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バーレンハイム公爵家兄妹はかく語る・兄編(後編)


 それから大きな変化が訪れることもなく、私たちは貴族が通う学園への入学を果たす年齢へと成長した。

 王太子殿下や私、宰相の息子であるサージュやファーシルは同学年であるため今年から学園生となり、リーリアやヴィアナは来年度から入学してくることになっている。


 一年もの間ヴィアナに会える機会が減らされてしまうことは苦痛だけど、この機にしっかりと自分を磨き、次期公爵としてより恥ずかしくない身となれば、きっとヴィアナにも惚れ直してもらえるだろうとファーシルに言われ、納得した。

 それに、会える機会こそ減ってしまうとはいえ、まったく会えないということは当然ない。


 そしてそうした折々に頼りになるのは、実はファーシルだったりする。ファーシルは生真面目で堅物には違いないのだけれど、それでいてなぜかヴィアナの……いや、ヴィアナに限らず多くのご令嬢たちの好みをよく知っているのだ。

 基本的に、贈りものといえば花か装飾品だろう。無難とも思えるけれど、それは多くの貴族子息の共通認識とも言えると思う。けれどそんな考えを、ファーシルはあっさりと両断した。

 曰く。



「こういうのは、欲しいと思うものでなければ、内心でのテンションはだだ下がるものだぞ」



 衝撃だった。


 さすがにそれは極論かもしれないし、きっと愛する相手からの贈りものであればなんでもうれしいと思ってくれるご令嬢もいることだろう。そう信じた私の反論に、ファーシルはなぜかとても生温かいまなざしで、どこか無気力な……いや、なにかを悟っているような、達観しているような表情で、ふっと笑ったのだ。


 なんだろう。あれはそう、まるで「そんな夢や希望を抱いていたときもあったなあ」とでも言いたそうな表情だった。……よくわからない重みがあったように思う。


 とりあえず、どこかでそんな経験でもしたのかと尋ねてみたら、すごく微妙な表情で否定された。表情はともかく、特定の相手がいたこともないはずのファーシルにそんな経験なんて積める要素もないだろうとは理解する。ファーシル自身の性格や年齢から考えても、そんなに女性慣れできるわけもないだろうし。

 とはいえ、欲しいと思うものが丁度よくもらえたほうがよろこびも一入だと言われれば、否定することもできない。ヴィアナがよりよろこんでくれるのであればと思えば、なおさらだ。


 けれどそうなると、ヴィアナがそのときそのとき欲しいと望むものを知ることに困るようになってしまった。本人に訊いてしまえば一番いいのだろうけれど、せっかくならサプライズも兼ねて喜ばせたい。そう思って悩む私に、ファーシルは的確なアドバイスをくれたのだ。

 ヴィアナならいまはこういうものを欲しがるだろうと、その品だけ教えてくれるファーシルに試しに従ってみて、色などを私自身で考えプレゼントをする。そうするとどうだろう。それはもう大輪の花のように笑って、ヴィアナがよろこんでくれるのだ。


 おかげで、それ以来すっかりヴィアナへのプレゼントを選ぶ際にはファーシルに頼るようになっていた。それはリーリアにも知られてしまっているようで、だからこそ困った兄を見るような目で見られることもあるのだけれど、ヴィアナがよろこんでくれるのだから仕方がないだろう。


 ちなみに、これはなにも私に限ったことではなく、多くの人間……それこそ貴族子息に限らず、様々な人物がファーシルを頼っていることを知っている。

 それだけの女性の好みがわかるなんて、もしややはり女性慣れしているのではないだろうかと再度疑ってしまったこともあったけれど、本人にはそんな暇などないと一蹴されてしまった。

 まあ確かに。近衛騎士でもあり、自分の鍛錬にも余念がないファーシルはなかなかに多忙だろう。私としてはリーリアが誤解してしまったらと懸念を抱いたわけだけど、理解力があるのか包容力があるのか、リーリアはまったく気にせず……いや、むしろファーシルの体調こそをいつだって気にかけていた。兄としての欲目を除いても、とてもやさしい子なのだ。


 ちなみに、お茶のお礼などにファーシルがリーリアになにかを贈ろうとする際は、リーリアが欲しいもののリサーチや、うまく間に入ってやるなど、私もファーシルを応援し隊の一員として、またリーリアの兄として、全力でさりげなく手を貸している。


 ……王太子殿下? ああ、うん。ファーシルはそろそろ本格的に見捨ててしまってもいいのではないかな。


 傲慢で高慢で選民思想が強くプライドだけは無駄に高い。うん、まったく変わりなく王太子殿下だ。

 ついでに、リーリアに無駄な対抗意識を抱いている殿下は、リーリアの兄である私にも謎の当たりの強さを見せてくる。面倒なので、最低限の接触しかしないようこころがけていた。

 ああ、でも、リーリアが将来どうしてもアレの妻とならなければならないと考えると、すこしでももっとマシになってくれるよう、ファーシルにがんばってもらったほうがいいのか……。

