながら、ご両親への挨拶もそこそこにリーリア嬢をエスコートする。
いやだって、いまほかになにを言えっていうんだ! 俺はデートのほうでいっぱいいっぱいなんだぞ!
前世の年の功とか、そんなのときどきふと顔を出すくらいでなんの役にも立ちやしない。当然ながら、いまの俺はまだまだ若輩もののファーシルでしかないからな。
言いわけじゃない。……言いわけじゃないんだ……っ。
馬車に乗り込み、こころの中で深呼吸。落ち着け、落ち着くんだ俺。まだ挽回は可能だぞ。
「……すみません、ファーシル様。見送りなんてやめてほしいとは伝えたのですが、わたくしの初デートに、なぜか両親まで浮かれてしまっていたようで……」
申しわけなさそうに肩を落とすリーリア嬢は、もともとあのぼんくらの婚約者だったせいで、デートなんてできもしなかったのは知っている。しようと思えば、ぼんくらであればなんとか可能だったはずなのに、マジあのぼんくらはぼんくらでしかない。
リーリア嬢にもっと気を遣うように何度も言ったのに、それも無駄だったなあ……。
「いや、謝るようなことじゃないよ。それだけリーリア嬢が愛されているということなんだし。それより、俺のほうこそ挨拶ひとつまともにできなくて申しわけない」
「そんなことありませんわ! ファーシル様の誠実さは、いつだってしっかりと両親にも伝わっておりますもの」
ばっと顔を上げ、半ば身を乗り出すように熱を込めてくれるリーリア嬢の姿に、一度瞬いてしまう。婚約を結んでからというもの、リーリア嬢の新たな一面を見ることがとても増えた。
それはちょっと戸惑うこともあるけど、でも……うん。年相応の女の子というその姿が、なんだかとてもかわいらしく見える。
「そっか。うん、ありがとう」
ふっと、軽く気が抜けて、気負っていたものがすこしだけどこかにいってくれたような感覚を抱く。そんなふうに落ち着けてくれたリーリア嬢に感謝を伝えれば、彼女は一度目を見開き、身を引いて赤く染まった頬を両手でおさえた。
「い、いえ……。そんな……」
恥ずかしがるように視線を彷徨わせるリーリア嬢に、知らず笑みがもれる。気が楽になったことで多少は余裕も取り戻せた俺は、そこでようやく気づいた。
今日のリーリア嬢は、街中を歩いていても不自然じゃないよう、シンプルで動きやすいワンピースを着ている。そしてそのプラチナブロンドの髪を飾る、碧のリボン。それは俺が事前に彼女に贈った、一応、その……俺の色のリボンだ。
この世界では婚約者に自分の色を用いたアクセサリーを贈るのはごく自然なことなんだけど、慣れていないからなんかちょっと恥ずかしいな。経験云々はともかく、意味するところくらいは理解しているし。
いや、でも。
「そのリボン、つけてくれてありがとう。よく似合っているよ」
「え? あ、ありがとうございます。ふふ。このリボン、わたくしとても気に入っておりますので、ほかでもないファーシル様に褒めていただけると本当にうれしく思います」
ああ。そこまで気に入ってもらえると、贈った甲斐があるな。
一応、婚約者としてリーリア嬢に贈りものを選ぶときは、彼女の兄のユリス……ではなく、その婚約者のヴィアナ嬢にアドバイスをもらっている。リーリア嬢はやさしいから、たぶんなにを贈ってもよろこんでくれるだろうけど、どうせ贈るならやっぱり欲しいと思っているものがいいと思うからだ。
……あんまりはっきりと覚えているわけじゃないんだけど、そうすべきという強い警告のようなものがずっと頭にあったんだよなあ……。実はそれがいろいろな男性陣へのプレゼントに関するアドバイス……という名の、彼らの婚約者や恋人たちからの要望を伝えていた理由だった。
たぶんこれ、夫婦円満の秘訣だと思う。ちょっと正直、なにがあったか深く思い出せないことに関してはそのままにしておいたほうがいいんじゃないかって思ってるけど。
