愛し愛されそしてぼくらは
ふわり。
たゆたい、まどろみ。たゆたう。
ふわり。ふわり。
どこかとおくで……もしかしたら、とてもちかくで。
……とどく。おと。
「え。私も次はもういいけど」
おと、じゃない。これは。
こえ、だ。
「えー。だって、前世とか来世とか、ほんとにあるかわかんないじゃん」
でも、これは。
だれの。
「だいたい、たとえあったとして、いまの記憶を次で憶えてるかもわかんないでしょ? てか、憶えてたらそれはそれで面倒そうというか、怖いというか……。それに、また巡りあう保証なんてのも全然ないし」
なつかしい、ような。
たいせつな……。たいせつ、だった、ような……。
「だったらさ、私は……」
…………だれの。
………………こえ。
「ファル様。ファル様、つきましたわ」
耳に心地よいやわらかな声に、はっと意識が覚醒する。反射的に二度ほど瞬けば、こちらを見つめて小首を傾げるリーリアの姿を認識できた。
「え。あれ、俺、もしかして寝てた⁉」
マジか⁉ 慌てて辺りを見回せば、確かに窓外の景色が止まっている。
うあー、やっちまったー。
思わず頭を抱える。
「いやもうマジでごめん。誘ったの俺なのに、放って寝るとか最低だ……」
「ファル様もお忙しい身ですもの。休めるときに休むことは良いことだと思いますわ。こうしてわたくしの前で無防備に寝顔を見せてくださるなんて、信頼していただけているようでうれしかったですし」
え。なにそれ、聖人? さすがリーリア、気遣いのプロ。
「でも暇だっただろ?」
俺が義父に視察に行けるよう頼み、リーリアを誘って赴いたのは、アズレールの領地のひとつ。山を背負った自然豊かなこの地方は、ふだん俺たちが暮らしている王都からは結構遠い。視察含めてとんぼ返りということは当然なく、それを含めてそれなりにゆったりとした行程で進められる日数は確保してきた。
義父母のにやにや顔がふわっと浮かんだので、こころの手で打ち払う。
新幹線やら電車やらという非常に便利な移動手段などないこの世界。いつもながらにその手段は馬車だが、それはもう時間がかかる。いや、仕方ないんだけど。
とにかく。時間がかかるということは、その時間は割と暇になることとイコールで。せめて会話くらいして暇を持て余すようなことがないよう配慮すべき俺が、まさかの爆睡。
……いや、今日以外の移動中はちゃんと起きてたし、今日だって途中までは記憶にあるぞ。
すみません、言いわけカッコ悪い。
穴があったら入って埋められねばという失態に肩を落とす俺に、リーリアはゆるく首を振ってくれる。
「いいえ。ファル様の寝顔を見ていられるだけで、わたくしはとてもしあわせですわ。時間なんて気になりませんでした」
えーもうマジ聖人すぎる……。いっそ女神か。後光が差してみえるぜ。
「リーリアはやさしいな。ありがとう。……なんか変なことくち走ってたり、よだれ垂らしたりしてなかった?」
言いながらはっとして、ちょっとくちもとを触ってみる。
……だいじょうぶそうだ。ほっとした。
「ふふ、残念ながら。ファル様の寝言、いつか聞かせてくださいませね」
「え。なんか恥ずかしいから勘弁してください」
リーリアが楽しそうに冗談をくちにしてくれたおかげで、気持ちがちょっと浮上する。
まだまだ本番はこれからなんだから、しっかりしないと。
よし、と内心で気合を入れたところで、ちょうどよくドアがノックされた。
「じゃあ行こうか、リーリア」
「はい」
リーリアに手を差し出すことにも、差し出したその手を取ってもらうことにも、だいぶ慣れたように思う。正直、手汗はまだちょっと不安になることもあるけど。
きっとこれがふつうになっていくんだろうと思うと、なんだかすこしむず痒い。でも、あたりまえだと思わないようにしないとと気を引き締めた。
リーリアを伴って足を踏み出したそこは、のどかな農村。滞在はアズレールのカントリーハウスがあるので、荷物を運び入れてから休憩にする。
邸内や邸周辺は義母の好み仕様のため、若干……いや、うん、ぶっちゃけそこそこ少女趣味というか、かわいらしい感じなのが正直目につく。というか、落ち着かない。まあでもそれはタウンハウスもおなじなので、概ね予想通りではあったけど。
……いずれはタウンハウスだけでも、リーリアの好みに変えていけるようがんばろう。
とにかく、この日はゆっくり旅の疲れをとり、視察は翌日からのスタートとなった。