 そればかりは、私が諭したところで意味不明な反発しかされず、逆効果にしかならないのだ。リーリアのためにも、ファーシルの負担を減らすためにも、なにか手伝えたらと思っていた時期もあったのだけど、下手をするとリーリアに飛び火してしまうため、結局なにもしないことが一番となってしまっていた。


 ……いっそ身罷られたりしないだろうか。


 などとすこしばかり不穏なことを考えつつ、一年過ごし。リーリアやヴィアナが入学してくる年になった。

 これでやっとヴィアナと学園生活を送ることができる。そんなシチュエーションに、内心で期待を膨らませ浮足立っていた私は、驚愕かつ謎の襲撃を受けることになった。



「あ! ユリス様ですよね! はじめまして、わたし、メイシアっていいます!」



 びっくりして驚いてびっくりした。


 かのご令嬢との初対面は、彼女が王太子殿下にくっついていたことにより、不本意ながら果たされてしまったのだった。

 いや、うん、まあ、事前に情報だけは入ってきていたのだ。リーリアやヴィアナたちが入学したころから、なんだか妙な令嬢がいる、という噂としてだけれど。


 曰く、妙に馴れ馴れしく様々な令息たちに近づくとか。礼儀もマナーもあったものではない態度だとか。相手に婚約者がいようが構わずべたべたと触れるとか。

 そうして目に余って注意をすると、決まって「だってそんなのおかしいです!」と返すそうだ。そんな盛大におかしな令嬢が、よもやこの学園にいるなどとにわかには信じがたいと思っていたのだけれど……。


 ちらり。ファーシルを見る。無表情ながら、恐ろしく冷たい目をそのこむす……ごほん。令嬢に向けていた。


 ちらり。王太子殿下を見る。なぜか相好を崩してデレデレと情けない姿を晒していた。


 ………………え。いや、え。まさか…………。


 そのまさかだった。あの阿呆王太子殿下は、ある意味お似合いとも思えるけれど、絶対に許されない相手である、このメイシアという令嬢に惚れこんでいるらしい。

 メイシアという令嬢、どうやら男爵家の庶子らしく、最近正式に引き取られたのだそう。おかげでなのかはわからないけれど、貴族のマナーは知らず、さらに知る気もなく、独自の価値観と理論に基づく、本人曰く学園の方針を盾にした平等主義を掲げて好き勝手に行動をしていた。


 言うまでもないけど、学園側が掲げる平等ということばは、彼女のくちにする都合のいい平等とは意味合いがまったく違う。彼女の言う平等では、実質無法地帯しか出来上がらないと思えた。

 そんな理想を掲げられても、当然ながら夢物語の域を出ることなどない。夢は夢でも悪夢まっしぐらにしか思えないので、多くの生徒たちは苦言を呈すことこそあれど、基本的には相手にさえしていなかった。


 そう。それが当然であるはずなのに。



「あの阿呆王太子、本気で救いようがないな」



 溜息混じりにつぶやく。初対面後、できるだけ接触しないようこころ掛けていたけれど、まったくもって不本意ながら何度か接触する機会があってしまったメイシアなる令嬢。その傍らには概ね王太子殿下の姿もあり、人目も憚らないふたりの親密ぶりに、もはや呆れてことばもない。

 辟易する私がいまいるここは、個人で、というよりもバーレンハイム公爵家の名で貸し切っている、学園内に併設されたサロン。いまここにいるのは私のほかにはヴィアナとリーリアのみ。よって、ここでの会話が他者に漏れる心配はない。



「お兄様。お気持ちはわかりますが、外では決して漏らさないでくださいませ」


「もちろんだよ」



 優雅に紅茶へくちづける妹に倣い、私も紅茶をひとくち含む。甘めの香りのこれはヴィアナの好みだ。



「リーリアは大丈夫? 殿下にべったりとくっついているあのかた、妙な行動もしているようだけれど」


「うん? 彼女、妙ではない行動が取れたのかい?」


「まあ、ユリス様ったら」



 婚約者がいる子息だろうとお構いなしに接触してくるメイシア嬢だけれど、王太子以外のだれも良いようには扱わないため、一方的にべたべたしてきても不興を買うのは彼女だけ。どの婚約者同士も、その関係性はまったく揺るいでいない。


 そう、()()()()()()()も、だ。



「ご心配ありがとうございます、お義姉様。ですがあのかたの奇行に同調するかたはひとりしかいらっしゃらないので問題ありませんわ。むしろ、あのかたがああして殿下のおそばを離れないのは、ある意味ではありがたくもありますの」



 にっこり。ほほえむリーリアに、確かにと軽く頷く。あの王太子殿下のことだ。自らの行動で周囲が王太子殿下とリーリアそれぞれにどういった感情を抱くのか、まったく察してはいないだろうなと遠く思った。もはや呆れさえわかない。



「ですが……彼女が殿下のおそばにいることで、ファーシル様の気苦労が増えてしまっていることが悩ましくあるのです」



 一転して心配そうに表情を曇らせたリーリアの心情は、多くの〝ファーシルを応援し隊〟の隊員たちもおなじくするところだ。そのあたり、生来の生真面目さが働いているのだろう、ファーシルは王太子殿下のみならず、メイシア嬢の更生まで試みていた。