それはともかく。俺たちは予定どおりに馬車を降り、ふたりで街を歩き出した。
さすがにデートで帯剣はしていないが、これでいて体術にも自信はあるから、なにかあってもある程度は俺ひとりでも対処できるだろう。という自負はそれとして、念のため侯爵家から護衛も雇っている。
バーレンハイム公爵家はこの国でも大きな勢力を誇る公爵家のひとつで、だからこそそのご令嬢ともなれば過剰なほどでも万全を期して守るべき存在なのだ。
家柄だけじゃない。リーリア嬢の場合、個人としても慈善事業や福祉関係にも積極的に関わり人望も厚く、才媛としても名高いのだから、よからぬ輩に狙われる要因は充分すぎるほどにあるといえる。
というわけで、護衛を選ぶ際には俺もきっちり関わって選んだ。適度な距離を保ち、その存在を気取らせないくらいに腕の立つ人物をきちんと厳選してある。
そう、そしてそれはつまり……意識して気にしないようにすれば、デートを他人に見られているという羞恥も薄くなるということでもあった。……と、信じている。
……ところで、こうして一緒に歩く場合、婚約者としては腕を組むか手を繋ぐかしたほうがいいんだろうか……。
ひっそり周囲を探ってみれば、なるほど、そういうひとたちもちらほらと見受けられる。そうだよな。はぐれにくいというメリットだってあるわけだし。
で、あれば。
「お手をどうぞ」
腕を差し出す。いや、なんかこう、ランク的に手を繋ぐほうがまだ初心者向けな気がしたんだが、そんないつ手汗の心配をしなければいけなくなるかわからないリスクを冒す真似は俺にはできない。
「あ、ありがとうございます……」
消え入りそうな声でつぶやくリーリア嬢の顔は真っ赤で、つられて俺も赤くなりそうだったため、誤魔化すように前を向く。
「それじゃあ行こうか。どこか気になる店でもあったら言ってくれ」
「はい」
ひとまず、カフェへの道中をすこし遠回りをして歩くことにした。なるべく無理をさせないよう、歩調や歩幅を気にしながら、俗にいうウインドウショッピングを楽しむ。
「あら、かわいい。猫のぬいぐるみですわ」
「ああ、本当だ。愛らしいな。……よければ、どれか贈ろうか」
「ありがとうございます。ですが今日はこのまま見るだけで楽しませてくださいませ。ファーシル様とご一緒しているだけで、見るものすべてが輝いて見えますもの。片端から贈っていただいたりしては大変なことになってしまいますわ」
そう冗談めかして笑うリーリア嬢に、俺もつられて笑う。一緒に歩くだけでそんなふうに思ってもらえるというのは、婚約者として冥利に尽きるな。
「ファーシル様、いまのこどもが手にしていた棒のようなものはなんなのでしょう?」
「ああ、あれは練り菓子だよ。割と安価で手に入るものだから、こどものおやつにちょうどいいんだ」
「そうなのですね。あら、あれは……」
「あれは……」
リーリア嬢との会話は、リーリア嬢が一般的なひとびとの暮らしで疑問に思ったことを訊いてきたり。
「ふふ。みな、活き活きとしておりますわね」
「そうだな。この国は地方でも平和なほうだし」
「ええ。でもやはり貧富の差はありますし、わたくしたちももっと市井のことを知りませんと」
「確かに。俺もちゃんと次期侯爵として気を引き締めないと」
「それは素晴らしいこころ構えかと存じますが、おひとりで気負わないでくださいませね。ファーシル様が背負われるものは、わたくしもともに背負いたいのですから」
「ありがとう。こころ強い」
すこしだけ真剣なはなしをしてみたり。
「まあ! ふふ。またかわいいぬいぐるみを見つけたかと思ったら、本物の猫でしたわ」
「本当だ。なんか貫禄ある猫だな」
そんな、他愛のないはなしもした。
リーリア嬢がはなし上手なのか、罪悪感やらなんやらで彼女との距離感を掴みかねていたはずだったのに、気づけば割と自然に会話ができていたことにちょっと驚く。