そう、視察。いや、うん、名目上というか、本来の目的のための体のいい理由付けというか……正直、そういう部分もある。というか、それそのものなんだけど、だからって手を抜く気はもちろんない。
ちゃんと次期侯爵として自覚と責任をもって臨んで、それから個人の目的を果たすべきって、わかっている。じゃないと、その個人の目的のほうも恰好がつかないし。
あーでも、緊張するな……。都合上、最終日の夜にと決めてあるけど、まさか雨とか降らないよな、と内心ではちょこちょこ戦々恐々としていた。そしたら台無しにもほどがあるし……。いや、晴れてもちょっと運勝負なところあるんだけど……。
「……ファル様? どこかお加減が悪いのですか?」
どうしたってちらつく最終日への不安と緊張。手を抜く気はないなんて意気込んでおいて、情けなくも集中を欠いてしまっていた俺を、リーリアが心配そうに覗き込む。
まずいまずい。いまは視察中。きちんと集中しないと。
「いや、なんともないよ。……俺、意識飛んでた?」
「いえ。なんとなく気になってしまっただけで……。わたくしの思い違いでしたね、申しわけありません」
「ああ、いや、ちょっと余所事を考えてたのは事実だから。ごめん、ちゃんと集中する」
えーと。いまは確か……養鶏関係のはなしの最中だったな。設備や環境、人材についてはなしを聞いて、生育状況や鶏たちの種類、肉や卵の出荷状況の報告を受けて、疑問点を投げかけながら、改善点の提案をする、と。で、それが本当に現実的でかつ効率的であるかを吟味して、さらにコストの面も考えてより煮詰めてはなしあう。
「そうだな……ただ鶏の数を増やせばいいって問題じゃないし」
「はい、この環境だからストレスもすくなく、良質な卵を産むことができているのだと思います」
「大量生産に重きを置いて品質が下がっては、せっかくのブランド的価値も下がってしまいますわ」
養鶏に携わる代表者数人と顔を突き合わせ、彼らの意見を聞きながらリーリアからの意見も聞く。うん、やっぱりきちんと現場で生の声を聞いて、状況を見るのは大事だな。
「こちらの卵からつくられるマヨネーズは濃厚で絶品と評判なのですよ」
折を見て、リーリアがこうしてにっこりとほほえみながら生産品を褒め称える。そのことばに明らかに喜色を浮かべる村のひとびとを見ていると、俺もなんだか誇らしくなった。
うんうん、自分たちの努力が評価されるのってうれしいよな。便乗っぽいけど、俺もここで採れるものやその加工品がいかにおいしいか熱弁する。それでさらにみんなと盛り上がり、視察は終始明るい空気で進んでいった。
酪農や養鶏が盛んなこの地方。その加工品の技術は当然のように伝わっているんだけど……実は俺、その技術の多くが、俺の兄であるヒース兄……次兄のヒスケイドによるものだとは最近まで知らなかった。知ったのは、アズレールに養子入りして、次期侯爵となるための勉強をはじめてからだ。
しかもなんか、知れば知るほどヒース兄、いろいろなことやってるみたいで慄いた。俺のスペックが大概チートどころじゃない。そんなん霞むくらい、あのひとのチートっぷりにマジでビビる。
……たぶん、転生者だと踏んでるんだけど、いかんせんまず俺に時間の余裕がないため確認できていない。まさかそんな身近にもうひとりなんて、いくらなんでも比率的におかしくないかとも思うけど、とりあえずいずれちょっとちらっと聞いてみたいと思ってはいる。
ちなみにだけど、俺がそのへんいままで全然気づきもしなかった理由には、この世界の舞台が乙女ゲームであったことが要因しているんじゃないかと思われた。前にちらっと考えて、でも深く考えるのをやめておいたアレだ。……ものの名称とかが、日本のものだったりオリジナルのものだったりするアレ。マヨネーズとかもそのへんの一部だと思ってたんだよなー。なにせ俺がものごころつく頃にはすでにふつうに食卓に上がっていたし。
という言いわけはここまでにして。視察のために組んだ日程は恙なく過ぎていき、その内容もとても充実したものだった。
うーん。騎士としての立場での視察というのは経験あるけど、ひとの上に立つ立場という観点での視察ははじめてだったから、いろいろ刺激的でいい経験になった。ただの貴族というだけじゃない……前世的感覚や知識に助けられた部分も正直多かったし、なによりリーリアのサポートが的確かつ絶妙すぎて、これからのこの地方の在り方の改善点など、住民たちの意見も反映していろいろ見出せたのは大きな成果だと思う。あとはこれを義父に提言して、より現実的に詰めていかないとな。