 冷静に、というよりも冷徹に。容姿は涼やかながらも、実際ははなしやすく朗らかなはずのファーシルが、それこそその見た目にとても似つかわしく思えるほど冷え冷えと事務的にメイシア嬢を注意する様子を、もう幾度となく目撃している。けれど当の本人はどこ吹く風。相変わらずの「だってそんなのおかしいです!」を飛ばすばかり。

 いっそ本気で怒ったとしてもだれも……いや、王太子殿下以外は、ファーシルを責めたりなどしないだろう。たとえ王太子殿下になにを言われたところで、陛下たちはむしろファーシルにこそ味方をするだろうから、それに関してファーシルが王太子殿下を恐れる必要もない。

 だけどそれでもファーシルは忍耐強いのか、どれだけ冷たくしようとも、決して怒ったりなどはしていなかった。思い返してみれば、彼が怒っているところなど、見たことがないような気もするな……。


 ともかく、私としては甘いと思えるけれど、だからといって私がメイシア嬢のありようを変えてやれるわけではないので、くちを挟む資格などない。



「下手にだれかが手を出しても、より悪化しかしなさそうなところが歯痒いな……」


「ええ。殿下の寵愛を受けている以上、必要以上に殿下が手出しくち出しをしてくることは目に見えていますし」



 その上で、権力まで振り翳してくることまで容易に想像できる。本当に、ああいう阿呆に持たせてしまうとどうしようもないものだな、権力というものは。


 好き放題にしている王太子殿下だけれど、それでも学園での素行は陛下たちにも報告として上がっているはずだから、早くどうにかしてくれないものかと思っているのだけれど。

 内心で溜息を吐いた私は、ちらりとリーリアのそばに置かれたふたつのちいさな箱を見る。その中身は、どちらも()()()()()()()()菓子だ。



「せめてファーシルの気苦労が、すこしでも癒されることを願うよ」


「ええ、本当に」



 私のつぶやきに、ヴィアナが頷く。あの箱の意味するところを、私たちはきちんと理解していた。



「……そうであるならば、よいのですけれど」



 すこしだけ困ったように笑うリーリアは、想う相手に対して、すこし臆病に過ぎると思う。彼とて自分の想う相手から差し入れなど貰えば、それはもう大いによろこぶに違いない。お互いに立場があるため、体面というものがあってしまうけれど、それでも中身が毎回自分の好みの菓子であれば、察するものくらいあるだろう。

 大丈夫よ、きっとよろこんでもらえるわ、と励ますヴィアナに、リーリアはただちいさくほほえむのだった。



------------


 そんなふうに、結局は大きな変化など訪れないまま学園生活は過ぎていき……。


 そして迎えた、私たちの学年の卒業パーティー前日。私やリーリア、両親に、私と同学年の、将来地位のある立場につく予定となる生徒たちとその親、そしてファーシルは不在ながらもファーシルの父上が、密やかに陛下のもとへと呼び出された。

 人数的にそこそこ多いので、密やかもなにもない気もするけれど、そこは暗黙の了解として皆が見て見ぬふり。気づかないふりを通したのだ。


 そこで告げられた陛下のご意思は、正直なところ驚くよりもいまさら感が否めなかったけど、やっと覚悟を決めてくださったのだから文句を言って水を差すのも空気が読めない行動だと自制し、黙する。いや、まあ、いくらこの場が非公式の場であろうとも、そもそもくちに出して文句を言える立場になんてないのだけれど。


 とにかく、陛下たちさえお決めくださったなら、もう遠慮はいらない。最後の希望としてファーシルだけは残されていたけど、ほぼ確定的に無理だろう。というわけで、()()()()()()でそれぞれ動き出した。


 極々わずかな可能性……まずないとはいえ、ファーシルの顔を立ててその可能性を排除しきらず百パーセントないとは言いきらないでおくけれど、それでもほとんど確定した未来とは言えるので、今日陛下に呼ばれなかった明日のパーティーの参加者たちには、事前にうっすらとだけ状況を示しておき、なにがあっても混乱しないようにだけ働きかけておく。

 さすがに細かくはっきりと事情を伝えるわけにはいかなかったのだけど、うっすらとした説明だけでも「ああ、まあ、そうだよな」という反応ばかりが返ってきたことに、王太子殿下の人望を改めて知れた。


 ちなみに、陛下のお気持ちを知ったあと、邸に戻った私の両親や、内密にと事情をはなした我が家の使用人たちの興奮具合は凄まじかった。卒業パーティーなど霞むほどの大盛り上がりを見せたのだ。



「これでやっと、やっとリーリアもしあわせになれるのね」


「ああ。ファーシルのような義息子ができるなど、よろこばずにはおられまい」



 興奮を抑えきれない様子の両親は、その夜、年齢などまったく感じさせないほどの軽快さでくるくるくるくる踊り続けた。そんな両親が今夜は無礼講だと宣言したため、使用人たちもよろこびを隠さず、口々にリーリアへと祝いを告げていた。