……うん、まあ、地のくちの悪さは自覚があるので、そのへんはこう、対淑女用というか、外面を張りつけていたことは事実だけど。
いやだって騎士団で荒っぽいひとたちの中にも放り込まれて育ってきた俺だから。実父だって貴族って感じより体育会系のひとだしな。驚かせちゃうだろ、確実に。
だれだよ、氷のなんちゃらなんてふたつ名を俺につけたはた迷惑なヤツ。そう呼ばれてたって聞いたときの俺の顔、ものすごく引きつっていたぞ、絶対。
ともあれ。順調にデートらしいデートを進めていると、ふとリーリア嬢の足が止まる。今度はなにを見つけたのだろうと思えば、どうやら行商人が店を開いているらしい。
「お。かわいーお姉さん連れてるね! どう、お兄さん? うちの小物、質がいいよ!」
元気に声をかけてきたのは、まだ年若そうな女性だった。日に焼けた健康的な肌が短めの袖口から晒され、そこにつくしなやかな筋肉と、ひと懐っこい笑顔や慣れた声のかけかたから、行商としてそれなりに経験を積んできている子なのかなと思う。
並べられた商品は女性向けの小物から、実用性の高そうな雑貨類など。どちらかといえばシンプルなデザインが多いことくらいはわかるが、こういうものの質とか、俺はあんまり詳しくないんだよなあ……。
リーリア嬢があえてここで足を止めたのだ。なにか気になるものがあったのかとちらりと視線を向ければ、彼女はその場にすっと屈んでひとつのリボンを手に取る。
紫紺の、リボン。リーリア嬢の目とおなじ色だ。
「これ、いただけますか?」
「はいよー。500ゼンね」
「リーリア嬢、俺が買うよ」
「いいえ。これはそれでは駄目なのです。……はい、ではこれで」
「まいどー」
リーリア嬢が欲しいと思うほど気に入ったのであれば、ここは俺がプレゼントするべきだろう。そう思ったのだが、リーリア嬢はきっぱりと首を振ると、さっさと会計を済ませてしまった。
「ありがとうございます。ふふ、本当にいい質ですわね」
「お。お姉さんわかる? ちょーっと特殊な絹を使ってるからね」
「ええ。そのうえで織り手も素晴らしいようで」
「はは。そこまで言ってもらえるなら、村のばあちゃんたちもよろこぶよ。あたし、よくここで店出してるから、気に入ってくれたならまた寄ってね」
「ええ、必ず」
……特殊な絹……? あれ、それってもしかして……。
「さあ、ファーシル様。そろそろカフェのほうへ参りませんか?」
「え? ああ、うん。そうだね」
はなしに出ていた絹にちょっと思い当たるものがあったけど、確かにそろそろカフェに向かってもいい頃あいだろう。リーリア嬢に促され、行商の女性に見送られつつ、俺たちは再び歩き出す。
目的のカフェはそう離れた場所にあるわけではなかったため、そこからまっすぐに向かえばすぐに辿り着くことができた。個人経営のこぢんまりとした、ちょっとメルヘンチックな外装の店だ。
「まあ、かわいらしいお店!」
外観の印象はどうやら上々っぽいな。こういう好感は上がれば上がるだけいいに決まっている。内心でちょっとガッツポーズをとった。
人気の店らしいから、よく行列とかもできるって聞いたけど、ピーク時じゃなければ予約可能って聞いたため、念のため事前予約を入れておいた。結果として今回はまだすこし席に余裕があったっぽいけど、そんなの結果論だしな。準備は念入りにしておいて損はない。
というわけで、内装もまたかわいらしい店内の、隅のほうの席に案内してもらう。いくらシンプルな姿にしてきたとはいえ、リーリア嬢はもとが目を瞠る美人だ。どうしたって目立ってしまうのは仕方ないにせよ、できる限り目立ちにくくしようと考えた。
「お店もかわいらしければ、ケーキもかわいらしいのですね」
料理は見た目も大事、とは、だれの談だったか。とにかく、運ばれてきたケーキは見た目も楽しませようとする意気を存分に感じるほど鮮やかに華やかに彩られていた。
そういうところに特段拘りとかない俺でも、思わずおおと感嘆してしまう。いやマジ、この店人気なのよくわかるな。