そんな感じで実情や意見などをよく聞き、よくはなしあってきた結果、最終日にはみんなが別れを惜しんでくれるほど、好意的に見てもらえるようになった。泣きながらまた来てくださいと訴えてくれるひとなどを見たときには俺までもらい泣きするところだったくらいだ。
「リーリア、ここまでつきあってくれてありがとう。疲れただろう?」
明日には王都へと帰るという、その晩の食事を済ませたところで、今日までの視察につきあってもらった礼を告げる。そんな俺に、リーリアはいつもどおりのやわらかな微笑を浮かべて緩く首を振った。
「いいえ、ファル様。此度の視察はわたくしにとってもとても有意義なものにございました。お誘いいただけて、とてもうれしかったです」
「そっか。ならよかった」
うん、よかった。……そう、よかった。
…………。
……………………。
……………………………。
「……ファル様? いかがなさいました?」
「えっ⁉ え、あ、えーと……」
落ち着け。落ち着くんだ、俺。ついにこのときが来てしまったが、このときのために……いや、視察も大事だけど! 違う、そうじゃなくて、プライベート的な意味でという意味というか。そう、プライベート。プライ……。
あああ、もう、落ち着けと言ってるのに! 俺! はい、こういうときは深呼吸、深呼吸。
リーリアが心配そうに見つめてきているけど、大丈夫。俺は、大丈夫。
……よし。
「あ、あのさ、リーリア。これからすこし付きあってもらいたい場所があるんだけど……」
「いまからですか? もちろん構いませんが、もう夜分ですけれど……」
「大丈夫! なにがあっても俺が絶対守るから!」
「……まあ」
「あ、ちが……! 心配しなくてもなにも起きないから! アズレール領は治安もいいし、獣も大丈夫! ……たぶん」
なにがあっても、なんて大袈裟なことを言ってしまったから不安にさせたかと思い、慌てて弁解した。ちょっと自然が豊かすぎて獣との遭遇の有無には自信がないけど、その場合はちゃんと守る。……一応、ひっそり護衛にも声をかけてはあるし。
ただし、いつもよりちょっと離れていてもらうように言ってあるけど。
「ふふ。そのような心配は致しておりませんわ。だってファル様は、とても強くて素敵な騎士様ですもの」
くちもとに手を当てて、くすくすと可憐に笑うリーリアは、絶対的な信頼を寄せてくれているとその表情と声音で語ってくれる。うあー、ちょっとこれ、冥利に尽きるな! 俺!
「えっと……ありがとう。それじゃあ、その、お手をどうぞ」
「はい、ファル様」
……リーリアに比べて、俺のなんたる余裕のなさ。ヤバイ、俺、かなりヘタレてないか……?
いや! そんなことはない! たとえそうだとしても、これからまだ巻き返せる!
そう、ここからだ。ここからが本番なんだ!
そうこころの中で必死に自分に言い聞かせる俺は、その動きがひどくぎこちなくなっていることや、表情があまりにもかたくなっていること、さらには目的地に着くまで一切喋ることもしていなかったことにまったく気づいていなかった。
全角どこから見ても余裕なんてかけらもないまま、邸を出てすこし歩く。目的の場所はそこまで奥まってはいないとはいえ、それでもすこしばかり森に入り込まなければ辿り着けないため、リーリアの足もとや、木の枝などには充分注意を払う。
天候だけは最後まで心配していたけど、どうやらその方面の運には恵まれたらしい。とはいえ、鬱蒼とした木々に囲まれている以上視界は狭く、邸を出るときに持ち出したランタンは重宝した。
そうして歩くことすこし。眼前がわずかに開ける。
「……わあ……」
傍らから上がる感嘆の声。
俺も思わずことばさえ失う光景がそこにあった。
「きれい……!」
ちいさな泉と、飛び交うちいさなひかりの群。それはミナハトという、日本でいう蛍のような昆虫だ。澄んだ空気と水に恵まれた地にしか生息しない、珍しい生物。夜の森の中、泉があることにより木々に遮られることもなく届く月光のもと、月を映す澄んだ泉と淡い輝きを放つミナハトとの光景が、あまりにも幻想的で美しい。
領地について学ぶ際にこのことを知ったのだけど、実際に目にするとすごく感動する光景だな、これ。
ふわり。ふわり。
たゆたうように。たゆたう、ように。
「だったらさ、私は……」
ふいに、耳の奥……どこか遠くで、だれかの声が響いた気がした。
懐かしいような、知っているようで、でも知らないような。そんな、声。