 なんというか……わかってはいたはずだけど、想像以上にファーシルの人気がすごい。


 当のリーリアは冷静にまだ早いとこたえ、静かにほほえんでいたけれど、内心ではリーリアこそが一番よろこびたいところだろう。

 長年の想いが遂げられるのは、ファーシルとリーリア、お互いになのだ。それがほぼ確定したともなれば、ふたりをよく知る身としては興奮を抑えられるはずもない。


 この夜のバーレンハイム公爵家は、夜通し大いに盛り上がり続けたのだった。




 そうして迎えた卒業パーティー当日。案の定というべきか、王太子殿下はリーリアをエスコートしようとはせず、代わりにあのメイシア嬢を伴い会場に現れた。


 本来ならば顰蹙ものの行動であるはずだけど、事情を知るほかの出席者たちは皆が皆揃って内心で喝采を上げたことだろう。ここまではせめてと様子見を決めておられた陛下たちや、最後まで更生を諦めずにいたファーシルには申しわけないけれど、たとえリーリアの件を抜きにして見たところで、この殿下が王太子では国の未来が見えなくなってしまうのだから仕方ない。最後の希望さえ自ら潰やしてくれた殿下たちを、はじめて褒め称えたく思えた。

 のんきに身を寄せあう王太子殿下とメイシア嬢の晴れやかな笑顔も、今日でやっと見納めとなることだろう。最後まで希望を寄せられていたがゆえに今回の件を知らされていないファーシルは、そんなふたりにいつも以上に怜悧なまなざしを向けているけれど、彼の努力だってこれでようやく解放されるのだ。

 長年のその努力が実を結ばなかったことには同情もするけれど、それ以上にこれからはリーリアとふたり、明るく晴れやかな日々を過ごすことができるようになるのだと思えば、まったくの無駄だったということもないはず。

 いまの状況でも充分陛下に見限っていただけるものだけど、王太子殿下は勝手にさらに駄目押しを投下しだした。



「リーリア・フォン・バーレンハイム。お前に婚約破棄を言い渡す!」



 まあ、うん。正直なところ、この阿呆殿下ならこのくらいしでかすかなとは思っていた。いくらなんでもわずかなりとも王族として……いや、一般的な常識だけでも身についていたのなら、おそらくこんなことにはならなかっただろうに。


 なにがあろうと近衛騎士らしく動じる様子を見せることのなかったファーシルのからだが、さすがにふらりと傾いだ。


 あれだけ傍で諫め続けていたというのに、結果がこれとあればさもありなんと言えよう。心情は察して余りある。額に手をあて、たぶん軽く意識を飛ばしてしまってさえいるだろうファーシルのもとへ、いまはまだ王太子殿下たちに気づかれないよう、ひっそりと近づいていった。



「お前のような悪女と婚約していただなどと、このフォーレン、一生の恥だ。お前との婚約など破棄し、俺はこのメイシアを妻とする!」


「……悪女、ですか。どういうことかお聞かせ願えますか、殿下」



 王太子殿下の阿呆極まりない言いぶんに、リーリアが冷静に……いや、冷徹に返す。あの阿呆殿下は、喋れば喋るほど自分の立場を悪くすると悟ったほうがいいと思う。


 いや、それを悟ることができるくらいなら、最初からこんなことには至っていなかったか……。


 呆れて溜息を吐けば、その間にどうやらファーシルが気を取り直したらしい。すっと表情を改め、まっすぐに王太子殿下を見据えた姿から、諫めに入るつもりなのだろうと察した。


 うん。惚れた相手を心配する気持ちはとてもよくわかる。わかるけれど。



「ファーシル、落ち着くんだ。ここはまだおまえの出番ではない」



 密やかに、けれど本人には届くようしっかりと伝えれば、ファーシルは戸惑いと不服が織り交ぜになったような様子で顔を顰めた。

 一刻も早くリーリアのもとに駆けつけたいのだろうその心情を思うと申しわけなくもあるけど、ここは私たちだけで充分対処できるところなので、いまはただ見守ってくれればいい。彼にはあんな阿呆たちの相手などよりも、もっと重要な場面が待っているのだから。


 幸い、出鼻を挫くことには成功したらしく、ファーシルの行動は留められた。その間に、王太子殿下とメイシア嬢による理解不能な難癖は、前に進み出てきたサージュがあっさりとねじ伏せてくれる。

 それにしても……この場での発言権を陛下からいただいていると知った王太子殿下の反応は、ちょっと本当に阿呆ここに極まれりといった気持ちを抱かせてくるな。隣でファーシルが天を仰いでいた。彼が叩き込んでいたはずの常識を、あの阿呆殿下はいったいどこに流してしまったのか。


 とにかく、それでもなおリーリアを悪者にしたいらしい王太子殿下たちのもとへ、今度は私が進み出る。とりあえずドレスなどを破かれたと嘯くメイシア嬢の主張を潰させてもらおう。



「それと、ドレスや教材を切り裂いた、でしたか? 殿下もご存知の通り、我が妹は王太子妃としての教育が忙しく、そもそも学園への出席自体があまりありません。たとえ来ていたとしても、別室にて個人授業を受けることも多く、また当然ながら多く注目を浴びるため、他人の持ちものに細工などできよう隙はないのですよ。なんなら目撃者でも募ってみますか?」