「本当に。すごく手が込んでいるな」
「ええ。季節もよく考えていらっしゃるようで、センスの良さも感じますわ」
爽やかさの演出に水? 風? のイメージにしているのはシロップだろうけど、飾りに添えられた花、よく見ると芸が細かい。センスもさることながら、ものすごい器用なひとが作っているんだろうとも思う。
「まあ、おいしい! ピオレの甘味を上手に引き立てているのに、後味はさっぱりとしているなんて。とても不思議ですわ」
ピオレはこの季節の代表的な果物だ。そのまま食べても甘味が目立つ、すこしばかり高価な果実。搾ってジュースにしてもうまい。
……いまさらだけど、この世界、日本語名とこの世界の特有ななまえが入り混じって存在してるんだけど……。そのへん、あんまり深くつっこむのはやめておいたほうがいい気がするな。なんかこう、ゲーム的設定がーとか、がっかりなはなしに触れそうだし。
ともあれ、デザートや紅茶に関してもリーリア嬢の評価は上々だった。とてもしあわせそうに、おいしそうに食べたり飲んだりしてくれるから、連れてきた身として冥利に尽きる。たぶん、俺の顔、緩んでいるだろうけど、にやにやした感じになってないといいな。
ゆったりと他愛ない会話を交わしながら過ごす時間は穏やかで、こういう空気感っていいよなあとしみじみ思う。……で、罪悪感がぶり返して頭を抱えたくなったりしたんだけど。
いや、やっぱりまずはちゃんとはなしをするべきだった。いつまでもあと回しにし続けるのは不誠実すぎる。俺の罪悪感も大概はちきれそうだし、ちょっと本当、マジでどうにかしないと……!
決意だけ空回って結局いまのいままで行動に移しきれずにいたけど、今日こそはちゃんと決める。初デートでしていい暴露じゃない気もするが、俺の義両親や実母といった邪魔も入らないいまは、むしろいい機会じゃないかとも思えた。俺の都合でしかないのはマジで申し訳ないと思うけど、このままずっとリーリア嬢に偽り続けるのはよくないだろう。
この先ずっと一緒にいるなら、なおのこと。俺はちゃんとリーリア嬢と向き合いたい。
そうと決めれば、もうこれ以上先延ばしにしないためにも実行あるのみ。幸い、馬車の中ならばだれに聞かれることもないわけだしと、カフェをあとにして馬車に戻ってから口火を切る。
あ、そうそう、それはそれとして、帰り道もゆったりと街中を散策しつつ戻ったわけだが、その道中でリーリア嬢が気にかけていたネックレスはしっかりチェックを入れておいた。リーリア嬢はいいと言っていたけど、やっぱり初デートの思い出になにかかたちに残るものはあったほうがいいだろう。
女性って、そういう記念もの大事にする気がする。たぶん。
というわけで、それは後日贈れるよう準備するとして、いまは目の前のことに集中しないと。馬車に乗るなり開口いちばん、今日の感想もあと回しにっていうのはどうかとも思ったが、たぶん、今日の感想をはなしはじめたら、また今日も機会を逃しそうな気がしたから仕方ない。
いやマジでリーリア嬢がはなし上手すぎるからか、気づいたら切り出すことすら忘れてしまうんだよなあ……。
「リーリア嬢、いまさらではあるのだけど、俺はきみに謝らなければならないことがあるんだ」
「……謝らなければならないこと、ですか?」
向かい合って座って、落ち着くなりの俺のことばが唐突すぎてだろう、リーリア嬢がきょとんと瞬く。
う……こんな急に切り出して本当申しわけない……。
こころの中で謝って、けれどまずは伝えるべきことを伝えねばと、はなしを進める。
「実は、その……俺は、きみに恋愛感情を抱いてはいないんだ」
………………。
いや、もっと言いかたあるだろ、俺ええええええっ!
必死すぎて単刀直入にもほどがある発言に、自分で自分をぶん殴りたくなる。
いやいやいや、違う、とにかくフォローだ! リーリア嬢を傷つけてどうする!