不思議と、声の主を探そうという気は起きず、その声はただただ、どこか遠いような、それでいてひどく近いような場所で、響く。
「前世とか来世とかそんな不確かなものなんかより、いまこのときを全力で大切にしてくれたほうが、よっぽどうれしい」
明るくて朗らかなそんな笑顔。笑顔、なんて表現しておいて、その顔なんて全然わからなくて、そもそもその声の主がだれなのかさえ俺にはわからない。
でもたぶん。たぶん俺はそうだなって返したんだと思う。そうだなって返して、そうしてそのとおりに、生きたんだと思う。……ずっと、一緒に。
そんなふうにぼんやりと思って、はっと我に返る。
あれ? 俺、いまなに考えてたんだっけ……。
この光景があんまりきれいだからって、ぼんやりしすぎてたみたいだ。思わずしばらく見入ってしまうのは仕方ないくらいの光景には違いないけど、大事な目的を果たす前なんだからしっかりしないと。
慌てて内心で喝を入れ直し、それからリーリアをちらりと横目に見やる。目の前の光景に見入る彼女の姿は、月明かりに淡く照らされて……幻想的な景色に溶けこむようにきらきらと輝いて見えた。もとがものすごい美人だからというのもあるんだろうけど、その……あまりにもきれいすぎて思わず息を呑んだほど。俺の語彙力が追いつかないとかじゃなくて、もう本当、シンプルにそれしか出てこない。
まずいまずい。今度はリーリアに見惚れてる場合じゃないんだって。気を取り直すように軽く咳ばらいをする。
「ファル様?」
それによりこちらを向いてくれたリーリアに、ポケットから取り出した箱をそっと差し出す。
ヤバイ。顔が熱い。心臓がうるさく跳ねすぎて、くちから出てきそう……! なんかくちの中も乾いてきたし……噛むな、噛むなよ、俺……!
「あー、その、えーと……すきです! 俺と結婚してください!」
箱を開けてその中身をリーリアに向けながら、思いきり頭を下げた。いや勢い良すぎだろ! むしろビビらせるか引かせたんじゃ……。
というか、台詞! 考えてたものと一切違ったんだけど! あまりに緊張しすぎてシンプルに過ぎるというか結婚してくれってもう婚約してんのに!
阿呆じゃないのか、俺。せっかく舞台は整ってくれたのに、もっとこう、ちゃんと感動的な、もっと情緒あふれるというか……。
噛まなきゃいいってもんじゃないんだぞ、俺ぇぇぇえぇっ……!
緊張して熱いのか、ここいちばんで大事な告白をしでかしたことで背筋が冷えて寒いのかもわからないし、なんならもうなんの汗かわからない汗も出てきた気がする。
ヤバイ。呼吸ってどうやるんだっけ……。
ぐるぐるぐるぐる纏まらない思考で頭の中いっぱいいっぱいになっていると、そっと、俺の手にあたたかでやわらかな感触が触れる。
「……はい」
ちいさな。囁くような、すこし震えたその声に、おそるおそる顔を上げた。
そして、ぐっと息を呑む。
淡い淡い月明かりに照らされて、俺を見つめるリーリア。そのきれいな紫紺の双眸が涙を湛えて潤み、耐えきれなくなったひと筋が頬を伝って零れていく。震えるくちびるが確かに笑みをかたちづくるその姿が、俺の胸をぎゅっと締めつけた。
「はい。もちろんです、ファル様。わたくしは……リーリアは、いついつまでも、あなたとともに」
言い切るが早いか、俺は思わずリーリアの華奢なそのからだを抱きしめる。胸の奥から、からだの奥の奥から、溢れてたまらないこれは、いとおしさ。
いとしくて、いとしくて。ことばにならないほどの想いを表す術がわからなくて、搔き抱くように抱きしめて、ぎゅっとちからを込める。触れ合うぬくもりがまた、いとおしさに拍車をかけるようだった。
「すきだ、すきだよ、リーリア。……ごめん、遅くなって」
「いいえ。いいえ、ファル様。うれしゅうございます。わたくしも、ファル様をお慕い申し上げております。これから先もずっと、ずっと……おそばに置いてくださいませね」
強く強く抱きあう俺たちのまわりを、まるで祝うかのようにミナハトが輝き続けていた。
そうして王都に帰るその日の朝。集まれるだけのひとたちが集まってくれ、再び別れを惜しんでくれる彼らに見送られ、俺はリーリアとともに手を取りあって馬車に乗る。
彼女のそのしなやかで細い指には、昨晩俺が贈った指輪がきらりと輝いていた。
ファーシルはそれはもう気障ったらしいような恰好つけた告白を考えに考えていましたが、このざま。恰好つけたがってつけきれないのがファーシルなのです。