 くちを挟ませる隙も与えず告げきって、ぐるりと周囲を見回し、メイシア嬢の主張する問題をリーリアが行ったところを目撃したものがいるか声高に問いかけた。当然ながら、手を上げるものなどひとりたりともいなかった。



「御覧の通りですが、ではどうして我が妹がそこの令嬢(こむすめ)に嫌がらせなどしたことになっているのでしょう?」



 詰めが甘い、ということばさえもったいないくらい、穴だらけの主張しかしないから、いっそ張り合いがないくらいだ。……ついうっかりすこしだけくちが滑ってしまったけど、まあこの程度はご愛敬だろう。

 そんな思いでにっこりと笑えば、王太子殿下は思いきり顔を引き攣らせた。

 そうして困ったようにメイシア嬢に視線を馳せるけど、その視線を受けたメイシア嬢は、若干視線を彷徨わせただけで、すぐさま気を取り直してみせる。


 ええ……この茶番、まだ続けるのか……。



「ほ、ほかにもあります! わたしが廊下を歩いていたら足をかけられたり」


「リーリア様の前で急に勝手に転んだところなら見ました!」


「食堂で突き飛ばされて、スープを浴びてしまったり」


「リーリア様のそばで勝手に転んで食事をひっくり返しているのなら見ました!」


「な、中庭に呼び出されて、池に落とされ……」


「メイシアさんのほうが呼び出そうとしていたけれど、怪しいからってリーリア様がスルーしたことなら知っています!」



 うん。あえてもう一度言おう。よくそんな穴だらけの主張を平然とくちに出し続けることができるな。


 呆れを通り越して、いっそむしろある種の尊敬さえ覚えてしまいそうになってしまう私の視線の先で、癇癪を起したのか、メイシア嬢が地団駄を踏む。


 うわあ。私、生で地団駄を踏むひと、はじめて見たのだけど。



「どうして……。どうしてみんな、わたしを責めるんですか! こんなの、こんなのおかしいです!」


「やれやれ。結局みなが危惧していた通りになってしまったようだな」



 相変わらずの自分節を叫ぶメイシア嬢のことばなど、一瞬にして散らされるような重厚な声音があたりに響く。


 ようやく……ごほん。さすがにいい加減諦めをつけてくださったのだろう陛下と王妃殿下の姿に、すぐさま最敬礼をする。その際、視界の端に王太子殿下とメイシア嬢が棒立ちになっている姿が映り、あやうく頬を引き攣らせてしまうところだった。


 なんかもう……メイシア嬢は、いっそ大物なのではないだろうか。もちろん、命知らずという意味で。


 陛下は会場に通る声でよいと仰り、全員顔を上げるよう促した。そして一連の騒ぎについて王太子殿下から直接最後の言いぶん……ごほん。意思の確認をされた。


 結果。



「正式な手続きはのちほどとなるが、国王たるわしが認める。おまえたちの婚約、およびその後の結婚までな」



 はっきりと告げられ、王太子殿下とメイシア嬢は喜色満面、手に手を取りあって大いによろこびを露わにする。

 うん、まあ、このふたりだし、額面上の、それも自分たちに都合のいいものしか見えないし聞こえないのだろう。さぞ生きやすそうだと思う。もちろん、今日までは、のはなしだけど。

 そんな救いようのない阿呆ふたりに、陛下はそれはもう冷めた目を向けておられたけど、やっぱりこのふたりが気づくことはなかった。



「フォーレンとリーリアの婚約については、これまでのリーリアの苦労への贖罪と、今後の彼女の名誉を守るため、破棄ではなく白紙撤回とする。……今まですまなかったな、リーリア」


「いいえ。そのようなおことば、勿体なく存じます。陛下や王妃殿下、それに城の方々には本当によくしていただき、感謝しかございません」


「そう言ってもらえると救われる」


「父上っ! なぜそのような女に謝る必要などあるのですか! そいつは」


「黙れ」



 当然の流れに、そうも食ってかかれるほうが「なぜ」なのだけど。たぶん、うん……もういいかな、言ってしまっても。一応、こころの中でだけだし。


 この王太子殿下、頭がわいてしまっているのだろう。それはもう、昔から。


 ともあれ、陛下にぴしゃりと遮られ、さすがの王太子殿下も押し黙る。その様子に変わらず冷めたまなざしを向けられながら、陛下はもはや慈悲などなくなったとばかりの声音で続けられた。

 ……何度も言うようだけど、正直、慈悲をなくすならもっと早くにしていただきたかったと、内心でだけ水を差す。



「リーリアのひたむきな姿を見て、そしてファーシルや周囲の諫言を受け、いつかは変わってくれると思っていたが、もはやお前に救いなどない。わしも王妃も決心がついた。フォーレン、お前を廃嫡する」


「…………え?」



 ……むしろ「え?」と言えるその反応にこそ「え?」なのだけど。そう思いつつ、もはや一片の敬意もない……あ、いや、もともと敬意を抱けるかたではなかったけど、それはそれとして、およそおなじ人間に向けるような温度ではないまなざしを王太子殿下……いや、もう殿下でもなんでもないけれど、その元殿下に向けるのは、私に限ったことではない。