「あ、いや、えっと、なんかその、周りがみんな、俺がリーリア嬢に惚れているとか言ってたけど、そうじゃなくて……。いい、いや、リーリア嬢はすごくいい子だし、尊敬もしているし、もちろん好感だって持ってたけど、それはひととしてというか……! その、なんだ、これは別にリーリア嬢に限ったことじゃなくて、なんというか、俺自身がずっといっぱいいっぱいで、単に恋愛に目を向けている余裕がなかっただけなんだ!」
おおう……。まずいこれ、俺紳士の仮面がどこかいってる……! どっちかっていうとちょっと地が出てきてる気がするというか、そうじゃない、なに言ってるかわからなくなってるぞ、俺。大丈夫か、変なことくち走ってないか、そもそもことばが成り立っているか……⁉
どうにかリーリア嬢を傷つけないようにとことばを選んでいるつもりだけど、喋れば喋るほど泥沼に嵌まっている感が否めない……! なんかこう、もっとうまいフォローをしろ! するんだ俺!
と、自分の能力以上を自分に求めたところで仕方ないというのに、どうにかうまく穏便にとぐるぐる思考ばかり巡らせていると、リーリア嬢の静かな声が挟まれた。
「……存じておりました」
「………………へ?」
え、いまなんと……?
たぶん、俺はいま最高にまぬけなぽかんとした顔をして、リーリア嬢を見ていることだろう。
リーリア嬢はそんな俺をまっすぐ見つめて、静かに、そしてすこし悲しそうに笑みを浮かべてみせた。
……あああっ! 俺の馬鹿野郎! 傷つけてるじゃん! 思いっきり!
「ファーシル様がそういう対象としてわたくしを見てくださっているわけではないこと、気づいてはおりました。……けれどそれでも、わたくしはファーシル様をお慕い申し上げているのです。どれだけ狡くとも、どれだけ浅ましくとも、みなさまの思い違いを好機である、と。そう思い、利用してしまいました。あなたの……ファーシル様のおそばにいられるなら、わたくしはなにを置いてでもその場所を得たいと望んだのです」
申しわけありません、と、顔を伏せ、両手を膝の上でぎゅっと強く握りしめて、それでも気丈にしっかりとことばを紡ぐリーリア嬢に、胸が締めつけられる。
ああ、俺は。こんなにも彼女に想われて、こんなにも彼女を追い詰めてしまっていたんだと。そう思い知らされて、ことばを失う。
俺は俺が思っている以上に、彼女を傷つけ続けていたんだろう。
ぐっと、強く拳を握った。俺は本当に、大馬鹿野郎だな。
「顔を上げてくれ、リーリア嬢。あなたが謝ることなんてなにもない」
「……ファーシル様」
「もとはといえば、誤解を招くような行動をとっていた俺が悪いんだ。申しわけない」
「そんな……っ、ファーシル様は」
悲痛な顔で、リーリア嬢が身を乗り出す。それを俺は首を振ることで制止した。
「俺に、時間をくれないだろうか」
「……時間、ですか?」
「いまさらだとは思う。都合のいいことを言っている自覚もある。だけど、俺はちゃんとあなたと向き合いたいんだ。これからずっと、一緒に生きていくために」
まっすぐにリーリア嬢を見つめ、いまのこの真剣な気持ちがすこしでも伝わればと、しっかりと告げる。
もしかしたら、これこそリーリア嬢の好意につけこんだ非道なものと詰られても仕方がないことかもしれない。でも、それでも俺は、ただ黙って真実を隠したまま彼女と時を刻んでいきたいとは思えなかったんだ。
自己満足でしかないのかもしれないけど、俺はちゃんと、誠実さをもって彼女に寄り添いたいと願う。
俺のことばにリーリア嬢はすこし瞳を揺らせたあと、静かに一度目を閉じた。そうして再びその双眸を開いた彼女は、ふわりと、やわらかにほほえんでくれる。
「はい。わたくしはいつでも、いつまででもお待ちしております」
こんなにもやさしい彼女は、俺にはもったいなさすぎると思うけど、だからこそ俺は彼女と並んでも恥じない自分にならないと。これから先、だれよりもそばでともに時間を刻んでいくことになるのだから。
彼女の笑顔を曇らせることのないようにしなければと、内心で意気込みを新たにする俺に、リーリア嬢はすこしだけ目線を下げ、どこか躊躇う様子を見せたあと、意を決したように改めてくちを開く。
「あ、あの……ファーシル様。ファーシル様がわたくしと向き合いたいと仰ってくださるのでしたら、ひとつ、お願いがあるのです」
「お願い?」
そりゃもう、俺にできることならなんでも。多少の無理でも根性でがんばる。
「その……もっと、自然体でわたくしに接していただきたいのです」
「自然体……?」
おおう、なんかつい鸚鵡になってる気がするな。いやでも、ちょっとよくわからん。俺の自然体って、結構雑な感じの騎士団仕様……というと騎士団が雑っぽい感じの語弊が生まれるが、まあうん、概ね間違ってもいないか。だってトップ、俺の実父だし。
それはともかく、アレはあくまで騎士団の中でしか出してない地であって、そこ以外ではそれはもう貴族っぽく、そして騎士は騎士でも近衛騎士として恥ずかしくない感じに外面よくしてるはずなんだけど。リーリア嬢の兄であるユリスとかとは、私的な場である限りそれなりに気安く接させてもらってるけど、それだってちゃんとある程度の行儀良さというか品の良さとかいうかは保ってるつもりだ。
つまり、リーリア嬢のいう俺の自然体って、ふだんリーリア嬢に対してとっている態度とそこまで変わるとは思えないってことなんだが……。
「実はわたくし、ファーシル様のひとりごとを聞いてしまったことがあるのです」
………………え。
「ひ、ひとりごと……? え、いや、それはその……ふだんとは違う口調で……?」
「はい。お恥ずかしながら、なにを仰っているのかよくわからない部分も多くはあったのですが、でもふだんのファーシル様よりも滑らかなことば遣いに思えました」
おお……それは、うん。地だよな、たぶん。
「いや、でもあれは、とても荒っぽいというか、貴族らしくもなければ、紳士らしくもないと思う、のだけれど……」
「確かに貴族らしいかと問われると肯定はし難くありますが、いままでのファーシル様のご様子から対外的なものとの使い分けに問題があるようには思えません。ですので、できたらわたくしの前では、ファーシル様がいちばんファーシル様らしくあれる姿を見せていただきたいのです。お互いに、自然な姿で新しい関係を築いていけたら、と、そう思うのです」
あー……それは確かにそうできたらいいのかもしれないけど……。
「だけどそれはリーリア嬢にはすこし……その、刺激が強い、というか……」
「いいえ! いいえ、そんなことはありません! わたくしは、わたくしの前ではそのままのファーシル様でいてほしいのです。……わたくしも、自然な姿のままのファーシル様と向きあいたいと願うのは、わがままでしょうか……?」
「う……」
いや、これ、断れない案件だろ。まあでも、本人がそういうなら大丈夫、なんだろうか。
確かに、将来的に考えて、家で地の喋りかたができたりするのは楽ではあるんだけどな。義父母の前では取り繕ってたりするけど、だからこそリーリア嬢の前では素でいられるっていうのは俺としてもありがたいはなしではある。
「……えーと、それじゃあ、リーリア嬢の前ではその喋りかたにしようと思う、けど、たぶん通じないことばとかもあると思うから、伝わらなかったら言ってほしい」
「はい! ありがとうございます!」
わあ……そんな輝かんばかりの笑顔とか……。それほどよろこばれるようなこととは思えないというか、なんかこれ、俺のメリットしかない気がするんだけど、本当にいいのだろうか……。
ちょっと悩むけど、当のリーリア嬢がよろこんでいるのだからいいということにする。乙女ごころ、難しいな。
「あの、ファーシル様。そのついでというわけではないのですが、リーリア嬢、というのもその……。婚約者、ですので……」
「え、あ、そうか。つい、もうクセで……。それじゃあ、ええっと……リーリア、と、これからは呼ばせてもらおうかな」
「はい!」
正直、違和感すごい。いやだっていずれ結婚するといっても、いまは目上の存在に違いないし、そもそもが雲上人というか、高嶺の花というか、そういう地位のひとだったわけだし、呼び捨てとか分不相応感が半端ない……!