 この場にいる事情を知るものと、察していたものたち全員が同様の視線を向け、彼を見放していた。


 うん。やはりちゃんとみんなに事前に知らせておいて間違いなかったようだ。

 ファーシルだけきょとんとしているのは、さすがにちょっとかわいそうだったのではないかと思えたけど。



「そんなのおかしいです! だってそれじゃ、わたしが王妃になれないじゃない!」



 まさか。いや常々頭のおかしな令嬢(こむすめ)だとは思っていたけど、まさかここでくちを挟むほどまでだとは思っていなかったメイシア嬢が、命知らずにも声高にそう主張した。


 いや、本当、死にたいのかな、彼女。


 呆れも通り越し、さらには蔑視にも値しないような行動を平然としてしまった彼女は、恐るべきことにそれで留まらなかった。



「お前は、王妃になりたかったのか」


「そうです! だって王妃になれば、堂々と愛人を囲ってもいいんでしょう?」


「…………は?」



 いや、え? は? なに、なにを言ったんだ、彼女は。


 瞬時に脳が理解を拒絶するような発言に、この場の全員が呆気にとられる。まさかの陛下や王妃殿下までもが、だ。



「王族は後宮に愛人を囲うものだって聞きました!」


「……いや、それは陛下限定で……」


「そんなのおかしいです! 男はよくて女はダメなんて不公平です!」


「不公平とかそういう話じゃ……」



 理解が追いつかないながらも、だれかがどうにか諭さなければと、混乱しながらもなんとか試みたけど、ちょっとこれ、駄目だ。ことばが通じる相手ではない。


 いっそ彼女は本当に人間なのか疑わしく思えてきたほどだったけど、彼女の爆弾投下はそれだけに収まらなかった。



「だってそうじゃなきゃ、わたしがファーシル様を囲えないじゃないですか!」



 ………………。


 え。なに、なにを言い出したんだ。

 いや本当、次から次にやめてほしい。なにひとつ理解が追いついていないんだけど。


 だいたいにして、ずっと元王太子殿下にべったりとくっついていて、いまさらになってファーシルのなまえを出すのはどういう了見なんだ。もう全然、なにがなんだかわからない。

 思わず思考を停止してしまっていたのは、おそらく私に限ったことではないだろう。思考が止まってしまったゆえに周囲の様子も認識できなくなってしまっていた私は、静かで、そして場を凍てつかせるような、芯からの恐怖を煽るような声音に意識を強制的に戻された。



「なにを、仰っているのですか?」



 り、リーリア……。


 それは確かにリーリアが怒るのはもっともだろう。リーリアの事情も心情も知るからこそ理解も納得もできるけど、リーリアがこんなふうに怒ったところなど、兄である私もはじめて見た。

 あの自殺願望でもあるのかと思えるほど自分勝手に堂々としていたメイシア嬢が怯むほどの気迫。……正直、私もすこしだけ恐怖した。



「だ、だってファーシル様、どんなにアピールしても全然わたしのこと愛してくれなくて……。だったら王妃になって愛人として囲っちゃえばいいんだって思って……」


「あなたは、ファーシル様をお慕いしていたとでも?」


「そ、そうよ! だってファーシル様、いつだってわたしとまっすぐに向き合ってくれたし、いっぱいそばにもいてくれた。ファーシル様こそ、カッコよくて優しい、わたしの理想の王子様なんだから!」



 えええ……。それ、元王太子殿下の立場は……。

 同情できるようなひとではないはずなのに、ついすこしだけかわいそうに思えてしまった。


 それにしても、ファーシルがアピールを受けていたかは私には理解できずとも自己申告がそうであるならとりあえずそうということにしておいて、問題はファーシルがメイシア嬢にまっすぐ向き合っていた、ということだろう。

 正直、端から見ていてそんな姿などまったく思い浮かばないのだけどと訝っていると、当のファーシルがしっかりと否定をする。



「いや、だってぼんく……ごほん。殿下にくっついていられたら、殿下の近衛である私とも必然的にともにいることになるだろうし、ぼんく……殿下に常識を叩き込むのと同様、あなたにも常識が必要だと思ったから説いていただけなのですが」



 戸惑いが強いのか、若干素が漏れ出していたけど、それも仕方がないだろう。それよりも、つまりはファーシル自身の認識も、端から見ていた私の認識と一致するわけだ。


 ……自分に都合よく物事を捉えるひとだとは思っていたけど、まさかここまでとは……。


 もしかしたら、あくまで怒ったりはしないせいで、単にクールな人物とでも受け取っていたのだろうか。ファーシルの見た目から思えば、その印象を受けてしまうこと自体は理解できなくもないからなあ……。

 もちろん、それを考慮したところで、さすがに都合よく見すぎているという思いは拭いきれないけど。



「だってそれは、わたしのことを想ってくれたからですよね?」


「いえ、私はいつだってこの国のことを考えて行動しています」


「じゃ、じゃあ、わたしが王妃になれば、わたしのことをいつだって考えてくれるってことですね! だって王妃って、国母でしょう?」



 うわあ……。…………うわあ…………。


 いやもうなにも言いようがない。ただひたすらに怖いのだけど、彼女。

 自分に都合のいい見方をするだけでなく、国母の考えかたがそれって、さすがにまずいというレベルのはなしでは……。



「話になりませんわ。陛下、これ以上王妃という存在を愚弄されてはたまりません。どうかお早い沙汰を」



 ああ、ほらやっぱり。凄まじい冷気を放つ王妃殿下のお怒りに、いっそこの場でいますぐにでも首を斬られようと文句は言えないのだと察する。命知らずにもほどがあるとは思っていたけど、さらに輪をかけて愚かすぎるだろう。

 けれど、王妃殿下のお怒りはもっともと思えても、まだ事前に聞いていただいているリーリアの願いが果たされていない。場の空気はとても重々しいけれど、それでもリーリアにとってとても重要なことを果たすため、リーリアは凛とことばを紡いだ。



「お待ちください、陛下、王妃殿下。わたくしに、すこしの猶予をいただきとうございます」



 改めて告げられるリーリアの懇願に、王妃殿下の怒りの気迫がすこしやわらいだことに、私もほっとちいさく安堵する。



「ああ、そうですね。ごめんなさいね、リーリア。大切なことがまだ残っていたというのに」


「いいえ。さすがにこれはわたくしも想像しておりませんでしたから、王妃殿下のお怒りは当然です。わたくしのわがままで時間を頂戴してしまうこと、申しわけなく存じます」


「いや、もとよりそれは必要なこと。これで最後だからな、存分に言い渡してやるがよい」


「ありがとうございます」



 陛下からも改めて許しを得て、深々と礼をしたリーリアは、くるりと身を翻すと元王太子殿下の前まで進み出た。


 そう、本来ならばここからが大事な局面だったのだ。メイシア嬢が恐ろしい持論を展開したりするからうっかりそちらに意識を持っていかれてしまっていたけれど、重要なことはこの先にこそ存在する。


 そして、妙なところで変な出番が生じてしまったけど、ファーシルの本当の出番も、この先にこそあるのだ。



「殿下。先程あと回しとさせていただいた、一番重要な件についてお話しさせていただきます。殿下はわたくしが嫉妬をした、と仰いましたね。それは遺憾なまでに勘違いでございます」


「……え?」


「なにしろ、わたくし、過去も現在も未来まで通したとして、殿下に懸想したことなど一度たりともございませんもの」


「……え」


「それでも、陛下がお定めになった婚約ですし、わたくしも貴族の娘としてなすべき責務は重々承知しておりましたから、王妃となるべく必死に邁進してまいりました。そこには迷いも躊躇いも抱いておりませんでしたわ。ですが、義務と感情は別のものにございます」



 一拍置かれる。さすがの元王太子殿下も、度重なるメイシア嬢の問題発言にはついていけなかったのだろう。ただただ呆然とリーリアを見つめるその姿には、もはや生気はない。下手をすればメイシア嬢はくちを挟んでくるかとも思ったけど、リーリアが纏う周囲を呑み込むような空気の中では、大人しくなっていた。


 黙ることもできるのかと、すこしだけ驚いてしまう。



「陛下から許可をいただきましたので、正直に申し上げます。わたくしにはもうずっと、別の想い人がいるのです」


「え……え……? い、いや、だが、お前は俺にわざわざ差し入れを持ってきたりもしたではないか」


「そうですわね。今だからお伝えいたしますが、あれは殿下への差し入れなどではございませんでした」


「……へ?」


「わたくしは婚約者がいる身ですし、別の殿方に個人的な贈り物をするのはよろしくありません。ですから、殿下を通してお渡しするという回りくどい方法をとらせていただいていたのですわ。もちろん、殿下がわたくしからの差し入れなど受け取らないことまできちんと計算に入れておりましたので、あの差し入れはひとかけらたりとも殿下のためには存在しておりません」



 そもそも前提として、なぜこのひとは自分がリーリアに好かれているだなどと思い込めていたのだろうか。婚約者という肩書きと、自分の立場……まかり間違っても自分自身に魅力があるなどと言語道断の思い違いはしていないと思うけど、とにかくそれらのせいで、リーリアは自分に惚れているに違いないとでも思えてしまっていたのだろうか。


 自惚れにもほどがある。



「婚約者もいる身ですから、この想いは永遠に封じようと必死に蓋をしてまいりました。ですがそれももはや必要のないこと。なにしろわたくしは婚約を白紙にしていただき、今や身軽な身となりましたから。そういうことですので、殿下、わたくしが嫉妬からそちらの……殿下の新たな婚約者様に嫌がらせなどするはずがございませんわ」