でもさすがにこれはなあ……慣れないとどうかというものではあると思うし……。結婚してなおリーリア嬢と呼ぶわけにはいかないから、いまから慣れるに越したことはないよな。
「それならリーリアじ……ごほん。リーリアも、俺のことはファーシル、と」
「そんな……殿方を呼び捨てにはできませんわ。ですから、その……ファル様、と、お呼びしてもよろしいですか……?」
俺はあんまり気にしないけど、この世界、ちょっと男尊傾向強めな風潮あるんだよなあ……。女卑ってほどに女性を下げる傾向があるわけじゃないんだけど、それでも女性は男性を立てるという認識が一般的であることは否定できない。
うちも、実の両親にしろ義理の両親にしろ、母親側は父親側を様付けで呼んでいるし、そう呼ぶ女性が貴族間だと多いことは事実だと思う。呼び捨てにしている夫婦がいないわけじゃないけど、無理強いするほどそれが一般的ってことはまったくない。
それに俺のことを愛称で呼ぶひとって家族でさえいないから、これはこれで特別感はあるかも。
呼びかたひとつの問題ではあるけど、やっぱこういうの大事だよなあ。気持ち的な問題かもだけど、なんかちょっと距離感縮まった気がする。
「もちろん。リーリア以外にそんなふうに俺を呼ぶひとっていないから、なんか特別な感じがするな」
「まあ……」
うーん。ずっと罪悪感がすごかったし、まだしばらく払拭しきれたりはしなさそうだけど、新たな一歩を踏み出すには幸先よさそうな出だしだよな。ちゃんと向きあうには、歩み寄りは重要だろ。もっと早く行動しておけばよかった。
ひとまず、これからのための一歩が明るそうなことに安堵している俺に、リーリアが改めて窺うようにことばを紡いだ。
「あの、えっと……ファル様。実はわたくし、いまの件とは別に、ほかにもお願いがありますの」
「ん?」
「これなのですが……」
そう言ってリーリアが取り出したのは、ひとつのリボン。紫紺のそれは、今日のデート中、行商の女性からリーリアが買っていたものだ。
「それって、アズレール侯爵領の?」
「まあ。お気づきでしたのね」
「あー……いや。恥ずかしながら、リーリアと行商の女性とのやりとりを聞いてようやく気づいたんだけど」
「そうでしたか。ですがこうした品は女のほうが得意とするものですから、ファル様が気づかれなくても無理はありませんわ」
リーリアが手にしているリボンは、アズレール侯爵領の特産のひとつである絹で織られたもの。絹自体もちょっと特殊でほかに類を見ない上質なものらしいのだが、その加工技術にもまた侯爵家がちからを入れているので、国内外から高い評価を受けていると聞いた。この絹の中でもさらに厳選された絹を使って仕立てられたドレスを着ることは、一種のステータスにさえなるのだとかなんとか。各領地の特色や特産についても勉強中だけど、さすがにひと目見てそれと判断できるほどにはまだちょっと至ってない。
リーリアはフォローしてくれたけど、次期侯爵としては俺もちゃんと自分が治める領地のものくらい見極められるようにならないとな。
……というか、それがふつうにできてるリーリアがすごすぎる。そのあたりも王妃教育とかで培っていたりするんだろうか。
「それで、このリボンなのですが……その、ファル様に、身につけていただいてもよろしいでしょうか……?」
「身につける? それは構わないけど、服に結わえるとかでいいのか?」
「いえ。できたら、直接身につけていただきたいのです」
直接って言ってもなあ……。短髪ってわけじゃないけど、束ねるほど髪も長くないし。
……伸ばしてほしいっていう、遠回しな要望だろうか。ちょっと首を傾げる。
「えっと……ファル様、隣を失礼して、すこし御髪を弄らせていただいてもよろしいですか?」
「それは構わないけど、俺の髪だと結わえるには足りないと思うよ」
「ふふ。わたくし、すこしばかり器用だと自負しておりますの。ですがもしも痛みを感じるようなことがあれば、すぐに仰ってくださいませ」
すこしだけ得意げに笑うリーリアに、そんなふうにも笑うんだなあとちょっとだけ驚いた。こういう何気ない表情を知っていくのも大事だよなあと思う。
ともかく。動いている馬車の中で動くのは危ないから、俺がリーリアの隣に移動した。すると彼女は失礼しますとひとこと断って、早々に俺の髪に触れはじめる。
どうやら耳のうしろあたりの髪をひと房掬って弄るらしい。そのへんを弄るということは当然リーリアのほうを向くわけにもいかず、ただひたすらに正面を向いているしかないのだが、横顔にずっと視線が刺さり続けるというのもなんか落ち着かない。
気を紛らわせるためにはなしかけるというのも、なにやら真剣に俺の髪を弄るリーリアの邪魔になりそうで憚られた。
……仕方ない。終わるまでおとなしくしていよう。
内心はそわそわしつつも、それを態度に出さないようなるべく微動だにしないことをこころがける。ただでさえ揺れる馬車の中だ、俺まで下手に動いたら邪魔極まりないだろうし。痛いようなら、とリーリアは言ったけど、実際には引っ張られる感覚はあっても痛いというほどじゃない。
なんか落ち着かないせいで体感的には長くかかっているように感じる時間も、おそらくさほどかからずに終わりを迎えた。
「できましたわ」
そのことばに、さっきまでリーリアが触れていた髪のあたりに軽く指を這わす。えーとこれは……たぶん、編みこまれてる?
「すこしリボンが長かったので、余り過ぎてしまいました。あとで調整をさせてくださいませ」
「それは構わないけど、これ、どうなってるんだ?」
「単純に髪と編みこませていただいただけですわ。その……お気づきかと思いますが、このリボン、わたくしの色をしておりますの。ですから、ええっと……身につけていていただけていると、わたくしがおそばに置いていただけているように思えると申しますか……。……ご迷惑、でしょうか?」
窺うように、心配そうに。ちょっと上目遣いで見つめられ、思わずどきりとしてしまう。
いや! だってほら、こんな上目遣いとか、男として庇護欲をそそられるというかなんというか……本能として仕方がないと思う!
「迷惑なんてことない! いや、ほら、婚約者ならこういうの、ふつうだと思うし」
……ふつう、だよな? ちょっと正直自信ないけど。
「ありがとうございます! ふふ、よかった、そう言っていただけて。いま手もとに鏡がないことが残念ですが、我が家に着きましたら、リボンの調整と合わせて確認してくださいませ」
……我が家に着いたら……。
いや、うん。リーリアを送っているわけだし、リボンの調整がしたいって言ってたし、公爵家にちょっと立ち寄ってそれを済ませるっていうのはわかるけど……。
「あの、リーリア……? リーリアの腕を疑うわけじゃなくて、それ以前の問題として、男がこうしてリボンをつけてるっていうのは変じゃないだろうか……?」
「とてもよく似合ってらっしゃると思いますが……。それに、髪に装飾をつける殿方はよく見かけますわ。この国では特段珍しいほどでもないと思いますが」
あー……言われてみれば確かに。長髪のひとも案外多いし、髪留めを使っている男だっているな。
……いやこれ、乙女ゲーム仕様じゃね? メインキャラとかじゃなくても、顔面偏差値割と高めだったりするし、きらきらーっとした美形男子ならそういうのも似合うというか。
……なるほど。俺もその枠か。おそろしいな、乙女ゲーム。
さすがに二十年近くこの顔面と付きあってきてるから、自分のクォリティの高さはちゃんと自覚してる。でもちょっと他人事感というか、あんまり俺美形って意識は持てない。リーリアと並んで立つことに、そういった意味での気後れはしないで済んでることだけはありがたいけど。
とりあえず、変じゃないならまあいいか。リーリアの両親とかに白い目で見られる心配がなければそれでいいし。
「そっか。ならいいんだ」
安堵する俺に、リーリアもほほえむ。
「はい。……ところでファル様、このリボンなのですが、こうして結わえる役目は、わたくしにだけ与えていただきたいのです」
「? それは構わないけど」
「ありがとうございます。できましたらふだんから持ち歩いていただけたらうれしいのですが……。そうすれば、たとえば王城などでお会いした際、その場で結わえさせていただくことができますから」
現在俺は次期侯爵としての勉強を優先させてもらっているとはいえ、一応籍自体はミグル殿下の近衛騎士に置かせていただいている。殿下の婚約者のかたの教育係のひとりとして登城することもあるリーリアとは、確かに城で会うこともあるだろう。
というわけで、了承になんの問題もない。リボンひとつだし、嵩張るものでもないし。
頷く俺に、リーリアはうれしそうに満面の笑みを浮かべた。
こうしてようやく婚約者としてスタート地点に立てた気がした俺は、なんとなくその先行きが明るそうなことに内心でほっと安堵の息を吐くのだった。