 むしろこころから祝福しますと言わんばかりの輝かしい笑顔でもって、リーリアのことばは締められた。


 そう、リーリアが元婚約者である元王太子殿下に伝えたかったことは、彼のことなど一切、微塵も、好いてなどいなかったことと……。



 ファーシルへの、募り募った想いだ。



 ずっとずっと我慢に我慢を重ね、貴族である以上仕方がないと、元王太子殿下との婚約を受け入れ続けてきたリーリア。そんなリーリアが、抑え込んでいた本当の感情をもう抑えなくてもよくなったのだ。


 こんなにもよろこばしいことはない。


 リーリアもずっと胸に溜め込んでいたものをようやく吐き出すことができてすっきりしたのだろう。とても清々しい表情で、いままでの中で一番きれいなカーテシーを陛下たちの前で優雅に決めた。



「貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」


「うむ。では、沙汰を下そう。先も申した通り、フォーレンは廃嫡後、平民となり、同時にメイシアなるそこの娘と結婚し、その後は自分たちで生活をするように」


「そ、そんな……」


「ひどいです! 廃嫡なんてそんな」


「黙れ! お前たちにはもはや発言権など存在せぬ! よいか、次にわしの許可なく口を開いたら、厳重な処罰を言い渡すぞ。お前たちのしでかしたことは、本来であればもっと重い罰を与えるものであるが、ほかでもないリーリアの温情によりこの程度で済まされていることを理解するのだな」



 まあ、うん。私としては……というよりも、我が公爵家としては、いままでの積み重ねもあるし、さらには今回の婚約破棄宣言や冤罪を押しつけようとした件もあわせれば、それはもう社会的にも物理的にも二度と表を歩けないようにするくらいはしてやりたいところだったのだけれど。


 ほかでもない、リーリアがそれを望まなかった。


 確かに貴重な時間を無駄にされてしまったという面もある。けれど先程リーリア本人がくちにしていたとおり、城で得させてもらった経験は貴重なもので、王妃殿下をはじめ周囲のひとびとにとてもよくしてもらったことも事実。

 それに、ファーシルとの出会い自体も、王太子妃としての教育を受けていたからこそのものである部分が大きいし、結果として元王太子殿下は勝手に自滅してリーリアにダメージも与えず、リーリアのしあわせの礎になったのだからもういいと。家族しかいない場でひっそりと聞いた理由を知れば、リーリアがそれでいいのならと思えるようになった。


 それでもすこしだけ、やさしすぎるとは思ったけれど。

 まあ、うん。そこもリーリアのいいところではあるけどね。

 そして。



「そして国王たるわしの権限において、いまこの場にて、ファーシルとリーリアの婚約を認める」



 声高に陛下が告げ、この場で一気に歓声がわく。


 そう、これこそが。この婚約決定こそが、多くのものたちが望み、祝福する、もっとも大事なこと。そして、ようやく訪れるファーシルの出番だ。

 ……本来なら唯一の出番でもあったはずなのだけど、そのへんはもうなかったことにする。どうせあのふたりにはもう二度と会うこともないだろうから。



「ファーシルも、長年すまなかった。あれほどまでにリーリアに想いを寄せておったというのに、お前の我慢を思うといたたまれぬ。愚息のために身を引いてくれておったというのに、それさえ報われず、本当にすまない。詫びというにも烏滸がましいかもしれぬが、せめて今ここで、お前の想いを結ばせよう」


「え、え、え……?」



 ファーシルへとやわらかにお声がけされる陛下。その陛下のおことばに、ここまでの事情を事前に知らされていなかったファーシルはただ驚いたように目を見開いていた。

 あまりに状況が自分に都合よく動いたように見え、現実感がわかないのかもしれない。そんなファーシルの様子は、すこしほほえましくあった。



「よかったな、ファーシル。あれほどあちこちでリーリア様への想いを熱く語ってきた甲斐があったじゃないか」



 まだ状況についていけていないファーシルに近づき、その肩を軽く叩いて笑顔で祝福をしたのは、サージュ。代表して彼がくちにしてくれただけで、その想いはこの場の皆がおなじくするもの。ぐるりと見渡せば、溢れる笑顔たち。

 ファーシルを応援し隊の隊員は、私が思う以上に相当多いらしい。これでようやく表立って助言や助力ができると、いまここにいないものたちの中にも、そうよろこぶものたちは決して少なくなどないだろう。

 そうしてお祝いムードに切り替わった会場が明るく盛り上がる中、さらによろこばしいことに、勤勉実直で優秀だと誉高いミグル第二王子殿下が王太子殿下となられることも宣言された。

 憂いなど、もはや存在していない。



「ファーシル様。わたくし、あなたがお城の廊下で助けてくださったあのときから、ずっとあなたをお慕い申し上げておりました。ふふ。これから、末永くよろしくお願いしますね」



 ファーシルのそばまで進み出て告げるリーリアの、これ以上ないほどのきれいな笑顔を目に、思わずじわりと涙が込み上げてきた。


 ああ、これでファーシルが私の義弟となることが決定したのかと思うと、なんだかすこし不思議で、けれどとてもうれしく、そして誇らしくもなる。

 これからは想いあうふたりで、身を寄せてひとつひとつしあわせを築いていくことだろう。


 大事な大事な妹と、未来の義弟となる友人との門出を目に、ふたりのしあわせが永く続くことをこころから願った。






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